とうちゃんのぷらぷら日記

アウトドア系の日記及びうんちく

横浜の初霜11月25日

2021-11-25 19:59:30 | 昔の話
今日は初霜。
いつもより一週間ぐらい遅いかな。


小さいころは、ろくに暖房もなかったなあと思い出す。
コタツすらなかったように思う。

私はごく小さい頃、手にあかぎれをこさえていて、手を洗うのを嫌がった。
擦れて痛いし、しみるからだ。
それで不衛生になり、よけいにあかぎれがひどくなったことを覚えている。

今の子は知らないが、私らのころの小学生の男の子は真冬でもみな半ズボンだった。
どういうわけかそういうお約束だった。

教室には石炭をくべたダルマストーブがあった。
石炭係の当番の子がいて、朝、口の広い石炭用のバケツと着火剤を取りに行った。
エアコンではないので、ストーブ近くの子は照り返す熱で顔を真っ赤にしていた。
そんなことがあったものだと、はるか昔を思い出す。


瀬戸内寂聴さんと今東光和尚

2021-11-24 23:02:40 | 本、作家


瀬戸内寂聴さんが出家された時、マスコミはこぞってそのことを報道した。
私は関心がなかったが、テレビで見ていた記憶がある。
売れなくなった作家が売名行為でやってるのではないか、そんな冷ややかな見方だった。世間もそんな感じだったのではなかろうか。

出家を引き受けたのは、作家仲間の今東光和尚だった。
このお二人どこか共通する雰囲気を持っている。
今でこそ寂聴さんは、生きる観音菩薩のような感があるが、出家されるまでは修羅の人生を送られたようだ。今東光和尚も破天荒さでは負けない。

品行方正の真逆を行き、それでいて最後は品行方正の人物であったかのように錯覚させる。だから人生は面白い。
お二人の小説には、私はあまり関心がなかったが、人としては愛すべきキャラクターだった。

内務省地方局有志「田園都市と日本人」

2021-11-23 16:51:06 | 本、作家


昨日の日経新聞に「田園都市と日本人」が紹介されていた。
私にとって、懐かしい本だった。

私がこの本を読んだのは1980年のことだ。
当時経済学部のK先生が、ぜひ読むようにと推奨した本だった。
かねがね、国土の乱開発を苦々しく思っていた私には、興味のある分野でもあった。

現代では、目に見える公害問題こそ減ったものの、地球温暖化など、より深刻でグローバルな環境問題を抱える時代となった。いわゆる持続可能な社会のありようとして、いまこそこの本を見直すべきときだと思われる。
明治時代に国家の理想を語る官僚たちの心意気を、今の官僚の人達にも感じてもらいたいものだ。

文庫本の裏書にはこうある
「われわれ日本人は、戦争を望んだことがあっただろうか。この過密都市を心待ちにしていただろうか。本書は、西洋諸国を模範として強引に進められる近代日本の国家建設に抗して、平和を愛し、自然を愛する日本人の国民性に着目して構想された日本的国家建設論である。国家の真のつとめは国民を強圧的に規制することではなく、国民に生活の喜びを与え、国民の主体的な努力を援助することであるとした。幻の内務省文書がよみがえる。」

丹沢世附川大棚沢へ大棚を見に行く

2021-11-21 07:37:19 | 山行

丹沢湖の西の端、世附(よづく)の最奥、浅瀬にバイクを止め歩き始める。
長年気になっていた西丹沢の大棚を見に行く。
(大棚まで往復約4時間)

昭和45年に発行されたカラー日本の渓谷という写真集の表紙には世附の大棚が載っていた。山やさんを意識した写真集とはいえ、日本の渓谷美の代表が世附川の大棚沢という感じなのだった。
撮影は昭和43年6月2日


こちらが、今回令和3年11月20日の大棚の様子

水量が写真集のものよりやや少ないが、ほぼ当時と変わらないのが嬉しい。よく見ると最下段の釜の位置が現在より高い所にあったのではないかと思われる。水流も右側の岩の方へ回り込むようにして流れている。
岩の形も微妙に変化しているのは、やはり50年という歳月のせいだろう。

林道はどこも直しては壊れての繰り返し。
この部分が手つかずの最後の崩落個所。
わりと下流の方なのだが、山中湖側からの方が修復が進んでいて。この土砂を渡ると普通に歩けるようになる。


