とうちゃんのぷらぷら日記

アウトドア系の日記及びうんちく

首都圏の展望台 丹沢 高取山 仏果山 2023年12月23日

2023-12-23 20:41:47 | 山行
高取山、仏果山、土山峠へ行く。
本厚木駅発8時40分のバス。

この時期の高取山は、展望がよいのが魅力。
実質の登り1時間ぐらいで稜線に立てるお手軽さも良い。

まづは、最初の尾根を登った所で(宮ケ瀬越)猿の群れのお出迎えがあった。

だけど、猿はけっこうな大きさの野生動物なので、少し緊張する。
昔の丹沢では考えられないことだ。
(猿の一匹には発信機のような首輪がついていたので、群れの動きは観測されているようだ。)

高取山からの景色


横浜みなとみらい地区方面。(東京湾も見える)


東京方面 東京全体のビル群がひとかたまりで見られるのが貴重だ。まるで飛行機から見ているかのようだ。


相模湾(小田原方面)


展望台に外国人登山者の一団も登ってきた。「おはようございます。」「おはようございます。」なんだか友好的だ。うちの奥さんが話かけると、日本に住んでいる外国人の人達だそうだ。インド人にカナダ人、国籍もバラバラだが、最近丹沢や奥多摩は外国人登山者が多い。道標にもアルファベットの表記が入っている。

仏果山から土山峠への道は登山者がぐっと減る。


岩場や痩せ尾根のやや危険地帯になるせいか?


土山峠着13時50分。少し早い時間だが、今の時期の山は暗くなるのが早い。このぐらいのゆとりが大切だろう。
短い時間だが、刺激的なハイキングだった。


丹沢 辺室山から三峰山 不動尻 5月3日

2023-05-04 08:27:02 | 山行
シロヤシオツツジ

コース:土山峠‐物見峠‐三峰山‐不動尻‐広沢寺温泉入口

本厚木駅発8時40分のバスで土山峠へ
辺室山への登りでタヌキ発見。(わりと逃げない)


辺室山は広い山頂


物見峠 ベンチあり


新緑が美しい。


見上げると鷹が木立の間をぬうように、すぐ近くを低空で滑空していた。
翼を広げた姿はとてつもなく大きい。カッコいい。

崩落地から丹沢山方面



シロヤシオツツジは丹沢を代表する花木だ。
ちょうど満開でジャストタイミング


新緑の三峰山を見る



三峰山の山頂にはベンチが一つある。


不動尻への下りも、くさり場が多いので最後まで気をぬけない。

トンネルを抜けるとやっと下界の雰囲気

広沢寺温泉入口のバス停まで、てくてくと歩く。
16時46分のバスで本厚木駅へ

感想:今日は久々に奥さん登場。
思ったより困難なコースで苦情が出る。(緊張する。ひざがガクガクする。展望がない。等々)
物見峠から三峰山への道は、過去に何度か歩いているが、前より(10年ぐらい前)だいぶ尾根の崩落が進んでいるように感じる。
かなり神経を使う箇所が多くなった。

個人的には、展望はあまりないものの、多方面で山の魅力を満喫できる魅力あるコースだと思う。
(ゴールデンウイークだというのに三峰山はすいていた。行きかう人も数人。意外だった。)

清里駅から飯盛山 野辺山駅へ 12月11日

2022-12-13 14:41:52 | 山行
清里駅10時30分発 降雪が微妙なこの時期、天気予報の様子をみながら判断した。(13日には清里は降雪に見舞われたようなので、一般的な登山としては今年最後のチャンスだったと思われる。

展望がウリの山なので、天気が心配だった。


ギリギリのところだったが
八ヶ岳、南アルプスの山頂付近は雲。
富士山、金峰山方面はOKで、まあまあといったところ





日影の登山道には雪がある。

(帰りの小海線からは八ヶ岳、鳳凰山、北岳、甲斐駒ヶ岳の峰々が、カーテンコールでお出まし。山頂から谷筋に雪をいただく準ドレスコードの盛装?だった)

小淵沢駅からの甲斐駒ヶ岳

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

飯盛山は昔からヤマケイのガイドブックにも紹介されていたので、中学生のころから知っていたが、八ヶ岳まで来て飯盛山だけ登って帰るという発想はなかった。

今回は旅行と組み合わせたというのがみそだ。
注意点はホテルなどに入るのに、汚れた登山靴(今回はチロリアンシューズ)ではいただけない。
マイカー登山なら靴を履き替えればよいが、列車の旅では荷物となるので躊躇する。
それで登山の後は小川で登山靴をジャブジャブと洗い、靴底の泥も入念に落とし、拭き清める。
登山靴自体どうなのかという意見もあろうが、まあ汚れていなければ許してもらえるだろう。


