とうちゃんのぷらぷら日記

アウトドア系の日記及びうんちく

昔の武蔵小杉を思い出し歩く

2020-01-26 20:47:53 | 近所の旅
かつて武蔵小杉は工場地帯であった。
今でも工業地帯であることには違いないが、
たいへんこぎれいな企業ばかりとなった。
昔のような、灰色の工場群のイメージはない。

まあ、進化したといえばそうなのだが、
おじさんは、自分が若かったころの思い出を探してしまう。
たとえばこの踏切、早く立体交差で安全な道になればよいのだが、


ああ懐かしい。
線路を渡る歩道橋もすごい年期が入っている。
もうこの先長くないだろう。






それらしい工場群はもう無くなってしまったが、この新幹線の高架下のような中小企業群は、かつてどこでも見られた。


東横線の反町や中目黒のあたりにも沢山あった。
高架下には町工場や食堂、一般の人も住んでいたりして、種々雑多なカオスな空間が広がっていた。
今ではすっかり無くなって、中目黒などでは、スタイリッシュな店が並ぶ。

駅の西側のこのあたりはよく歩いた。
川崎市の図書館があったからだ。
お店もこのあたりにかたまっていた。
今も比較的昔の面影を残す。



震災など、いろいろな意味では、町は変わっていく必要があるのかもしれないが、
種々雑多な空間というのも捨てがたい。

昔、歌声喫茶でよく歌われていた「私の愛した街」という曲を思い出す。
「思い出の中にいつまでも 生き続ける私の街・・・・」


大船駅から砂押川 散在が池(鎌倉湖)

2020-01-25 20:34:56 | 神奈川散歩
大船駅からいきなり歩き出す。弁当はもちろん大船軒の鯵の押寿司弁当

駅の東側は商店街も賑やか。
鎌倉女子大から砂押川沿いの歩道へ向かう。
ところどころ車道しかない狭い道となる。
程なく今泉の白山神社


なにやら由緒ありげなしめ縄が
その先を右に折れると散在が池の入口

周りを山に囲まれた静かな池
鴨ちゃんが群れている。


鴨はポーと水面を泳いでいるだけなのかと思ったら
小さな潜水艦のように、あっというまに池の底までもぐっていく。


あんなにぷかぷか浮いているのだから、浮力もかなりあろうに、どういう仕組みなんだ。

池の周りはハイキングコース、




南口の出口から右へ折れると天国ハイキングコースへ行くことができる。



それで、歩いて鎌倉の駅へ抜けるつもりだった。
ところが登り口にこの看板が


ガガーン ガガーリン
台風のせいだ。本当にひどい台風だった。
むりに突破すると何を言われるか分からないので、仕方なく退散。

お帰りはこちら


トボトボと大船駅へ戻る。

本日の歩行距離15k


港の見える丘公園から本牧山頂公園 山手 長者町

2020-01-19 21:16:00 | 横浜散歩
今日は地味なコースを歩く
神奈川近代文学館で獅子文六展を見て地味さを和らげる。



文六さんは、文学座の創設者だったんですね。
最近ネットで「自由学校」の映画を見ました。

獅子文六の初めての奥さんは、巴里に留学していた時に知り合ったフランス人(後に死別)
二番目の奥さんとも死別(その時は、かなりショックだったと文六さんは書いていた。)
そして三番目の奥さんと再婚。
昔の家族はかなり流動的。

少し前、「MAJOR」という野球のアニメをやっていたが、特に印象的だったのが家族のありよう。
血の繋がらない家族が、血縁関係を越えて成長していくドラマだった。
考えてみると、国際結婚や離婚も増える現代の家族もかなり流動的なのかな。

聖坂を下り北方町へ
銭湯の辺りの路地をとおり、本牧山頂公園の方へ


公園の端のほうには、下村観山のアトリエがあったそうだ。


和田山には、米軍の遺構としてなぜか消火栓が残されている。




公園からの眺めは、さすがに工業地帯




アメリカ坂を越え公園の西の端からテニスコートの所をすぐに右へ、ここから山手の細い迷路のような道をわざと歩く、人しか通れないような道が街のあちこちにある。(自転車も通れない)

山手の駅を越え、またまた細い道へ
どこを歩いているのか分からなくなる。地元の人は迷わないのだろうか。
よそ者は、人の敷地に入ってしまわないか、この先行き止まりにならないかはらはらする。
エキサイティングな道だ。


山元町の交差点で一般道へ、伊勢佐木長者町の駅から地下鉄へ

今日歩いた道、忘れていたけど、やはり前にも歩いている。
今日は16Kほどの歩行距離

水道路を歩く(南町田グランベリーパークから相模原沈殿池)

