とうちゃんのぷらぷら日記

アウトドア系の日記及びうんちく

内閣支持率26%の記事に思う

2017-07-23 19:46:08 | 日記
ナチスのやり方を見習うべきじゃないのか。
かつて麻生副総理がそんなことを言っていた。
そして選挙に大勝した自民党は、
はたしてその通りのことを始めた。
特定秘密保護法の成立
共謀罪の成立
お友達人事と揶揄され、自民党内であっても異論が言えぬような内閣は、もはや民主政治とは言えない。

権力者にとって一番都合のわるいのは、自分を批判するマスコミだ。
たとへ嘘の情報であっても権力者がくりかえし主張すれば、うそも本当のことになることをトランプ大統領は知っている。
よけいなチャチャを入れてくるマスコミさえたたいてしまえばなんとかなる。
露骨な大統領のCNN批判には驚かされた。

あと一歩のところだったのに、安倍総理は悔しがっている事だろう。
政治とはなんとも面倒なものだ、事を急ぐあまり、異なる意見を切り捨てて顧みないやりかたは、いつか行き詰る。そうなればトランプ大統領の二の舞になる。
みなが納得できる結論を探し出す調整力こそが政治力であると思いたい。


鍋割山荘で今井さんに怒られた話

2017-07-16 20:16:25 | 山行
昔の山のバッジを見ていたら、鍋割山荘の今井さんのことを思い出した。
今井さんは、今の鍋割山荘の草野さんの前に鍋割山荘の小屋番をされていた方だ。

すでに同級生などと一緒に丹沢へ出かけていたころだったが、
ある秋に、塔ノ岳から鍋割山の稜線で紅葉のきれいな葉っぱを拾って歩いていたことがあった。
押花ならぬ押し葉を作るためだった。
黄色の落ち葉はけっこういいのが拾えたが、赤いのがあまりない。
鍋割山に着くと、赤く紅葉したどうだんつつじがみごとだった。

私は、どうせ一週間もすれば落ちてしまう葉っぱだからと、まだ木から落ちていないのを2、3枚失敬してしまったのだが、それを後ろから見ていた今井さんに「こら、むしるんじゃないぞ」と怒られてしまった。
髭をはやした今井さんは、ちょっと気難しそうに見えるところがあった。
自分もああしまった、申し訳ないという気持ちがあったのでいまだに覚えている。
その後大倉尾根で今井さんとすれ違ったりすると、なんだか気まずかった。

昭和50年11月の新聞に今井さんが亡くなられたことを知らせる記事が載っていた。
今井さんは傷病軍人であったそうだ。
気が付かなかったが、そんなハンデを持ちながら小屋番をされていた方だった。

丹沢の登山記念バッチ 

2017-07-16 11:09:31 | 山行
暑いですのー
・・・・・・
暑くても昔は、丹沢あたりへよく出かけていた。
夏でも秦野や渋沢あたりのバスは、満員になるくらい混んでいたし
昭和40年代ころの山小屋は、今よりよほど盛況で、数も多かった。

山小屋には「私登りました」的登山記念バッチが多数売られていた。
今では、こういう実用性のないものはあまり売れなくなってしまったのではないかと思う。

図柄を考えるのが大変なのだろう、丹沢なんかでもピッケル、ザイルのデザインが入っているのが笑える。
檜洞丸(青ヶ岳山荘)のものはカラー塗りでおしゃれ、


丹沢山(みやま山荘)はランプのデザインでかっこいい。


表尾根には、山百合の花が入っているのがポイントだ。


鷹の巣山は奥多摩で、山頂には有人小屋はない。駅前あたりの土産物屋で買ったものだろう。(昭和46年ごろのこと)


