川越の駅に降り立ち、なぜか川越水上公園に向かう。
入間川を見たかったからだ。
川越橋から戻る。
途中バス会社の営業所かと思ったら高校であった。
川越は城下町なので道が複雑だ。
いわゆるメインの観光通りはすごい人だ。
今日は少し外れた所を選んで歩く。
川越は昔すごく栄えた街だったことがわかる。
商工会議所も半端ない作り。
喜多院の慈眼堂がコンパクトで美しい。
三芳野神社は川越城の守護神だ。
新河岸川は、川越発展の鍵ともなった水運設備である。
道灌橋
川越城の築城には江戸城を造った太田道灌も大きく関わっていた。
川越夜戦は、関東における新勢力の北条氏と旧勢力を結集した関東連合軍との闘いであった。
この時、北条氏康は、西に今川義元とも紛争を抱えており、絶体絶命のピンチであった。
当初兵力で圧倒的に不利であった北条軍が勝利できたのは、降伏同然の条件で和睦交渉を進めていて相手が油断したことと、夜戦との伝承から北条軍による夜討ち(不意打ち)だったことで奇跡的に勝利できたのではないかと思われる。何れにしてもなりふり構わぬ方法で勝利したもので、勝利した北条側にもこの時の戦いの資料が少ないのは、あまり誇れるいくさではなかったのかもしれない。
戦いが北条軍の圧勝となったことで、関東における北条氏の覇権が決定的なものとなった。
この戦いに敗れた上杉氏は、その後衰退して越後に逃れ、越後の守護代であった長尾景虎に家系を譲る。(長尾氏は上杉氏の家宰(筆頭家老のようなもの)であった。)川越夜戦で氏康が圧勝できなかったら、謙信は上杉謙信ではなく長尾謙信となっていたかもしれない。
ちなみに長尾氏は横浜出身の豪族で、戸塚区にある長尾城が発祥の地といわれている。
地元の名門、川越高校には、関東大演習の記念碑がある。
大正元年の大演習は天皇陛下(大正天皇)も参加された大規模のものだったようだ。
ちなみに、関東大演習はいくたびか行われていたようで、私の祖父も大正7年と10年に行われた大演習に参加したと軍隊手帳に書いてあった。