ごまめの歯ぎしり・まぐろのおなら

サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

対等な日米関係を 「同盟」はいらない

2009-09-10 | 政治
 民主党大勝の総選挙を受けて、民主党と社民党、国民新党の三党連立協議が成立して、連立政権ができる方向が固まったようだ。社民党や国民新党が少数にもかかわらず、308議席の民主党相手に要求を最大限飲ませたことに、民主党支持者から批判も出ているが、少数政党としては当然のことだろうし、政党間の連立を公約し、実際に選択した民主党としてもけっして悪いことではない。300議席以上という史上最大の勢力になってしまった民主党が、おごり高ぶって民意を失わないようにするには、いくら民主党だけでもやれそうでも、少数政党との連立を選んだことに鳩山代表たち執行部の良識を見るような気がする。

 連立協議のニュースを見ていておかしいなと思ったことがあった。政策合意書の「自立した外交で、世界に貢献」という項目の中にこのような文章がある。「主体的な外交戦略を構築し、緊密で対等な日米同盟関係をつくる」。続いて「日米協力の推進によって未来志向の関係を築くことで、より強固な相互の信頼を醸成しつつ、沖縄県民の負担軽減の観点から、日米地位協定の改定を提起し、米軍再編や在日米軍基地のあり方についても見直しの方向で臨む」。

 後者の文章は、日米地位協定の改訂を提案すること、米軍再編計画や基地のあり方を見直すことなど、ぜひともやって欲しいことが書かれていて、諸手を挙げて賛成したい。しかし、前段の文章にはひっかかる。「日米同盟関係」という言葉だ。日米安保条約によって日本とアメリカは緊密な関係にあったが、それを日米同盟とは言わなかった。社会党が3分の1の議席を持っていたときには、自民党も安保条約をもって日米同盟とは言わなかった。いや、言えなかった。ところが、ブッシュ2世政権での日米地位協定の改定などで、実質的に安保条約の内容が「極東の有事の際に日本をアメリカが守る」ということから、「世界の有事の際に日本とアメリカが協力する」という内容に実質的な変化を強要され(自民党は素直に受け入れたが)、それ以降「日米関係」を「日米同盟」と平気で言い換えるようになった。マスコミもまったくそれを当然のように受け入れ、何のためらいもなく日米同盟が存在することを前提としたような言い方をするようになってしまった。

 しかし、日米地位協定の改訂は日本政府とアメリカ政府の間で国会の承認も得ないで行われただけであり、本来なら安保条約を改定するくらいの大幅な内容の変更があったのに、日本政府はまったく民意をすくい上げる努力をせず、勝手に実質的な安保条約の改定をやってしまい、日米関係を同盟関係に変えてしまい、日本をアメリカの戦争に協力させる体制を造ってしまった。これはまさに憲法で禁止されている集団的安全保障体制そのものなのだ。憲法改定も提起せず、安保条約改定の交渉さえもしないまま、アメリカの良いなりになってしまった「日米同盟関係」は、この際本来の日米安保条約の枠に戻し、あらためて今後もそのまま続けていくのか、それとも安保条約を止めて新しい日米関係をつくる日米平和友好条約を締結するか、民主党連立新政権ではじっくり考える必要がある。社民党までが最初から「日米同盟関係」を目指すような言い方に嵌ってしまっては、本当の意味の自立した外交は望み薄だと思ってしまう。