とうちゃんのぷらぷら日記

アウトドア系の日記及びうんちく

旅の計画をねる (ああ早くゆとり世代にならないかな)

2024-01-28 18:52:47 | 旅行
能登の地震であれだが、そろそろ旅の構想を具体化したい。
歳のことを考えると、行程の厳しい旅は先に行くほどどんどん縮小して考えなければならなくなるだろう。
今のうちだ。

オートバイの運転も、若い時とは明らかに違う。
旅先でのハイキングなども厳しくなる。(昔は登山と旅行を組み合わせた旅をよくしていた。)

まずは情報収集
私の頭の中は1970年代の情報から、あまり変化がない。
ネットによる情報収集は手軽だが、Z世代とは違いアナログ時代のおじさんは、どうも思うような情報を集められない。
昔の方式の方がしっくりする。

たとえばこの「るるぶ」(女性向け旅雑誌)今でも名前は残っているようだが、70年代の「るるぶ」は断然中身が濃い。



レイアウトも写真でごまかさず、基本的に文章で読ませる内容だ。
当時の旅雑誌「旅」に匹敵する。

これ一冊でかなりの情報を得ることが出来る。
しかも月刊誌。
まあそうは言っても今は昔、せんないこと。

今思う旅のキーワード、湯治場の貸間旅館。(長期逗留型自炊宿泊施設)ここを拠点に旅をするのはどうかと思う。
九州なら別府あたり、東北なら花巻温泉など。
昔はテントかついでキャンプ場を転々とするやりかただったが、さすがにこの歳でいきなりではハードルが高い。

そんな所から始めたいものだ。



信州旅行最終日12月13日

2022-12-13 23:15:26 | 旅行
今回の旅、本当は雨でも降ったら温泉だけでもいいや、と弱気な計画だった。
最近、いろいろ思い悩むことも多い。
人間ためると良くない。
如何にかわして前へ進むかである。(結局欲張りな計画になったが)

今日も晴れていればもう少し歩いてみるつもりだった。
天気予報の通り朝から小雨(小雪)だったので特急あずさで早々に退散した。
我が家に着くとほっする。

・・・・・・・・・・・・・・・・
今回、費用の面ではだいぶ助かった。
いわゆる旅割。
それに、カードのポイントなども使用したので、宿泊費はほとんど無し。
宿では利用条件であるコロナワクチン接種の証明書を提示。
信州割というクーポンもいただく。

知らなかった。一日3000円×2泊なので6000円。これで食事もただ。(地元のスーパーや飲食店でも使用可能)
お土産もほとんどクーポンで支払った。

しかしこれで良いのかとも疑問に思う。
遊んでて使うのだからお店の人にも低姿勢。申し訳ありませんと言い使わせていただく。

帰り、茅野のあたりから雪になった。
富士見駅のプラットホームにも雪が薄っすら積もっていた。


安曇野 光城山 長峰山 犀川御宝田(白鳥飛来地)12月12日

2022-12-13 19:19:13 | 旅行

田沢駅から歩きだす。(田沢駅は快速が停まるがpasumo未対応なので注意)
光城山は安曇野の裏山です。
こうじょうさんと読むのではなく「ひかるじょうやま」と読むんだそうだ。
なんだか違和感あり。
でも山頂にはしぶい神社があるんだじょう。


絵馬がめちゃめちゃ立派


眺めもよい。



その先、長峰山へ向かう途中にはコテージ、オートキャンプ、食堂、売店、風呂まである総合施設がある。(冬季休園 桜の咲く5月ごろから開園)

長峰山(ながみねやま)先だってブラタモリにも登場

槍でわかれた梓と高瀬めぐりあうのは押野崎♪安曇節
ここから見えるのは犀川と穂高川 高瀬川、の合流点。
梓川の合流点は田沢駅より少し上流のあたり。

押野崎は犀川と高瀬川の合流点で水量も多く水の流れも速い。



その前に御宝田(ごほうでん)遊水地へ行き白鳥や鴨たちにご挨拶してきた。(人が近づいても最低限の距離しか逃げない。)



