とうちゃんのぷらぷら日記

アウトドア系の日記及びうんちく

山の愛唱歌

2016-10-30 19:57:16 | 日記

11月になると山は本格的な雪景色となる。
私のいた大学のクラブでは、11月の中旬になると山荘ワークを行い、冬合宿に備えた。
小屋の雪囲いをして、ストーブ用の薪を集め大掃除をする。(小屋の中は冬眠の為に集まったカメムシで一杯だった)
日持ちのする食料や酒などは、山荘ワークの時に持ち込んでおく。
仕事が終わった夜は、その酒で一杯やった。
それで酒を飲みながら、みんなで山の歌を歌ったものだ。

このごろは、まず歌うこともないが
山の愛唱歌(現在は「山の音楽(MIDY)アルバム」とうい名前に変更)
というサイトでは、こうしたマニアックな山の歌を聴くことが出来る。

今ぐらいの季節に聴くとしみじみとしてしまう。
歌というのは時間を超えるものだ。

当時歌っていた曲は、次のようなものだった。
エーデルワイスの歌(法政大学山岳部部歌)
岳人の歌(アルプスの恋歌)
蔵王の山男
シーハイルの歌(シーハイル)
信濃の恋唄
なため
放浪の歌
山の一日
山の四季(北大山岳部部歌)

このサイトには残念ながらないが、次のような歌もよく歌っていた。
山の友(立大山岳部部歌)
今日は野を越え(日大山岳部部歌)
古びし我が山の小屋
故郷の山
山への祈り
海女の子供
冬の恋
蒙古放浪歌
街を離れて
他国の風
満州里小唄
越後の話
狼の歌
人生賛歌

おどろくなかれ私のクラブの部歌もこのサイトで聴くことが出来る。


いつの時代のOBが持ってきたものか、山小屋には、深田久弥さんと串田孫一さんの色紙がある。
深田久弥さんの色紙を画鋲なんかでと思われるかもしれないが、大切にしまいこんでいるよりは、こうして山小屋に飾った方が深田さんも喜んでくださることだろう。







秋の日は過行く

2016-10-23 19:55:33 | 庭、花木、畑、ガーデニング
秋は忙しい
樹木の選定が本格的に始まった。
夏の間は、ほったらかしだったので、
カラスウリなんかが木の枝に絡みついている。

カラスウリの名は、赤い実の中にある黒い種が羽を伸ばしたカラスの姿みたいだから
付いた名だそうだが。
現代風に見ると、アメリカ軍のステルス戦闘機みたいだ。



ステルスウリなんて言う別名はどうだろう。
(いつの間にかつるを伸ばして、気が付いたらハッとするような真っ赤な実を付けている)

朝から晩までやっても、さっぱり仕事が、はかどらない。
なにしろ最近は、1時間やったら1時間半休まないと体がもたない。
2日やってもこれだけかと、なんだかがっかりだ。


先週オートバイの前輪の空気が抜けているのに気付いた。
買ってから4年経っているので、念のためタイヤごと交換した。

タイヤ交換の間、時間があったので駅前の商店街をぶらつく。
昔なかった新しい飲み屋が沢山ある。うまそうな海鮮ものや、ジンギスカンなど、
以外によさげな店が多い。
忘年会の幹事のふりをして、一軒一軒まじまじと店の中をのぞき込む。
店先の看板に、地元の小中学校の名前が並んだのががあったので、何だろうと思ったら、
そこの学校の卒業生は、1割引にするんだそうだ。

地元民のリピーターを確保する戦略なんだろうが、
どうやって卒業生であるかを証明するんだろう。
(ちなみに私も卒業生だ)

地元で飲む機会はないが、ここなら歩いても帰れるので
本当は良いんだよね。






クラーナハ展へヴィーナスを見に行く 国立西洋美術館

2016-10-16 18:12:07 | 音楽 美術
この顔にピンときたら110番
ではないが、
ポスターを見てピンときた。
この女性の顔は、かなり昔から知っている。