このあたり、林道はあるものの、人家のまったくない空白地帯だ。


途中防災科学研究所の地震観測施設がいくつも出てくる。(すでに観測終了)

関東大震災の震源は丹沢でもある。塔ノ岳では山頂にあった尊仏岩がユーシン側へ転落した。地形も大きく変わったそうだ。


大棚到着。林道から谷へ下る。


沢の中流域なので水量が豊富、落下する水圧に落ち葉が舞い上がる。

美しい滝だ。
これからもこの姿を残してほしい。

季節のある庭 秋

2021-11-15 21:57:50 | 庭、花木、畑、ガーデニング
秋の剪定の季節となつた。
気持ちだけ始める。
今年最後の芝刈り。

後は、余計な所まで勢力を拡大した部分をはぎ取る作業がある。
梅やサルスベリの枝の剪定。
歩道の方へもりあがった木の枝をカット。
枝透かしの作業。

せっかくの果物なので、みかん、ゆずなど、とりあえず食べられる分だけ収穫。(キュイーはこの間もらった)


紅妙蓮寺の花が咲く。


橘の実がたわわに実る。
ついでに味見。


仏様へ小菊を供える。

この伝心の土というお酒 好きだ


YouTubeで9月に行ったN響のコンサートを聴く

2021-11-15 19:29:38 | 音楽 美術
YouTubeを見ていたら9月に行ったN響のコンサートがアップされていた。
アンコール曲も含め、すべての曲が聴ける。
途中コーマシャールもないし、音質も優れている。
実際にそこで聴いていたので、テンションも上がる。

実際に生で聴くのと、どう違うのか。
N響の演奏は、初めから映像で公開する目的で収録されている。
これまでに聴いたN響コンサートの番組は、音質が良く、完成度が高い。楽器の収録バランスなど手練れた技術スタッフによる再生音は、生で聴くのとどこが違うのか、どう曲を表現しているのか興味深い。

まず初めに気づいたのは、楽器の細かい音が確認出来ることだ。
曲の流れの中で、ソロの部分など聴きたいと思う楽器の音は、さりげなく強調しているのではないかと思う。
チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲では、ソリストの服部百音さんの前に専用マイクが置かれていたので、微妙なテクニックまで聴くことができた。ホールではS席の人でないとなかなか聴きとることの難しい音ではないかと思う。
演奏者のアップの映像も魅力的だ。

それでパソコンをオーディオに繋げ、昨日から2回、3回と続けて聴いてみた。
サンサーンスの交響曲第3番など、好きなフレーズの所を何度も聴ける。
こういう曲はホールで聴くのが正当なんだろうが、これはこれで中々良い楽しみ方だ。

レコード芸術というが、演奏家の生の演奏を聴くのはもちろんだが、こうした職人のテクニックを加味した音響を聴くのもわるくない。

ネット情報である先輩が亡くなられていたことを知った

2021-11-11 22:15:22 | 独り言
今年の5月、Fさんが亡くなられていたことをネット情報で知った。
Fさんとは、特に接点もなかったのだが、特異な容姿の方なので印象に残っていた。
それが、恩師の叙勲祝賀会の場にFさんがおられたので驚いた。
K先生のゼミ生だったとは、今まで知らなかった。
FさんがK先生のゼミに入られたきっかけは、先生がFさんへ、自分のゼミに入りませんかと誘われたからだそうだ。

Fさんには、海綿状血管腫という顔面に紫色のこぶがある障害があった。
このため、幼いころからいじめにあい大変苦労されたそうだ。
それを打ち返すため奮闘努力された。
私と同じ経済学部の出身なのに、いただいた名刺には医学博士とある。
Fさんにとって学び続けるということは、大きな心の支えであったのかもしれない。

ネット情報を見ると、容姿のため就職も難しかったそうだ。
だが、けしてあきらめず、社会へ挑戦し続けたFさんの人生だった。

自由が丘にある北海道の酪農家のアンテナショップへ行ってみた

2021-11-07 22:22:41 | 近所の旅
北海道の酪農家のアンテナショップが自由が丘にあるのを知って行ってみた。
MILK LAND HOKKAIDO→TOKYO
大きな牛のオブジェがマークのド派手な店だ。

