とうちゃんのぷらぷら日記

アウトドア系の日記及びうんちく

田浦梅林から乳頭山

2016-02-27 18:47:03 | 三浦半島ハイキング
明日は東京マラソンだそうだ。
東京マラソンに出られるわけはないが、
血圧が高い自分は、
医者から、出来るだけ歩くようにと言われているので、
今日も三浦半島を歩くことにした。

田浦駅から歩くと、あの歌を口ずさむ

♪ああ、あなたがいれば
走っていける
つらくはないわ
この東京マラソン
(内山田洋とクールファイブ)

田浦梅林は昭和9年に植樹したとあるから、意外と歴史のある梅林だ。
自分は最近の梅林なのかと思っていた。
京急の線路のすぐ裏から梅林が始まる。


急な尾根上に梅の木が植えられているので、ハイキング気分で登っていく。

梅林の下には水仙が植えられている。
一重の水仙の花は終わっていたが、八重咲のものはこれからのようだ。


一番高いところには展望台もあり、一帯は広い芝生の広場となっている。
遊具などもあり、家族連れでも楽しそうだ。


梅の木は見事な花付きとは、言えないが
梅の実もきちんと利用しているようなので、しかたがないだろう。

白梅が中心で、紅梅はわずかだ。

高速を渡る歩道橋から、乳頭山を往復した。




ろばのお花屋さんに会った

2016-02-27 15:45:24 | 独り言
中目黒の駅前にろばがいた。
え、なんでこんな所にろばが。
自分の目を疑った。
ろばといっしょにいるのは
サンチョパンサか
いやいや髭のおじさんだ。
ろばの背中には
左右に振り分けられた木製プランターの中にバラの花束が入ってた。
どうも花屋さんみたいだ。

帰ってネットで調べたら、
花売りロバのローザちゃんというんだそうだ。
恵比寿や代官山のあたりに出没しているらしい。

お酒を飲んだ帰りなんかにあの顔を見たら
おじさんがみんな買ってあげるから
早くお家へ帰ってお休み、と言ってしまいそうだ。


国立新美術館へ関根正二の「信仰の悲しみ」を見に行く

2016-02-20 19:50:22 | 音楽 美術
今日の天気は、どんどん悪くなっていくというので、
なにかインドア系で気の利いたことはないかと、ネットを捜してみた。
一件引っ掛かったのが、六本木の国立新美術館に関根正二の「信仰の悲しみ」が来ているという情報。(大原美術館コレクションの特別展だ)

信仰の悲しみは、前々からぜひ本物を見たいと思っていた。
今日はそんなわけで、ピーポイント目的で出かけた。

国立新美術館はサントリー美術館と違い、六本木の駅から地上を少し歩く。
天気はどうかと思ったが、まあまあ普通の雨ですんだ。

美術館は広く、今日は都内の美大の展覧会も開かれていた。
大原美術館展に入り、まず目にするのは、エル・グレコの受胎告知だが、
横目でちらと見ただけでスルー。ここまで来て太っ腹。
古代美術コーナーもスルー
続いて現れるゴーギャンやモネ、マティス、ルノワール、セザンヌ、ドガ、マネ、キリコといった、どうだまいったか、すごいだろ作家群も横目で確認しただけで、また今度ね、バイバイとスルー。

その次のコーナーからが今日の目的。
佐伯祐三の「広告“ヴェルダン”」、中村彝の「頭蓋骨を持てる自画像」から

そしていよいよ、「信仰の悲しみ」となり、隣には「Nの家族」が並んでいる。
そして、どちらの絵もいつの間にか重要文化財になっていた。

絵の大きさは二つとも同じくらい。
信仰の悲しみには、独特の雰囲気があり、一度見たら忘れられない。

物憂い背景と花を携えた女性達の列、女性の髪も印象的だ。鎮魂の絵画なのだろうか。
今日本物を見て、20歳の青年の描いた絵だということが、なんとなく納得できた。
出来ればもう少し大きめなキャンバスに描いていたら、きっともっと偉大な絵になっていたことだろう。
(女性が手にしているのは果実だそうだ)


向かいの絵は藤田嗣治の「舞踏会の前」
こちらは、如何にもなプロの絵である。

次のコーナーには棟方志功の「二菩薩釈迦十大弟子」がある。
横一列に並べても、空間にゆとりがあるので、さすがの迫力となっている。
これだけでも、十分来た甲斐がある。

