とうちゃんのぷらぷら日記

アウトドア系の日記及びうんちく

江川せせらぎ遊歩道を歩きながら昔を振り返る

2022-02-26 22:07:31 | 独り言


日吉駅から矢上川をさかのぼる。
途中きまぐれに江川せせらぎ遊歩道を歩いた。
せせらぎなので村の小川の雰囲気だ。


人工的な流れではあるが、いこいの散歩道といったところ。
小さなお子さんとお母さん、お年寄りの散歩(自分もか?)

流れの上に遊歩道が作られていたり、途中で遊具が現れたりでいろいろ変化を付けている。
手がとどきそうなところを、鴨ちゃんが優雅に泳いでいる。
梅の花の香を吸い込むとめまいがしそうなくらい刺激的。

桜もちらほら咲きだした。
さすが川崎市は、お金持ちだなあ。
横浜市は貧乏だ。

ボーと歩いているといろいろなことを思い出す。

亡くなったH先輩のことを思い出した。
ゼミの先輩だったが、私と同じように登山系のクラブに入っていた。
そのHさんは、就職活動でみごと地方公務員の上級職に合格した。
学内の情報誌にも、「私はこうして地方公務員上級職に合格しました」的な記事が顔写真入りで掲載され、H先輩すごいなあと感心した。(今でもその小冊子は手元ある。)
最後にお会いしたのは卒業間近の1月ごろ、「君は○○クラブだったよね、僕はG山の会なんだ。これから富士山へセックン(雪上訓練のこと)に行くところなんだ。じゃあね」
という会話だった。
どういうわけかよく覚えている。

それから2年ほど過ぎた年末のことだった。「K市役所山岳会、穂高で遭難」とテレビのニュースが伝えた。いやな予感がした。K市役所は先輩が就職した職場だった。
現場では今も遭難者の救出作業が行われているとのことだったが、複数の死傷者が出ているとの報道だった。アナウンサーが「死亡が確認されたのは・・・・」
まっ先に名前があがったのがHさんだった。
ショックだった。
原因は表層雪崩だった。

やはりクラブのOBだったNさん
クラブの夏合宿で青森の白神山地へ行ったときのこと。
夜行列車で弘前駅に着くと、駅から登山口の暗門川の入口まで、地元青森出身のOBであるNさんがランドクルーザーで送ってくれた。
私との接点はそれだけだったが。

地元、弘前の山岳会に入っていたNさんは、この後すぐに山岳会の登山に参加し、南アルプスの甲斐駒が岳直下のルンゼで、疲労凍死で亡くなられた。
まだ若いOBだった。
お二人とも運命としか言いようのない突然の死だった。
そんなことを思いながら、私はなんだかんだで60過ぎまで生きて来たなあ~とボーッと考えた。


ウクライナ侵攻 個人的感想

2022-02-26 20:01:04 | 主張 感想



かつて226事件のあった今日、世界の動きも不穏だ。
21世紀の今日に、あからさまな侵略戦争を起こす大国があるというのは衝撃だった。

普通、戦争を始めるには大義が必要なのだが。
戦前の日本のように、事件を捏造して戦争を始めるやり方もあるが、
特段の落ち度もなく、普通に存在している国に対し、一方的に戦いを仕掛けるのは、もはや世界の倫理が許さないだろう。

ロシアにとってウクライナが重要地域であるのは分かるが、武力で解決しようとする政治選択には、プーチン政権の力量の低下を示しているのではと感じる。
自国民でさえ支持しないのではないだろうか。

これまで政権維持のためには政敵を抹殺することも辞さなかったプーチン氏だが、他国の政府であってもその延長線上にあるとの判断なのか。

戦争を避けるために、ウクライナの選択肢には何があったのか。
ロシアのシナリオには、他に何があったのか。
何れにしても戦争はすでに起きてしまっている。
それはすぐさま世界を巻き込んだ危機になっているのである。

話は飛躍するが、武力紛争は地球温暖化と同じに、人類が解決しなければならない21世紀の最重要課題である。

中国、アメリカ、ロシアは、帝国主義とも言えるあからさまな覇権主義国家であるが、
今後、排他的な関係を作り出している国家や軍事同盟、経済圏といった世界のありかたを、ITの力でもっとゆるやかでおだやかな繋がりに変えていくことは出来ないものかと思う。


