昨日、古い友人から本を送ってきた。長く会っていない友人だが昔から作家になるのが夢だった。これまで二冊ほど出版した本を送ってくれたが、どちらも私小説、いや、小説ではなく私的なノンフィクションと言った方が良いのだろうか、日記風の文章が書かれていた。
今回送られてきた本の表題は「喪失と豊饒と-がんという名の僥倖に生きる-」。ぱらぱらとめくってみて、彼女が2年前に癌になり、大手術の末に生還したことがわかった。まったく知らなかった。たしか一度だけ年賀状が来ない年があり、おかしいなと思っていた。けれども今年は年賀状をもらったはずだ。それにはそんな病気のことなどつゆほども書いていなかった。
あらためて本を最初からゆっくり読んで驚いた。彼女の闘病の記録もそうだが、文章が特段に上達していることに気が付いたからだ。彼女は、癌と宣告されてから精神的に落ち込み、葛藤し、そして覚醒する。大手術のあとに癌から生還し、癌という病気になることによって、精神的にもこれまでと異なった人間に生まれ変わったという。それを彼女は「僥倖」とさえ言うのである。
正直言って、私はこれまで彼女から送られてきた二冊の本を読んで、彼女の作家としての将来性に疑問を持ってきた。しかし、本はどちらも自費出版のようだし、趣味として文章を書くのはきわめて良い趣味だと思ったから、もちろんそんな感想などおくびにもしなかった。それぞれの人にはそれぞれの生き方があるのだから。しかし、今度の本を見て私は彼女の文章に舌を巻いた。格段の進歩が見られる。もはや素人の趣味という段階はとうに通り過ぎているようだ。もちろんまだ未熟なところも無いことはないが、これからも文章を磨いていけば十分作家としてやれるのではないかと思った。
これは彼女の精進のたまものなのか、それとも「癌」という生と死をわける闘いを通して彼女が得た新しい精神と結びついた結果なのだろうか。
今年は友人を3人も癌で失い、病に伏した友人もいた。彼女の癌からの生還を喜びたい。そして彼女の文筆活動がこれから彼女に新しい生活をもたらすことを祈りたい。
今回送られてきた本の表題は「喪失と豊饒と-がんという名の僥倖に生きる-」。ぱらぱらとめくってみて、彼女が2年前に癌になり、大手術の末に生還したことがわかった。まったく知らなかった。たしか一度だけ年賀状が来ない年があり、おかしいなと思っていた。けれども今年は年賀状をもらったはずだ。それにはそんな病気のことなどつゆほども書いていなかった。
あらためて本を最初からゆっくり読んで驚いた。彼女の闘病の記録もそうだが、文章が特段に上達していることに気が付いたからだ。彼女は、癌と宣告されてから精神的に落ち込み、葛藤し、そして覚醒する。大手術のあとに癌から生還し、癌という病気になることによって、精神的にもこれまでと異なった人間に生まれ変わったという。それを彼女は「僥倖」とさえ言うのである。
正直言って、私はこれまで彼女から送られてきた二冊の本を読んで、彼女の作家としての将来性に疑問を持ってきた。しかし、本はどちらも自費出版のようだし、趣味として文章を書くのはきわめて良い趣味だと思ったから、もちろんそんな感想などおくびにもしなかった。それぞれの人にはそれぞれの生き方があるのだから。しかし、今度の本を見て私は彼女の文章に舌を巻いた。格段の進歩が見られる。もはや素人の趣味という段階はとうに通り過ぎているようだ。もちろんまだ未熟なところも無いことはないが、これからも文章を磨いていけば十分作家としてやれるのではないかと思った。
これは彼女の精進のたまものなのか、それとも「癌」という生と死をわける闘いを通して彼女が得た新しい精神と結びついた結果なのだろうか。
今年は友人を3人も癌で失い、病に伏した友人もいた。彼女の癌からの生還を喜びたい。そして彼女の文筆活動がこれから彼女に新しい生活をもたらすことを祈りたい。

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