とうちゃんのぷらぷら日記

アウトドア系の日記及びうんちく

横浜の風景、今昔物語5

2015-04-26 09:05:42 | 昔の話
横浜の宅地開発が本格的になったのは私が小学生のころだった。
私のお気に入りの場所だった近所の雑木林にも、
とうとう宅地開発の看板が掲げられた。

私は溜息をついた。
そこには、クワガタの集まるくぬぎの林があり、
谷戸の小川には、タニシやヤゴ、蛙や、沢蟹などが生息していた。

宅地造成が始まると、
ブルドーザーは、ねこそぎ山を削り取り、谷を埋めた。

雑木林の中に自生していた植物は、
この地にもともとあった植物が多かったのではないかと思うが、
連綿と続いてきた生物の営みは、
昭和の時代になって突然断ち切られてしまったのである。

春の雑木林は、子供心にもなんて美しいのだろう、と思ったものだ。
そこには、春蘭やエビネ、草ボケや山百合といった
今では、園芸店に行かなければ手に入らないような山野草が沢山生えていた。

私は、やがて失われてしまうであろうこれらの植物達がお宝のように思え、
雑木林の中に分け入っては、これはと思う植物を、
せっせと自分の家の庭に運んで植えた。

山百合などは、一時は盛大に我が家の庭を飾っていたのだが、
いろいろ変遷の末、今でも残っているのは、このエビネだけになってしまった。
それでもエビネの花を見ると、
あのころの雑木林の様子を思い出すのである。

村の小学校

2015-04-05 22:09:13 | 日記
今年もまた桜の季節となった。
近所の小学校の桜が満開だ。
車で通りかかると、まじまじと見上げてしまう。

実は、この小学校の桜の多くは、父と私とで植えたものだ。
もう40年以上も昔の話だ。
私と父は、この小学校の卒業生で、
ついでに私の息子や、娘も卒業生だ。

小学校の正門の横には小さな碑文がある。
そこには、小学校を建てる時に協力した村人の名前が刻まれている。
その中には、私の曽祖父の名もある。

市立の小学校だが、戦前の校舎は、村人達が自分達で建築資材を調達し
畑仕事の合間に、みんなで土木作業をして作り上げた小学校だった。
小さな小学校だったが、そんなわけで
村人達の思い入れは、相当強いものがあった。

私が入学するまでその校舎はまだあったのだが、
私達がその校舎で学んだ最後の児童となった。
(担任の先生は、なんと私の父も教わった超ベテラン先生であった)
当時の木造校舎の様子はいまだに覚えている。