存在自体は前から知っていたが、そういうコンセプトの店であることは理解していなかった。
足寄と新得町の無難なチーズを買って帰る。

ついでに新丸子の駅まで散歩した。
出来るだけ自由が丘の他の店の様子も頭にインプットしておく。



やはり坂が多い。田園調布方面へ歩くと、街の外周を回り、有名なおそばの兵隊家さんの前をとおり宝来公園へ

おちついたよい公園だ、ここと多摩川台公園はほとんど続いているようなものなので、よい散歩コースとなる。

丸子橋から多摩川を覘くと、ときおり魚が飛び跳ねたり、銀色の魚の腹が光って見える。

軽い散歩に良いコースだった。


諏訪大社を巡る 11月2日、3日

2021-11-07 16:47:04 | 旅行
鉢伏山からの帰途、諏訪大社下社春宮と万治の石仏を見学した。
万治の石仏の入口に駐輪スペースがあったので、ちょっと駐車させていただく。
このあたりは40年ぶりに来た。
万治の石仏


40年前の様子、昔は石仏の周りは田圃だった。

(岡本太郎絶賛の石仏だ。)

春宮の欅がたいそう立派


諏訪大社は、派手すぎないところがよい。

参拝をしていると町内放送が流れた。
明日はイノシシの駆除をするから鉄砲を撃ちます。危険だから山にはいらないでくださいとのこと。
了解しました。

翌日は上社本宮へ。


こちらの欅も立派。


菊の品評会をやってました。

こういうのは盛大にやってもらいたい。
神社の手水が温泉なのもいい。


<反省会>
今回の旅はオートバイがメインだった。
走行距離はさほどではないが、山間部がかなりあったので、やはり体力を消耗する。特に秋の林道は要注意だ。落ち葉、特に唐松の樹林帯はくせものだ。カーブに落ち葉が溜まっていると、かなりの確率でステンマルクとなる。今回も対向車をよけるため、ブレーキをかけ路側を通過しようとしたら、みごとに金メダルとなってしまった。前回は霧積温泉へ向かう途中(鼻曲山)でやらかしている。やはり秋だった。

さいわいスピードは出ていないので大事にはならないが、対向車がいるものとして走行しなければならないだろう。
またスーパーカブは車高が低いので、コーナリングでバイクを傾けると簡単にステップが接地してしまう。(この点は新型のスーパーカブ125なら車高が高いので安定感があるのではないかと思う。)

いずれにしても、年齢を考えれば、もう攻めの走行は出来ない。反射神経も相当落ちている。腹八分目が大切だと感じた。



松本城 高ボッチ 鉢伏山 11月2日

2021-11-07 10:00:07 | 旅行
   鉢伏山

今日は諏訪の街を歩いて散策するつもりだったが、昨日の景色に味をしめ、またぞろ山の方へ行こうと欲を出した。
と言って美ヶ原や霧ヶ峰は新鮮味にかける。
諏訪の裏山的存在に高ボッチや鉢伏山があるのを思い出し、ネットでルート検索してみた。
するとたいした時間もかからないことが分かった。

ルートはよく分からないのでナビの検索で出発。
20号は塩尻峠のあたりは広い道だか、高ボッチ方面へのルートはいきなり細い農道のような道になる。しかも途中まで行ったらまたしても通行止め。やはり豪雨のためとのことだ。

あとは松本方面からのルートがあるが、ルート検索もめんどくさくなり、20号へもどると、なんとなく松本を目指して走ってしまった。
ここまで来たのなら、一つの区切りとして松本城まで行ってしまえという気持ちになった。

松本城到着。
オートバイを停められる駐車場を探すと、松本城の北側、観光バス用の大きな駐車場の脇にオートバイ用のスペースがあることを教えてもらった。100円

観光客が多い。
特に学校関係の団体客が何組か来ていて、お城をバックに記念写真を撮っている。日常に戻った雰囲気だ。いつもなら渋い顔だが、なんだかほっとする。


ここから、高ボッチへの道も分かりづらい。
ナビがなかったらわからなかったかもしれない。

高ボッチは広い高原のような所で、
基本的に美ヶ原や霧ヶ峰と同じような雰囲気。
諏訪側を眺めるには少し移動する必要がある。


諏訪側の展望




鉢伏山の駐車場はあまり広くない。
今日は空いているが、観光シーズンは停められないだろう。

美ヶ原


松本側は、天気がよければ北アルプスを臨む展望台になるだろう。


前鉢伏山へも行ってみたが、展望が良いわけではなかった。
ただし付近はレンゲつつじの群落のようだ、花の季節はすばらしいと思われる。
付近にいた鹿がこちらを振り返る。


