とうちゃんのぷらぷら日記

アウトドア系の日記及びうんちく

川崎の矢上川を野川から元住吉へ、日吉へ

2017-10-28 19:26:27 | 近所の旅
川崎市内で生産されている唯一のお醤油屋さん

昔の農家は、味噌も醤油もお茶もみんな自分の家で作っていた。(母の実家ではそうだったらしい)
今は、趣味で味噌を造ることがあっても、さすがに醤油まで造っている農家はない。
福来さんのように規模は小さいが専業で醤油を造っているのは貴重だ。

最近、土日は雨ばかりだった。今日も怪しいが、そろそろ家にくすぶっているのも限界なので出かけた。
矢上川は川底がコンクリートだ。
流れが早い。
途中鷹の巣橋の横、猫の額ほどの雑木林にこんな看板がある。


さすがにこんな所で猟銃を撃つ人は、いるわけがないが、
一度やってみると面白そうだ。たちまち20台ぐらいのパトカーに取り囲まれ、「君は完全に包囲されている。武器をすてて出てきなさい。」となるだろう。

もっとも50年ぐらい前までは、実際に横浜あたりでも猟銃をぶっ放している人がいた。むろん当時でも横浜なんかで猟銃を撃つのは禁止されていたが、私の家の周りは畑ばかりだったので、まだそんな人がいたのだ。
まんざら笑いごとでもなかった。

人形劇のひとみ座


さらに矢上川を下ると川のすぐ横のあたりに福来醤油がある。会社の前まで来るとお醤油の良い香りがする。
古くからある醤油の醸造所で、お醤油は、元住吉の商店街で購入することができる。


私は、スーパーのえばらやさんで購入


元住吉の操車場には、ベイスターズ仕様の東横線車両が止まっていた。
 今日から日本シリーズやで。


日吉の裏手、矢上川横の丘陵には古墳や古代の住居跡が


天気悪化のため、午後は、横浜橋商店街へ移動 キムチのチャンジャを購入
そして、ダイヤモンド地下街ではポンパドールでサーワーブロートを購入


追伸
今日の「モヤモヤさまぁ~ず」で溝の口、中原あたりをやっていた。
そこで人形劇の「ひとみ座」さんが出ていた。
タイムリー。
なつかしのドン・ガバチョ、サンデー先生、博士、
私にとってテレビの原点かもしれない。

ところで、サンデー先生の好物は、大根おろしと記憶していたのだが、ネットで調べたらきんぴらごぼうと出ていた。そうだったかな~


台風21号が不気味だ

2017-10-21 19:30:59 | 日記
巨大な台風が近づいている。
横浜、東京方面へ直撃の予報だ。
コースが変わっても規模が大きすぎる。
影響は免れないだろう。

食料を買い込み
ガソリンを入れてくる。
家の周りのガラクタを片付ける。

問題は月曜の朝、電車が止まっていたらどうするかだ。
オートバイで行くか。
ヘルメットをかぶって歩いて行くか、
這ってでも行くか。

アウトドア系の趣味がある人は、普通の人よりはまだよい。
登山用の雨具、登山靴にスパッツを付ければ、雨に濡れるのをかなり防げる。
問題は風だ。強風の中、進むことが出来るのか。・・・・・・
と、クライシスシミュレーション。

でも本当に心配だ。

関内駅で横浜市歌を聴いた

2017-10-21 12:03:51 | 日記
横浜地下鉄の関内駅に降り立った時、山手線などではおなじみになっている駅のメローディーが流れた。それが横浜市歌であったので思わず立ち止まって聞いてしまった。
横浜市民で小学校のころから住んでいる人なら誰でも知っている曲だが、自分はこのところあまり聴いていなかった。
自然と曲に合わせて頭の中で歌詞をつぶやいてしまう。
少しあやふやな所もありそうなので、あらためてネットで調べてみた。

横浜市歌
わがひのもとはしまぐによ あさひかがよううみに
つらなりそばだつしまじまなれば あらゆるくによりふねこそかよえ
さればみなとのかずおおかれど このよこはまにまさるあらめや
むかしおもえばとまやのけむり ちらりほらりとたてりしところ
いまはももふねももちふね とまるところぞみよや
はてなくさかえてゆくらんみよを かざるたからもいりくるみなと

