とうちゃんのぷらぷら日記

アウトドア系の日記及びうんちく

変人×4

2020-04-29 17:37:12 | 日記
このブログは小声で書かなければならない。
間違って読んだ人も、見なかったことにしてほしい。

我が家の初代のひいじいさんは、安政の生まれで、みんなから「変人ターさん」と呼ばれていたそうだ。
なぜ変人なのかというと、ただの農民なのに法律の本を読み、その知識をひけらかしていたようだ。また、雨の日には畑仕事をせず、「雨が降っているのに外で仕事をするくらいなら家なんかいらないじゃないか。」とうそぶいていたそうだ。
どうも伯母などに聞くと晴耕雨読という言葉を真に受けていたのではないかとのことだ。

そして旅行なども好きだったようで、ぷらぷらとよく各地へ出かけていた。
聞いただけでも、お伊勢参りには行っているし、富士山にも登っている。
知り合いが横須賀にいたので、横須賀にも頻繁に出かけていたようだ。
また、弟が新潟の直江津駅に勤めていたので、弟の所へも遊びに行っている。

晩年は自宅の隣に隠居所をつくり、(今私が住んでいる家の東隣の場所)鉄瓶で湯を沸かし茶を飲んでいたそうだ。
曾祖父は85まで生きたので戦前としてはたいへん長生きであった。
たぶんこのお茶の木も曾祖父が飲んだであろう茶を作った茶の木の子孫だ。


八十八夜も間近だ。

五嶋みどりさんのヴァイオリンが聴きたい

2020-04-26 16:42:25 | 音楽 美術
今年のサントリーホールの目玉は五嶋みどりさんのヴァイオリンだ。
なかなかみどりさんの演奏を国内で聴く機会はないが、
今回サントリーホールなので非常にチャンスだ。

ところが、今年はコロナ騒動となってしまった。
秋口とはいえ、コンサートが行われるのか微妙な情勢だ。

私がオーディオに凝り始めたころ、新進気鋭のヴァイオリニストとして一躍脚光を浴びていたのが五嶋みどりさんだった。

「MIDORI・PAGANINI」


このアルバムの
コピーがすごい
以下その文面
「12才でメータ/ニューヨーク・フィルと共演して“メニューインの再来”と絶賛され、以後、スターン、ズーカーマン、バーンスタイン、ディトワ、スラットキン等と共演、18才で世界の楽団を制覇したMIDORI。このアルバムでは彼女が、ヴァイオリン音楽の中で最も演奏困難な曲といわれる超絶技巧の集大成であるパガニーニの24曲を、唖然とする程の技巧と泉のように湧き出る音楽性で弾ききっていて、この曲が≪バッハの「無伴奏ソナタ」以来の純音楽的な名品―小石忠男氏≫である事を証明している。」

これ読んだらだれでも買ってしまうでしょう。
私が持っているヴァイオリンのCDの中で一番よく聴いたアルバムでもある。

あれから30年、その後紆余屈折はあったようだが、彼女は進化を続け、名実ともに世界トップクラスの演奏家になられたことは嬉しいかぎりだ。
30年前、みどりさんはメニューインの再来と言われたが、今は本当の意味でメニューインのように社会に貢献し影響を与えるような芸術家になられている。
今後の活躍がますます楽しみだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・
実はこのCDのキャッチコピーを読むまで私はメニューインなんて人は知らなかった。
どんなにすごい人なのかレコードや本を買って読むきっかけにもなったアルバムなのだ。

今日のスーパーの様子(4月25日)

2020-04-25 17:12:49 | 日記
人混みを避けるため2時ごろ出かけた。
買おうと思っていてなかったもの。

スパゲッティ(高価なものはあった)
バター
たこ焼き用の粉(お好み焼きの粉は沢山あった)
お菓子類も少ない。

お米は沢山あった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

娘がチーズケーキを作った。
先週はクッキーを作っていた。
初めてにしては上出来だ。褒めてつかわす。


なるほど、どこの家もこんなことをしているもかもしれない。
それでバターがないのかも。

スパゲッティはどうしてだろう。
お菓子類は家にいる者が多いからかもしれない。
それでも今のところ物流に問題はなさそうだ。

農産物のうち牛乳やイチゴなど生鮮ものでだぶついているのもあるそうだ。
学校やデパートなど休業している所も多いから、物流ルートから外れてしまった農産物も多いのだろう。
いきなり販路を変えようとしても生鮮ものでは間に合わない。
甥のところはそんな仕事をしているので、取引先の農家を支援するため自腹でそんな農産物を買い、親の所に送ってきたそうだ。