この後大王わさび農場へ行き、わさびソフトクリームを食べ、そのまま北上。

穂高神社をお参りし穂高駅へ。(穂高神社の御威光なのか穂高駅前の飲食店は充実している。)
このコース、情報量が多くていろいろあるのだが書ききれなかった。

バイクツーリングと登山 スーパーカブ110 横浜から八ヶ岳往復

2022-11-11 20:29:08 | 旅行

11月5日 横浜-韮崎(新府城址)-茅野
6日 茅野-メルヘン街道-麦草峠往復 (登山コース:高見石-中山-ニュウ-白駒池-麦草峠-茶臼山往復)
7日 茅野-大門街道-夢の平林道-蓼科スカイライン-大河原峠 往復(登山コース:蓼科山往復-双子山-双子池-大河原峠)
8日 茅野-八ヶ岳エコーライン-八ヶ岳高原ライン-小荒間-白井沢-県道17号-韮崎-国道20号-横浜(帰宅)
全走行距離約500k

今回の旅はバイクツーリングと登山の組み合わせだ。
登山がメインであるので、オートバイ運転による体力の消耗には気を付けた。

防寒対策
靴はムートンブーツにモンベルの厚手の靴下
ウエアには、モンベルの防寒タイツにダウンウエアの上下(ダウンは薄手の方が、もこもこしないで使い勝手がよい。)
さらにレインウエアを上に着こむ。(胸のあたりに使い捨てカイロを入れるとより暖かく感じる。)
雨対策も兼ねてオーバーミトンを持っていく。(登山と兼用)

グローブは難しい。いわゆるバイク用のグローブでは防寒性があまりない。
ハンドルに取り付ける風防カーバーも使ったことがあるが今回は無い。
毛手袋にオーバーミトンという登山用の組み合わせも試してみた。
防護性は落ちるものの、やはり毛は暖かいのではないかと思う。(操作性は悪い。)
根本的には熱源となるものがないと解決にならない気がする。

休憩は1時間~2時間に一回小まめに取る。(トイレ休憩も兼ねる。)
事前にトイレの位置も確認。

愛川半原バス停裏愛川繊維会館前
相模湖駅前
猿橋
道の駅 甲斐大和
新府城址
道の駅 信州蔦木宿
など

5日の初日出発8時
新府城址14時

本丸

本丸への階段


茅野のホテル着16時

大河原峠


8日最終日 茅野発8時
八ヶ岳高原ライン 小荒間

白井沢


自宅着15時



諏訪散歩のスナップ写真 8月28~30日

2022-09-04 20:40:23 | 旅行
和田峠の黒曜石(山猫亭はなれ)


諏訪の街はそこら中から温泉がジャバジャバ出ている。


本当にこれ温泉?

清水のような湯の出方なので確認のため手をいれてみると、けっこう高温の湯だ。

諏訪神社の入口にも温泉が出ている。
手前は清水、龍は温泉


こちらは上諏訪 橋の袂の温泉

まるで恭太郎さんや洪庵先生が出てきそうなぐらい、めちゃくちゃ渋い上諏訪病院。


前に来た時にもこの看板写真に撮った。

この橋の欄干あたりから鎖で吊るされた、金属製の筒はなんなんだろうか。



下諏訪のこの交差点、朝はいつも渋滞のようだ。(車の時は注意)


諏訪湖は菱が大繁殖。

ネットで調べたらやはり問題となっているようだ。(湖が酸欠状態になるんだそうだ。)

塩尻駅のブドウ園 8月30日

2022-09-03 17:41:17 | 旅行
塩尻駅には、立派なぶどう棚がある。

ホームの端の方にあるので興味のある人しか訪れないだろうが、列車の乗り継ぎ時間に訪れると良い。ベンチも沢山ありまるで公園のようだ。
品種は2種類で、ホーム手前がメルロー(赤ワインの品種)で、奥がナイアガラ(白ワインの品種)だ。


たいへん美しい仕立てのぶどう棚で、葉の間からいくらか青空も覗けている。


一般の人は果物の葉は良く茂っていた方が良いと思うかもしれないが、そうでもない。
葉が二重になっていて、下側の葉に日が当たっていなかったり、無駄に枝葉が茂りすぎていたりするのも良くないのである。
このような剪定が理想だ。
それで葡萄も美味しそうに実っている。

一粒つまんでみたくなるのをぐっと抑え、観察だけさせてもらった。
棚は建築用の足場などに使われるようなパイプを組み上げている。
それだけでは葡萄の細かい枝を固定できないので、細いワイヤーを縦横に通している。

こんなぶどう棚を自分の家の軒先にも造りたいものだ。
大変参考になる。



塩尻は100年からなる、伝統のワイナリーがある地なので、甲府あたりに少しも引けをとらない。それで面子もあり手入れがよいのだろう。
駅員さんが片手間にやっているわけではないと思う。