バッチを見ると、それなりに当時のことが思い出されるので、やはり買ってよかったのかもしれない。

見栄講座

2017-07-16 00:38:10 | 本、作家
ミーハーのための見栄講座その戦略と展開
ホイチョイ・プロダクション


映画「私をスキーに連れてって」を制作したホイチョイ・プロダクションの本。
元々は、成蹊学園で安倍総理と同学年だったという12人の同級生達が作ったグループだそうだ。ホイチョイという名前も仲間達で遊びのときに使っていた架空の国名が起源とのこと。

そんな彼らの遊び心の集大成である「見栄講座」も当時ヒットした。
続編ともいえる「OTV」「東京いい店やれる店」「極楽スキー」も私は、買って読んだ。

  

見栄講座の中で見栄を張る対象としていたのは「テニス」「スキー」「フランス料理」「海外旅行」「オートバイ」「キャリアウーマン」「軽井沢」「湘南」「シティーボーイ」などだった。
現在ではいささかピントのぼけたものもあるが、若者が見栄を張るというのは、良いことだ。
そこには、あこがれや向上心といったものが隠れている。
一方、歳を取ってから見栄を張るのはよくない。
自然体が一番だ。


少しバブルの匂いがする内容だが、最近お笑い芸人の平野ノラさんや、ブルゾンちえみさんなんかが当時の雰囲気をギャグで伝えている。



六本木のジャコメッティ展へ行く

2017-07-15 19:26:18 | 音楽 美術
ジャコメティの彫刻は、特別好きなわけでもなかった。

昔、小学生、中学生向けの美術本を見ていたとき、
なにがいいのか分からない彫刻がいくつかあった。
一つは「塗られたブロンズ」という作品
(缶ビールのようなものが二つ並んでいるだけの作品)
もう一つはデュシャンの「なぜクシャミしないのか」という作品
(小さな虫かごのような中に四角い白いサイコロのようなものが沢山入っている作品)
そして、ジャコメッティの「森」
(ひょろひょろの人物が地面から生えてきたような作品)
今回の展覧会にも展示されていた。

しかしながら最近、現代詩の同人誌「歴程」のメンバーであった、矢内原伊作氏と宇佐見英治氏がジャコメッティと深い関わりがあったことを知り、行ってみる気になった。

ジャコメッティについての評論を書き、ジャコメッティに矢内原伊作さんを紹介したのが宇佐美さんらしい。

ジャコメッティを抜きにしても
お二人には、少し興味がある。
辻まことや山之口獏とも深い交流があったからだ。

私が唯一知っていた作品「森」は、
後ろにやや低い人物が2体、前に背の高い人物が5体と、その右に上半身のみの人物が配置されている。
人物の表情は、顔が小さいため、悲しいのか嬉しいのかあまりよくわからない。
他の作品でも同じだ。

一見、噴出した溶岩のようでもあり、神像のようにも見える。
精神性を強調した作品にも思われ、円空仏にも通じるものがありそうだ。
単純化された人物像には、ある種の仏像のような気配も感じられた。


「大人の一休さん」がいい

2017-07-09 16:16:16 | 日記
時の権力者に対しても、堂々と意見を言い
一流文化人とも親しく交流し、
世間の注目度ナンバーワンの情報発信力に、
そしてなにより庶民に愛されていた一休和尚。

毎回5分程度の番組だがファンキーな一休さんの逸話を集めて、わかりやすくマンガで紹介している。
この間最終回だったが、また1話から再放送されている。
ちなみに一休さんの兄弟子で、禅を世渡りの道具にしたと一休さんから批判された養叟(ようそう)和尚は、こんなお顔だったらしい。


マンガでは、特徴のある眉毛が強調されていた。
やはり、一休さんに比べると、神経質そうで現実主義的な人相に見えるのは偏見か。


「風立ちぬ、いざ生きめやも」な大叔母の話

2017-07-07 22:09:15 | 日記
この絵のモチーフの老師と若い従者の図は、伝統的な絵柄で
めでたい意味があるのだと何かの本で読んだ記憶がある。
書の方は、残念ながら未だにどういう意味か分からないのだが、なんとなくおめでたそうで、私は気に入っている。

