とうちゃんのぷらぷら日記

アウトドア系の日記及びうんちく

若者だったころよく行った喫茶店「談話室滝沢」

2018-08-20 21:46:41 | 独り言

談話室滝沢は新宿にあった喫茶店だった。(御茶ノ水にもあった)
東口近くの路地にあり、新宿の表通りの雑踏から地下への階段を下りていくと和風の落ち着いた空間が広がった。
広い店内には堀切りがあり、そこを鯉が泳いでいた。

いろいろなお客にも対応できる造りになっていて、タモリさんも打ち合わせでよく使っていたと番組で話していた。

隣の客を気にせずに話しが出来るゆるい仕切りのある空間が確保でき、それでクラブの事故対策委員会では必ず談話室滝沢を利用していた。(合宿の反省会も、コーチングもここで行った。)

飲み屋でもないのに、30人ぐらいが集まって落ち着いて話せる空間は滝沢しかなかった。
バブルのころ、コーヒーが1000円に値上がりしたが、しばらくして閉店となってしまった。

大きな声では言えないが、お見合いにも2回利用したことがあった。(お客さんの紹介)

江戸東京たてもの園へ行く

2018-08-19 22:11:23 | 東京散歩
武蔵小金井の駅からまっすぐ北へ歩いて行くと小金井公園となる。
この公園内に江戸東京たてもの園がある。
江戸時代の建物から昭和の建物まで幅広くあるが、特に昭和の時代に現役で使われていた建物がすばらしい。

高橋是清邸




二、二六事件で是清公が銃弾に倒れたのがこの部屋だったそうだ。





田園調布の邸宅


このような家が現在の田園調布にも数多くあるようなら田園調布も尊敬できる街だったろうに。


小出邸
斜に切り込みが入る柱のデザイン(何という名前か忘れた)がおしゃれな邸宅。
(玄関と家の中にもある)




居酒屋の鍵屋
しぶい居酒屋。今あれば観光スポット間違いなし。




青梅の旅館
こういう旅館に泊まりたいでがんすな。
今は消防法とかうるさいから存続は難しいのだろうけど。


仕立屋





壁の穴は空爆の破片で空いた穴とのこと。

実感として、懐かしと感じられる建物が並ぶ。
重要文化財などとは違う身近な街の建物が魅力的だ。

高幡不動から浅川 平山城址公園 長沼公園

2018-08-19 07:18:23 | 東京散歩
高幡不動の駅が巨大になっていた。
多摩モノレールの駅は京王線の駅からやや離れているのだが、合体した造りにしたからだろう。


駅前のソフトバンクのお店の2階だったと思うが、
ここに昔ドイツ人の女性店主がやっていた喫茶店があった。


高幡不動の参道の方には、養老の滝があった。
安いお店だったが、めっぽう硬い焼き鳥がよく出てきた。
噛み切れないぐらい硬かったが、最後は目を白黒させ塊のまま飲み込んだ。
夜遅くに行くと、お店のお兄さんが時たま何本かサービスしてくれた。


高幡不動は警視庁が正月に交通安全祈願にやってくるお寺




五重塔の横から四国八十八か所巡礼ハイキングコースがあるので行ってみる。
山アジサイをいろいろ種類を集めて参道わきに植えてある。
ぐるっと一周して、真ん中一番高いところ、高幡城の案内板のある所へ登る。




高幡不動は、新選組の近藤勇と土方歳三の地元 新選組びいきの土地柄だ。
高幡饅頭をみやげに川崎街道をゆく。

浅川の河川敷のサイクリング、ハイキングコースに入る。


浅川は急流だ。
瀬が多い。
一番橋を越え、平山城址公園駅近くの滝合橋で道が終るので平山城址公園へ向かう。




城址は公園になっているが城の面影はない。
公園の外にある季重(すえしげ)神社がいちばん城址の雰囲気を保っている場所かと思う。
(平山季重は源平合戦で活躍した侍大将)


長沼公園へはこのまま尾根上を進めないので一度京王線側へ下り、長沼駅よりの六社宮から登り直す。


帰りは分倍河原から南武線
駅前の新田義貞像(分倍河原の合戦を記念した像)


都立長沼公園へ御殿峠礫層を見に行く

2018-08-18 22:12:41 | 東京散歩


今日は高幡不動から浅川を歩き長沼公園へやってきた。
長沼公園の崖で、多摩丘陵の御殿峠礫層が見れるのではないかと思ったからだ。

50万年前ごろ(北京原人やジャワ原人が生きたころの時代)この先の御殿峠から多摩川方面に向かって相模川(古相模川)が流れていたそうだ。
その証拠として、標高160mぐらいの丘陵の地層から古相模川が運んできた丸い河原石が沢山出てくる。
それが御殿峠礫層だ。




案内板を食い入るように眺め。
坂道を息せき切って速足で登る。


これが平山砂層だろう。(上総層群)


この上にも丸石を含んだ層があるが、これはまだ御殿峠礫層ではない。
やはり尾根の直下だ。

このあたりに違いないと、
路傍の小石を手に取る。


すると丸い川原石が簡単に手で割れる。
間違いない。御殿峠礫層だ。
心臓がどきどきする。
ああ太古の神秘。山頂近くに相模川が運んできた河原の石がある。
それが途方もない年月を経て風化し、手でも割ることの出来る石に変化している。




