とうちゃんのぷらぷら日記

アウトドア系の日記及びうんちく

スーパージェッターの世界がやってくる

2024-07-07 20:27:36 | 日記
流星号応答せよ、流星号
来たな、よーし行こう

未来の国からやってきた、知恵と力と勇気の子♪
進めジェッター
この頃の車を見ているとジェッターの世界がもうすぐかと思わせる。

最近のIT化はすごい。
車の鍵はなくなるし、スマートフォンで起動できるというのも不気味だ。
センサーだらけの車は、どう扱えばよいのか前世紀のおじさんは戸惑うばかり。

私がはじめて運転(教習所以外の車で)したのはマツダのファミリア
当然マニュアル車、パワーステアリングもなかった。
車に対するインプットは、このへんの操作が頭からはなれない。
次の車、フェスティバ(フォード)もマニュアル車だった。

5年ほど前にレンタルで借りたスーパーカブがスマートキーだったのも驚きだった。とうとうスーパーカブまでIT化の波がきたか

家電だってそうだ。
エアコンなんかもスマートフォンで操作できる。
もはや出かける時の消し忘れも心配ない。

まあそういう時代だから、こんど買い替える車もそういうたぐいの車に進化している。
はたして運転できるのか。

おうちでブルーインパルス

2024-06-29 18:47:00 | 日記
家にいて突然ゴーという爆音が鳴り響いた。
戦闘機の音だ。

隣りの部屋にいた娘の所へ行くと、事も無げにブルーインパルスだという。
なんだ、事前に知っていたのか。

それにしても普通知ってれば外に見に行くだろう。
東京オリンピックで見たからもういいんだって。
そうか~。

家の上空を3回ほど行ったり来たりした。



写真は3回目のもの
(たぶん1回目は家の真上だったと思う)



今週のちょっとした異変

2024-05-25 21:34:27 | 日記

電気を消して寝ようとしたら
しばらくして、畳になにかが落ちた音がした。

なんだ、なんだ。
むかでのようなものだとやなので、確認のためもう一度電気をつける。


犯人はコクワガタ。
だけどどこから入って来たのか。
和室はけっこういろいろな虫が入ってくる。
どうしてなのか分からないが、どっかに隙間があるようだ。

過去に勝手におじゃまされたもの、
コメつきバッタ、テントウムシ、カメムシ、ムカデ、ダンゴムシなど。

先週植えたキュウリの苗。

水曜日に見に行ったら、ウリハムシにやられていた。
葉っぱが無残

虫はよく見ている。
仕返しにキンチョールでシュッコロした。

今日見に行ったら、あらたに何匹かやってきていたようで、壊滅的な状態。

おにょれで再度シュッコロしておいた。
キュウリ復活するか?

先週気になったネット記事2024.5.19

2024-05-19 19:08:54 | 日記
<伊藤みどりさん>
54歳伊藤みどりさん、国際大会Vが海外でも話題 スケート愛溢れる演技に「最高」「幸せそう」

国際アダルト・フィギュアスケート選手権で優勝(昨年に続き連覇)
やはり伊藤みどりさんはすごい、
現役時代の独特なすべりを今でも感じさせてくれる。
なんだか感動した。

<現代ビジネス 名取短艇隊>
生存者全員が力を合わせて「不可能を可能に」した…世界海難史上に異彩を放つ「名取短艇隊」帰還の一部始終

前にも書いたが軽巡名取には縁がある。
名取短艇隊の一員で戦後も生き抜いた社長さんを若いころ仕事で担当したことがあるのである。
スリナガオに無事到着した将兵も、その後陸戦隊に組み入れられほとんどの人が戦死されたようなので、あの社長さんはどのようにして生き残ることができたものだろうか。

名取の艦長は、艦と運命を共にされたが、その艦長も我が家と少なからぬ縁のある方だった。
不思議なものだ。


フジコ・ヘミングさん亡くなる

2024-05-05 17:18:48 | 日記
人の心を動かす演奏とは何なのか
一番は、その演奏家が醸し出す楽器の音色にあると思う。
それに加えて演奏家の感性、曲の解釈などが続くが
名人、巨匠に共通するのが、演奏が自然でとげのないマイルドな演奏であることだ。極上の珈琲やウーロン茶のようなものだろうか。

