横浜の宅地開発が本格的になったのは私が小学生のころだった。
私のお気に入りの場所だった近所の雑木林にも、
とうとう宅地開発の看板が掲げられた。
私は溜息をついた。
そこには、クワガタの集まるくぬぎの林があり、
谷戸の小川には、タニシやヤゴ、蛙や、沢蟹などが生息していた。
宅地造成が始まると、
ブルドーザーは、ねこそぎ山を削り取り、谷を埋めた。
雑木林の中に自生していた植物は、
この地にもともとあった植物が多かったのではないかと思うが、
連綿と続いてきた生物の営みは、
昭和の時代になって突然断ち切られてしまったのである。
春の雑木林は、子供心にもなんて美しいのだろう、と思ったものだ。
そこには、春蘭やエビネ、草ボケや山百合といった
今では、園芸店に行かなければ手に入らないような山野草が沢山生えていた。
私は、やがて失われてしまうであろうこれらの植物達がお宝のように思え、
雑木林の中に分け入っては、これはと思う植物を、
せっせと自分の家の庭に運んで植えた。
山百合などは、一時は盛大に我が家の庭を飾っていたのだが、
いろいろ変遷の末、今でも残っているのは、このエビネだけになってしまった。
それでもエビネの花を見ると、
あのころの雑木林の様子を思い出すのである。
私のお気に入りの場所だった近所の雑木林にも、
とうとう宅地開発の看板が掲げられた。
私は溜息をついた。
そこには、クワガタの集まるくぬぎの林があり、
谷戸の小川には、タニシやヤゴ、蛙や、沢蟹などが生息していた。
宅地造成が始まると、
ブルドーザーは、ねこそぎ山を削り取り、谷を埋めた。
雑木林の中に自生していた植物は、
この地にもともとあった植物が多かったのではないかと思うが、
連綿と続いてきた生物の営みは、
昭和の時代になって突然断ち切られてしまったのである。
春の雑木林は、子供心にもなんて美しいのだろう、と思ったものだ。
そこには、春蘭やエビネ、草ボケや山百合といった
今では、園芸店に行かなければ手に入らないような山野草が沢山生えていた。
私は、やがて失われてしまうであろうこれらの植物達がお宝のように思え、
雑木林の中に分け入っては、これはと思う植物を、
せっせと自分の家の庭に運んで植えた。
山百合などは、一時は盛大に我が家の庭を飾っていたのだが、
いろいろ変遷の末、今でも残っているのは、このエビネだけになってしまった。
それでもエビネの花を見ると、
あのころの雑木林の様子を思い出すのである。