蕎麦だけでなく、ワインもすばらしい。


藪原から奈良井へ 鳥居峠越えでセンノウの花を見る

2022-08-30 23:08:20 | 旅行
藪原駅から歩き始める。8時50分(藪原駅、奈良井駅などこの辺りの駅で降りる場合鉄道系ICカードは使えないので注意。)
街道のあちこちに水場がある。
 
昔の旅人にとって、冷えて美味しい水が飲めたのはありがたかったろう。
中山道は起伏があるが、良い街道だと思う。
お六櫛の店

木曽義仲の硯水伝説

木曽義仲が平家打倒の軍を旗揚げしたとき、御岳山の拝所であった鳥居峠で願文をしたため、奉納したという伝説があるそうだ。
硯水伝説は、その人物が読み書きが出来る教養人だったということを強調する目的もあったのではないかと個人的には思っている。

畠山重忠公にも硯水伝説があるが、(横浜の鶴ヶ峰)重忠公もその頃の人物としては文武両道の教養人であったといわれている。

ここが鳥居峠の御岳山の拝所。(背後に雲があるので御岳山は隠れている。)

すぐ横に御岳神社がある。

近くには森林測候所跡の休息所がある。
まるで別荘のように居心地がよい内部。(しばらく寝っ転がって休んでいた。)
 「覚明さん」という劇画が休息所の壁に貼ってあった。その中の御嶽信仰の解説文




峠道から見た藪原の街。
いかにも木曽の街という感じがよい。

峠を越えた所にも休息所があるが、こちらの方がやや古びている。

しばらく進むと、街道沿いにセンノウの花が咲き乱れていた。
すばらしい。

フシグロセンノウ

センノウノは清楚で可憐な花だ。(上皇様もお好きだと言われていた。)近くにツリフネソウも咲いていた。


やはり旅に出ると様々な発見がありよい。


下諏訪の梶原塚と金刺盛澄

2022-08-30 20:11:00 | 旅行

この週末諏訪のあたりを歩いてきた。
今話題の鎌倉殿の13人にも登場する梶原景時を供養した、梶原塚というのがあるというので行ってきた。(下諏訪駅の近く)

梶原景時には、戦国武将の石田三成と共通する雰囲気を感じる。
例えば次のような点だ。
1.主君との出会いが逸話になっている。
2.華々しい武勲は少ないが、すぐれた実務能力を発揮し、主君から高く評価された。
3.周りの有力武将からはひどく嫌われているが、特定の武将の中には深い恩義を感じている者がいた。
この梶原塚は、その深い恩義を感じた金刺盛澄が建てたものだそうだ。

解説文を読むと、金刺盛澄は木曽義仲に従い平家追討軍にあったが、諏訪大社の下社御射山神事があるというので、帰国したと書いてある。
武将が戦の最中に、「国のお祭りがあるから帰ります。」なんて普通ないだろうと思うのだが、当時の雰囲気ではそれが許されたのだろうか?
ところでこの下社御射山神事は今でも行われているそうで、ちょうどこの土曜日がメインのお祭りだったようだ。

今井邦子文学館で御射山神事のことを聞いたのだが、
お祭りでは2歳になる子の厄払い?も行い、それはドジョウを放つ(厄払い)という神事で(昔はうなぎだったそうだ)子供とともに諏訪神社の上の方にある御射山社へ詣でるというもの。(御射山社の本宮に当たる社はさらに上の霧ヶ峰のあたりにあるそうだ。)すすきの穂にお札が配られ、あべかわ餅にお赤飯?を食べるんだそうだ。


諏訪の人達は幼い頃より諏訪大社の行事に参加していて、そのDNAには諏訪大社の祭祀について1000年を越える刷り込みがある。御柱祭が盛大になるのもうなずける。

安土城へ行く

2021-12-11 22:19:24 | 旅行
前に安土城へ来たのは1970年。
学校を休んで大阪万博へ行った。ついでに彦根城、安土城、伊賀上野城、伏見城、大阪城、姫路城を巡った。父親の運転するトヨタハイエースの荷台に寝泊まりするキャンピングツアーだった。

安土城は特に観光化もされていないころで、どこをどう歩いたのかあまり覚えていない。が、石垣だけは印象に残っている。

駅前にレンタサイクル店がある。(レンタサイクルはこの辺りの観光にとても有効だと思う。次回晴れていたら湖東三山へ行くのに使いたい)手荷物も預けられるがそのまま歩きだす。


おお、これは信長公のご降臨か

セミナリオ跡

明治時代の地図 安土城は湖畔の城だった。





本丸


摠見寺(そうけんじ)の三重塔

長命寺山を望む(真ん中の三角形の山)