加えてカリスマ性。
この人なら安心して聴ける。
そんな期待をいだかせる演奏家なら
観客の聴く態度も変わるだろう。

フジコ・ヘミングさんが世間に知れたのは60を過ぎてからのようだが、
独特のピアノ音と、豊かな抒情性のある演奏で多くの人の心を捉えた。
テクニックがどうこうというよりも、音楽というものの本質を感じさせてくれるピアニストだった。

私の仕事はじみめで細かい

2024-03-23 21:36:47 | 日記
最近自分の仕事について、ちょこちょことブログに書いている。
本当はそんなことは書かない方がよいのだろうが、
引退まぢかの年寄りなので開き直っている。

私の仕事は一般の人には分かりづらい。
家族も、「うちのおとっつあん会社でなにやっているのか分からない。」という感じだろう。
それでも「こんな仕事でオマンマ食ってきたのだ。」くらいは分かっていてもらいたい気持ちもある。

といってブログに事細かく書くわけにもいかないので、キーワードとなる単語を並べてニュアンスだけでも伝わればと思う。

業界関連法令 告示 会計基準
現在価値分析 VaR分析
リスク管理 市場モニタリング
ネットサービス
顧客サポート

まあ、こんな感じだが、やはりわかりづらいかな?
同じ会社の人間でもほとんど理解してもらえないのが実情なのでしかたがない。
業界にとっても新しい仕事で、自分が立ち上げ自分で管理してきた。
1代目の担当者だ。
新しい仕事というのは時代が要請しているもので、カッコよく言えば最先端の業務だ。
そういう意味では誇っていいのかもしれない。

実務では、多くの説明書、関連法令等を読み下さなければならない。
新たな課題が発生した時は、資料ファイルが山積みになる。
また、複雑なデータ処理を繰り返すので目を酷使する。
当然だが、課題は期限までに必ず解決しなければならない。
ストレスも大きい。

仕事をこなすには、ネコのような頭をフル回転させるので、
本当は60を過ぎたおじさんがやる仕事ではない。
それでも世の中人手不足なので、どうすることも出来ない。
で、最近よくグチもでる。
そうでもしなければやっていけない。



夏の名残のバラと山崎パン

2024-03-19 22:19:14 | 日記
山崎パンの宣伝はズルいと思う
心がもっていかれる名曲をテレビCMで流す

当然どんな時でもおおっと引き込まれる
最近では「夏の名残のバラ」(庭の千草)
ノスタルジーで清楚な曲

懐かしいシーンが目に浮かぶ
ああ
子供のころ給食で食べた

山崎パン
ああ美しい
朝はやっぱりパンだよな~となる

クリスマスには
「The First Noel」(牧人ひつじを)
もう曲が流れただけでキュンキュン

クリスマスケーキ
食べなきゃ
ああ神様
ケーキを食べましょう
世界の皆が幸せでありますように
そして私の家族も・・・

という雰囲気になる
名曲の力は偉大だ

日銀マイナス金利政策解除 個人的感想

2024-03-19 18:36:54 | 日記
マイナス金利政策終了 
無担保コール翌日物を0%~0.1%へ誘導のようだ。
黒田バズーカとも呼ばれた黒田日銀総裁の異次元の金融緩和政策で、2016年1月の政策決定会合でマイナス金利政策が始まった。
翌2月1日から実際にスワップレートがマイナスとなったのは衝撃的だった。
あれから8年、日本には金利がない時代が続いた。
否、その前(2000年ごろ)から0金利政策が続いていて、短期的には解除したりしたが、ほぼ金利がないような時代が続いていた。
長かった。(まだ今後どうなるかは確定していないが)
この間私はリスク管理担当者として市場金利のモニタリングを続けていた。

担当となった当初(今から20年ほど前)市場金利についてもいくらか勉強した。
パーレート、スワップレート、スポットレート、フォワードレート
このように様々な金利の形態が登場し理解に苦しんだ。

