とうちゃんのぷらぷら日記

アウトドア系の日記及びうんちく

和田誠展へ行ってみた

2021-10-17 20:04:02 | 音楽 美術

今回の回顧展
和田さんの御幼少のころの作品から展示されていた。



キョンキョンが可愛い


和田さんの製作工程をビデオで流しているコーナーがあった。
色の指定など、多くの作品を生み出すために、作業工程をしっかり組み、無駄がないよう最短で完成できる工夫をされているようだ。


和田さんのイラストの魅力は動物や人物像だ。
人の表情の一瞬をとらえたイラストは、映画好きならではと思える。(手塚治虫とも共通する。)非常に微妙な表情を単純化して表現している。さすがとしか言いようがない。




そして個人的にはユーモアというか、もじりというのか、そういう作品が好きだ。


こういう作品も好きだ。




オーディオファンだった小三治師匠

2021-10-16 09:31:51 | 日記
柳家小三治師匠が亡くなられた。
なんとも味のある落語を聴かせてくれた希代の名人だった。
多趣味な方で、
中でもオーディオファンだったことは有名だ。

30年ぐらい前に読んだオーディオ雑誌に小三治師匠のインタビュー記事が載っていたのを思い出す。
師匠は大のクラシックファンだ。
自慢のオーディオでいろいろ他のジャンルの曲も聴いてみたらしいが、どうも今一つしっくりこない。ロックなどではピンクフロイドを評価されていたが、やはりクラッシックが一番だという結論になったようだ。
私も師匠の気持ちがよくわかる。

優れたオーディオ機器で聴くと、繊細な音の違いも聴き分けることが出来る。
ポップスなどは、メロディーラインは美しいかもしれないが、音に深みがないのである。

特にクラッシックの曲というのは、過去からの歴史の中で厳選された曲である上に、分業化されたその道のスペシャリストによって演奏される。
伝統芸能とも共通するような奥深さだ。

芸人である小三治師匠が持ちネタである演目を、高座で演じている姿とも、どこかしら重なるような気がする。


ARKシンフォニエッタ バッハ&ショスタコーヴィチ10月9日サントリーホール

2021-10-10 06:54:06 | 音楽 美術


やはり今日のメインは、ショスタコーヴィチ  ピアノ協奏曲第1番だ。

空を切り裂くピアノ
躍動する音律
受けて立つのはトランペット

息をするのもはばかれる
研ぎ澄まされた演奏
この曲のトランペットとピアノのスリリングな駆け引きは、ピアノトランペット協奏曲という感じだ。

思ったとおり、この手の曲は辻井伸行さんの得意とするところだった。
すばらしいパフォーマンス。
演奏者の気迫が伝わる。(辻井さんとの距離5、6mという近さの席だった。)

一方、ブランデンブルク協奏曲第5番は、ディナーの食事中に聴いてもおかしくない美しい曲だし、2つのヴァイオリンのための協奏曲もいくらか躍動するとはいえ正統派バロック音楽。この二つの曲とショスタコーヴィチの組み合わせというのは面白い。
特にバロック音楽にふさわしいブルーローズ小ホールで聴けたことは貴重な体験だった。

ところで、今回の演奏会はカメラ等の記録体制も万全だったようだし、また
聴ける機会があることを期待する。



走水のカッターボートを見て 旗山崎公園(走水砲台)馬堀海岸 10月2日

2021-10-03 14:30:26 | 三浦半島ハイキング
防衛大学走水海上訓練場
カッターボートが並ぶ、防衛大の訓練場


ここへ来て、このカッターボートを見ると、30年前に私が担当していた会社の社長さんの事を思い出す。
社長さん(Yさん)は軽巡洋艦名取の元乗組員だった。

名取はフィリピン沖で米潜水艦の魚雷攻撃を受け撃沈するが、Yさんは奇跡的に生還する。
以下「先任将校」松永一郎著のまえがきから当時の様子を引用。

昭和一九年八月、軍艦「名取」はフィリピン群島マニラからカロリン諸島パラオへ、緊急戦備物件の輸送中、敵潜水艦から魚雷攻撃を受けて撃沈された。場所は、フィリピン群島サマール島の東方三百マイル(約六百キロ)の海域だった。・・・・中略・・・・

航海長小林英一大尉(当時二十七歳)は先任将校として、カッター三艘および生存者百九十五名をもって軍艦名取短艇隊を編成した。しかし、食料(乾パンは少々あった)も真水もなく、また磁石とか六分儀などの航海用具も何一つ持たなかった。・・・・・・中略・・・・・・・・

