とうちゃんのぷらぷら日記

アウトドア系の日記及びうんちく

久里浜 沼田城から千代ヶ崎 浦賀港

2015-02-14 22:05:05 | 三浦半島ハイキング
京急久里浜駅-沼田城跡-ペリー記念館-燈明崎-千代ヶ崎(往復)
為朝神社-叶神社-京急浦賀駅

まずは久里浜駅から平作川沿いに船倉へ向かいます。
鎌倉時代に港だったところで
当時は、このあたりまで海でした。
船を繋留しておくのに便利な湾だったようで、
それで船倉という地名です。


船倉の背後の小高い丘にあるのが沼田城で(源平盛衰記には怒田城と記されている)
海に面した三浦一族の重要な城でした。

沼田城の空堀跡



城は源平盛衰記によると「怒田城は三方は石山高うして馬も人も通い難き悪所なり、一方は海口に道を一つ開けたれば、能き者一、二百人あらば、たとい敵何万騎寄せたりともたやすく攻め落とすべからず」とあり、難攻不落な城であったようです。
源頼朝が石橋山で敗れると、三浦一族は沼田城の軍船を使って安房へ逃れました。

現在の久里浜は、三浦水軍に替わって東京湾フェリーが神奈川と千葉とを結んでいます。


ペリー公園には、
やはり久里浜に来たからには行くべきですね。、
最近出来たような記念碑とは違い風格があります。(国家レベルの記念碑です)

記念碑の裏側は、英文でも碑文が刻まれています。


ペリー記念館も無料ですから、行ったほうがいいですね。
さて海岸沿いを浦賀へ向かいます。
当初、久里浜から千代ヶ崎を越えて海沿いに浦賀へ歩いて行けないものかと考えました。
地図を見ると岬の場所には刑務所があり、どうも難しそうな雰囲気です。
まあ、念のためと思い行って見ましたが、やはりだめでした。

しかたがないので、おとなしく浦賀方面へ向かう旧道を進み、
トンネルをくぐってから千代ヶ崎へ向かいました。
浦賀に入ると広大なリゾートエリアの工事区間で、
燈明崎へ向かう道の両側はフェンスに覆われており、
あちこちにゴミも目立ちます。
歩くにはあまりお勧めできないコースです。

さてさて
それで、歩きながらよけいなことを考えて気をまぎらわせました。

「キャリーパミュパミュ、ミピャムピャム、合わせてピャムピミャム ムピャムピャム」
(早口言葉)

ふりそでーしょんの曲で♪

「うらがー、うらが、うらが、うらが
うらがー、うらが、うらがでいいしょん」

燈明崎に着くとそこから先はグットです。

燈明崎(この建物はかつての灯台を復元したもの)


千代ヶ崎




川間ドック
あまり知られていませんが、明治時代に作られたレンガ造りのドックの遺構です。
ヨットハーバーの中にあります。


為朝神社に奉納される「虎踊」はこの地の伝統芸能のようです。
浦賀駅へ向かう道すがらには、「浦賀銘菓虎おどり」というお菓子を売っている和菓子屋があります。


叶神社の金毘羅宮から浦賀港を見る


金毘羅宮へ登る階段を見ると、
なにやら小さく千切られた木の皮がたくさん落ちていました。

上を見上げたら、犯人はリス。

「こらあー、だめだぞ」
と叱ると、
リスはあわてて逃げていきましたが、
欅の枝が白く丸坊主になっている所もあります。
イヤーこまったもんですね。

まだ14:30ぐらいで早かったんですが
今日はここで退散
そのまま浦賀駅へ


逗子から名越切通を経て鎌倉へ 2月11日

2015-02-12 23:28:44 | 三浦半島ハイキング
今日のコンセプトは逗子から「いざ鎌倉」
新逗子駅-六代御前の墓-桜山第2号墳-逗子郷土資料館-富士見橋-浪子不動-被露山公園-大崎公園-名越切通-鎌倉駅

まずは、新逗子の駅から六代御前之墓へ


六代御前は平清盛の曾孫だそうですが、
哀れこの地で斬首となりました。
お墓は欅の古木2本に守られています。

すぐ横の歩道から桜山古墳へ登ることが出来ます。
指導票も整備されています。

桜山2号墳からの富士山(ちょっとモヤがかかっていますが絶景です)