初めて御殿峠礫層を見たのは多摩動物公園だった。
もう数十年も昔の話である。
T先生の案内でこの辺りの地層を見学した。
特に印象に残っているのが、この礫層の存在だった。

以来東京の地形に興味を持った。
当時先生がテキストとして使っていたのが、貝塚爽平氏の「東京の自然史」だった。
この本の初版は1964年なのだが、最近文庫本となって再販されているのを見た。
実に半世紀に渡って読み継がれていることになる。
このような本としては異例のロングセラーだ。
  



ヨーコさんの言葉

2018-08-09 19:11:10 | 独り言
「ヨーコさんの言葉」という番組がある。
年の行ったおばさんのなにげない日常を描いたイラストに、
そのおばさんの心のつぶやきを朗読した番組だ。

シンプルな構成なのと、おばさん独特のわがままな心の中も素直につぶやいているので、真実味がある。
いつも、たまたま見ていいたが、
おとといの番組は、
おばさんにガンが見つかり手術をするというものだった。
そして余命2年の宣告をされてしまう。
ところが何を思ったか、おばさんはその病院の帰りに近所の車屋でジャガーを買う。
ジャガー?
思い出した。

このヨーコさんは、この本のヨーコさんだと気が付いたのだ。

「死ぬ気まんまん」の本のタイトルは「おフクロ、なんかこの頃、死ぬ気まんまんなんですよね」という息子さんのつぶやきから付けたそうだ。
大陸引揚者のヨーコさんは、日本へ帰国後も幼い兄弟など家族の死に直面している。
平坦な人生ではない。
だからこそ、なにか惹かれる心のつぶやきなのだ。

山道具の相棒たち エスパーステント

2018-08-09 11:36:42 | 山行
             エスパーステント
南アルプスの三伏峠
単独だったのでエスパーステントに調理道具一式も一人で持ち上げている。大分疲れた顔をしている。(高校生のころ)

エスパーステントを使用していたのは主に高校1年の夏から20代ぐらいまでの間だった。通算すれば1年以上エスパーステントで暮らしたことになる。

今でこそドーム型テントは主流になっているが、当時はカモシカスポーツしかなかった。
ポールを一本一本つなげていくやりかただったが、一人でもあっという間に設営できるのが画期的だった。強風にも強く居住性も優れていた。

このテントしかないと思い、雑誌の地図を頼りに高田の馬場のカモシカスポーツへ向かった。
店にはゴッツイ体格の店員さんがいた。いま思えばダンプさん(高橋和之さん)だったのだと思う。
エスパーステントでその後の私の登山は飛躍した。

今週の「わからん」2

2018-08-09 08:06:08 | 独り言
湾岸戦争は、反米政権の勢力拡大に危機感をいだいたアメリカが起こした戦争であったが、真の目的は、石油資源の安定確保にあった。
石油が極めて重要な戦略物資であることは、今も変わらないが、当時のアメリカは石油の輸入大国であった。

ところが、その後アメリカは、シェールオイルの技術により石油を輸出できるまでのエネルギー大国になった。
このためアメリカの中東政策にも大きな変化が起きた。
これまでのように、石油視点で中東政策を行う必要は薄れてきた。
(イスラエルへの露骨な接近もそのおかげであろう。)

トランプ大統領は、商売上の駆け引きには抜け目がない。
イランの核合意解除により、石油価格は上昇したが、むしろ意図的に画策したのではないかと思えてしまう。アメリカのシェールオイルの採掘には、多くのコストがかかる。石油価格が低ければ採算割れとなる企業も多くなるだろう。
エネルギー政策上も、国内産業の発展にも、ある程度石油価格が高い方がやりやすい。
そんな計算も働いているのではないかと思う。

中国との貿易戦争も、勝てるとの裏付けがあって始めたものだろう。
このへんは、これまでトランプ氏がアメリカ経済界でのし上がってきたやり方を踏襲したのだろうが、今一つ、グローバルな視点とその先にある未来の景色が見えてこない。
この先には何があるのだろうか。

子供の絵

2018-08-05 10:27:06 | 独り言
子供の絵には大人の絵とは違った魅力がある。
描いた絵の中にその子の存在を感じるからだ。

子供が小さかったころは、
子供の絵の中から特に気に入ったものを、部屋に飾った。
きちんとした額縁に入れ、玄関に飾ったこともあった。
すると、不思議にそれらしく見えてくる。
なにも自分の家なのだから気にする必要はないだろう。

この絵は、長男が幼稚園ぐらいのときに描いたものだ。
親が言うのもなんだが、このころの方が絵の才能があった。
自動車の絵は、私が絵の輪郭を切り抜き、裏に段ボール紙で補強をして、
立体的見えるよう固定用の足を付けた。
壁に飾るのに、自動車が背後の壁から浮き出て見えるよう工夫したのだ。
ちなみに額入りの絵は新幹線だそうだ。

子供の成長も確認できて楽しかった。
そういえば今でも娘の作品が玄関に飾ってある。