そして十三日目の早朝、短艇隊はついにミンダナオ島の北端スリナガオにたどり着いた。
食事も休養も十分取らずに毎日十時間カッターを漕いでいたので、接岸したときは体力の限界点だった。・・・・後略・・・・

カッターボートはこれより大きかったかは知らないが、一艇に65名も乗り組み、太平洋の荒波の中、ひたすら櫓をこぎ続けた。
よくぞ冷静に対応したものだと思う。
昔の海軍兵学校では、教官が無理難題の状況を設定し、如何に判断するかという授業が行われていたと聞く。たとえば東京湾にゴジラが現れたらどうするかというような設問だったようだ。

名取のYさんのように、昔は空前絶後の経験をされた人がけっこうおられた。そんな人たちが今の日本を引っ張ってこられたのだと思う。
また話が長くなった。

旗山崎は公園として整備され、砲台跡が見学できるようになっていた。



帰りは馬堀海岸から堀之内駅へ


叶神社から観音崎 10月2日

2021-10-03 11:42:28 | 三浦半島ハイキング
東叶神社を後にして観音崎へ向かう

午後になり暑くなってきた。
それでも海の景色が美しい




トンネルをくぐり観音崎の遊歩道を歩くと
西脇順三郎の詩碑が現れる。
かなり立派な詩碑だ

この詩は西脇順三郎の詩集「近代の寓話」に収められている詩だが
詩には続きがある。

・・・・・・・・・・・・・・・・
やぶの中を「たしかにあるにちがいない」と思って
のぞいてみると
あの毒々しいつゆくさの青い色もまだあった
あかのまんまの力も弱っていた
岩山をつきぬけたトンネルの道へはいる前「とべら」という木が枝を崖からたらしていたのを
実のついた小枝の先を折ってそのみどり色の梅のような固い実を割ってみた
ペルシャじゅうたんのように赤い種子がたくさん 心のところにひそんでいた
暗いところに幸福に住んでいた
かわいい生命をおどろかしたことは
たいへん気の毒に思った
そんなさびしい自然の秘密をあばくものでない
その暗いところにいつまでも
かくれていたかったのだろう
人間や岩や植物のことを考えながら
また燈台への道を歩きだした
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私は走水の方へ歩きだす。


台風の影響か歩道には海藻が沢山寄せ集まっていた。


夏の終わりの寂しい道だ。





海を見に浦賀へ行く 10月2日

2021-10-03 08:49:45 | 三浦半島ハイキング
浦賀の造船所の解体がほぼ終わったようだ。
それで郷土資料館へ寄る。

近代造船所の歴史はペリー来航から始まる。
サスケハナ号


咸臨丸は、浦賀で物資の積み込みをしてアメリカへ向かったそうだ。


46000トンのタンカー「バトリア号」昭和34年浦賀造船所で竣工した。


他、浦賀奉行所の模型や、地元の幕末の偉人、中島三郎助の資料もある。


西叶神社前のおかげまいりの説明文。

幕末の動乱期。
伊勢神宮のお札が降って来た。
「ええじゃないか」「ええじゃないか」と民衆が大騒ぎ。
踊り狂って集団でお伊勢参りをしたという謎の民衆運動。

今ならロックフェスティバルへ行くような心情か。




愛宕公園へ登る。(草ぼうぼう)
与謝野晶子と鉄幹の歌碑

春寒し造船所こそ悲しけれ浦賀の町に黒き鞘懸く
与謝野晶子

私の解釈。
春なのに寒い日だ。
造船所はなんだか悲しげだ。
浦賀の街に黒き鞘・・・(刀のさやのこと)を懸けているのだが、
では黒い鞘とは何なのか?
浦賀港は細長い入江である。
浦賀港の海を内側に突き刺さる刀と見て、その両岸に立ち並ぶ造船所の施設を海を内に収めた刀の鞘に見たてた?
黒色は黒船、西洋文明の日本侵攻に掛けている?
愛宕山から見るとそんなふうに見えたのかもしれない。

黒船を怖れし世などなきごとし浦賀に見るはすべて黒船
鉄幹

黒船を恐れた時代などなかったかのようだ。浦賀に来てみると今ではみんな黒船ばかりだ。
鉄幹さんのはストレートだ。奥さんの方が奥が深い。

ところで愛宕公園を抜けると竜馬像建設予定地という看板がある。

なんで浦賀で坂本竜馬なのかわからない。中島三郎助だろうが。

海沿いの公園も着々と整備されてきている。


東叶神社を経て観音崎方面へ