逗子郷土資料館(元徳川宗家16代当主、徳川家達氏の別邸)
ここも相模湾と富士山の眺めが売りです。
河津桜も咲き始めていました。


蘆花公園でごはんにしました。
湘南名物「鯵の押寿し弁当」


蘆花・独歩の碑

富士見橋に近いこの場所には、かつて国木田独歩や徳富蘇峰、
そして徳富蘆花が住んでいたそうです。
どの人もごく短い期間だったようですが、蘆花が一番長く住んでいて(4年ちょっと)
それで蘆花だけは公園の名前にもなっているんですね。

逗子の砂浜を歩いて浪子不動へ

被露山公園は標高92mで、海抜0mから登ると「疲労こんぱい」なんちゃって
公園にはミニ動物園もあります。

大崎公園は家族連れで賑わっていました。
早咲きの桜が咲き始めていましたが
幹に掛かっている名札は大島桜となっています。
これは明らかに間違い。
おそらく河津桜でしょう。



被露山公園近くにある崖下の井戸水 
いにしえから湧き出しているような風情があります。


いよいよ名越切通へ
源頼朝や三浦一族も
ひょっとすると日本武尊なんかも歩いたかもしれない歴史の道


みんなで歩きすぎて、道がどんどんすり減ってしまい
いつの間にか両側が壁になってしまったのではないでしょうか?


まんだら堂やぐら群は平成27年2月28日から3月23日の土日祝日と月曜が公開日だそうです。

名越切通から鎌倉駅へは適当に裏道を散策しながら歩きました。

修那羅峠(しょならさん)の石仏

2015-02-11 22:09:20 | 旅行
信州、青木村と坂井村の境にある修那羅峠(しょならとうげ)

昔からガイドブックにも載っている有名な観光地ですが
交通の不便さからついつい行くのを見送ってばかりいました。
ようやく行くことができたのは最近のことです。

風の便りでは、修那羅峠の石仏達がだいぶ荒れ果ててきていると聞きました。

県道12号横から鳥居の見える道を斜めに入ると
安宮神社へは、しばらく坂道を登ります。



神社の建物をくぐると神域なのでしょうか、
神社の裏手にお目当ての石仏達が鎮座しています。


石の祠がずらり 各所に散らばっていたのを集めたものでしょうか


古いものから、ごく最近に奉納したと思われるものまで様々です。
地元の人達には、まだまだ現役の神社であるようです。



安産や子の成長を祈る石仏達






愛嬌のある狼?の狛犬


石仏を奉納した目的は様々のようですが、
いずれも日常生活の安泰を願うものばかりのようです。

石仏達は峠というよりは、山頂付近の尾根筋にあり、
今では神社のすぐ近くに駐車場も出来ていました。





信州北佐久郡立科町 津金寺(つがねじ)

2015-02-08 14:47:59 | 旅行
津金寺は、信州北佐久にある天台宗のお寺です。
このお寺の山門は大層立派です。


私は、このお寺のかわいらしい五輪塔がとても好きです。
近くを通る時には、
よくお参りさせていただいています。

津金寺の境内は広く、
お堂も沢山あり、佐久地方の大寺のようです。
庭の植木もよく手入れされています。
寺の正面右側の御堂の横からは、宝塔へお参りする参道があります。

参道を進むとすぐに塔の中でも一番大きな「滋野氏宝塔」が見えてきます。


滋野氏はこの地域のご領主様とのことです。
この宝塔から先にも無数の小さな五輪塔が連なり、道なりに整然と一列に並んでいます。


無数の五輪塔は、一つ一つ微妙に形が異なり、
なんだかこの地方の人達のご先祖様一人一人の化身のような気がしてきます。
五輪塔が無言でなにかを語りかけているかのようです。


「オーイみんなどこまで行くんだい」

といった感じでついていくと、
五輪塔達は一つの祠を目指していました。

祠は山王社(山王権現)といって天台宗の守護神だそうです。


この五輪塔がどうしてこのように置かれているのか詳しい理由は知りませんが、
なんだかこの地の人達の祈りが伝わってくるようです。

なんとも味わい深いお寺です。

寺の最寄りのバス停も趣があります。