とうちゃんのぷらぷら日記

アウトドア系の日記及びうんちく

三浦投手の引退

2016-09-29 23:04:47 | 日記

浜の番長引退する。


不調というか、不甲斐なかった時代の横浜ベイスターズにあって、
一人奮闘し横浜ファンの心を繋ぎ止めていたのが三浦投手だった。

三浦大輔という名前にも因縁を感じる。
地元神奈川県の歴史上の英雄、三浦大介(みうらおおすけ)に似ている。
質実剛健の鎌倉武士で、鎌倉時代の礎を築いた縁の下の力持ちだ。
後の世の為に奮闘した。
そんなイメージにも重なる。






横浜のワンダーランド三渓園

2016-09-25 22:47:32 | 横浜散歩
大抵の地方都市には、街のシンボルとなる城跡や、由緒あるお寺がある。
ところが横浜には、明治時代より前には村の鎮守様ぐらいしかないので肩身が狭かった。
新しい洋風建築は建ったが、はるばる外国から来た賓客に自分達の格調高い文化を見せられないのは格好悪い。
そう思ったのか、原三渓さんは、地元横浜の地に古都のみやびな建物を集めてきて、三渓園というワンダーランドを造った。

古くからの横浜市民憩いの場であり、もちろん自分も何回も来ているが、
前回来たのは、「新婚さんいらっしゃい」の頃だった。

建物は折り紙付きの優良物件ばかりだが(重要文化財だらけ)
少し数が多すぎる気もする。

庭園の石や灯篭も凝りまくり
利休ゆかりの「身代わり灯篭」


襖絵も渋い


これでも、関東大震災や戦災で失われた建物も多いというのだから、もはや明治村や日本民家園状態だったようだ。

展望台からはこんな景色も見れる。(最近マニアが急増中の臨海工業地帯の眺めが素晴らしい)


松風閣跡(インドの詩人で思想家のタゴールがここに数か月滞在し「さまよえる島」という詩を書いたのだそうだ)


合掌造りの旧矢箆原家住宅(やのはらけじゅうたく)は、中が見学できる。




内部の作りの凝りようは、京都の離宮のようでとても民家とは思えない。




旧燈明時本堂


本牧のバス停 男は背中で語らせる




滋賀県 甲賀 櫟野寺(らくやじ)の秘仏を東京国立博物館で観る

2016-09-24 22:00:13 | 音楽 美術
めったに拝むことの出来ない秘仏が東京に来ているとのことなので、雨の中出かけた。
肩書は重要文化財だが、こんなにすごい重要文化財はない。
展覧会のキャッチフレーズも
「総高5メートル超、大迫力の秘仏が東京へ」
「平安の秘仏」
「滋賀櫟野寺(らくやじ)の大観音とみほとけたち」

木造十一面観音坐像は、圧倒的な存在感で、蓮弁の上に座している。
その下、台座の部分はくびれているので、仏像の加重の中心が像の真下にこなければ前につんのめったり蓮弁ごとひっくり返ってしまうことになる。
つまり、一見造形美を優先させているかのような観音像も、
根底には建築士のような建造物を造るクールさがあるということだ。

秘仏であるせいか、金箔の状態が極めてよい。(後の世に張り替えたものなのだろうか)
光背をはじめ、観音像の顔の部分も、きわめて綺麗だ。
膝のあたりは、少ししもげていると思ったら、法衣の部分は細かい彩色が施されていた。
当初は鮮やかな色であったものだろう。
後ろからも見ることが出来るので、裏面の十一面観音も見ることが出来る。

本来仏像は、安置されている寺で見るべきだろうが、このように適度な照明に明るく照らされることは、この後もうないことなのかもしれない。
そういう意味では、極めて貴重な展覧会だ。





お墓詣りに行く

2016-09-22 16:48:38 | 日記
雨の合間を見計らって墓参りに行ってきた。
一応、花も用意したが、お墓の花立は、すでに花を追加で差し込む余地がなかった。しかたがないので線香だけ上げてきた。

家の墓は、祖父の墓だけ別の墓石になっている。祖父は太平洋戦争で戦死しているので、墓には軍隊の階級と戦没地が彫り込まれている。
ここの墓地で見る限り戦没者の墓は、このように特別に誂えたものが多いようだ。それで、何処で亡くなっているのかもよくわかる。