S先生の版画をネットで見る

2022-02-23 21:48:12 | 昔の話
S先生は小学校の時に習った先生。
6年生の時に習ったわけではないので、卒業してからはお会いする機会がない。
若くてハンサムで教育熱心。
大変人気な先生だった。

先生は版画という、少し珍しい趣味を持っていた。
近所の風景、擬人化した動物、木の葉をモチーフにした版画などを好んで彫っていた。

最近、先生の名前を検索すると、ヒットすることを知った。
先生の作品がネットで見られるのでオオと思い、たまにみている。

版画の絵本を出版されたこともあったようだ。
個展も開かれているようだ。
SNSで去年のコメントもあるので、今もお元気なようだ。

その先生に憧れたかは知らないが、同級生で小学校の先生になった者がいる。
それで昔、先生たちの研究会でS先生とお会いする機会があったと言っていた。
先生は各校の校長先生を歴任され、最後は国立大付属の小学校の校長先生や
大学の非常勤講師のようなこともされていたようだ。

ネットで見られる版画には、動物をモチーフにしたものがある。
その動物の表情を見ているとS先生を感じる。
いっそう懐かしい。


有馬古墳を見に行く

2022-02-20 17:51:20 | 横浜散歩

東有馬5丁目にある有馬古墳を見に行く。
それだけでは物足りないので、東山田から北山田、すみれが丘、牛久保、あざみ野駅へと横浜と川崎の境の稜線を歩いた。
このへんはすっかり港北ニュータウンなので、あまり昔の雰囲気はない。
有馬古墳も唐突に現れる。

説明書きもなにもない、小高い丘の上に伏見稲荷の祠がポツンとあるのが目印。

隣りはたぬき公園。

牛久保に入ると公園のような立派な植木屋さんがある。




そのままあざみのの駅まで歩く。
駅近くに大正堂家具センターがある。

神奈川県の老舗家具屋さんだ。
昔、綱島にも支店があった。
「ドカッとデッカイ家具センター♪ 大正堂家具センター♪」
というテレビコマーシャルもやっていた。
私の机と椅子は綱島の大正堂で買ったものだ。

大塚家具さんはとうとうヤマダ電機に吸収されて消滅してしまうようだ。
2代目社長さんは、あまり家具屋さんの仕事を理解していなかったようだ。
古くからある商売というものは、それぞれの会社がなんらかの強みをもっているものだ。
だからこそ今まで存続できていたはずで、それを活かした上での変革でなければたちまち同業者にシェアを奪われてしまう。(むろんまったく新しい方式を考え出して経営するというのなら別だが、それでも相当なハイリスクになることは間違いない。)
なんの商売でも傍から見るより難しいもので・・・・


昔の地図で見る武蔵小杉周辺

2022-02-19 20:06:20 | 近所の旅
先週行った大田区立郷土博物館に昭和7年発行の田園調布の地図が展示されていた。


大田区だけでなく川崎側も載っている。
特に注目したのが武蔵小杉周辺。

南武線や東横線(地図には横浜電鉄と表記されている)が開通している。
違和感があるのは武蔵小杉の駅が「グランド前」という駅名になっていることだ。そして新丸子の駅から多摩川沿いに引き込み線が北西へ延びている。

武蔵小杉駅は現在の小杉御殿町の交差点のあたりになっている。すぐ北には田圃の中にぽつんと大西学園がある。今の武蔵小杉駅近くには名前のとおり第一生命のグランドと横浜正金銀行のグランド?がある。だからグランド前だ。
街の中心は旧中原街道沿いだったことがわかる。
驚きなのは中原街道が多摩川を渉る所。
橋がない。渡し舟だ。
船で多摩川を渉ると沼部の駅から桜坂を登る。そして今の中原街道へつながるようだ。
なるほどこういうルートだったのかとイメージが湧く。

昭和7年では自動車はまだほとんど走っていなかったということなのだろう。
第一生命グランドのすぐ北は自動車練習場となっているので、そういう歴史が始まる分岐点の時代であったのだろう。

