とうちゃんのぷらぷら日記

アウトドア系の日記及びうんちく

魚沼産の納豆

2017-05-27 17:43:57 | 料理 食 道具
関東で納豆と言えば茨城県の水戸だが。
新潟で納豆と言えば魚沼市の大力納豆だ。

私は、かつて頻繁に魚沼市の小出駅を訪れていたころがあったのだが、小出駅に着くと駅前の酒屋で日本酒を買い。(緑川か八海山)つまみには必ず、やはり駅前の土産物屋で売っていた、この麴入り味付き納豆を買った。
この不思議な納豆は、納豆の佃煮のようなイメージの食べ物で、一月ぐらい保存が効く。
ついでに土産屋のおばちゃんに乗せられて、笹団子まで買ってしまうのだが、
小出へ行く目的は登山なので、山から帰ってくるとまた同じものを同じ店で買って帰った。

麹納豆は、昔は緑色の箱などに入っていて見栄えもよかったので、新潟みやげとして知人に配ったりもした。
このみやげは、時に売っている所を教えてほしいと言われるくらい年配の女性に喜ばれたものだ。


大力納豆をネットで検索したら、渋谷の東急百貨店の本店で売っていることが分かった。
さっき渋谷を散歩がてら買ってきたのだ。

やはり日本酒に合う味だ。

(同社の普通の納豆なら近所のスーパーでも売っている。)


さよならカールおじさん

2017-05-25 21:15:06 | 日記
てえへんだい、てえへんだい
どうしたいハチ
ああ親分
てえへんなんでい
カールがお江戸からなくなるらしいんでえ
なんだってハチ
そりゃあてえへんだ

伝説のカールおじさんは、サントリーのペンギンキャラとともに「ひこねのりお」というイラストレータが手掛けた国民的キャラクターだった。
西日本ではまだ販売するそうだが、やはりカールの支持層の高齢化が原因なのだろう。

菊名駅から大口商店街 浦島丘 東神奈川 反町駅

2017-05-21 20:45:17 | 横浜散歩
神奈川小学校前の東海道モニュメント

浦島太郎伝説の蓮法寺の紋章がかわいい。


今日は菊名駅から子安、東神奈川、反町駅へ歩いた。
菊名駅の南側のあたりは、昔の村の区割りをそのまま住宅地や車道にしてしまったのではないかと思う。それで迷路のような所だ。

菊名桜山公園を登って、また下って、横浜線を渡り寺尾隧道の所へ。


上は綱島街道だが、道幅分ぐらいのスペースしかないので、寺尾隧道は、綱島街道を通す為のトンネルのようなものだ。
展望もよろしい。


見下ろす線路も美しい。ビューポイント


下ると松見町
醤油の醸造所がある。


大口あたりのお店で売っていないかと探したが分からなかった。
工場でも小売りをしているようだが土日は休みだ。


さらに進んで、八幡神社


古い石段も残っていてこの辺の昔が偲ばれる。



大口商店街は最近元気がない。閉まっているお店も多い。

少しでも力になればと、お昼は大口商店街の中華料理店でたべる。

子安の踏切はすごい。特にJRと京浜急行の線路に囲まれた亀住町の人たちはすごい。
家の両側、さらに上にも高架となった線路がある。電車がひっきりなしにやってくる。マニアでなければやっていけない。





浦島伝説を受け継ぐ蓮法寺
もっともらしい浦島伝説だ。


それっぽい宝塔に石仏群もよい。


東海道の松並木イメージの道

権現山合戦は地元では有名な古戦場


反町駅前の銭湯


心の故郷という文言に引かれる。
実は私は反町生まれだ。(反町にあった産婦人科の病院で生まれた。)それで反町は心の故郷だ


溝の口駅から二子神社 新城駅

2017-05-14 21:13:02 | 近所の旅
汚かった溝の口駅周辺が大きく変貌をとげていた。
このごろは、ほとんど行かなかったので昔のイメージしかない。
元々溝の口は、この辺りの中心的な街だった。
武蔵小杉や日吉などより格上の街だった。同格なのは綱島ぐらいか。

小説家の作品にも溝の口は登場する。
国民的名著国木田独歩の「武蔵野」
綱島の方は石坂洋次郎の「寒い朝」に登場する。
武蔵小杉や日吉の出てくる小説は知らない。

今日は溝の口駅から高津駅、二子神社へ
折り返して大山街道、溝の口駅、新城駅へと歩く

溝の口はどうしても岡本かの子を外せない。
各所に関連の記念碑が建つ




岡本かの子の兄大貫雪之助の墓


かの子と同じく文才に恵まれた秀才であったが、惜しくも若くして病没する。
光明寺の斜め前がかの子の実家の大貫家であったそうだ。

国木田独歩の碑



碑の奥にある高津小学校、
小学校の出来る前の江戸時代の私塾の流れまで解説しているのが珍しい。
江戸時代、こんな田舎の地でもいくつもの私塾が存在し、教育が盛んであったことが窺える。


蛇足だが、郷土史の本の中に私の先祖が2、3行だけ出てくるところがある。
私の先祖など、とるにたらぬ一般農民なのだが、地域の教育水準を示す例として、江戸時代に先祖が書き写した本の名前を挙げて(本は高価なので買うことは出来ない。そこで、いくらかのお金を払い借り受け、自分で書き写したもののようだ)当時の平均的な農民が勉学に励んでいた様子を伝えている。


