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サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

すべての原発が止まった日に

2012-05-07 | ちょっと一言

山口県柳井市まで新幹線と鈍行を乗り継いで出かけた。柳井市は、舟運の港町で、江戸時代からの蔵造りの家が建ち並ぶ町だ。「白壁の町並み」という名前を付けて、観光客を呼び込もうというのだろう。それにしては、観光客もそれほど多くないし、日帰りの客が多い。ホテルや旅館も少ないし、ホテルも古くて狭くて高い。トイレの水もまともに流れてくれない。サービスも良くない。ただ、人は親切だ。

 柳井から上関町室津に出た。室津港から船に乗って、上関原発建設予定地を見て、原発反対で頑張ってきた祝島を見に行こうと思った。何度か行っているのだが、今回は大勢の人たちといっしょで、楽しみだ。中電の工事も中断しており、再開の目処も立っていないから、祝島や長島を見ても、のんびりとした雰囲気がある。そして、ちょうど出かけた日に、日本の全原発が停止した。こどもの日に、子供たちにもっとも良い贈り物ができた。

 瀬戸内海と言うことで高をくくっていたら、風に吹かれてたいへんだった。小型のクルーザーは、波に翻弄された。船酔いする人も出た。私はなんともなかったが、船に乗り付けない人にとっては、内海の海も風が吹けばこんなに荒れるんだと勉強になっただろう。

 それでも、祝島の周辺の海は美しい。水は澄んできれいだ。15mくらいの深さでも底が見える。青い海がきらきらと輝いている。こんな美しい海を壊して原発を作ろうと考える人は、いったいどういう神経をしているのだろう。第一次産業で生きてはいけないと、祝島の人たちに言い放った中国電力の社員。彼らは第一次産業は、自分たちのようなサラリーマンより劣っていると心から思っていたのだろうか。そうでなければあのような暴言は出てこないだろう。今でも彼らはそう思っているのだろうか。社員の資格を失いたくないためだけで、あのような言葉が出てくるものだろうか。「社畜」という言葉が浮かんでくる。

 祝島で道路脇に座り込んで暇そうにしていた男たちは、都会からやってきた者どもを睥睨しているようだ。どうだ、俺たちが原発を止めたんだぞと言わんばかりに。福島の事故で反省して祝島を見学に来る都会の人間たちは、馬鹿ばかりとでもいいたいような態度が、気に掛かった。映画「ミツバチの羽音と地球の回転」や「祝の島」で、もてはやされた島の人間のおごりではないかとも思えた。「お邪魔します」と言った人に、島の男は「邪魔だと思うなら来るな」と言い放った。このような態度を取る男たちは、ひょっとしたら、島の原発容認派の人だったのだろうか。腑に落ちない思いを抱いて、祝島を後にした。

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