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ごまめの歯ぎしり・まぐろのおなら

サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

京都の女性作家たち

2011-01-09 | 読書
京都の我が家からそう遠くないところに住んでいた女性作家3人のエッセイ集を読んだ。そのうちのおふたりには、私もお目にかかったことがある。もっとも二言三言声を交わしただけなので、どのような人柄なのかは分からなかったが。もう一人の方には会ったことがないが、三人とも似たような感じがしたのは、エッセイに出てくる風景がどれも似通っているように思われたせいかもしれない。雑誌の編集者をやりながら、詩人でもある。浅山泰美さんのエッセイ集「木霊の書翰」と「銀月アパートの桜」、山口賀代子さんのエッセイ集「離湖」、そして早川茉莉さんの「森茉莉かぶれ」。三人のうち二人は京都の左京区に住み、もう一人は昔住んでいた。そして琵琶湖疏水ぞいの散歩道をしばしば歩いている。私がいつも歩いている道だ。

 3人に共通しているところは、自分たちが住んでいる街に深い愛着を持ち、その美しいところを愛してやまないこと、そして3人が3人とも今は疏水沿いの道の桜の花を心から楽しみ愛しているらしいことだ。さらに、3人ともカフェで一人コーヒーを飲みながら、読書をすることを好んでいる。毎日のようにカフェに通い、多いときは日に何度も行くこともあるという。たしかにこのあたりには素敵なカフェが多い。私も喫茶店にでかけ、コーヒーや紅茶を喫するのが好きなのだが、街の喫茶店ではたばこの煙が充満している店が多く、とくに小さなカフェでは、分煙していないので入れない。ところが、自宅の周りにある素敵なカフェの比較的多くが、こだわりのある店のようで、禁煙のカフェが多い。しかもそれぞれのカフェが店の構えや店内のしつらえ、テーブルの作りなど、京都の風情に合わせてシックでありながらどこかモダンな店が多い。一人でゆっくりとお茶を楽しむことができる店も多いのだ。そんな店を探して彼女らは一人もしくはおしゃべり友達とお茶を喫み、物思いにふけったり、原稿を書いていたりするのだろう。

 我が家から歩いて15分くらいの一乗寺というところに、恵文社という書店がある。この書店が並の本屋さんとは違っていて、実に魅力的な本の取りそろえをしている。すべてのジャンルの本が揃っているわけではないが、芸術や音楽、哲学や社会派文学などいくつかのジャンルの本なら、並の本屋では決してみられないような、しかもその分野なら読んでおくべき本がほぼ揃っている。さらに本の陳列方法も工夫して、平板的な書店の本棚ではなく、実に芸術的な棚の造りと本の配列がなされている。しかも広い部屋に本が並んでいるのではなく、いくつかの大きさの異なる部屋が続いていて、部屋ごとにジャンルも違えば、陳列している棚の様子も違うというように、見ていて飽きることがない。しかも、普通の書店で平積みしているような売れ筋の本などはけっして置いていない。売れるかどうかではなく、置く本を選んでいるから、他の店ではけっして置いていない本ばかりが目に付く。書店に行くとなかなか動かなくなる私なのだが、ここにくると帰る気がしなくなる。できればここにお茶を飲みながら本を読めるようなところがあればと思うのだが、残念ながらそれはない。そんなところを作ったら、みんなそこで本を読んで、買って行かなくなるのかもしれない。

 この書店の奥まった部屋ではちょっとした展示空間があり、陶芸や革製品、手芸品などいろんな手作りの工芸品などが展示されている。ここで早川茉莉さんが主催した本の帯の展示会があった。彼女が編集に関わった本の帯封を中心に壁一面に貼り付けてあり、その一つ一つの帯の色や形や文章にも興味がひかれたが、壁一面の帯封の展示が作り出す色彩と模様の風情にもなかなかの感慨を持った。彼女のエッセイを読んで分かったのだが、彼女はかなり色とか形などの外見にこだわりを持っているようだった。彼女のエッセイ集は他の二人と異なり森鴎外の娘である作家の森茉莉の作品から人柄から何から何までファンであることを、森茉莉宛の手紙という形式で書いたものであるが、そうでありながら彼女自身の好みや人生観をじんわりと見せている。

 私は、森茉莉の作品はずいぶん昔に一つだけ読んだことがあった。「恋人たちの森」という作品で、読んだのはおそらく刊行されてまもなくだったように思う。あまり女性作家の本を読まない私が森茉莉の本を読んだのは、女性作家が増えてきているので、少し読んでみようと思い立ったことと、森鴎外の娘という色眼鏡で考えたことの両方が理由だったように思う。読んだ印象はけっして良いものではなかった。その頃の私は、赤貧とはいえないまでも貧しい生活をしていたから、森茉莉の生活臭のないお姫様の書いた小説に反感を抱いたこともあったし、およそ彼女の関心事と私の関心事は重なるところがまったくないと思った。それ以来、彼女の小説はもちろん、女性作家の作品を読もうと積極的に思ったことはなかった。早川茉莉さんの「森茉莉かぶれ」でも、私がもはや貧しいという生活ではなくなったけれども、そして早川さんが森茉莉のようなお姫様生活をしていないこともよく分かったが、やはり関心の重なりを見つけることはなかった。唯一、カフェで本を読むことについて、同じ生活上の嗜好を見つけた。

 そういうことで、私が女性作家の本をつづけて4冊も読むようになるとは自分でも思ってみなかった。読んだのは、体調が良くなく、パソコン仕事を根を詰めて長時間やるのが辛くなったこともあり、読書に充てる時間が増えたことと、これらの本が作家たちからわが連れ合いに贈られてきたこと、ご本人達にも彼女を通じて会う機会があったことなどが理由である。だからすぐに女性作家の作品を好きになったと言うわけではないが、読みたくないというこれまでの気持ちから少しは読んでみた方がいいのかもしれないという気持ちにさせてもらった。3人の作風は少しずつ違うが、共通して自分の周りの風景を愛しんでいるのが感じられ、私の風景を見る目が少し変わってきたようにも思う。

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