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食人と生け贄

2013-02-15 | 読書

ジェームズ・クック「太平洋航海記」(上・下)を読み終えた。18世紀に初めて南太平洋の島々の人々と出会った最初のヨーロッパ人であるクックがみた島々の様子が、日記に描かれていて、行ったことのあるところも多いので、たいへん興味深かった。とくに、食人の習慣が多くの島で行われていたことを知り、おどろいた。私が知っていたのは、ニューギニアくらいだったのだが、フィジーに行ってみて、ここでも食人が行われていたと知って驚いたことがある。

 しかし、クックの航海記を読むと、それ以外にも南太平洋では、食人が普遍的に行われていたようだ。とくに、ニュージーランドのマオリ族では、食人は食糧確保のためにもっとも普通に行われていたらしい。これまでニューギニアで聞いた話では、食人は戦闘で死んだ敵の勇者の肉を食べて、彼の勇敢な魂を自分の体に取り込むという半ば宗教的な儀式的な食人行為だと聞いていた。ところが、クックの航海記によると、ニュージーランドのマオリ族やニューヘブリデス諸島など多くの島の住民は、食糧を手に入れる目的で人を殺し食べることが日常的であったという。これには驚いた。クック船長の乗った船の僚船の乗組員がボートでニュージーランドの暗礁に乗り上げたところで原住民に襲われ、銃の弾丸を使い尽くしたところで、全員殺されて食べられたという記述もある。

 かつて、フィジーのビチレブ島にある国立博物館で、いにしえにフィジーを訪れた白人が書き残した食人のレシピに驚いたことがある。人をどうやって解剖して肉を取り食べるかを図解入りで詳しく書いたものだった。それをみて、フィジーの食人が100年前まで行われたいたことを知った。けれども、それはニューギニアやフィジーという特殊な島で行われていたのだろうと思っていた。ところが、そうでは無かったらしい。クック船長の日記には、ニューギニアやフィジーの記述は無い。それは、それらの島については他の国の冒険家がすでに出かけていて、報告を書いていたからのようである。クック船長は、あくまでまだヨーロッパ人が見つけていない島を見て、位置を測量し、イギリスの領土であることを宣言することを最大の目的としたからである。

 彼の日記を見る限りでは、それ以外の、ニュージーランドやタヒチ島など多くの島で食人が行われ、それが儀式的なものではなく、食うために行われたと言うことが分かる。広い世界のなかでも、食人の習慣があったのは、あまり多くは無いようだ。なぜ、南太平洋の島々に住む人たちに食人の習慣があったのか。不思議だ。考えられることの一つは、小さな島には多くの人は住めない。だから、間引きの効果があるのではないか。でも、それは結果としての効果だから、食人が起こる原因と言えるかどうかは、分からない。

 もう一つ驚いたのは、タヒチでは、神に捧げる生け贄の儀式が行われ、その生け贄にされるのは、豚や羊だけではなく、人間も捧げられる。そして、誰が生け贄になるかは、ちょっとした神官役の気持ちで決まってしまい、突然棍棒で頭を殴られて生け贄にされる人が、クック船長が知り合いになった人にもいたということだ。有名なインカ文明でも、太陽の神に捧げる生け贄に、人間も捧げられていた。若い処女が生け贄になったという。同じような習慣が、南太平洋でもあったということは、インカ帝国の祖先は南太平洋のポリネシア人と同じ祖先をもっていたのだろう。ヘイエルダールが証明したように、中南米とポリネシア、ミクロネシアは、航海可能な範囲であったのかも知れない。ひょっとして、一夜にして沈んだと言われるムー大陸の住民だったのかも、と妄想が広がる読書であった。

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