高遠周辺及び三峰川上流を走る 11月1日

2021-11-06 17:39:11 | 旅行
目的地は三峰川上流の古瀬戸峡。
その先にある、坂巻峠への登山口まで行けないものかと確認に向かったのだ。

Googleマップを見ると人家が途切れるあたりで通行止めになっている。
万が一の可能性にかけてみた。
が、やっぱりだめだった。
かなり堅固な通行止めの柵がある。歩いてなら行けるのだろうか。

三峰川は20Kほど先でUターンするように向きを替え、仙丈岳へと向かう。
坂巻峠はUターンする三峰川をショートカットする峠なのだ。
私は、昭和60年8月13日、坂巻峠から三峰川を遡行し仙丈岳へ登るバリエーションルートを歩いた。

ちょうど前日に、航空機墜落事故があった記憶に残る日だ。
本来の三峰川は、南アルプスの奥深く、長大な距離をゆったりと流れる深山幽谷の谷のはずだった。

ところが、近年に起こった集中豪雨の影響で、谷は多くの土砂で覆われ、期待はずれの谷の様子になっていた。
当時からこの川は、豪雨による大きな影響を受けていたのである。
近年に至るまで、川の姿は昔の清流に戻ることはなかったようだ。

累々と堆積された崩壊土石が川を埋める。

戸台口にかかる橋の遺構がある。
この先には、かつて黒河内森林鉄道という林業用の鉄道が走っていた。
その名残である黒河内林道を走れるかトライした。がやはり通行止め。
しかたがないので麓の集落を走っていたら鹿嶺高原という標識があったので行ってみた。
林道終点にはアウトドア施設がある。(現在は休館中)
展望を期待したがさほどではなかった。
(ポイント、ポイントでは多少の 展望あり。)

仙丈岳
このポイントには猿の群れがいた。


高遠はお城をスラッと回る。
私には中央構造線の方が、興味がある。

板山露頭




最後に守屋神社へお参りし、ホテルへ帰る。



守屋山登山 11月1日

2021-11-06 08:14:48 | 山行
朝、ホテルの窓から見ると、曇り空。
うかない天気だ。
天気予報は曇りマーク、明日もそうだ。
どうするか、判断に迷う所だが、予定どおりに行くことにした。
諏訪の街は、すでに朝の通勤渋滞が始まっていた。
あせらずオートバイを走らせる。
茅野から高遠方面へ折れるとワインディングロードの始まりだ。
杖突峠へ、上り坂のカーブが続く。かつてのバイク族憧れの道。
すると、諏訪盆地にかかっていた霧を抜け、眼下に雲海が広がるステキな景色となった。
やはり正解だった。
杖突峠からは、オフロードの林道を進む。すぐに現れるのは太陽光発電のパネル群。
どこかぶどう棚のようでもあるが、山中に不気味だ。

守屋山登山口にオートバイを止め出発。8時10分

山頂まで約1時間の登り。
ごく軽い登山で絶景の展望台へと到着する。
ぐるりを廻る雲の帯、諏訪から甲府盆地を埋め尽くす雲。

八ヶ岳連峰





西へ流れる雲は塩尻峠でせき止められ、伊那谷方面へ白い帯を伸ばす。

尾根が低くなっている所が塩尻峠で、峠の向こうに広がるのは塩尻、松本方面を埋める雲。
その向こうは北アルプス

穂高連峰

甲斐駒ヶ岳、仙丈岳


ところで、この守屋山の守屋とは、あの物部守屋のことらしい。
聖徳太子や蘇我馬子は仏教を広め国の政治を変えようとする新勢力だったが、物部守屋は古来の神を守る保守的勢力だった。
どうして、飛鳥から遠いこの地に名前が残るのかというと、聖徳太子たちとの戦いに敗れた守屋の子孫が、都を逃れこの地にたどりつき諏訪神社の神長と血縁関係となったとする説があるようだ。
守屋神社は諏訪神社を守る、仏教でいうところの金剛力士のような存在なのかもしれない。
物部氏は武門の家柄で、守屋も弓の名手であったそうだ。木の上から弓矢をはなち曽我軍を苦しめたとの伝説がある。
それで、祠には弓が供えられているのだろう。


