ごまめの歯ぎしり・まぐろのおなら

サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

20年ぶりの武甲山から大持山

2008-02-01 | 花と自然
今週も秩父の山を歩いた。かつて秩父の名山といわれた武甲山。今日では山の半分がなくなった哀れな姿をさらしている。武甲山には昔何回か登ったことがある。もっとも最近はそれでも20年前になる。その後武甲山はどうなっているのだろうかと思って登ってみた。

 生川に車を置いて歩き出す。もうすでに道路は圧雪と凍結で夏タイヤでは怖い。登山口は御嶽神社の鳥居をくぐる。武甲山の頂上が御嶽神社の奥社で、登山口は前社である。狛犬は写真で見るように狼だ。秩父地方の神社の狛犬はほとんどが獅子ではなく狼である。昔は秩父地方では狼が跋扈し、人々は狼を神の使いと畏れていたらしい。


 武甲山(1304m)は、登山道のほとんどが杉の人工林の中を歩く。陰鬱な登山道でまったく楽しくない。ひたすら地面を見つめ一歩ずつ歩いていくだけだ。ようやく落葉した広葉樹が現れたと思ったら、もうそこは頂上だった。登り初めてちょうど2時間。

 前回登ったときは広々とした明るい登山道だった記憶が強く残っているが、今回は杉の木立の間の薄暗い登山道だけだった。歩きながら考えた。あの記憶の登山道は無くなったのだろうか?しかし、よく考えたらそうではなかった。あの時の広々とした山肌には杉の苗木がいっぱい植えられていた。あれから20年。あの時の杉がもうこんなに兢々とした立派な杉林になっていたのだと気がついた。月日のたつのは早いものだ。

 山体の半分がセメント原料として採掘されてしまった武甲山。最初にこの山に登ったときは、時々響くサイレンの音に驚かされ、発破作業の間は登山道のあちこちに造られた避難施設に逃げ込んで発破が終わるのを待った。山が崩されていくのが実感としてあった。あれから30年くらいたつ。しかし、今日も10分に一回くらいの頻度でダイナマイトの爆破音が響いていた。まだまだ山は崩されて続けている。いい石灰岩を持った山の悲劇だ。秩父地方の山はほとんどどの山も石灰岩から成る。山道を歩いていても、岩肌の美しさに驚かされることが多い。

 武甲山からは南に尾根を伝う。一度300mほど一気に降りて、あらためて尾根を登っていく。小持山まで狭い岩尾根を歩くことになるが、それほど危険なところはない。武甲山の登山道が杉の人工林の中ばかりだったのに比べて、この尾根は痩せ尾根だけあって見晴らしがきわめて良い。人工林も少ない。雪がかなりついているので、安全のためにアイゼンを付けた。先週の山でアイゼンを忘れて苦労したので、今回はしっかり持ってきた。

 痩せ尾根ではあるが、適度に緊張感があってなかなか楽しい。もっともアイゼンでの歩き方を失敗すると引っ掛けて転倒するおそれがあるので、慎重に歩く。転ぶと左右どちらにしても奈落の底に転落することになる。小持山(1273m)を過ぎて、大持山までもやはり痩せた岩尾根が続く。慎重に歩けば危険なところはほとんど無いが、それでも2-3箇所では3点支持(両手両足の内一つだけで移動すること)を余儀なくさせられるところがある。遠くの山が今日はハッキリと見える。両神山の向こうに噴煙を上げる浅間山の真っ白な山体もくっきりと見える。

 この尾根筋にはミツバツツジとアカヤシオの木があちこちにある。5月頃に登ればきっと美しいツツジの花に逢えるだろう。そのころまた来てみたい。

 大持山(1294m)頂上は広々とした落葉広葉樹林の中だ。葉っぱが落ちてしまっているので、抜けるような青空に今朝登ってきた武甲山の姿が映えているのがよく見える。木の葉がついたらここからは何も見えない。武甲山の姿はいつも眺める表側とちがって裏からの武甲山は傷跡が見えない。昔はどちらから見てもこんなにどっしりとした素晴らしい山だったのだろう。

 

 ここからは下り一方だ。雪も腐ってしまっているのでアイゼンも必要ないだろうと思って、ここで外す。ところが油断したとたんに滑って転んでしまった。腕を痛めてしばらく起き上がれない。骨が折れたかと一瞬心配したが、どうやら打ち身だけだったようだ。痛みが治まるまで休憩して、あらためて下り始める。ここから妻坂峠までは急勾配の下り坂が続く。しかもかなり雪が深い。腐った雪だし、広い尾根なので滑落の心配はないけど、転ぶのはもういやなので慎重に降りる。妻坂峠から生川までは再び陰気な杉林になった。

 車にたどり着くまで今日は5時間半。どうやら少しずつ足が鍛えられてきたようだ。5時間以上歩いても膝が痛くは成らなかった。この調子で山歩きを続けておけば、夏の北アルプスも大丈夫だろう。今年は槍ヶ岳を目指そうか。東北の山も登りたい。岩手山にいっしょに登ろうと言ってくれた人もいる。登りたい山はいっぱいだ。