とうちゃんのぷらぷら日記

アウトドア系の日記及びうんちく

逆噴射台風12号

2018-07-29 21:38:48 | 独り言
気象の常識が通用しない時代になってきたらしい。

「西から昇ったお日様が東に沈む~」というのがあったが、まさにそれに近い感覚である。
いったい日本の気候はどうなってしまっているのだろうか。

迷走台風というのは確かにある。しかしそれは小笠原諸島ぐらいの緯度で、自転車ぐらいのゆっくりとしたスピードで動くものだ。

今回のように、日本の東から北西方向に向きを変え、時速40キロぐらいのスピードで日本列島にやってくるような台風、(強い意志を持った確信犯的迷走台風)なんてありえない。
(すぐに逮捕せよ?)

これは、太平洋上にあった寒冷渦というのが原因らしいが、
どうしてそんなものが日本の南にあるのか。偏西風は何処へいってしまったのか。

わけがわからんこの頃の気象は
通り一辺倒の説明では理解できない。
もう少し深く解説してもらう必要がある。

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昆虫マニア

2018-07-29 14:32:45 | 独り言
トラカミキリ

何にでもマニアがいるものだが、昆虫マニアは古典的だ。
昆虫は種類が多く、亜種も多い。
初心者でも身近にいくらでもいるので安直に始められる。
始めは蝶やクワガタなど目につく昆虫だろうが、本確的マニアともなればそれぞれ専門分野を持っているのが普通である。
例えば養老先生はゾウムシのようだし、北杜夫さんは主にコガネムシ類だったようだ。

 

複雑怪奇な形や生態は不思議に満ちていて奥が深い。
小学生のころは、いろんな虫を捕って来ては図鑑とにらめっこしていた。
そんなわけで息子が小学生の時には、むりやり夏休みの宿題に昆虫採集(写真を撮り昆虫図鑑を作った)をさせてしまった。(反省、反省)

当時撮った写真を見ると、いく分マニア度の高い昆虫も入っている。(親の自慢が見え見えだ)
定番の蝉の脱皮(連写)
 

オケラはふだん土の中にいるのでなかなかお目にかかれない。(すごいだろ〜)


コカブトやナナフシも中々見かけない昆虫だ。(こんなのを探してくるなんて気合が入っていた)
 

玉虫もいた。


ところでこれらの昆虫は今でもいるのか。
ここに載せた昆虫
最近は、見ていない気がする。

こうして地域の昆虫図鑑のサイトを作ってみるのも面白そうだ。
昆虫の名前、撮影した日時場所を書き込み投稿する。
そういうサイトを結集すれば、全国昆虫図鑑というのも出来そうだ。

 
昆虫は小さいのに驚異的な機能を持っている。最先端の技術も、昆虫を研究することで飛躍的進歩が図れるのではないかと、違った側面からも脚光を浴びている。

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あちち 日本列島

2018-07-22 20:57:44 | 日記
あちち あちち あちち(郷ひろみ)

さっき部屋の中の気温を見たら34度だった。
尋常ではない。
窓を開けていてもさっぱり役に立たない。
まったく住みにくい環境となったものである。
このところ毎年どこかで、途方もない災害が起きている
記録的豪雨もすでに例外ではないぐらい毎年のように起きているし
地震も大小はあるにせよ人的被害が発生する規模のものが頻発している。

これが日本の宿命なのかとも思うが、法制度を含め、対応を整備する必要があるだろう。
今後を考えれば、東日本大震災だけを対象とするのではなく、もっと広い範囲を網羅できる災害復興庁という専門の官庁も考えなければならないのではと思う。
保険会社もこれだけ自然災害が頻発すると対応に苦慮するだろう。
保険料の値上げなんていう事態も起こりかねない。

今までの常識が通用しないのだから、国民も考え方を変えなければならない。
今回の豪雨では、土地の旧家の被害も多かったのが気になる。
本来旧家は、その土地の自然災害の歴史を踏まえて安全な場所に建てられているのが一般的である。それすら及ばない災害であった。

自分の身は自分で守る。
災害報道を教訓に今の自分になにが出来るか考えてみる必要があるだろう。
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信濃デッサン館閉館に思う

2018-07-22 08:09:46 | 音楽 美術
信濃デッサン館が今年の3月に閉館になっていたそうだ。
知らなかった。
私にとって信濃デッサン館は、これまで何回も訪れたお気に入りの美術館だった。
友人と来たり、奥さんと行ったり、最近では5年ほど前になるがオートバイで行った。

そもそも大学1年生ぐらいの時に前山寺を訪れてその存在に気が付いたのだが、(開館したばかりの時だったようだ。)当時は、こんな田舎に美術館というのが不釣り合いで、あやしんだ。
デッサン館というのもなんだかピンとこなかった。
人っ子一人いなかったのも不気味だった。
きっと新興宗教かなんかの信者が、自分たちの神様みたいなのを描いて展示した怪しい美術館なんじゃないかと妄想した。それでその時は恐れて素通りした。