丹沢 高取山 仏果山 経ヶ岳 12月4日

2022-12-04 18:35:20 | 山行
トレーニングも兼ねて丹沢のふちにある低山へ出かける。
高取山や仏果山は手軽過ぎる(物足りない気がした)ので今まで登ったことがなかった。

本厚木の繁華街からというのも山へ行く雰囲気でない。


バスは満員になり、神奈中バスはすかさず臨時便をもう一台用意した。(すばやい対応に驚いた)

宮ケ瀬湖の一角にある仏果山登山口で下車。
本来は展望のよくない山のはずだったが、高取山や仏果山には鉄骨のやぐらが組まれ、展望台になっている。このため展望はすこぶる良い。

東京のビル群まで一望できる。


なんだか東京が蜃気楼のように見えた。

他の場所でも所々切り開きがあり展望を確保している。

やや強引な気もするが、登山客への渾身の配慮がうかがえる。

山の名前の通り、かつては修験道の山であった。



経ヶ岳へ向かうと尾根も痩せ、岩も多くなる。


初日の出を見るのには良さそうな山だ。(ただし展望台は10人ぐらいで一ぱいになるので注意)
コースタイム 仏果山登山口8時30分 高取山9時30分 仏果山10時10分
経ヶ岳12時30分 半僧坊前13時30分

奥多摩 棒ノ折山 11月27日

2022-11-27 20:58:11 | 山行
軍畑駅8時30分発‐高水山‐岩茸石山10時30分‐黒山‐棒ノ折山12時30分‐百閒茶屋‐川井駅15時10分

高源寺の横にある天之社と妙見堂 



妙見菩薩は平良文が熱く信仰していた。
それで良文を祖先とする秩父平氏や千葉一族にも妙見信仰が広がった。

妙見菩薩は、秩父神社では天之社(天之御中主神)と合祀されていたのでこのようにお堂が並んでいるものと思われる。

高水山 常福院
お犬様は何処となく飼い犬が庭に座っているような雰囲気がある。
お賽銭を入れて紐を引っ張っても鰐口の音が出なかった。雰囲気だけ。


岩茸石山から棒ノ折山


棒ノ折山への登山道へ入ると登山者がぐっと減る。

ゴンジリ峠からは、また人が一挙に増える。
埼玉方面からの登山者だ。


ゴンジリ峠にいた若者グループの会話が聴き取れない。
埼玉ってそんなになまってたっけと思ったら韓国語だった。
そう思って聞き直すと、若い男女の会話は韓国ドラマのようであった。

山頂へ向けて歩きだす。
上から30人ぐらいのグループが下山してきた。
みんなぺちゃくちゃおしゃべりしながら降りてくるが、こちらは中国語。
山は下界より外国人が多い。

棒ノ折山 山頂 


埼玉県一望 



下山するとワサビ田があった。


谷間は15時近くなるともう夕方のよう。


相模湖駅から石老山(せきろうざん) 11月19日

2022-11-19 21:17:14 | 山行
相模湖駅発8時15分
相模湖から嵐山、石老山へ行き相模湖駅へ戻るコース




相模ダム1947年完成 慰霊碑にある殉職者は52名だが、ウキペディアによれば実際の犠牲者は戦時下で進められたこともあり、記録が残るものだけで83名だそうだ。ナンマンダブ、ナンマンダブ


ダムのすぐ先から登り始める
山頂が嵐山406m(相模湖のあたりで一番立派に見える山)

一旦下山して普通の里山のあたりを歩く。(指導票がないと迷子になってしまいそうだ。)
相模湖病院の脇から石老山への登山道が始まる。

石老山は名前の通り、巨石信仰の山だ。
石老山 顕鏡寺(けんきょうじ)

滝不動、屏風岩、仁王岩、鏡岩、小天狗岩、吉野岩、擁護岩、試岩、八方岩など

擁護岩


石老山から富士山


相模湖休暇村へは、尾根上を進むよう指導票は案内しているが、従来の谷沿いの道も危険個所は無かったので(落石の危険があるのか?不明)普通に歩けた。

帰りは相模湖を周遊して相模湖駅へ(14時50分着)