う~ん気宇高邁な歌詞だ。
だいたい記憶の通りだったが、一部歌った記憶のない部分があった。
それは「ちらりほらりとたてりしところ」という所だが、私の小学校では、この部分を飛ばして歌っていたような気がする。私の勘違いかもしれないが、歌詞全体を見ても、この部分は、前の歌詞の内容を繰り返しているようで、くどいような気がする。(鴎外先生ごめんなさい)

曲は、1909年明治42年の横浜開港50周年の式典で披露され、それから約一世紀の間、横浜市民に歌い継がれて来た。
ちなみに地元Y校の校歌も森林太郎さんの作詞だ。
他人に自慢できる校歌で羨ましい。

秋の季節は食べごろだ

2017-10-15 16:22:26 | 日記
秋の季節がやってきた

さざんか、さざんか咲いた道
たき火だ、たき火だ、落ち葉炊き

快童丸(かいどうまる)という名前のサザンカが咲いている。

いったいどういう名前の由来があるのか調べたら、快童丸とは金太郎さんの幼名だそうだ。
もう100年を超す古木だが、毎年、花が咲くころになると、決まってスズメバチがやってくる。
他に椿なども咲いているのだが、この花には何かスズメバチを引き付けるものがあるのだろう。
この時も5、6匹のスズメバチが飛んで来ていた。


山椒の実は、赤く鮮やかな色になる。まもなく実がはぜて黒い種を散らす。
そのころになると葉も黄色く紅葉する。


柿は、せっせと食べないともったいない。
小鳥にも分けてあげるが、土日に雨が降るとこまる。
一番家に近い柿の木へダッシュで行って、とりあえず2,3日分を取って来る。
次郎柿はジャンボサイズなので、こんな時は効率がよい。


欲張って取っても、日にちが経つと風味も歯ざわりも悪くなる。
やはり取りたてが一番だ。


私の家の禅寺丸は一度切ってしまったので、小ぶりな実がさらに小ぶりになっている。



サンザンカの快童丸の隣りの柿は、禅寺丸と富有柿の雑種と思われる。
(両方の特徴を持っている)


何しろ昔は、品種の管理も適当だ。
勝手に生えてきたのをそのまま大きくしてしまったのだろう。


二十歳の原点 高野悦子

2017-10-15 14:25:01 | 本、作家
二十歳の原点は、彼女が二十歳の誕生日を迎えた1969年の1月から、自ら命を絶つことになった半年後の6月まで書き続けた日記である。

当時この手の本としては異例の大ベストセラーとなった。
個人の日記ではあるが、背景にある学園紛争の時代と、誰もが抱く青春の悩みがつづられており、多くの若者の共感を呼んだのだろう。
彼女は大学で山のクラブに入っていたが、環境が少し自分とも似ていたので
自分も二十歳ぐらいの時に読んだ記憶がある。

特に表紙にもなっている

旅に出よう 
テントとシュラフの入ったザックをしょい 
ポケットには一箱の煙草と笛をもち
旅に出よう

出発の日は雨がよい
霧のようにやわらかい春の雨の日がよい
萌え出でた若芽がしっとりとぬれながら
・・・・・・
に始まる最後の日記に書かれていた詩は印象的で、同じ青春を生きるものとして、ため息がでるような切なさであった。
特に「出発の日は雨がよい」という彼女の感性には痺れた。

彼女は美人で、しかも聡明な女性で、はたから見れば羨ましいような大学生に見える。
今とは違う時代背景だが、彼女の感じた孤独は、形を変えて今でも普通に起こりうることだろう。
いつの時代でもまじめに生きるということは、時につらい。

おじさんが読むような本ではないが、若者には推奨する。

横浜橋商店街へキムチを買いに行く

2017-10-14 22:22:22 | 横浜散歩
横浜橋商店街は横浜一のキムチ激戦区だ。
ほんと言うとよく知らなかった。
この間歩いてみて気が付いた。
美味しそうなので帰りにチャンジャ(鱈の胃袋のキムチ)を買ったが
やはり美味しかった。