一時期は観光バスが駐車場に何台も停車しているのを見かけたこともあったが、最近では来館者も減少していたらしい。
今になって思う。
昔の私と同じように、やはり一般の人に信濃デッサン館の名前というは、どうもピンとこなかったのではないか、もっと村山槐多や立原道造をイメージ出来る名前だったらどうだったんだろうと。

それにしても残念だ。
私にとっては、遠方の友人が突然亡くなってしまったような感じだ。
ああ、もう信濃デッサン館へ行くことが出来なくなってしまった。

小さい美術館でも収蔵作品のセンスの良さは日本一だった。
5年前、美術館のカフェで厚切りトーストを食べながら、塩田平を眺めた。
私が「この景色もすばらしいですね。」と言ったら、お店の女性は、「そうなんですか
私には当たり前の景色にしか見えません」と素っ気なかった。生意気だが、私はこの景色に魅了されて中学生のころから、塩田平を訪れていた。

今は、信濃デッサン館のコレクションが散逸してしまうことを恐れる。

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目黒古民家 サレジオ教会 円融寺 碑文谷八幡宮へ

2018-07-21 22:13:56 | 近所の旅
このところ暑すぎなので、身近な目黒を歩く。
大岡山のショウマッカーでドイツパンを買いそのまま北上する。

目黒区古民家(旧栗山さん宅)へ到着。


立派な民家
手入れが行き届いて綺麗。黒光りする床。懐かしい。もう一度こんな家に住んでみたい。


サレジオ教会を通り円融寺へ。


円融寺は敷地も広く、参道も長い大寺。




趣もあり、さすがは重要文化財。たまにしか来ないけど身近な観光地だ。


参道を出ると立会川を右へ
碑文谷八幡宮へ到着


碑文谷八幡のお祭りは目黒一かも
各町会の神輿が一同に集まる宮入りはなかなかのもの。
それで神社の敷地も広い


碑文谷八幡は畠山重忠ゆかりの神社であるそうな。


畠山重忠の伝承は、東京、神奈川を中心に各地に残っている。
神社関係では、御岳神社の国宝の大鎧が有名だが、(伝、畠山重忠奉納)
弘法大師や行基菩薩は全国区でいろんな話があるが
畠山重忠も東京、神奈川限定ながら数が多い。

重忠公は同時代の人々に尊敬されていた。
無実の罪で北条氏に騙し打ちにされたが、最後まで武士としての潔さを貫いた。
それで同郷の人々に支持され重忠伝説が広まったのだと思う。

以前伯母達と話した時のこと、なんと私の先祖は、畠山重忠公の家来だったそうだ。二俣川の合戦(横浜市旭区)の時北条軍と戦ったが、北条の大軍を前に奮戦したものの重忠公は討ち死にしてしまう。祖先は、以来この地に主君を供養するための塚を作り移り住んだのだと言う。
重忠公は自分の身の上にも及ぶ伝説となっていることに驚く。

帰りは都立大学の駅へ

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大岡山へドイツパンを買いに行く

2018-07-15 22:14:57 | 料理 食 道具
「ショーマッカー」のプレッツェル

商店街の奥の方にあって見つけにくいお店だが、ここのドイツパンはあなどれない。このプレッツェルを食べればわかると思う。
形もきれい。ドイツのガンコ職人が腕組みしているような姿に見える。


前にも行こうと思って大岡山の商店街を歩いていたが、途中で見失ってすごすごと帰ったことがあった。(今日はしっかり住所を書き留めたのでOKだった)
小さな店だが、ヴンダバーな店だ。またこよう。

そして、大岡山にはもう一店舗ドイツパンの店がある。
ベッカライ ヒンメル
こちらは前にも買ったことがある。
一般的なパンも多く扱っていて、無難に手広くやっているイメージだ。
ねらいは、ドイツ的なパンなので、それとわかるパンをチョイスして買う。


帰ってきたら、家族にだいぶ横取りされた。
どれも正当なドイツパンなので、派手さはないが、かめばかむほど奥深い味がする。ハムやチーズとの相性も抜群。ビールにもあう。
特に私は、ブルーチーズをのせて食べるのがなにより好きだ。
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家族登山の記3 浅草岳

2018-07-14 22:20:28 | 山行
時が経つと記憶もいい加減になる。
やはりなんらかの形で記録に残しておいた方がよいだろう。
私の家族登山は以下のとおりだった。
一番年下の娘の年齢を基準に考えるとわかりやすい。