晴~れた空、そ~よぐ風

2020-04-19 17:33:55 | 庭、花木、畑、ガーデニング


どこにも行けないので植木の剪定をする。
今日は椿を剪定。

放っておくと何でもかんでもボウボウになってしまう。
本当はこまめにやらないときちんとした樹形はたもてないのだが、
2、3年に一回の所もある。
それでも道行く人に綺麗ねと褒めてもらうと図に乗る。

しだれているのが三河の椿で孔雀椿
ツツジの後ろのが玉之浦


このごろはどうもいけない。
ちょこっとやってはすぐ休憩。

ボクシングの試合のようだ。
第一ラウンド終了。
第二ラウンドは別のところ、
第三ラウンドまで挑戦したが、
ここでセコンドよりタオル。

お昼にスーラータンメンを食べる。


リンゴを食べる。


ねむくなって部屋で昼寝。

午後もちょこっとやって休憩
ビールを飲んで終了。


(* ̄- ̄)ふ~ん、
また来週。






コロナウイルス対策

2020-04-19 05:48:09 | 日記
さてさて緊急事態宣言は他人事ではないはずだ。
ところがネット情報の通り、
今週も私は普通に会社へ行って働いていた。
8割削減なんてどこの世界のことだ。
そもそも普通のサラリーマンに、世間が7割削減と言っているから私は休みます(自宅で仕事をします)という権限はない。

経営者達は都合よく在宅勤務とか言って休んでいるが、現場の人間に対しては、努力して有給休暇を取りなさいというぐらいで、具体的に何の仕事は1か月遅らせてもよいとか、重要性の低い仕事はやらなくともよいというような指令はない。
逆にコロナウイルス対策で仕事が増えたり、悪いことにこの時期決算業務とも重なっていて、私なんか血圧が上がるほど忙しく、
休んだら誰かやってくれるのかいと言う状態だ。
当然テレワークなんていう環境もない。

まあ目的は感染予防だから、そちらの目線で見ると、やはり一番リスクが高そうなのが電車やバスだ。
ここをクリアできれば感染リスクをかなり抑えられそうだ。
一応マスクに手袋をしているが、座れるからといって座席に座るとリスクが高い。
感染者がいた場合濃厚接触となりかねない。
買い物も人混みといえばそうなので気を付けたい。

マスクの在庫が底をつきそうだが、
洗って使ったり、娘がマスクの試作品を作ってみて自給できることも確認できたので当面は大丈夫だろう。

敵は幾万

2020-04-17 20:32:52 | 日記


いよいよ宣戦布告だ。
コロナウイルスのことである。
全土に緊急事態宣言を発令したのだから、もはや全面戦争に突入したのと同じだ。
国民一人当たり10万円の支給が発表された。
当然のことと思う。
国民に戦いを要請して、竹槍で戦えでは勝利は無理だ。
戦争にはお金がかかるものだ。
戦時国債を発行するつもりで、やるからには徹底してやらなければならないだろう。

ガダルカナルやインパールのような戦い方を国民にさせてはだめだ。
医療関係者や、治療薬の開発など、必要な所には重点的に資金や物資を回すよう特別な配慮をしよう。
特にそういった人達の士気が下がらぬよう激励しよう。
不平を言う前に、試練に立ち向かっている人達を応援しよう。