嵐山


大河原峠から蓼科山 双子池 11月7日

2022-11-09 20:31:50 | 山行
ベースキャンプのホテルから今度は蓼科山へ向かう。
大門街道の下の方なら、まだ紅葉が美しい。

女神湖から夢の平林道へ入り、蓼科スカイラインに入ると冬を感じる寂しい道となる。カーブの所々にはこぶし大の落石があちこちに落ちている。気を付けないとタイヤを乗り上げ転倒してしまう危険がある。(多分、岩の間に付いた清水が凍り付いて、岩を落とすのだろう。)

大河原峠には車一台が止まっているだけだった。

大河原峠から蓼科山往復 
7時30分発

将軍平から蓼科山へ登るルートのゴロゴロとした岩に雪がこびりついている。
溶けて凍っている所もあり注意が必要。


山頂は相変わらず風が強い。(9時20分着、気温氷点下6度)

御鉢巡りでぐるっと左周り。
展望はよい。

御岳山
乗鞍岳
穂高連峰

風がなければゆっくりくつろげるのだが。
下山はへっぴり腰で降りる。

大河原峠からは双子池へ向かう。

双子山


双子池着13時20分


もう一度双子山を登り返すのはやめて林道から大河原峠へ戻る。
枝から垂れ下がるサルオガセが見事な林道


大河原峠着15時

高見石 中山 ニュウ 麦草峠から茶臼山往復11月6日

2022-11-08 18:16:50 | 山行
高山は冬直前。
ラストチャンスの週末、北八ヶ岳へ出かける。
11月5日(土曜日)オートバイで茅野へ向かう。(茅野泊まり)

翌日6時、茅野のホテルから出発。
麦草峠への道を走り出すと、正面左右に大きな黒い八ヶ岳の峰々が広がる。とてつもない存在感だ。

峠へ向けて高度を上げる。
振り返るとアルプスの峰々が朝の光に浮かび上る。モルゲンロートだ。
早起きは1万円の徳(三文どころではない)

麦草峠7時発。
雪は2200mぐらいからだろうか。前に降った雪が溶けずに残っている。


私は、中山(2496m)からの景色が好きだ。


360度の大パノラマ、圧巻な景色。ここから見る天狗岳の景色が一番良い。いかなる名画も及ばない自然の造形美。






そしてニュウも絶景の展望台。(八ヶ岳は本州のへその位置にあるので、日本アルプスや浅間山、富士山など主要な日本の名峰が辺りをぐるりととり囲んでいる。



麦草峠へ帰りついたのは13時30分だったので、続けて茶臼山へも登る。茶臼山もたいへん展望がよい。

悔いのない1日であった。(麦草峠15時30分着)

大倉から塔ノ岳 鍋割山 10月22日

2022-10-22 23:00:25 | 山行
大倉7時15分発。
やはり秋は早立ちが肝心。
大倉のバス停には、すでに警察官がスタンバっていて、登山届の提出を促す。

大観望経由のルートを行くと。大倉高原山の家が無くなっていた。
大観望から伊豆大島を望む。


キャンプサイトは健在。


花立のあたりから展望が良くなり。


塔ノ岳山頂から

山頂の温度計

鍋割山方面へ向かう


花立山荘と大山


江の島


鍋割山

鍋割山はなべ焼きうどんに長蛇の列。鍋割うどん店と化している。

帰りは大倉発15時の臨時便のバスに乗る。




九鬼山へ登る

2022-10-16 19:21:05 | 山行
猿橋駅に7時に着く。
今日はやけに早い。
秋の日はつるべ落としだし、早いに越したことはない。
今日は曇り空の予報だ。

神楽山、御前山から九鬼山へ向かう。


御前山のあたりは岩峰

実はこのコース、中学2年生のころ、同級生達3,4人と登った思い出のコースだ。
当時は誰もカメラなんか持っていなかったので、記憶だけだが頼りだ。
山つつじが沢山咲いていたので、5月ごろのことだったと思う。

友人の一人はチャールズブロンソンのモノマネが得意だった。
「ブロンソンさん、この景色いかがですか。」
「ウ~ン マンダム」


最近、西穂の尾根から滑落して足の骨を折ったAの持ちネタだった。
(「ウ~ン マンダム」をブロンソンさんのように低音のしゃがれ声で決めるのがうけていた。)みんなでワッハハと笑った。