近江八幡の街方面

帰りは活津彦根神社経由で駅へ向かう。
活津彦根神社の鳥居 家の敷地に食い込んでいる。

電車の時間調整で、鮒ずしのお土産を本にごろ鮒専門 飯魚へ買いに行く。

石山寺 三井寺 五箇荘 12月7日

2021-12-11 18:08:46 | 旅行
通勤、通学客に混じり石山駅へ。
朝だからかも知れないが、お寺関係者以外だれもいない。
本堂に一人。
燈明を上げる。

紫式部像


続いて三井寺へ
やはり小雨まじりの中、お堂を巡る。
観音堂で線香と燈明を上げる。


自分も歳のせいか、祖先の供養の気持ちのせいか、神様仏様よろしう、という感じで線香を上げる。

三井寺は大寺なのでこんなに観光客の少ないことはめずらしいだろう。




午後からは五個荘へ
近江八幡から近いのに、近江鉄道でいくと不便だ。
八日市でだいぶ待つと思ったらバス路線があることがわかった。(能登川駅-八日市駅)
電車よりバスの方が直接観光地区に到着できる。

五個荘駅はひどくローカル
駅から方向だけ確認して歩き始める。
意外と距離がある。
藤井彦四郎邸(近江商人屋敷)へ

近江商人の旅姿。


昔のことなので車があるはけでもなし、たいした荷物はもてなかったろう。
これは各地に商談におもむく時の姿なのか?
せいぜいサンプル商品ぐらいしか持ち歩けなかったろう。


外村繁邸


堀の鯉をねらっているのかサギが物欲しそうにのぞき込む。


五個荘は安土から観音寺山を越した反対側に街が広がる。


近江八幡を歩く

2021-12-11 11:31:34 | 旅行

長命寺からひたすら歩く。
大嶋神社 奥津嶋神社へ行く。
神社の碑文は桂太郎の書だそうだ。

格式の高い神社のようだが、地味な場所にある。
昔はこの神社の前まで琵琶湖が入り込んでいたのかもしれない。
そうなれば湖畔の神社となり重みがかなり増す。

西の湖の方へ周りこむように歩くと蕪畑があった。

いわゆる千枚漬けなどに使う関東にはない大きな蕪だ。
(聖護院蕪か)

そして圧倒的なヨシ原が広がる。
(湖畔には、琵琶湖よし笛ロードというサイクリング道がある)

西の湖畔から安土城を見る


近江八幡の中心部へ向かうと一通り歩いてみた。




近江兄弟社のメンターム。
私の家ではメンタムと呼んで万能薬にしていた。


紙平老舗さんで、近江商人のソウルフードであるでっち羊羹とういろうを土産に買う。

ういろうと言えば名古屋だが、近江にもある。(小田原のういろうは薬)近江は名古屋と同じように羊羹風な和菓子。名古屋よりいくぶんかためか?
ういろうざワールドの世界(スティーヴィーワンダーも歌っていた?)

鯖寿司は夕飯用に日牟禮八幡宮前の店で購入。


本当は焼き鯖寿司の方が名物のようだが、その方は帰りがけに米原の駅で購入した。

このままホテルへ歩いて帰る。
近江の人は南天がお好きなようだ。多くの家の玄関先で南天の赤い実が揺れていた。

(今回の旅行では駅前のコンフォートイン近江八幡をベースキャンプとした。)

近江八幡から長命寺へ行く 12月6日

2021-12-11 09:56:45 | 旅行
琵琶湖周航の歌
四国十番長命寺 汚れの現世遠くさり
作詞をした学生も、作曲をした学生も二十代半ばの若さで亡くなっているようだ。
それはたまたまのことであろうが、哀切極まりない曲調のこの歌は、多くの学生に歌い継がれ、愛されている。

長命寺へは、近江八幡駅からバスで向かう。
平日、しかも通勤時間なので観光客は私一人。
あとは、仕事場へ向かう人や学生さんばかりだ。
途中、バス停で乗客が降りると「おおきに、ありがと。」「おおきに、ありがと。」と運転手さんが一人ひとりに声をかける。
なるほど近江商人の街だと、ささいなことで感動する。