半分冗談、半分本気
理不尽に思うだろうが、日本という国は、もともと東日本大震災や風水害など、理不尽なことだらけだ。
こんなことではへこたれない国民なのである。

ツツジ咲く

2020-04-12 16:52:58 | 庭、花木、畑、ガーデニング


春は次々と花々が咲き乱れる。
本当なら1年で一番すばらしい季節だ。
先週4月5日から今日4月12日までのツツジの開花の様子








サクラは八重桜の季節になった。
外で過ごすには今の季節が一番。
と言っても今はぷらぷらと出かけるわけにはいかないので、
庭の花を見て過ごす。

我が家では人種隔離政策が進行し、私は1階の和室で過ごすことになっている。
仕事に出かけるので、私は要注意人物となっているわけだ。

そこで床の間に春の花を飾り、和室の居心地をよくする。
月桂樹の花が満開だったので紫の諸葛菜と活ける。


玄関横の部屋なので、ふすまを開けると目に入る棚には、ジャスミンとフリージア


まだまだ寒いのでこたつに入ってくつろぐ。
それはそれで悪くはないが運動不足になるのが心配だ。




沈黙の春

2020-04-12 07:17:37 | 日記
いつも週末に行くコーヒー屋さん。
店頭でコーヒー豆を選んで、普段は豆が焼きあがるまで店内で待っているのだが、
今週から店内で待つことは出来なくなっていた。
しかたがないので、その辺をぐるっと一回りしてあらためて取りに行った。
来週からは予め電話注文して受け取りに行くようしなければならないようだ。

コロナウイルスは社会生活を一変させた。
リーマンショックとはレベルが違う。

あらゆる面の悪化が止まらず底が見えない恐怖がある。
特に心配なのは社会的弱者の人々だ。
仕事を奪われ生活の基盤を失う。

この状況は深刻だ。
過去の危機の例を見ればわかる。

昭和の金融恐慌。
多くの失業者を生み出し、二二六事件などの社会不安の末、世界大戦へと突き進んだ。
それはずいぶん昔のことではあるが、

私が社会人になってから経験したバブル崩壊では、その後の社会のありようを変えた。
大量の失業者がうまれただけでなく、これまでの雇用形態とは異なる多くの非正規労働者を大量に生み出した。

リーマンショック。
日本は比較的影響が小さかったと言われているが、世界各国の財政は悪化、イタリア、スペイン、ギリシャなどは国債のデフォルト危機に見舞われた。
アラブの春と言われた中東の混乱も形を変えた二二六事件のようなものだろう。

共通なのは経済危機のたびに貧富の差が拡大し、様々なレベルで、対立する勢力間の確執も拡大していることだ。

今回の危機もタダでは済まないだろう。
危機からの脱出も大切だが、その後の経済回復へ向けた施策のバランスもより大切だ。


ゴジラ現る

2020-04-05 19:48:20 | 日記


映画のシンゴジラは、未知の生物ゴジラが暴れ回る映画であったが、同時に国家の危機管理能力を問いかける映画でもあった。

今の事態もシビアに映画シンゴジラの世界に近づいているようだ。
今でこそ安倍総理や小池都知事は元気だが、外国では政府要人の発症も相次いでいるという。そうでなくとも、長期化すれば医療関係者同様、政府関係者も疲労が蓄積し、判断力にも陰りがでてこよう。アベノマスクなどと言って笑っていられなくなる。
政府の指揮系統も定期的に交替が出来るよう議論すべきなのかもしれない。

トランプ大統領は、国内で生産した医療用マスクは輸出させない大統領令に署名したとネットニュースに出ていたが。本当ならもはや正常な判断とは言い難い事態だ。
アメリカのような大国が、自国主義にこだわり続け、世界レベルの危機管理に協力できなければ、いたずらに今の事態を長引かせるばかりだ。

今後の見通しがたたない観光業、飲食業はお手上げ状態だし、食品、日用品以外の小売店も同様、製造業の生産ラインは止まり、不動産業にも陰りが出て来ている。
本当にこれからどうなるのか、市場関係者も判断がつかない状態だ。

今のところゴールデンウイーク明けが学校再開の判断時期の区切りになっているようだが、劇的な改善は望めないだろう。今の状態が変わらないとして感染リスクを減らし、なおかつ再開できる現実的妥協案を考えるしかないのではないだろうか。



横浜のバスガール

2020-04-05 08:00:03 | 日記
今日の演芸図鑑は、桂文枝と浜美恵さんとの対談だった。
浜美恵さんを見るのは久しぶりだった。
浜さんが番組の中で、映画女優にスカウトされる前はバスの車掌をしていたと話されていたところに私は反応した。