娘4歳 霧ヶ峰キャンプ場・美ヶ原(山本小屋-王ケ頭)-・八島湿原一周
娘5歳 霧ヶ峰キャンプ場・美ヶ原(山本小屋-王ケ頭)・霧ヶ峰キャンプ場-クルヌプヒュッテ-蝶々深山-車山-コロポックルヒュッテ-霧ヶ峰キャンプ場・踊り場湿原

娘6歳 ネズモチ平-浅草岳-カエヨボッチ-林道―ネズモチ平
娘7歳 大白川登山口-三ノ芝-守門岳(往復)
池ノ平湿原-三方ヶ峰-見晴岳

娘8歳 車坂峠-黒斑山-蛇骨岳-車坂峠(浅間山外輪山)
    五味沢-八十里越-田代平(往復)
娘9歳 ヤビツ峠-大山(往復)
    十里木高原-越前岳(愛鷹山)(往復)
娘10歳 伊吹山
娘12歳 八方尾根-唐松岳-五龍岳-遠見尾根

浅草岳は娘が6歳のときだった。
前回4歳と書いたが、さばをよんでいた。

車で出かけたが、子供が飽きないよういろいろイベントを用意した。
小出に着くと、駅前のますだやさんでへぎそばにカツどんを食べる。
小出から大白川へは、わざわざ只見線で移動。(私ひとり車で移動)



浅草岳へは最短ルートだが
こんな所もある。


山頂付近には大きな雪田が残っている。
8月の残雪は、インパクトがある。


山頂からの展望も豪快


鬼ヶ面の岩壁に田子倉湖



翌日は、破間川の支流で沢遊び。
 


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歌丸ロス

2018-07-10 23:35:24 | 日記
歌丸師匠が亡くなった。
噺家といえば浅草だろうが、
師匠は生まれ故郷の横浜に住み続け、
名前が売れても最後まで地元を大切にした義理堅い噺家だった。

師匠の地元の横浜橋商店街には献花台が設けられた。



飲む、打つ、買う、の芸人のイメージとは真逆の紳士的な人柄で、
きっと会社員や公務員になっていても立派な功績を残されたことだろう。

小圓遊さんとのからみは、笑点の人気を不動にし、
番組が長く続くことになったのも歌丸さんの功績だ。

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オウム真理教事件に思う

2018-07-08 21:39:03 | 日記
松本サリン事件で河野さんが誤認逮捕されたころ、旧軍関係者の間で、
事件の不可解さをささやく電話が回った。

「本当にサリンなのか?」
「おかしいよ。」
「本当にサリンなら、これは誤認逮捕なんじゃないか。」

そんな内容の電話だったそうだ。

旧軍関係者は、サリンという毒ガスが簡単に作れるようなものではないことを知っていた。個人の自宅なんかで作れるようなものではない。もっと大がかりな設備が必要だ。
河野さんの逮捕には、そんな裏付けが見えない。
サリンは、一個人が作れるような化学兵器ではないのである。

オウム真理教は、それを可能とする専門知識と財力、生産設備を保有していた。
サティアンと呼ばれた軍需工場を保有していたのである。

このような悪意の大規模なマインドコントロールを可能とするものはなんなのか。
頭脳が優秀かどうかということはまったく問題とならなかった。
人間というものが持つ闇を証明してみせたのがオウム真理教であった。

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家族登山の記2 五味沢から八十里越 田代平

2018-07-01 11:39:38 | 山行
家族そろって山に登ることは、もうないだろう。
親に言われるまま何処にでもついて行くのは、ギリギリ中学1年ぐらいまでだ。
それで、自分がどこへ行ったのかくらい最低分かるよう書いておこうと思う。

只見線、大白川駅からさらに奥の五味沢より破間川沿いに林道を歩く。(五味沢には大きな無料駐車場がある)

8月の夏休み。天気は小雨でいまいちだった。
ところが雨より始末の悪いことがあった。
めじろアブの大発生だ。
この時期、東北地方の谷沿いでは、しばしばめじろアブが大発生する。めじろアブは人を襲い、血を吸う。少し歩いただだけで息子は泣きべそをかきながら撤退してしまった。
それで娘と私だけで田代平へ向かった。

私が娘より数歩先を進み、押し寄せるめじろアブを引き受けた。
アブにかみつかれないよう、雨合羽を着て、うでや足をばたつかせながら、へんな恰好で歩く。
これが八十里越の道


「八十里 腰抜け武士の越す峠」北越戦争で重傷を負った河合継之助は、戸板に乗せられ八十里越から会津を目指したが、この峠を越えた入叶津(只見)の地で亡くなる。
この景色からは想像できない歴史ドラマがあった街道だ。江戸時代には越後と会津とを結ぶ交通の要所であった。


田代平到着




めじろアブにもひるまなかった、勇敢な娘(当時6歳)に拍手。



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