それで、今日は、わざわざキムチ目的で行ってきた。
今日買ったのは
「福美高麗人参産業」白菜のキムチ(前回はチャンジャ)
「美味しいキムチ」チャンジャ
「南山家」チャンジャ
「木浦家」梅干しのキムチ
まだまだお店は沢山あるが、一度に買うのはこのぐらいだろう。

キムチと言っても種類が多い、
どこの店で、何を買うべきか、まだよくわからない。
今後もチャレンジを続けて行きたいと思う。

商店街で福引があった。
こんな定番お楽しみもよい



目黒駅から目黒川を海へ向かって歩く

2017-10-11 22:48:09 | 東京散歩
江戸三大大火の一つ目黒行人坂大火は、大圓寺が火元と言われている。多くの石仏があるのもこの火事の犠牲者を弔うためだとか。


権之助坂の権之助さんは、
急坂である行人坂に難儀している地元の人達を見かねて、近くに緩やかな坂道の私道(権之助坂)を勝手に造ってしまったことをお上に咎められたとも、はたまた年貢に苦しむ農民のため年貢減免をお役人へ訴え出たことが原因とも言われているようだが、何れにせよ地元のためにお上に処刑されてしまった人だそうで、ちょっと悲しい名前の由来だ。

ニャハな目黒エンペラーは今も健在だ


今日は池上線が乗り放題の日



東京はスゴイ
ビルのデザインも凝っている。
なにより、ドデカイ
未来都市みたいだ。





沢庵和尚に賀茂真淵さんのお墓は、東海道本線に京浜東北線と横須賀線、東海道新幹線、山手線という日本有数の路線に囲まれたマニアな一角にある。
 



旧東海道を渡り



目黒川の河口へ


天王洲アイルの駅から東京テレポートの駅へは地下鉄で移動
この後お台場の宗谷へ向かう


お台場の宗谷へ レインボーブリッジから運河を巡り品川駅へ

2017-10-09 22:19:47 | 東京散歩
昨日に続きお台場へ

今日もお台場の海岸を巡ります。


お台場の宗谷の配置が変わったというので
一路宗谷へ


品川区の潮風公園は海岸部の工事中

道も工事してますね。

波の背の背に 揺られて揺れて
月の潮路の かえり船
霞む故国よ 小島の沖じゃ
夢もわびしく よみがえる
  <by田端義夫>
宗谷の帰り船で何人の日本人が涙したことでしょう。