天候は小雨、それでも山々の谷から霧が立ち昇る様子は、日本画のようで美しい。
けっきょく終点の長命寺まで乗っていたのは私だけだった。

バス停は琵琶湖畔の船着き場の前。
ここから、参道の石段を登る。


階段を登りきると左右に長命寺の伽藍が広がっていた。


寺には霧がかかり、いっそう霊験あらたかなお寺に感じる。
本堂に線香とお燈明を上げると一人境内を散策する。


水墨画のような陰影の景色に紅葉が鮮やかにアクセントを与える。


修多羅岩 
長命寺にも巨石信仰があるようだ。


寺の下の駐車場脇からの登山道を長命寺山まで行ってみる。

ヒサカキの木が多く目についた。
  
 
下山すると再び本堂に線香とお燈明を上げ、気を正す。

名刹にふさわしい寺院であった。



石田三成の居城、佐和山城へ行く

2021-12-10 23:05:37 | 旅行

近年、近江商人の格言、「売り手よし、買い手よし、世間よし」が脚光を浴びている。
伊藤忠商事など、多くの企業がこの三方よしを社是として掲げているらしい。

ところで、この先進的で色あせない近江商人の経営哲学のルーツは、
大一大万大吉(だいいちだいまんだいきち)「一人が万人のため、万人が一人のために尽くせば、天下の人々は幸福になる」を旗印にした石田三成にあるのではないかと個人的には思っている。
三成の時代から、近江の人々には、このような人生観が備わっていいたのではないか。

三成公は合戦では後方の兵站や情報戦を担当することが多かったようだ。華々しさはないものの、秀吉の物量作戦を成功させたのは三成の働きあってのことだ。
どことなく商人的な活躍だ。
近年三成公を再評価する動きがあるのは喜ばしい。

佐和山城へは、彦根城見学の後、向かう。
清涼寺、龍潭寺を通り過ぎると正面左手の奥の宇賀神社の横から「東山ハイキングコース」という登山道がある。(龍潭寺からも登れる道がある。)




尾根筋を歩くと佐和山城の曲輪が現れる。


今でも落城した城の瓦が出てくるようだ。


本丸からの眺望


琵琶湖方面


伊吹山


彦根城

石垣はこのぐらいしか残っていないようだ。
あとは全部彦根城へ運ばれたものか。

佐和山城を北から南へ尾根筋のハイキングコースを歩いてみた。

近江路 湖東を行く 彦根城 12月5日

2021-12-09 20:23:48 | 旅行
彦根城へ乗り込む。

天守閣内部の梁、柱。

お城なので武骨だが、このぶっとい梁や柱を、
よく人力で組んだものだ。



みごとな石垣だが、向いの佐和山城の石垣を拝借した部分も多いそうだ。




佐和山城


玄宮楽々園から天守

井伊直弼像

横浜の掃部山公園にも同じような直弼像がある。

今回は彦根城を振り出しに、安土、近江八幡、長命寺、五箇荘、石山寺、三井寺を巡った。

諏訪大社を巡る 11月2日、3日

2021-11-07 16:47:04 | 旅行
鉢伏山からの帰途、諏訪大社下社春宮と万治の石仏を見学した。
万治の石仏の入口に駐輪スペースがあったので、ちょっと駐車させていただく。
このあたりは40年ぶりに来た。
万治の石仏


40年前の様子、昔は石仏の周りは田圃だった。

(岡本太郎絶賛の石仏だ。)

春宮の欅がたいそう立派


諏訪大社は、派手すぎないところがよい。

参拝をしていると町内放送が流れた。
明日はイノシシの駆除をするから鉄砲を撃ちます。危険だから山にはいらないでくださいとのこと。
了解しました。

翌日は上社本宮へ。


こちらの欅も立派。


菊の品評会をやってました。

こういうのは盛大にやってもらいたい。
神社の手水が温泉なのもいい。


<反省会>
今回の旅はオートバイがメインだった。
走行距離はさほどではないが、山間部がかなりあったので、やはり体力を消耗する。特に秋の林道は要注意だ。落ち葉、特に唐松の樹林帯はくせものだ。カーブに落ち葉が溜まっていると、かなりの確率でステンマルクとなる。今回も対向車をよけるため、ブレーキをかけ路側を通過しようとしたら、みごとに金メダルとなってしまった。前回は霧積温泉へ向かう途中(鼻曲山)でやらかしている。やはり秋だった。

さいわいスピードは出ていないので大事にはならないが、対向車がいるものとして走行しなければならないだろう。
またスーパーカブは車高が低いので、コーナリングでバイクを傾けると簡単にステップが接地してしまう。(この点は新型のスーパーカブ125なら車高が高いので安定感があるのではないかと思う。)

いずれにしても、年齢を考えれば、もう攻めの走行は出来ない。反射神経も相当落ちている。腹八分目が大切だと感じた。