このへんが、自分にとっての、今日のぴかいちコーナーだった。


東横線の青ガエル電車が九州の熊本電鉄で現役引退となる

2016-02-14 17:07:05 | 昔の話
東横線を走っていた青ガエル電車が、
今日、熊本の熊本電鉄で、とうとう本当に引退となったそうだ。

まだ走っているとは知らなかった。

私が、生まれて初めて乗った電車が、おそらくこの青ガエルだと思う。
それくらい古い。

昔の本を探し出したら、こんなのがあった。


小学校で使った副教材だ。
新幹線の下を走っているのが青ガエル

青ガエルがこれまでの港北区の象徴で、
新幹線が未来にはばたくこれからの港北区の象徴なのだろう。

当時の港北区の地図は、こちら(昭和42年当時は、緑区も、青葉区も、都筑区も、まだない)


本の前書きで、当時の港北区の人口が20万人を超えたことを誇っている。
まだまだのどかなものだ。

というように、私にとって東横線のアオガエル電車は特別なものだっだ。(ミドリムシとも言っていた)

馬込文士村を歩く

2016-02-13 19:53:59 | 東京散歩
先月、池上本門寺に行ったついでに、馬込の辺りを歩いたら面白そうだったので、あらためてやってきた。

馬込というのは、坂が多くて、平坦な場所がない。
西馬込の駅から歩くと、第二京浜も坂になっている。

始めに大田区郷土博物館へ向かう。

博物館の馬込文士のコーナーは意外に見ごたえがあった。

自筆原稿や書簡、初版本、本人に関する写真などを展示しているが、
作家ごとのブースになっているので、のぞき込むと、リアルな作家の日常に触れたような気になる。




「どんな時にでも 最後の瞬間まで 生きる気力を 失くさない人が 
 私は好きなのです」宇野千代

うーんこの作家らしい言葉

だれも来ないので、心置きなく見ていられるのもよい。

他にも、昭和の生活道具のコーナーや(このぐらいの年代ものは、リアルに自分が小さいころに使っていた)


大森の養殖のりのコーナーもある。(私の大叔母の一人は、大森ののり漁師だった)
親近感がわく。


この辺は独特の雰囲気がある
一つは、農村のなごりで、
それとわかる農家や農道が、あちこちに残っている。


もう一つは、ランダムに現れる町工場
大田区の面目躍如といった感じで、この部分は下町の風情だ。

もう一つは文士に代表される、瀟洒なモダン住宅だ。
戦前の東京の品の良い郊外の住宅街が残っている。
 


葉山アルプス 田浦駅から乳頭山 観音塚 仙元山 森戸海岸

2016-02-11 22:45:48 | 三浦半島ハイキング
葉山アルプスから江の島
<コース>
田浦駅ーホタルの里ー乳頭山ー茅塚ー大櫻ー観音塚ー仙元山ー葉山森戸海岸ー逗子

田浦駅前の大通りを右へ折れ進みます。
トンネルを抜け、横須賀線のガードをくぐると、右へ曲がり、田浦梅の里方面へ。
梅の里へは、途中左の道を進みますが、私はそのまま川沿いの道を進みます。
ほどなく、ホタルの里へ到着。
この先の白赤稲荷大社への参道から登り始めます。


白赤稲荷大社は、信仰の厚い神社と見えて、京都の伏見稲荷のように、沢山の奉納鳥居があります。
さて、今日のコースは、2万5千分の一の地図のルートを進む予定です。お参りしたあと元の道を少し戻り、左の道から乳頭山を目指します。

途中の伐採地の切り株。

年輪を数えたら私と同じくらいの歳でした。
「ナンマンダブ、ナンマンダブ」

乳頭山到着


このあたりは、ヤブ椿が多く、椿のトンネルをくぐりながら進みます。

乳頭山を振り返る

茅塚でお弁当 正面に富士山が見えました。

乳頭山から観音塚へ向かう道には、篠竹の密生した所があります。

私にとっては、昔懐かしいロケーションの道です。
(私の家の近くにも、かつてはこのような場所がいくつもあり、子供たちの格好の遊び場になっていました。)
地味ながら、里山の雰囲気の溢れたルートです。