秋はきのこがいっぱい
つちぐり

こんなのがいっぱいはえている。


九鬼山到着


リニア実験線を山から見下ろす。


秋の山を歩くと、あの頃の中学生の声が聞こえた気がした。

そのまま大月駅まで歩く。
13:15発の高尾行に間に合った。


笹子駅から滝子山 初狩駅へ

2022-10-04 22:08:51 | 山行
笹子駅より歩きだす。


大鹿川沿いの林道を進み、すみ沢へ

すみ沢は、意外と明るい楽しそうな沢だ。
三丈の滝自体は小さい。

全体的に白砂の穏やかな流れで、夏ならば水流沿いを沢登り気分で歩くのによさそうだ。

かなり上の方まで水流がある。

山頂直下の白縫神社のすぐ脇からも湧き水が流れ出す。



山を降りて来たらカンバンがあった。

「登山者各位に告ぐ」と大仰なタイトルだが、この山の源為朝伝説のことを解説しているようだ。
そういえば、韮崎の武田八幡宮の隣りにも為朝を祭る為朝神社があった。伝説とはいえ、甲州と為朝は何らかの関係があったのかもしれない。

為朝は、保元の乱で活躍した伝説のスーパー武者だ。背の高さ2.1m、生まれながらなのか、鍛錬の賜物なのか知らないが、左手が右手より12Cも長かったそうだ。為朝の弓は、誰も引くことが出来なかったとも言われている。
源氏にとっては、鬼神のような存在だったのだろう。

滝子山は50年近く前に登って以来となる。
滝子山から下りてくると、谷間の民家から規則正しい織機の音が鳴り響いていたことを思い出す。
当時大月周辺は織物工場の集積地だった。こんな山奥の谷間でも機織をやっているのかと、ひどく感心したものだった。(今でも織物はこの地の地場産業であり続けているようだ。)



W.Cニコルン アンファンの森

2022-10-01 19:55:57 | 山行
今日は中央線沿いの山へ行ってきた。

秋の山というのは、刺激に溢れている。
熊でなくともきょろきょろしてしまう。
あの実はなんだ。
このキノコは食べられるのか?

山栗もたくさん落ちている。

縄文人の本能か、素通りできない。少し拾っていこう。
こうやって足でムニュムニュ         

だけど小さい。
縄文人から何百年(何千年か?)かけて、今みたいな大きな栗の品種を育てあげたんだろう。

猿梨があった。

「ウッキイ」
四つぐらいは熟して柔らかくなっていた。
いただきます。(猿梨は和製キウイと言われている)


ブナの実もだいぶ落ちている。

ブナの実も焼いて食べると美味しい。

どんぐりなんてしばらく立ち止まっていると、見る間に落ちてくる。
あっちでぽとり、こっちでぽとり。

この黒ボールキノコはなんだ。

白ボールキノコもある。


何処かの学校の校章のようなどんぐり


山からおりてきたら沢蟹もいた。

今日の収穫(普通に歩いていて目についたのだけでこんなに取れた。)
まさに宝の山、日本の自然はすばらしい。




高尾山口から城山湖2022年8月8日

2022-08-08 21:04:22 | 山行
神奈川県民にとって気になる湖、城山湖。
昔から知っているのに行ったことがない。
津久井湖や相模湖は何度も見ているのに、城山湖はまぼろしの湖だった。
それで行ってみた。

気まぐれで決めたので、家を出たのは9時過ぎだった。
横浜線で片倉駅へ行き、京王片倉駅から、高尾山口駅へ。
着いたのは11時を少し回っていた。
駅前すぐの所を尾根へ取りつく。
しばらく進むと隣りに高尾山の尾根筋が見えてきた。


暑い、暑い、暑いで滂沱の汗。
草戸山(364m)までくれば湖が見えるかと思っていたが、展望台は立ち入り禁止で少しも見えない。


ダム湖へ向けて歩くと、ようやく姿を見せた。


湖が城山湖だから城山ダムかと思っていたが、
本沢ダム(ロックフィルダム)というようだ。少しややこしい。


この湖に流れ込む川はない。ところが発電用のダムだから、水はタービンを回すために放出されるので、なにもしなければ湖の水は無くなってしまう。


湖の水はこの下の津久井湖と連動していて、日中は津久井湖へ落として発電し、夜間は安い電力を利用して津久井湖から水をくみ上げ、城山湖に戻すという、リサイクル型の発電だ。




リ・サイクル2022
Recycle, Recycle, Recycle,
あなたの○○○○が欲しのです。
燃えてる××××がすきだから

(元歌)
美・サイレント(山口百恵)
Be silent, Be silent, Be silent,
あなたの○○○○が欲しのです。
燃えてる××××がすきだから