「いいの、こんなの載せちゃて、まずくない」
心配するほどエロチックなヴィーナスは、百科事典の別冊「世界の文化」の中に載っていた。

展覧会のポスターとは違う絵だが、この絵と同じ顔だ。
クラーナハ展の作品リストを調べたら、やはりヴィーナスがあった。
昔のスケベ心がよみがえる。
これはどうしても本物を拝んでおかなければ。
で、朝から出かけた。

問題のヴィーナスの絵は、え、こんなに小さいの
というぐらいのサイズの絵だった。

「今日の一枚」
ルカス・クラーナハ 作
「ヴィーナス」
1532年 
縦37.7 横24.5
シュテーデル美術館蔵(フランクフルト)

もう一枚、同じような連作の作品も展示されていた。
「ルクレティア」
サイズ、絵の構成とも同じだ。

このヴィーナスは、今まで1mぐらいの大作なのかと思っていた。
どうしてこんなに小さい絵なのか考えた。
やはり、普段は隠しておいたのではないだろうか。
貴族の肖像画のように、客間かなんかに、ドドーンと飾るわけには
いかなかったのではないかな。

他の女性像も、背筋がゾクゾクするような怪しい美しさだ。
剣に生首なんて、意味深な組み合わせだ。
ポスターになっている「ホロフェルネスの首を持つユディト」は最近修復されたばかりだそうで、たいへん美しい(こちらの絵はヴィーナスよりはるかに大きい)

クラーナハはピカソやデュシャンにも大きな影響を与えたそうだ。関連するピカソの作品も展示されていた。


なんなんだ岡本太郎

2016-10-11 22:11:15 | 日記
岡本太郎美術館へは、たまに行くとよい。
入るとすぐに「傷ましき腕」が出迎える。

あの原色が入り乱れる岡本ワールドの絵も沢山並べて見ると不思議に安定感がある。
「犬の植木鉢」や椅子のシリーズものは、実際に使えそうだ。(特に「ゆったり」という椅子は、実際に欲しくなるようなかわいらしさだ)

要所、要所には本人の実物大の写真が置いてあり、「ちょっとそこの君、そうそうあなた、ちょっとこっちへ来なさい」と無言で呼びかけている。(素直に行くとそこで何かを感じるはずだ)

彫刻「樹人」「こどもの樹」「若い時計台」などが並ぶホールは、映像や音など、視覚、聴覚を駆使して表現している現代アート空間。

梵鐘「歓喜」はなかなかよいデザインだが、鐘の音も良ければ本当に傑作だ。

以前、岡本太郎が書いた本を読んだことがある。
「今日の芸術」は、「芸術は爆発だ」のイメージの通りだったが、意外だったのは「沖縄文化論-忘れられた日本」を読んだときのことだった。
なんとも本格的、いや本格を通り越して一流の文化論になっている。
沖縄文化に対する真摯な態度にも感動した。
岡本太郎というの人は、こんなにもまともな考え方を根底に持っているのかと驚いた。

岡本太郎の写真「なまはげ」「オシラサマ」「久高のろ」「イザイホー」にはそんな一面が感じられる。





日本民家園と枡形城へ初めて行ったころ

2016-10-10 20:51:28 | 近所の旅
枡形城(枡形山城)へ初めて行ったのは小学生のころだった。
・・・・「そらまたお父さんの自慢話が始まったわよ」
まあ、まあ
そういうネタがあるだけでもいいじゃないか。
おとなしく聞いておけ。

小学生のお城めぐりなんて渋いだろ。
あのころは、兄と二人でよく出かけたものだ。
玉縄城、衣笠城、小机城、茅ヶ崎城、八王子城、そして枡形城
どうだ、とても小学生とは思えない渋さだろう。

大阪万博へ行った時も、(当時、父が運転する車で、学校を休んで出かけた)兄の主導で、伊賀上野城、彦根城、安土城、伏見城、大阪城、姫路城をついでに回ってきた。
筋金入りだ。

枡形城は、きっとこの方角にちがいない。
出来たばかりの日本民家園を、「城址はきっとこの中だ」と思い入園した。
雨が降っていても傘もささず歩いていた。
民家園をぐるっと回っても城址の碑は見つからなかった。
しまった、ここじゃなかった。