むかし、むかしのこと、ここの家の長女であった大叔母は、中国の人と結婚したらしい。
それは、田舎の農家では考えられないような出来事だった。
親(曽祖父)は、もちろん猛反対。
それでも大叔母は諦めなかった。

「お前は勘当だ」そういう話にまでなったと聞く。

夫となる中国の人は留学生だった。
やがて中国に帰国することになる。
そしていよいよ帰国というときに
今生の別れにと、この掛け軸を我が家に置いて行ったのだという。

大叔母は、言葉も通じぬ異国の地で、あちらの両親、家族とうまくやっていけたのだろうか。

しばらくして中国から甘栗が届くようになった。
その甘栗を、父は美味しく食べた記憶があると言っていた。
そんな大叔母だったが、日中戦争が始まる前に結核で亡くなってしまったらしい。

大叔母の形見の掛け軸は、私が受け継ぐことになった。

自分の意志を貫いた明治の女、
短い人生ではあったが悔いはなかったろう。
七夕の日に、勇気ある大叔母を思う。
(大叔母夫婦は中国の古都開封に住んでいたそうだ)

追伸
この詩は「飲湖上初晴後雨」という
蘇軾(蘇東坡)の詩だった。
長年胸につかえていた謎が、ネットのおかげでやっと解決した。


中山駅から十日市場、新治市民の森(ちょっと昔の横浜を感じる散歩)

2017-07-03 21:18:30 | 近所の旅
中山駅から歩き出すと暑い。町を歩くには厳しい季節となってきた。
ところが、こんな季節でも最近富士山がよく見える。

観護寺のお地蔵(ちょっといい感じ)


こんな田んぼの風景が最近見られなくなった。稲穂の香がいい。


この用水路の作りは昭和40年代のものだ。私の家の近くにもあった。

よくこの中に潜り込んでは、ザリガニやホトケドジョウ、亀などを取って遊んだものだ。

円光寺から宝袋寺、十日市場の駅へ
さらに新治市民の森へ向かう。

最近まで人が住んでいた奥津邸
立派だ。長屋門まである。




横浜の農家のシンボルツリーは柿の木だ。
柿の品種は、禅寺丸であることが多いが、ここの家は渋柿らしい。
樹齢200年ぐらいの古木だ。
入口にも柿の木があるので、そちらは甘柿かもしれない。

横浜の屋敷林の主力は欅や樫の木であることが多い。それに一本ぐらい榧の木が入る。
ゆずを植えている家も多い。

この屋外のポットン便所、友達の家にもあった。




里山は散歩コースとなっている。
ノカンゾウ、山百合、


そしてこのシダ植物の群落がよい。


谷戸の田圃


ああ、こんな感じだったなあと思い出す。
この山を越したあたりに私の母の実家がある。
その手前、鶴ヶ峰の上水道が丘を通るあたりにかつて道楽園と呼ばれた豪邸があったそうだ。
その家の人がそう呼んでいたのか、近所の人たちがかってにそう呼んでいたのか知らないが、
一山がその人の家で、桜が沢山咲いていて綺麗だったそうだ。
今では跡形もないらしい。幻のような話だ。

日吉駅のつばめ

2017-07-01 22:35:49 | 日記
日吉駅改札口の前を2,3羽のつばめが飛んでいた。
一羽が改札口の方へと飛ん行く。
ラッシュアワーの人混みにあわてたのかとおもぃきや、
つばめが飛ぶには違和感のある駅構内の狭い空間に
思った通りつばめの巣があった。
親鳥が近づくと、巣の中に大きな口が3つ並んだ。

よりによってこんな騒がしい所にと思うが、天敵のカラスがやってこないからだろう。
駅員の人もつばめが巣を作りやすいようわざわざ棚を作っているようだ。
興味のある人は、そっと覗いて見てください。