ところで地図の中で特に目を引くのは北北西から南南東へ流れる二ヶ領用水の流れだ。
回りは田圃だらけ、どれだけこの用水路が重要であったのかがわかる。

網の目のように張り巡らされた水路網は、農村地帯であった当時の川崎の生命線ともいえる施設だ。着工は1597年なので、おどろくなかれ、関ケ原の合戦前まで遡る。完成したのが1611年。その後も補修改良工事を重ねて現代に至るという、途方もない歴史をもつ施設だ。

溝の口先にある久地円筒分水(昭和16年完成)

(地域に公平に水を分けるため最新の技術を駆使して完成させた。)

先人達の努力を思うと涙なしには見られない。





鬱勃たるパトスの頭山満「頭山満伝」

2022-02-13 19:16:15 | 本、作家

私が知っている戦前の右翼の大物と目される人物は、
言論界では徳冨蘇峰、学者では大川周明、
オールラウンドな活動家なら北一輝、
そして精神的支柱としては頭山満。

その程度の知識しかないのだが、
安政2年の生まれで亡くなったのが昭和19年というと、私にとっては、私のひいじい様とほぼ同じ時代を生きた人物ということになる。そんなふうに身近な人間と照らし合わせて考えると、私のひいじいさんがどのような時代を生きていたのか、頭山満の人生に重ねることで、より興味深く読ませてもらった。


今でこそ右翼といえば、街宣車に乗って拡声器で軍歌をがなりたているイメージしかないが(今ではそれももう見なくなって久しい)反社会的勢力と同一視されてしまっているような感じもある。
頭山満は、幕末の志士の生き残りで、国を憂い、植民地と化したアジアを再びアジア民族の元にとり戻そうとした人物だ。
正式な政治家でないという所も面白い。特異な立ち位置で政治活動を行った。
熱血漢で行動派だが、表舞台に立とうとしなかった。
関わる人の心をわしづかみにする人間力を備えていたことは確かだろう。
西郷隆盛を尊敬していたというのもその一端の現われなのかもしれない。

彼の周りには、板垣退助や犬養毅、広田弘毅や中野正剛と言った本式の政治家が集い、アジア諸国の志士、朝鮮の金玉均・中国の孫文・蒋介石・インドのラス・ビハリ・ボースなどその国の偉人たちと交流し、心の深い所で信頼されていたようだ。それも彼が正規の国の代表者ではななかったことが関係しているのかも知れない。

それにしても蒋介石と頭山満の会談が実現し日中戦争が終結していたらと思うと残念でならない。

頼朝の名馬 生喰(いけずき)と 磨墨(するすみ)大田区洗足池、馬込あたり

2022-02-12 18:12:17 | 東京散歩
秦の始皇帝は、優秀な騎馬軍団を用いて中国初の皇帝となった。

漢の武帝が西域を攻略した目的は、大苑の汗血馬を得るためだったとも言われている。

武帝の漢詩

西域天馬歌
天馬来る  西極よりす
万里を経て 有徳に帰す
霊威を承りて 外国を降す
流沙を渉りて 四夷服す

関羽雲長は天下無双の武将であったが、赤兎馬という名馬を手に入れたことから、鬼に金棒的な活躍ができたと三國志は記している。

かように古代における馬の威力は絶大であった。
と、前置きが長いが

先々週、頼朝所有の名馬生喰(いけずき)のことで港北区鳥山の馬頭観音を訪れた。
生喰を輩出した地は、ここがそうなのだという所がいろいろ伝わるようだが、名馬を生んだ産地ともなれば、その地の馬の商品価値が高くなるので、われもわれもとなったのだろう。その中でもわりと本当っぽいのが、大田区のあたりだ。
伝承地である洗足池へ行ってきた。



立派な像もある。名前も池月で、洗足池らしい当て字になっている。


ところで、頼朝の御料馬で1番は生喰だが2番目とされたのは磨墨(するすみ)という馬であり、宇治川の戦いで佐々木高綱と先陣争いをした梶原 景季が賜ったとされている。
やはり磨墨もこの地の馬込と関係があると伝わるようだ。

馬込の磨墨塚(南馬込3-18-21)