百恵さんRecycle,の歌も歌って。

日本は元々リサイクル文化の国だった。
江戸時代には、徹底的なリサイクルをしていた。
日本人のもったいない文化は世界でも有名だ。

人間も水が切れると朦朧としてくる。若い時と違って、炎天下の水分切れは命取りだ。
という教訓を得た。夏はかなり気を付ける必要がありそうだ。
帰りは高尾山口へ戻る。

もう一つの教訓
高尾山へ行くには、私の場合、横浜線を利用するより、一旦渋谷へ出て、京王線で高尾山口へ行く方が、費用的にも時間的にも有利だということに気付いた。八王子方面へ行くのに、一旦反対方向の渋谷へ出た方が便利というのも妙なものだ。

丹沢世附川大棚沢へ大棚を見に行く

2021-11-21 07:37:19 | 山行

丹沢湖の西の端、世附(よづく)の最奥、浅瀬にバイクを止め歩き始める。
長年気になっていた西丹沢の大棚を見に行く。
(大棚まで往復約4時間)

昭和45年に発行されたカラー日本の渓谷という写真集の表紙には世附の大棚が載っていた。山やさんを意識した写真集とはいえ、日本の渓谷美の代表が世附川の大棚沢という感じなのだった。
撮影は昭和43年6月2日


こちらが、今回令和3年11月20日の大棚の様子

水量が写真集のものよりやや少ないが、ほぼ当時と変わらないのが嬉しい。よく見ると最下段の釜の位置が現在より高い所にあったのではないかと思われる。水流も右側の岩の方へ回り込むようにして流れている。
岩の形も微妙に変化しているのは、やはり50年という歳月のせいだろう。

林道はどこも直しては壊れての繰り返し。
この部分が手つかずの最後の崩落個所。
わりと下流の方なのだが、山中湖側からの方が修復が進んでいて。この土砂を渡ると普通に歩けるようになる。


このあたり、林道はあるものの、人家のまったくない空白地帯だ。


途中防災科学研究所の地震観測施設がいくつも出てくる。(すでに観測終了)

関東大震災の震源は丹沢でもある。塔ノ岳では山頂にあった尊仏岩がユーシン側へ転落した。地形も大きく変わったそうだ。


大棚到着。林道から谷へ下る。


沢の中流域なので水量が豊富、落下する水圧に落ち葉が舞い上がる。

美しい滝だ。
これからもこの姿を残してほしい。

守屋山登山 11月1日

2021-11-06 08:14:48 | 山行
朝、ホテルの窓から見ると、曇り空。
うかない天気だ。
天気予報は曇りマーク、明日もそうだ。
どうするか、判断に迷う所だが、予定どおりに行くことにした。
諏訪の街は、すでに朝の通勤渋滞が始まっていた。
あせらずオートバイを走らせる。
茅野から高遠方面へ折れるとワインディングロードの始まりだ。
杖突峠へ、上り坂のカーブが続く。かつてのバイク族憧れの道。
すると、諏訪盆地にかかっていた霧を抜け、眼下に雲海が広がるステキな景色となった。
やはり正解だった。
杖突峠からは、オフロードの林道を進む。すぐに現れるのは太陽光発電のパネル群。
どこかぶどう棚のようでもあるが、山中に不気味だ。

守屋山登山口にオートバイを止め出発。8時10分

山頂まで約1時間の登り。
ごく軽い登山で絶景の展望台へと到着する。
ぐるりを廻る雲の帯、諏訪から甲府盆地を埋め尽くす雲。

八ヶ岳連峰





西へ流れる雲は塩尻峠でせき止められ、伊那谷方面へ白い帯を伸ばす。

尾根が低くなっている所が塩尻峠で、峠の向こうに広がるのは塩尻、松本方面を埋める雲。
その向こうは北アルプス

穂高連峰

甲斐駒ヶ岳、仙丈岳


ところで、この守屋山の守屋とは、あの物部守屋のことらしい。
聖徳太子や蘇我馬子は仏教を広め国の政治を変えようとする新勢力だったが、物部守屋は古来の神を守る保守的勢力だった。
どうして、飛鳥から遠いこの地に名前が残るのかというと、聖徳太子たちとの戦いに敗れた守屋の子孫が、都を逃れこの地にたどりつき諏訪神社の神長と血縁関係となったとする説があるようだ。
守屋神社は諏訪神社を守る、仏教でいうところの金剛力士のような存在なのかもしれない。
物部氏は武門の家柄で、守屋も弓の名手であったそうだ。木の上から弓矢をはなち曽我軍を苦しめたとの伝説がある。
それで、祠には弓が供えられているのだろう。


このあと杖突峠へ戻り高遠方面へ向かう。