お隣りのお墓の人は、レイテ島だ。
向かいのお墓の人は、フィリピンであるようだ。
斜め前のお墓は、ラバウルだ。

伯母が昔、遺族会を作る時に近所を回って作った名簿を見せてもらったことがある。

まずは、その戦没地を見て驚いた。
ミッドウエー、レイテ島、硫黄島、東ニューギニア、セブ島・・・・・
太平洋戦争の激戦地が並ぶ。
ミッドウエーで亡くなった人は、乗船していた空母の名前も書いてあった。
(ミッドウエー海戦で沈没した空母だ)

テレビの終戦特集の映像を見るにつけ、この映像の中には、隣近所の身近な人達もいるのだと妙に切なくなった。


昨日の飲み会

2016-09-18 18:08:55 | 日記
このごろ何の仕事してんの
え!ほんとに、オリンピックなんだ、
トレンドじゃ〜ん すごいね ハハハハ


離婚しちゃったんだ、しょうがないな
まあ、人生不条理だからね。ワ、ハハハハハ
「ほらこれ」
へー、自転車やってんだ。
おー、いい自転車じゃん。
まあ、いいじゃんか、思いっきり走れて。

この間Aさん、テレビ出てたよ。
会社の不祥事の記者会見だって ビックリしたわ

そういえば、Sが日経の文化欄に出てたの知ってる。
NHKのテレビにも出てたよ。
あのSが、まさか全国紙の文化欄に出るとは、世の中分からん。

ワハハハ、ハハハハ

というように、いろいろ、みんなの近況だの、
深刻な話も、バカ話も、
いいことも、悪いことも、笑って話せる昔の仲間というのはありがたい。

羽村市 五ノ神のまいまいず井戸へ行く

2016-09-18 15:12:30 | 東京散歩
水は命の源だ。
登山で山を縦走する場合に、どこでキャンプをするかを決めるには、水を得られるかどうかが大きなポイントになる。
条件が悪い所では、稜線から1時間もかけて谷底の水の湧きだし口まで往復することもある。

武蔵野台地の縄文遺跡の分布を見ると、集落は丘陵の縁沿いに集中している。
丘陵の縁にある谷は、湧き水が豊富で、容易にきれいな水が得られたからだろう。
ところが武蔵野台地の中ほどは、水が得にくく、かつてはススキの広がる荒地であった所も多かったようだ。

まいまいず井戸のある土地は、地中深くまで井戸を堀らねば水の得られなかった土地で、人々が苦労して開拓した土地だった。

羽村駅前にある「五ノ神のまいまいず井戸」は、この街のモニュメントのように保存されている。
素晴らしいことだ。



彼岸花にまいまいず井戸は似合う




井戸の底の辺から側面を見る


 

羽村駅のホームから、まいまいず井戸のある神社の森。



青梅の街を歩く

2016-09-18 10:40:32 | 東京散歩
青梅の街歩きなら、駅前の観光案内所へ立ち寄るとよい。
ハイキングコースをはじめ、かなりの資料が手に入る。

旧稲葉家到着


当地の豪商の建物で、純粋に店舗として建てられたものだそうだ。店の裏手には商品をしまっていた土蔵がある。
蔵の前には、小ぎれいな畳敷きのスペースがあり、客が品定めを出来るようになっている。
農家などに比べ床下が低い作りになっているのも特徴だ。置屋根と言われる独特の屋根にも注目。

金剛寺
青梅の由来となった青梅があるお寺。


青梅市郷土博物館


墜落したB29のエンジンを展示している。
時代が経過したせいか、エンジンなのになんだか化石のようだ。

旧宮崎家住宅

このあたりの普通の農家の家で、そこがかえって貴重だ。
保存状態は良く、手入れも行き届いている。
床も柱も黒光りしていて、年代を感じさせる美しさ。
農具も綺麗に手入れされている。
石臼も使える状態だ。
 

続いて青梅猫町商店街を歩く。

お笑い系の看板






梅岩寺からハイキングコースへ


青梅鉄道公園からは、一般道を歩いて天寧寺へ向かう。

天寧寺は大きな禅寺だ。仁王門は彫刻も美しく一見の価値あり。


塩船観音は藁葺の建物が立ち並ぶ。
いい味出してます。




天寧寺と、塩船観音は、駅から少し離れているので、オートバイか何かで回ったほうが良いかもしれない。

青梅は、奥多摩へ行く時に電車の待ち合わせで降りるくらいで、めったに街は歩かない。
今回もかなり久しぶりで、ほとんど前に来た時のことは忘れていたが、今回のコースは前の時にも歩いているはずだ。