日吉のあたりでは有名な話だが、
浜さんが乗車していたのは、東急バスの日吉駅からサンヴァリエ日吉(当時は下田住宅)行のバス路線だった。(この路線は東急バスのドル箱と呼ばれているぐらい現在では乗客の多い路線だ。)
浜さんがまだ中学を卒業したばかりのお歳だったようだが、下田のバスに美人車掌さんがいるという話は、若い男性の間で評判だったそうだ。

残念ながら私の歳では、そのバスに乗ることではできなかったが、
それでも私が小学生ぐらいまでは、まだバスに車掌さんが乗っていた。
バスの中の車掌さんの定位置はバスの中ほど、降口のすぐ後ろで、乗客を見回せる位置だった。車掌の制服を着て、大きながま口風のバックを首から下げて、お客さんが乗り込んで来ると運賃を徴収して回り、次のバス停のコールをした。(次は××前~、××前~、と案内した。)乗客が降りる場合には、「次願います」と運転手に知らせるのが役割だった。乗客も次のバス停で降りる場合は、「次願います。」と車掌さんへ言っていた。別に次降りますでもよかったろうと思うが、「次願います」言うのが慣習だった。

東横線の綱島駅ではバス路線が多く、駅の高架下にそれぞれのバス路線の乗車所がある。車掌さんの一番の見せ場は、白枠で囲われた停車位置にバスを誘導するのに(綱島駅のバス停は車庫のような造りになっているので、バックでバスを停車させなければならない。)車掌さんはバスの斜め後ろに立ち、歯切れよく笛を吹き鳴らし、最後にピピーと締める笛の音が粋だった。

C・W・ニコルさん亡くなる

2020-04-04 20:07:53 | 本、作家

ニコルさんは、日本の自然のすばらしさを日本人に啓蒙し続けたイギリス人(ウエールズ人)だった。
日本の森林を守り育てるにはどうしたらよいか、自ら実践してみせ日本人に訴えた。
けして狭隘な自然保護主義者ではない。
それは、その広い交友関係が物語る。


チャーミングな日本語をあやつり多くの人を魅了した。
かけがえのない論客をまた一人失ってしまった。

林芙美子の放浪記を読む

2020-04-04 18:13:32 | 本、作家
先々週尾道を歩いたので、林芙美子の放浪記を読み返してみた。

放浪記は、赤裸々な若い女性の日記なので、
背景をよく想像しないとついていけない所もある。
芙美子さんは、恋あり、悲恋ありの活発な女性だが、かなり正直に書いているので×××と伏字になっている所もある。
当時としては、かなりセンセーショナルな内容だったろうと思う。

世田谷の太子堂に住んでいたころは、「隣の壷井夫婦と黒島夫婦が遊びに来る。」と書いてある所がある。小説と言いながらみんな実名で書いている。(壷井夫婦とは、壷井栄と壷井繁治夫妻のことで、黒島夫妻とは黒島伝治夫妻のことだ。)この時芙美子22歳、調べたら壷井栄は26歳ぐらい、黒島伝治は27歳ぐらいのようだ。

ところで、尾道でよく見かかた
「海が見えた。海が見える。五年振りに見る、尾道の海はなつかしい。汽車が尾道の海へさしかかると、煤けた小さい町の屋根が提灯のように拡がって来る。赤い千光寺の塔が見える、山は爽やかな若葉だ。緑色の海向こうにドックの赤い船が、帆柱を空に突きさしている。私は涙があふれていた。」
この部分、私は放浪記で読んだ記憶がなかった。

あらためて読んでみてもやはりなかった。
よくよく調べると、昭和12年に発行された全集の方に入っていた。
私が読んだのは初版の復刻版で、この本が好評だったから、その後の日記を追加したようだ。

ところが、読むとこちらも微妙に文章が異なっていた。
全集では「海が見える。海が見える。・・・」となっている。「海が見えた。海が見える」ではない、その後再度佼成して現在の文章になっているようだ。
どうも放浪記は発行のたびに何度も校正を行なっているようだ。


文章としては今のものが洗練されているとは思うが、日記として考えると、前の文章も書き手の感情がストレートに出ているようでいちがいにだめだとも思えない。