配置は前と逆向きに。
心配していた塗装も新しく塗り直したようです。

宗谷の姿を見ただけで、背筋がシャンとします。
何だか熱いものがこみあげてくるのは、私だけでしょうか。






帰りはウエストプロムナードから引き返します。

なんだか人だかりが出来ていると思ったら。
ヒャン
美味しそうな都会の誘惑

今日もレインボーブリッジから帰る

きょうはノースルート
東京タワーが海辺近くに見えるのが新鮮な景色






レインボーブリッジを自転車で渡る場合、自転車に下駄を履かせます。


今日の品川駅までの帰りルートは、芝浦運河の遊歩道から、




芝浦西運河へ、と思ったら高浜西運河の所で途切れていた。


しかたないので引き返し、旧海岸通りから品川駅へ



豊洲市場 お台場 レインボーブリッジを歩く

2017-10-09 00:34:07 | 東京散歩
東京テレポート駅から話題の豊洲市場へ向かう
豊洲クリニック♪


豊洲市場前の豊洲ぐるり公園は、運河に沿って延びている。


豊洲市場はまるで研究学園都市のよう。
さすがに広い


帰りは、豊洲市場をぐるりと回って豊洲ぐるり公園に沿って帰ろうと思ったら。
豊洲市場がまだやっていないので、運河沿いのぐるり公園も立ち入り禁止となっていた。


しかたがないので有明コロシアム経由でお台場へ向かう。


お台場海浜公園から第三台場へ


けっこうビーチという感じを出しており、
マリンスポーツや日光浴をしている人も目立つ



第三台場 
蟹もいたよ




少し戻ってレインボーブリッジへ

レインボーブリッジは絶好の展望台
これが無料で通れるというのはありがたい。




第六台場




品川方面





帰りはそのまま品川駅へ


ダイレクトハイキング

2017-10-07 20:51:02 | 日記
今日は家から直接歩き出す。
江戸時代の人たちは、旅へ出るのもいきなり自分の家から歩き出した。
そんな松尾芭蕉のような旅に憧れたこともあったが、今の日本の道は、車道が基本なので主要道は、歩くに適していない。
そこで、見どころがあって安心して歩ける裏道を選んで目的地へたどり着くという方法を考えたことがあった。
そうは言っても、マニアな地元情報と、実際にいろんなルートを歩いてみなければセレクト出来ないので手間がかかる。
いまだに実現していない。

誰かそういうルートガイドを作ってくれないかなと思う。
イメージは、東京から大山参り。伊勢参り。日光東照宮参り。なんていうのがよい。ついでに旅にふさわしいような宿泊場所のガイドも付けてもらいたい。

とりあえず都筑区のせせらぎ公園を歩く。




公園の中にもメインルートと裏ルートがある。


裏ルートになると、人もいないし、オプション性もある。
この公園には、要所要所に裏ルートがある。


だけどこの辺の子供たちは、オプション領域には立ち入っていないようだ。
本来なら、これだけの草原があれば、けもの道ならぬ子供道が縦横に走っているものだ。


公園内の田圃は稲刈りも終わった。






このすぐ近くには独逸学園がある。


息子が小学生の頃、息子の小学校と独逸学園の児童とで日独親善サッカー大会が行われたことがあった。
息子が選手として参加したので付き添いで一度だけ校内へ入ったことがある。

その時聞いたのだが、小学生レベルだと日本の小学生の方が優勢なのだそうだ。
ところが、中学、高校と成長するに従いドイツの生徒にかなわなくなってしまうらしい。




選挙前なので、現在の経済政策を少し考える

2017-10-07 07:14:01 | 日記
アベノミクスで最大の恩恵を受けたのは投資家であった。
なにしろ、政府主導で相場をコントロールしたのだから。
投資家は、先の見える分かりやすい運用で荒稼ぎが出来た。
相場が下落しそうになれば日銀が買い支えてくた。
これほど安心安全な運用はない。企業の内部留保が最大となったのも当然だろう。
富裕層に安倍政権支持者が多いのもうなずける。

しかし、アベノミクスはムリにムリを重ねた政策だった。今後も持続可能な政策ではない。
相場を安定させたのは日銀の資金だし、
コントロールで使った日銀の国債の買い入れもすでに国債発行残高の4割を超えたと聞く。
また、投資信託の買い増しを続けるうち、間接的にではあるが日銀がいつの間にか各企業の大口株主になっているとも聞く。

企業の内部留保の拡大も、本来はその資金を元に次の成長戦略へ投資してくれることを期待したのだろうがそうとはならなかった。
経営者からすれば、利益は本業で稼ぎ出したものではなく、ふところ具合がよくなったからといって、事業計画の先行きが見えないものにお金は出せない。労働者の賃金上昇が鈍いのもそのせいだろう。

金融緩和で生み出された膨大な資金は、国内での運用先を失い、海外への投資へ向かっているとも聞く。
一時の景気浮揚のため、1000兆円を越す赤字国債だけが残ったということにならないことを祈る。

横浜中華街 国慶節 10月1日

2017-10-01 19:45:08 | 横浜散歩
横浜中華街は、少し前まで南京町と呼ばれていた。
イエローマジックオーケストラ(YMO)の細野晴臣さんは
イエローマジックカーニバルという曲の中で
南京町のおかしなあの子と、中華街のことを南京町と呼んでいる。
(もしかしたら神戸の南京町かも知れないが)なんとなく中華街より南京町の方が優しい名前だ。

曲のように、今日は南京町のカーニバルだった。

パレードは14時から
先頭は6頭の獅子
 

お獅子に頭を噛んでもらうと健康になるよ


地元の学校の子達も参加。
  

マダムヤン軍団
     

踊りに太鼓
 

最後は龍舞






南京町のお土産


月餅は、満月を見ながら家族みんなでたべるんだって
月見団子の豪華版のようなものか