地元民には外せない見学ポイント






二ヶ領用水は地域の命の水であった。


溝の口の面影はやはりここだけになってしまった。
小さな和菓子屋さんで久々においなりさんと柏餅を買う(安くておいしい)
なんだかほっとする。


洗足学園は洗足にあった女子高を引き払ってしまったようだが、
その代わりといってはなんだが、溝の口の校舎は超モダンな校舎となった。


ここの自動車学校は私がオートバイの免許を取った所だ。


新城駅前の商店街にある中華銀龍さん


昭和の中華料理店だ。
お店の人も昭和だ。
久々にお店の看板メニューの銀龍麺を食べた。
(サンマー麺のようなラーメン)

我が家の謎の渡来仏

2017-05-14 08:44:59 | 日記
これは祖父が戦前に中国で購入した仏像だ。
本人が「これはとても良いものだ」と言っていたらしい。
それ以外は、まったく不明だ。

最近ネットで調べたら我が家とまったく同じ仏像を持っている中国の人がいることがわかった。
我が家の仏像


ネットに載っていた中国の人が所有する仏像


光背に刻まれている文字や形までまったく一致する。

書いてある元号の「太平眞君六年三月」をネットで調べると北魏時代(西暦445年)で日本の飛鳥時代よりさらに古い年代だ。(日本に仏教が伝来していない時代だ)
北魏時代を調べると仏教文化が盛んであったことがわかる。
それにしても年代が古すぎる。
元の仏像があったものを後の世の人が鋳造し直したものではないのかとも思う。そのへんは謎だ。

いったい祖父は、どこでこの仏像を購入したのか。
祖父が中国へ行ったのは2回だけだと思われる。

1回目は山東省出兵による山東省高密
大正9年9月から大正10年9月の1年間山東省高密に滞在していた。

2回目は太平洋戦争による湖南省岳陽
昭和17年8月から昭和18年7月の約1年間主に岳陽に滞在していた。
岳陽については、日中戦争の最前線であり、とてもそんなゆとりはなかったものと思われる。
一方高密については、戦闘はなかっただろうし、現地調査として情報収集活動をするのが仕事だったと聞いているので近隣の街へ出かけることもあったのではないかと思う。
仏像を購入するとすれば、この時以外にないと思われる。

北魏の仏像とその発掘場所などを調べると山東省でも多数出土されていることがわかる。
この点も矛盾しない。
ネットではもう一体、やはり同じ仏像の写真が載っている、こちらは高台が失われ、光背も一部削りとられ、やや摩滅している。ただし、もとは同じ型から作られた仏像だ。




庶民の家庭用に量産された仏像であることは、間違いないようだ。

日吉の街

2017-05-13 22:07:23 | 日記
日吉は慶応大学と
公爵嵯峨家の住まいがあったことで、高級住宅街のイメージが定着したと言ってよいだろう。

嵯峨家と言えば令嬢の嵯峨浩さんでよく知られている。
浩さんの夫は、清朝最後の皇帝溥儀の実弟愛新覚羅溥傑氏だ。満州国と日本国とを取り持つための政略結婚であったが、溥傑氏の高潔なお人柄と、お二人の深い信頼で結ばれた夫婦愛は、時代に翻弄されながらも誠実に生き抜いた貴人として多くの人々を感動させた。
溥傑氏は、戦後は日本の協力者として中国政府から断罪され長く獄中にあったそうだが、釈放されると日中友好に多大な貢献を果たされた。
実際に溥傑氏は、日吉の地を訪れたこともあったそうだ。


山道具の相棒たち シュラフ

2017-05-13 13:32:58 | 日記

Himasport ミス・ジャヌー(ダウンシュラフ)
フランス製

名前にミスが付くので女性サイズだろうが、
私ぐらいの身長では、ぴったりだった。
中学生ぐらいの時に神保町のさかいや(さかいやスポーツ)で買った。
高価な買い物だったが、普段から家の仕事を手伝っていたので、親はなにも文句を言わなかった。
買ってきたその日に、嬉しくて真冬なのに庭で寝てみた。
ところが以外に寒かったので少しがっかりした記憶がある。
(長い間洗っていないので今ではぺしゃんこだが、買いたての頃はもこもこだった)

それでも本当によく使い込んだ。
いまだに現役だ。

川越でぶらとうちゃん

2017-05-03 21:36:01 | 旅行
ゴールデンウィーク5連休初日
家族で川越へ出かけた。

東横線から直通電車も走るようになった川越だが、
そうなってからまだ一度も訪れたことがなかった。

自分にとって川越は、団子屋の街というイメージだ。
昔のガイドブックには、団子屋マップが付いていた。
(団子は醤油味の素朴なものだ)

喜多方のラーメン(シナそば)といい
蔵の街には、一つの食にこだわるところがある。

川越の象徴の山車も各所のポイントに配置され、お囃子もやっていた。

山車の上で獅子舞


ほら、キツネさんが踊ってるね
小さい子が山車を見上げている


猿回しもあった。
街全体がお祭りムード


札の辻を右に折れ川越城方面へ向かうといくらか静かになる。

川越城内 
「ご家老様、このアトラクションさえ完成すればご城下の観光客は今の2倍はかたいかと」
「うむ、すぐに普請にとりかかれ」・・・・てか〜



このトイレの木製のかんぬき型の鍵は懐かしい




今日は人出が多いのと、家族連れなので、なかなか先へ進めなかった。
どうもおなごというものは、川越まで来てABC‐MARTに引かかったり、バックなんかを買って帰ったりで。ウーン