このあと杖突峠へ戻り高遠方面へ向かう。

10月31日 諏訪湖を目指し出発

2021-11-04 22:57:48 | 旅行

晴れるとの予報だったのに、当日になると諏訪地方に曇りマークが並んだ。
予約をしたので、天気が何だろうと出かける。

猿橋手前から雨が降り出す。
猿橋でトイレ休憩兼雨具を付ける。
おにぎりを一つ食べエネルギー補給。
靴をゴム長靴に履き替え、靴下は厚手のものを重ね履きにする。


出発すると雨脚が強くなる。
笹子トンネルまで登りが続く。
顔面に雨をうけ悲壮感が増す。
こんな時のオートバイは情けない。
最大の弱点だ。

笹子トンネルに入ると、ヘルメットのシールドがあっという間にくもる。
前が見えない。
センターラインがわからない。
ときおり対向車が来る中、片手運転であわててシールドを上げる。(シールドは両サイド固定式なので、外すのにコツがいるのだ。)
あぶないところだった。

笹子トンネルは、トンネルの中と外で気温が大きく異なる時があるのだ。
この時、トンネル中はなま暖かかった。
冬場に暖かい電車に乗り込むとメガネがくもるのと同じだ。

そういえばだが、過去にも同じ経験を何度かしている。どうも笹子トンネルに特異な現象なのかもしれない。ご用心、ご用心。

甲府盆地へ下ると雨があがった。
ここからは、道も広く、ボーっと走れる。
濡れたカッパも乾く。

トイレ休憩は武田八幡神社(重要文化財)へ行った。むろん観光でもある。


となりに為朝神社があるのが目を引いた。
無双の弓の名手であった源為朝は、源氏にとって一族の守り神にふさわしい存在だ。


次の休憩は道の駅蔦木。
温泉がある、手打ちそばなども食べられる人気のパーキング。
私は白州よりこちらのパーキングの方が好きだ。

帰りには蕎麦やほうとう、だんごなどを買い込んだら、福引券をもらい、さらに追加で蕎麦や飲み物までもらった。
ごっちゃんでした。


ホテル到着15:50

諏訪湖を見に行く。


諏訪-守屋山-高ボッチー鉢伏山―諏訪大社

2021-11-03 20:34:14 | 旅行

3泊4日の旅に出た。
旅の計画は曖昧だったが、スーパーカブ110の機動力を活かした旅にした。
宿泊は上諏訪駅前の上諏訪ステーションホテルとした。
伊那、松本、八ヶ岳など多方面へ出かけるのに便利であり、温泉付きで素泊まり1泊6000円程度とリーズナブル、ホテルの周りに飲食店も十分あるのでベースキャンプとするには申し分なかった。

コース概略
10月31日
国道20号を上諏訪ステーションホテルへ(googleマップによればおおよそ190K)
11月1日
諏訪湖の南、守屋山登山(守屋山は360度の眺望)
その後、杖突峠からいったん高遠を通過し、三峰川上流の古瀬戸峡、鹿嶺高原、戻って高遠城を見学。


11月2日
松本へ北上、松本城を見学し、松本の南東、高ボッチ、鉢伏山を散策、
下諏訪へもどり、諏訪大社春宮、万治の石仏へ行く。




11月3日
諏訪大社上社本宮を見学、帰路は上野原から道志の秋山、青根、を経由し412から246を経て帰る。

オートバイ走行の装備
スーパーカブは普通ならリッター60Kと超高燃費だが、
今回は山岳地帯の林道を走る予定だったので、予備タンク2Lを用意した。(人家がまばらな所を走るのに、ガソリンの心配をしなくてすむのは心強い、精神衛生上必要と思われる。)
他は、登山用の装備を多用し、防寒、防水対策とした。
靴は3足
スニーカー(登山、街歩き用)
UGGのムートンブーツ(オートバイ、街歩き用)
ゴム長靴、(雨用、登山用のウールのニッカホースを履けば暖かく快適走行が可能)