2020-01-13 20:15:15 | 神奈川散歩

駅のアナウンスはグランベリーパークでなくGRANDBERRY PARKだ。
なんだかこっぱずかしい駅。

グランベリーパークへは寄らず、すぐに歩き出す。
水道は、アーチ型の水道管で境川を渡る。


越えるとゆるい登り坂に。(基本、水道路なのにけっこう高低差のある道だった。)
仕切り弁 1911年のイギリス製だそうだ。



境川を越えると大和市になる。
公園でくつろぐ大和市民を見ると思わず心のなかでつぶやいてしまう。

・・・・「ヤマトの諸君。」
もちろんデスラー総統の声だ。

小田急江ノ島線、東林間の駅を越える。

小田原線




水道路は、上鶴間の米軍住宅にさえぎられる。


右回りで超えると相模原公園へ

グリーンタワー相模原
すごい展望台があった。


展望台からの眺め

水道路


相模原沈殿池方面


女子美を抜け


今日はここまで。


相模原沈殿池へ向かう。


帰りは小淵の駅へ
(本日の歩行距離24キロ)

畠山重忠公ゆかりの地を歩く 鶴ヶ峰

2020-01-11 23:09:48 | 横浜散歩
ルーツ、キンタクンテと言えばアメリカで大ヒットしたテレビドラマだが、
誰しも祖先の事には関心があるだろう。何処に住んでいたのか。何をしていたのか。

最近、母方のはるか昔の祖先は畠山重忠公の家来であったという話を聞いた。
親類の集まりで、叔父や叔母が、さも当たり前のように話すので驚いた。

鶴ヶ峰の合戦で討ち死にした重忠公を弔うためこの地に塚を築き、供養を続けてきた一族だというのだ。代々そのことは、口伝で伝承してきたようだ。特に古文書などが残っているわけではないと思われる。
今までそんな話は、聞いたことがなかった。
そこで俄然、重忠公びいきとなり、一族の根本となっている故事の地を歩いてみることにした。
鶴ヶ峰駅から、途中遊歩道を歩き(昔の帷子川の上に造られた公園)区役所の裏手に出る。
すると「畠山重忠公の足跡 二俣川・鶴ヶ峰古戦場」の案内板が出てくる。



すぐ前が①②の「鎧の渡し」「首洗い井戸」の碑
少し右に進むと②の「首塚」






厚木街道を渡ると③の「重忠公碑・さかさ矢竹」




国道16号を渡り北へ進むと⑦の「駕篭塚」


少し先を左へ折れ南に下ると⑤の「六ツ塚・薬王院」(いくつもの塚がある)




更に北へ進み、谷に下ると⑥の「すずり石水跡」


水道路から帷子川沿いを進むと川を渡り⑧の「清来寺」




水道路を鶴ヶ峰へ戻ると④の「矢畑・越巻き」(碑文は水道路から帷子川方向へ少しずれた所にあるようだ。今回見逃した。)


以上を巡ったのだが、なるほど何とか塚というのがやたらと出てくる。
母の実家の伝承もあながち嘘ではない気がしてきた。
実際、伯母の家はすぐこの近くだし、一族は今もこの地に根付いている。
なんだか不思議な気持ちだ。

新丸子から大師橋 川崎大師 川崎駅へ

2020-01-05 20:17:24 | 神奈川散歩
ようやく年末疲れから回復、本格的に歩く。
新丸子の駅からスタート
多摩川の堤防へ。

今日は良い天気
太陽がまぶしい。

多摩川は台風19号の影響で、丸子橋あたりは河川敷の木にゴミが分厚く張り付いたまま。
いつも思うのだが、川がとんでもない濁流になった時、川の魚たちはどうなってしまうのだろう。東京湾まで流されていってしまうのだろうか。
おしえてさかな君。


河川敷で凧あげしている子もちらほら見かけたが、みんな洋凧。
吹き流しのついた和凧は絶滅か。
自分も小学生のころにやったのみなのだが、凧が風を受ける時のなんとも言えない引きの重さは快感。凧あげのだいご味。

コマ回しももちろんやった。
ベーゴマも懐かしい。

メンコなんかもやったな~
いとこからもらったのも含め、段ボール箱一杯あったな~
メンコには、エイトマンや、少年ジェッターなんかの絵がついていて、今もあればけっこうなコレクションになっただろうに、一枚も残っていない。
なんていうことを考えながら歩く。

動物のにおいがすると思ったら、川の横に川崎競馬のお馬さんの施設がある。
右に見える味の素の工場は超巨大。



大師の渡しから大師橋へ行き
引き返して川崎大師へ
5日でも超混雑、境内にたどり着くのも大変なので、門前でパンパンでおしまい。



くずもちを土産に
さらに川崎駅へ

途中、堀之内を見学。
駅到着で本日の歩行23km。