とうちゃんのぷらぷら日記

アウトドア系の日記及びうんちく

高遠周辺及び三峰川上流を走る 11月1日

2021-11-06 17:39:11 | 旅行
目的地は三峰川上流の古瀬戸峡。
その先にある、坂巻峠への登山口まで行けないものかと確認に向かったのだ。

Googleマップを見ると人家が途切れるあたりで通行止めになっている。
万が一の可能性にかけてみた。
が、やっぱりだめだった。
かなり堅固な通行止めの柵がある。歩いてなら行けるのだろうか。

三峰川は20Kほど先でUターンするように向きを替え、仙丈岳へと向かう。
坂巻峠はUターンする三峰川をショートカットする峠なのだ。
私は、昭和60年8月13日、坂巻峠から三峰川を遡行し仙丈岳へ登るバリエーションルートを歩いた。

ちょうど前日に、航空機墜落事故があった記憶に残る日だ。
本来の三峰川は、南アルプスの奥深く、長大な距離をゆったりと流れる深山幽谷の谷のはずだった。

ところが、近年に起こった集中豪雨の影響で、谷は多くの土砂で覆われ、期待はずれの谷の様子になっていた。
当時からこの川は、豪雨による大きな影響を受けていたのである。
近年に至るまで、川の姿は昔の清流に戻ることはなかったようだ。

累々と堆積された崩壊土石が川を埋める。

戸台口にかかる橋の遺構がある。
この先には、かつて黒河内森林鉄道という林業用の鉄道が走っていた。
その名残である黒河内林道を走れるかトライした。がやはり通行止め。
しかたがないので麓の集落を走っていたら鹿嶺高原という標識があったので行ってみた。
林道終点にはアウトドア施設がある。(現在は休館中)
展望を期待したがさほどではなかった。
(ポイント、ポイントでは多少の 展望あり。)

仙丈岳
このポイントには猿の群れがいた。


高遠はお城をスラッと回る。
私には中央構造線の方が、興味がある。

板山露頭




最後に守屋神社へお参りし、ホテルへ帰る。



守屋山登山 11月1日

2021-11-06 08:14:48 | 山行
朝、ホテルの窓から見ると、曇り空。
うかない天気だ。
天気予報は曇りマーク、明日もそうだ。
どうするか、判断に迷う所だが、予定どおりに行くことにした。
諏訪の街は、すでに朝の通勤渋滞が始まっていた。
あせらずオートバイを走らせる。
茅野から高遠方面へ折れるとワインディングロードの始まりだ。
杖突峠へ、上り坂のカーブが続く。かつてのバイク族憧れの道。
すると、諏訪盆地にかかっていた霧を抜け、眼下に雲海が広がるステキな景色となった。
やはり正解だった。
杖突峠からは、オフロードの林道を進む。すぐに現れるのは太陽光発電のパネル群。
どこかぶどう棚のようでもあるが、山中に不気味だ。

守屋山登山口にオートバイを止め出発。8時10分

山頂まで約1時間の登り。
ごく軽い登山で絶景の展望台へと到着する。
ぐるりを廻る雲の帯、諏訪から甲府盆地を埋め尽くす雲。

八ヶ岳連峰





西へ流れる雲は塩尻峠でせき止められ、伊那谷方面へ白い帯を伸ばす。

尾根が低くなっている所が塩尻峠で、峠の向こうに広がるのは塩尻、松本方面を埋める雲。
その向こうは北アルプス

穂高連峰

甲斐駒ヶ岳、仙丈岳


ところで、この守屋山の守屋とは、あの物部守屋のことらしい。
聖徳太子や蘇我馬子は仏教を広め国の政治を変えようとする新勢力だったが、物部守屋は古来の神を守る保守的勢力だった。
どうして、飛鳥から遠いこの地に名前が残るのかというと、聖徳太子たちとの戦いに敗れた守屋の子孫が、都を逃れこの地にたどりつき諏訪神社の神長と血縁関係となったとする説があるようだ。
守屋神社は諏訪神社を守る、仏教でいうところの金剛力士のような存在なのかもしれない。
物部氏は武門の家柄で、守屋も弓の名手であったそうだ。木の上から弓矢をはなち曽我軍を苦しめたとの伝説がある。
それで、祠には弓が供えられているのだろう。


このあと杖突峠へ戻り高遠方面へ向かう。