観音塚到着


この後も黙々と歩きます。まあまあ人通りもありますので、狭い道での交差がけっこう大変です。

途中クリーンセンターの近くあたりから突然道が広くなります。
大山方面へ向かう道を登り返した189m峰の西側は伐採されていて、展望台となっています。
長者ヶ崎方面



仙元山到着 富士山が見えればなかなかの展望台となるでしょう。


森戸海岸到着
ヨットと江の島


このまま新逗子駅まで歩き、本日は終了。

我が家の家業

2016-02-06 23:41:03 | 昔の話
給水塔(ポンプで地下水をくみ上げ、水圧のみで鶏舎へ配水していた)高さ4m

我が家の家業は養鶏業であった。
そうは言っても、息子たちは自覚していないようなので書いておく。
両親が高齢となり廃業したが、それまでは専業農家として養鶏場を営んでいた。
我が家は、不動産収入のある農家とは異なり、農業のみで勝負していたガチンコ農家だった。
畜産業は、生き物が相手なので、365日休みがない。
最盛期には朝の7時から、夜の11時ごろまで働いていた。
鶏のエサやりから、採卵、出荷準備、配達まで、すべて家族労働だった。

現在では、ほとんどの養鶏場が企業経営となっており、(上場企業も経営している)
個人の養鶏場の出る幕はほとんどない。

父親は、技術にこだわる人間だったので、いろいろ研究して鶏を育てていた。
鶏の餌も、単純に配合飼料をそのまま与えるやり方ではなかった。

細かいところまで言うと大変なので、
ざっとのところを説明しておく。

鶏の餌づくりの工程1.
まず始めに鉄の鋳物で出来た大釜で大量の湯を沸かす。(かまどで沸かした)その中に、一袋20キロのトウモロコシの飼料や、一袋30キロのふすまなどを次々に投入していく。さらに細かく裁断した燕麦や菜っ葉を入れて、ぐらぐらと煮詰めていく。 


大釜(横幅1.4m深さ0.65m)

工程2
これを、トウモロコシの粉やふすま、魚粕、牡蠣殻など、各種調合した飼料を予め敷き詰めておいた長さ6mほどの縦長の箱の中に、スコップで均等に載せていく。

工程3
かくはん機という、くじらのあばら骨のような鉄の棒がグルグル回る機械を動かし、餌をかき混ぜる。箱の両サイドには専用のレールがあり、かくはん機は、レールの上を自走し2往復ぐらいで、煮込みのエサと配合飼料がきれいに混ざり合う。
出来立ての餌からは湯気が出ていた。

ここからは餌やりの工程
工程1
出来上がった餌を、鳥小屋まで運ぶのに、魚市場で使うトロ箱のようなヒノキで出来た四角い箱を使っていた。スコップで箱に餌を入れ、リヤカーで運ぶ。量があるので、2回に分けて運んでいた。
縦長の鶏舎が何列も並んでおり、各ゲートに2箱づつ、餌箱を下していく。

工程2
各ゲートの餌箱の餌を、給仕機と呼ばれる自走する餌箱に移し替える。
手やりでは縦に長い鶏舎の鶏に均等に餌を配膳するのは不可能だ。そこで、ある一定の長さの餌箱をゆっくり動かしながら食べさせる。これだと鶏も均一に餌が食べられるし、人間も楽だ。

ここまで書いて、少し疲れてきた。

餌は、午前と夕方の2回与える。

餌作りの工程はちょっとした町工場のようだった。
各種の機械やローテクを駆使して作業が行われるが、基本的にすべての管理は自分たちが行う。機械はむろん専門業者に発注したものだが、メンテナンスはすべて自分たちが行っていた。
父は、土木、電気系統の知識に精通していた。

かんじんな卵だが、やはり手間をかけただけのことはあったと思う。

廃業してから、生まれて初めて市販の卵を買ってきたときのことだ。
驚いた。
自分の思っていた卵のイメージと違っていた。

失って初めてありがたさに気づくのは世の常だろうか。


ラマンチャの男のレコード

2016-02-06 16:25:31 | 音楽 美術
高校生のころに買ったLPレコードは、ほんの数枚程度しかなく、
もちろんお金がなかったし、買うときにはよくよく考えて買っていたはずだ。

買ったのは、吉田拓郎、山本コータローとウイークエンド、イルカさん、などフォークソングが3、4枚、クラッシックではドボルザークの新世界(指揮クーベリック)、映画音楽では「八十日間世界一周」とこの「ラマンチャの男」なのだ。

特にラマンチャの男は気にいっていた。
高校生にしては渋いセンスだ。


名曲ぞろいな上に、役者さん達の歌唱力がすばらしい。(香り立つような個性的な歌声だ)
まさにミュージカルだ。
今でも聴くと、感動する。
あまり感動したから、当時、原本であるセルバンテスのドン・キホーテも読もうとしたが
こちらは、いささか捉えどころのない物語で、半分くらい読んで挫折した。


松本幸四郎さんのラマンチャの男も、きっとすばらしいのだろう。
機会があれば見たいものだ。