米寿の祝い

2016-09-11 17:10:03 | 昔の話
伯母の米寿の祝いの会へ行った。
若いのから年寄りまで、似たような顔が沢山集まっているのは不思議な光景だ。

伯母と話すと、
田舎の農家で、よくみんなを学校へ上げてくれたものだという話になった。
伯母たちが学校へ通ったのは、戦中、戦後の日本が最も苦しい時代だ。
「あんたのお母さんも6年間も通ったんだからねえ」
「え、6年間」

母は女学校へ入学したが、途中から学制改革で現在の6、3、3制となったので、同じ学校へ6年間通うことになったのだ。

6年間同じ学校というのはすごいな。
そういえば母はバレーボール部と合唱部に入っていたと言っていたが、2つもクラブに入っていたというのがなんとなく腑に落ちなかった。
今になってようやくわかったのだが、6年間で、2つのクラブということだったのだ。

特に合唱部は、全国大会で優勝するほどのクラブであったので、
日比谷公会堂でも歌ったことがあったと言っていた。

「あんたのお母さんの合唱部のユニホームは、私が縫ったのよ」
「いろんな所へ応援に行ったものだわ」
へーそうなんだ。
久しぶりに母の話を聞いた。

シン・ゴジラ見てきました

2016-09-10 17:18:37 | 日記
今映画館から帰って来たところです。
いや、ゴジラの破壊力はすごかったですね。
今回のゴジラは、東京タワーや銀座みたいなメジャースポットの破壊ばかりではなく、けっこうマイナーな街も破壊して、話をリアルにしていました。
海から上陸したゴジラは呑川沿いに進み(大田区)、付近の家を、とってもリアルになぎ倒していきます。付近にお住まいの方は、見ていて我が家は大丈夫かと心配になってしまうのではないでしょうか。

ゴジラと自衛隊の激戦地は武蔵小杉です。
普段自分が歩いているような、あまりにリアルな場所で起こる映画のシーンには、(丸子橋は、とうとうゴジラにもぎ取られてしまいました)いやでも感情移入してしまいますね。
(そこが狙いなんでしょうが)

ところで、ちょっと気になったのは、映画の始めの方、ゴジラの持つ核エネルギーの研究者が所有するプレジャーボートが東京湾を漂流しているシーン。だれもいない船内のテーブルの上に宮沢賢治の詩集「春と修羅」がぽつりと一冊置かれていました。(しかも初版本装丁です)当然監督は何かを暗示しているのでしょうが、なんなんでしょう。

もう一つは政府官邸の壁に片岡球子の富士山の絵が飾られていたことです。(実際の官邸にもあったかもしれないが)
映画の最後でも、この2作品のことをわざわざテロップで流していましたので、大きな意味があるのでしょう。

映画の最後では、なじみ深いゴジラの映画音楽がまとめて流れます。
しかもモノラル音源のようで、これだけでもおじさんは、うるうるしてしまいそうです。
どうも初代のゴジラを暗示しているようで、今回の映画のテーマもそのへんにありそうです。

ウルトラマン研究序説とシン・ゴジラ論争

2016-09-03 17:25:50 | 日記
「シン・ゴジラ」というのはどうも大人向けの映画であるらしい。
石破茂・元防衛大臣まで巻き込んで、様々なうんちく論争をしているのは楽しい。

ところで、この手の話で、まっ先に思い出すのは「ウルトラマン研究序説」 
編・著者SUPER STRINGSサーフライダー21 1991年 中経出版だ。

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ウルトラマンをめぐるうんちくには様々なものがあろうが、
究極のうんちくである。
当時の若手研究者達(25名)が、
各々の専門分野からウルトラマンという架空の世界の出来事を大真面目に分析している。
ギャグの部分は序文ぐらいで、他はウルトラマンに対して専門的考察を試みており、とても小学生などが読める本ではない。

庵野秀明監督もおそらくこの本は読んでいるものと思われる。
映画はまだ見ていないがなんだか楽しみだ。