ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

ラテラルシンキング

2014年12月05日 12時37分56秒 | 考えるねーさん
ラテラルシンキングは、


前提を疑ってみる



前提をひっくり返してみる



ひっくり返した前提からやれることをやる


みたいな思考をするみたいなんだけども、、、、



比喩のひとつとしては、

「任天堂がラテラルシンキングでソニーがロジカルシンキング」

みたいに言われるようだ。


「オバチャマはどちらのシンキングに偏ってるかなぁ?」と考えれば、ラテラルシンキングのほうだ。


「前提は疑ってかかる」というより、いつも「これのそもそもの前提は?」というところを知っておかないと、色々行動する上の土台が作れなくて苦手だ。

前提がグレーの場合は、ある程度の期間を使って、

「自分なりの仮定を立てて、検証して、前提を明らかにしていく…」

みたいなことはする。(極々自然に。)


そこで「おや、前提が妙だな…」とか、「前提がないんだね?これ??」と嗅ぎ付けるところまでくると、自分の関わり方の調整に入る感じ。



ああ、こうやって吐き出してみると、

「前提がない(曖昧)のは勝手に前提を覆すようなことをしちゃってる人がいるな、これ…」

と察することが多い。

そして「いやだから前提を覆したいならそれはそれでフラグ立ててやらないとさぁ…
もしくは別の場所で同じ志の人らとやんなさいよ…」

と思うんだった。


オバチャマの場合、「ラテラルシンキング」なんてゲームみたいなことより何より、今までを振り替えると、

ラテラルな(今までの前提とは異なる前提で)ことをする人達と、

ラテラルな場所(別部署発足とか別会社発足とか)に移動し、

常にラテラルシンキングしてる…

みたいな人生かもしれん、ワシ…。

コンピュータ使った曲作りはもういいよなぁ。

2014年12月05日 09時10分02秒 | 考えるねーさん
と、知り合いがついに口にしだした。


自分もで出した頃に夢中でやったりしたけど、もう、ホントいいかな…
やっぱり生演奏だけが聴きたくなってる…。


コンピュータは全てにおいて、そのものを誤魔化せてしまったりするからねぇ。
被写体をいじれるフォトショップなんてアプリはいつだろう、一番最初に触れたのは…1990、1991年頃かなぁ・・・オバチャマ。


まださすがに世間はフォトショップの機能や技で「実物を綺麗にごまかしちゃう」まであからさまに使っていない頃。

社内でデザイナーやってた同世代の男性(←仕事中に鉄砲(←これに凝ってて)でバキュンバキュンサバイバルごっことかしてるんですよ。「仕事中にっとにも!当たると痛いのよっ!」とみんなにウンザリされながらも聴いてないで夢中なデザイナー陣営♂!そんな無邪気さが懐かしいね。(笑))と、

「やれちゃうよ~~
この先はすっかり騙せちゃう時代になるね、こりゃ。
それを「平気でやっちまうか」、「そこまでやるのはいかがなものか?」と言えるか…
はたまたモデルや芸能人はこれによって「手抜きが出来て楽になる」とかあるのかね…」

と、先を見越してヤレヤレした思い出。


やっぱり「あからさまにやっちまう」の流れになりましたな。



フォトショップの話にすりかわったけど、曲作りも加えて、コンピュータ依存が頂点に達して来てるのかなぁ…


活用域を越えて、利用依存域に気分が滅入る…的な。