日吉駅から矢上川をさかのぼる。
途中きまぐれに江川せせらぎ遊歩道を歩いた。
せせらぎなので村の小川の雰囲気だ。
人工的な流れではあるが、いこいの散歩道といったところ。
小さなお子さんとお母さん、お年寄りの散歩(自分もか?)
流れの上に遊歩道が作られていたり、途中で遊具が現れたりでいろいろ変化を付けている。
手がとどきそうなところを、鴨ちゃんが優雅に泳いでいる。
梅の花の香を吸い込むとめまいがしそうなくらい刺激的。
桜もちらほら咲きだした。
さすが川崎市は、お金持ちだなあ。
横浜市は貧乏だ。
ボーと歩いているといろいろなことを思い出す。
亡くなったH先輩のことを思い出した。
ゼミの先輩だったが、私と同じように登山系のクラブに入っていた。
そのHさんは、就職活動でみごと地方公務員の上級職に合格した。
学内の情報誌にも、「私はこうして地方公務員上級職に合格しました」的な記事が顔写真入りで掲載され、H先輩すごいなあと感心した。(今でもその小冊子は手元ある。)
最後にお会いしたのは卒業間近の1月ごろ、「君は○○クラブだったよね、僕はG山の会なんだ。これから富士山へセックン(雪上訓練のこと)に行くところなんだ。じゃあね」
という会話だった。
どういうわけかよく覚えている。
それから2年ほど過ぎた年末のことだった。「K市役所山岳会、穂高で遭難」とテレビのニュースが伝えた。いやな予感がした。K市役所は先輩が就職した職場だった。
現場では今も遭難者の救出作業が行われているとのことだったが、複数の死傷者が出ているとの報道だった。アナウンサーが「死亡が確認されたのは・・・・」
まっ先に名前があがったのがHさんだった。
ショックだった。
原因は表層雪崩だった。
やはりクラブのOBだったNさん
クラブの夏合宿で青森の白神山地へ行ったときのこと。
夜行列車で弘前駅に着くと、駅から登山口の暗門川の入口まで、地元青森出身のOBであるNさんがランドクルーザーで送ってくれた。
私との接点はそれだけだったが。
地元、弘前の山岳会に入っていたNさんは、この後すぐに山岳会の登山に参加し、南アルプスの甲斐駒が岳直下のルンゼで、疲労凍死で亡くなられた。
まだ若いOBだった。
お二人とも運命としか言いようのない突然の死だった。
そんなことを思いながら、私はなんだかんだで60過ぎまで生きて来たなあ~とボーッと考えた。