ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

ヤマトタケルをスーパー歌舞伎で。

2008年03月24日 20時36分44秒 | 観たぞねーさん
芝居の見どころというのは人それぞれかと思うが、スーパー歌舞伎はとにかく衣裳が豪華だ。
背中のカニとタコは素晴らしかったぞ!(笑)

それとこのスーパー歌舞伎「ヤマトタケル」を観ていて、大勢の役者がひとつになって芝居を組み上げてる素晴らしさっていうのかなぁ。単純にそこに感動~。

普通の歌舞伎だとあそこまで大勢の役者がひとつになって踊る場面はあまりないかと思うんだけど、そういう場面が盛り沢山なのね、スーパー歌舞伎。
そんな場面を観てるだけで感動するわけ。うるうるくるわけ。
「みんな素晴らしいなぁ…自分勝手な奴らではこうはいかんのだよなぁ…少なからず「この舞台を最高な状態に観せてやる」という気持ちが一体になってなきゃダメで、それがひとつになってるよなぁ…」と。

(ね)も高校生の時に創作ダンス部に所属していて、総勢20名くらいでひとつの作品を創って(構成から振り付け、選曲)、ひたすら稽古をして、舞台で発表する、という経験をしたのだけれど、まずね、一人勝手に踊ってしまうのはダメなんさ。
みんなでひとつなのね。

その「ひとつになった時」ってたとえようのない高揚感があるわけ。泣いちゃったりね。
「うわ~通じあってる!」っていう、ゾクゾクッと寒気すらしてくるような高揚感なんですよ。

そういう感じって、個人プレーの卓球(中学生の時に所属)では味わえないのよね。


スーパー歌舞伎を観て、そんな感覚を思い出しちゃった。


今って他人の気持ちに無関心すぎでしょ?
芝居観てると「この人たちは他人の気持ちに敏感なんだろうなぁ…」って感じるんだ、つくづく。
そうじゃないといい芝居になりゃせんって。


「ヤマトタケル」は自分の力を過信しすぎたあまりに命を落とす。
今の時代ほぼ絶滅に近いタイプの英雄といいましょうか。

それに変わって今はプライドが高すぎて命落とす人が大勢いるよなぁ…。ぶふふ…。

バブル期に勢い良かった人がバブルが弾けてからうまくいかずに、でもそれが惨めで格好悪いから、過去の看板にしがみついちゃってるみたいな。

逆に勢いつけたかったのに知識では勝っても力が足りなかった…ような僻み根性看板をずーっと掲げて策略で生きているような。


そんな変なプライドが命取りなんですぜ?
過去の力や感覚を過信しすぎちゃいけませんぜ?

肝に命じなければ?
そこの皆さん??

そう、あたいも肝に命じなければ。ほほほ。


かしん【過信】
[意]実際以上に高く考えて、たよること。

/(.^.)\あゆモバ