梶原景時が開基と伝わる萬福寺(南馬込1-49-1)
梶原景時の墓

磨墨(するすみ)像

近くには源氏と関わりの深い旗岡八幡宮(旗の台3-6-12)がある。

源頼信(頼朝のご先祖様)が平忠常の乱平定のため下総へ赴く際にこの地に宿営し、源氏の氏神である八幡宮を祭り、戦勝祈願したとされる。
頼朝にとっては縁起ものの神社なので、この地の名馬を自分用の馬としたというのも、つじつまが合う。


佐奈田義忠と證菩提寺(横浜市栄区上郷町)

2022-02-06 08:50:17 | 横浜散歩
先週「鎌倉殿の13人」を観た。
歴史好きの三谷幸喜さんなので少し気になっていた。
ちょうど頼朝の挙兵のところだった。
地元有力豪族に平家打倒を打診したが、味方が圧倒的に少ない。
しかも、はせ参じた武士は老人ばかりという絶望的な展開。

先週ブログに書いた佐々木秀義もテレビに登場した。
歯が抜けた老将として頼朝とのやりとりをコミカルに演出する。
三浦一族の岡崎義実も登場。
頼朝から、「よく来てくれた、このことはだれにも漏らさないでほしいが、実はわたしは汝だけを頼りにしている」との言葉をかけられる。頼朝は同じようなことを何人にも言っていたようだが、実際、彼らの後の活躍を考えるとその通りとも思える。

岡崎義実の嫡男の佐奈田義忠は、石橋山の合戦で頼朝から先陣をたまわった。義忠は、死を覚悟して戦い、華々しい討ち死にを遂げる。この後義忠は、様々な逸話や伝説となり名を残し、鎌倉武士の誉と讃えられた。

ところで佐奈田義忠は討ち死にしたのでしかたがないが、当時の三浦一族には長命な武将が多い。父親の岡崎義実は89歳まで生きたし、その兄の三浦義明は、討ち死にとは言え同じく89歳、その息子で、後に鎌倉幕府の重鎮となる三浦義澄も74歳。
一族のDNAのせいなのかもしれないが不思議だ。
佐々木秀義も流れ矢が当たって亡くなったとされているが73歳と高齢だった。
鎌倉武士の生活様式が長生きに適していたのかもしれない。

それで、岡崎義実と息子佐奈田義忠の菩提寺である證菩提寺(横浜市栄区上郷町1864)へ行ってみた。港南台駅から歩く。

いたち川を渡るとすぐ證菩提寺(ショウボダイジ)がある。




義実たちの五輪塔は裏の丘の途中にある。

雑然としているがたぶんこれらなのだろう。


いたち川沿いの遊歩道を歩いて大船駅へ向かった。



スタグフレーションと機能不全の組織

2022-02-05 19:49:09 | 主張 感想
いよいよスタグフレーションが顕在化してきた。
そうではないとの意見もあるようだが、少なくとも外見上はそうなっている。
エネルギーなど原材料の高騰ではもう避けようがない。
原因はウクライナ危機とコロナウイルスの感染拡大、それに世界的な金融緩和からの反転、特にアメリカの利上げがここにきて顕著となってきていることだと思われるが、
日本にとっては特に逆風だ。途上国はもっと苦しいだろう。

アメリカでは賃金の上昇傾向が続いているようだが、日本ではそうなっていない。悪いインフレだ。立ち直りは緩やかとなりそうで当分この傾向は続くだろう。

アベノミクスのあぶく銭も今回はもう期待できない。
今儲かっているのは、一部の商社や海運大手などの少数派。
8年あまりのアベノミクスの間、日本の産業の構造改革はあまり進展がなかった。
経営の形骸化、トップへの忖度が露骨になる日本企業の経営のありかた。
総じて組織としての力は弱まるばかりだ。東芝、日産、オリンパス。上場企業のコーポレートガバナンスがあやうい。

つい先だっても、東証1部上場企業のグレイステクノロジーが不正経理で上場廃止に追い込まれた。売上の半分が不正計上であったというのだから目も当てられない。しかも上場前から代表取締役主導で行っていたというのだからあきれてしまう。なぜ、どうして?そんな企業が上場できるのか、経営者の責任は当然としても、監査法人や、東京証券取引所にも致命的な欠陥があるのではと思えてしまう。
一事が万事。これは日本国の信用問題でもあり、もはや構造的な社会問題となっているのではないかと思えてしまう。