民家園の横から尾根の高いところを目指して駆け上がって見つけたのがこの碑だった。




枡形城は残念ながら大きく破壊され、城跡としての面影はない。
(戦時中はここに高射砲の陣地があったそうだ)

広福寺にある城主 稲毛三郎重成の墓

稲毛重成の妻は北条政子の妹であった。
ところが若くして亡くなった。
このため夫である重成は、亡き妻の供養のため相模川に橋を掛けた。
橋の落成式である橋供養には源頼朝も出席したが、橋供養の帰り道、頼朝は落馬し、それが原因で亡くなってしまう。
桝形城のお殿様なんて、どうでもよさそうにも感じるが、けっこう日本の歴史にかかわっているので驚いてしまう。




安岡章太郎展(神奈川近代文学館)へ行く

2016-10-09 23:41:58 | 本、作家
この時代の人達は、戦争を綱渡りで生き延びている。
安岡さんの部隊もレイテ島で全滅するが、安岡さんは、部隊がレイテ島に移動する直前に、結核のため除隊となり生き延びることが出来たようだ。
それにしたって結核だ。
やはり綱渡りだった。

サーカスの馬は教科書にも載っているので読んだことがある。
あとは、なまけものの思想や、サルが木から下りるときなど、遠藤周作さん的に言えば狐狸庵先生やぐうたらものに相当する作品しか読んでいない。
なので、自分は安岡さんの作品を語る資格はない。
それでも「安岡のおっちゃん」というような親近感を持っている。
展覧会の写真も文豪というよりは、人の好い近所のおっとっちゃんというイメージの顔だ。

慶応大学に通っていたころの、
昭和17年当時の日吉校舎の写真があった。
日吉の駅から延びる名物の銀杏並木が、まだひょろひょろの苗木のようだ。

遠藤周作さんとは大学の同期だ。
卒業してから仲よくなったようだが
安岡さんが晩年にキリスト教に帰依したのは
遠藤周作さんの影響だろう。

展覧会で、遠藤さんがスペインで買い求めたという
素朴な「聖母子像」が展示されている。(なんだか円空仏みたいだ)

なんでも遠藤家と安岡家とで、聖母子像の加護が必要となるような不幸があると、その家に安置され、お互いの家を行き来したとか。
交流の深さを感じさせる。
展示ブースには庄野潤三や小島信夫など、様々な作家との交流を示すコーナーもあり、
この時代の作家の横(あるいは縦)の繋がりの強さを感じる。
作家にとって、刺激し合う友人に恵まれた良き時代であったのかもしれない。
この辺のことを語る「良友・悪友」という作品も、この時代の作家ならではの本だ。





ALWAYS三丁目の夜景

2016-10-08 15:00:36 | 独り言
東京オリンピック前のことだったかもしれない。
我が家は、鶏を育て、卵を売るのが商売だったので、
当時は、毎日のように取引先の商店へ卵を配達していた。

私もときたま車の助手席に乗せられて、川崎や蒲田あたりの商店街を巡った。
配達は夜だったので、景色は大して見えなかったが、商店街のネオンや過行く街の灯りを車の中からぼんやり眺めていた。
お店の人は、助手席に小さいのが乗っているのを見つけると、こっそりジュースなどを手渡してくれた。

そのぐらいの歳だったので、あまり多くは覚えていないが、
鶴見の機関区を渡る陸橋の上から蒸気機関車が見えたこと、
第二京浜を走って多摩川を渡ると、アーチ型の六郷の橋脚が美しかったことなどを思い出す。
私にとっては、初めての遠足のようなものだった。
乗っていた車は、たぶんオート三輪だったのではないかと思う。
(このオート三輪は、廃車した後も我が家の庭にしばらく置いてあったので、子供たちの格好の遊び場になっていた)

松茸を食べる

2016-10-02 22:41:55 | 日記

「この松茸がおいしいね」と君が言ったから10月2日は松茸記念日

マツタケというのはどうも神がかっている
松茸をお題に一句ひねるなんて言うのもありそうだ

今日初めて松茸ごはんなんていうものを食べた
それでブログに書いておくことにした

もちろん買ってきたわけではない
もらいものだ