金利変動によるリスク量を算出するには、スポットレートを基にディスカウントファクター(DF)を算出し現在価値分析を行う。
それに金利変動(シナリオ金利)に基づく現在価値分析を行い、結果の差額をリスク量とする。

金利が上昇するのはわかるが、下がった場合0%より下がることがあるのか?
当初想像できなかった。
調べると理論的にはあり得るが普通には起きないのではないかと考えていた。
そもそもリスク計算をするシステムに、当初はマイナス金利が入力出来ない仕組みになっていた。

それがあっさり黒田バズーカである。
あわててシステムもマイナス金利に対応できるよう変更した。

金利リスクを計測するのは、自社が保有する金融商品等の資産、負債について金利変動に対する耐性を確認するためだ。(極端な金利リスクを取ると経営を危うくする。)
金利リスクとは、単純に言えば金利が上ったり下がったりする振れ幅により自社で保有する金融商品の価値がどれだけ変化するかということだ。
特に金利上昇局面での事業計画には欠かせない分析だ。

今までは日銀のイールドカーブコントロール(YCC)で長短の金利差がないフラット化が続いていた。
今後ようやく順イールドの形が戻ってくるのか?


いよいよ本格的な春到来 3月17日

2024-03-17 18:17:52 | 日記
今日は春一番のような風が吹いた。

朝のうちは穏やかで、畑で草むしりをしていたら、頭の上のほうからウグイスがホーホケキョと鳴いていた。
う~んなんて平和なんだと感動。

日差しはやや強いが、外で過ごすには最高の季節。

去年はだいぶ畑に雑草がはびこってしまったが、今年は少しでもばん回したい。

桜咲く

これは、おかめ桜といってイギリスの人が作った桜
早咲きなので満開


3月8、9、10日の様子

2024-03-11 19:33:03 | 日記
3月8日金曜日 朝、雪
長靴を履いて会社へ行く


翌9日土曜日 快晴 
少し寒いが極楽


10日 朝
寒すぎだろ


でも野菜の種を買ってくる


さやえんどうはめんどうなのでポット苗を買ってくる


今日の新聞にクーベリックが載っていた

ああなつかし、ボヘミアの指揮者
高校生のころレコードを買って聴いていたので思い入れがある
クラシックファンを増やすには、中学生や高校生にいい演奏を聴かせるのが一番

世の中の動き

2024-03-08 21:31:35 | 日記
岸田政権は風前の支持率低下に見舞われているようだが、
私は意外に政策的には健闘しているのではないかと感じる。

株価の上昇を人参として、人々の関心が貯蓄から投資へと変化しつつあることも意義が大きい。国民の意識を変えるというのは大変なことだ。
鍵はNISAを起点として国民の意識改革に成功しつつあることだ。これは金融教育の必須化とあいまって世の中のデジタル化にも拍車をかけることになろう。
インフレにともない、賃上げも恒常的にできるようになれば諸外国との差も解消する方向となるだろう。
日銀の植田総裁も有能だ。きちんと周りのへの影響を確認しながら慎重に金融正常化に歩みを進めている。

かつて小泉総理は自民党をぶっ壊すと叫んでいたが、実際にはなにも壊れなかった。
ここにきて岸田総理はカルト教団との関係を断ち切り、政治資金の問題や長年の派閥政治の問題を一気に解決しようとしていることは、偶然の時の後押しがあったかもしれないが、この機をのがさず変革に成功すれば、歴史に名を残す総理となろう。

わたしが最終的に望むのは、国民がみな豊かな生活になったという実感の伴う変革であり、かつての一億総中流のように、皆が活力とゆとりある生活が送れる世の中になることだ。


「不適切にもほどがある」昭和は遠くなりにけり2

2024-03-03 22:00:15 | 日記
昭和の時代の小学校の先生の話。
小学校はクラス単位で一人の先生が担当するので、担任の先生によってクラスの雰囲気もずいぶんと変わる。
わたしの小学校時代は昭和40年代のことなので、まだ微妙に戦前をひきずる先生も多かった。
旧満州国生まれの先生もいたし、かなり規律に厳しい先生もいた。

私の5、6年生のころの先生は、いわゆる厳しめタイプの先生で、独自の教育方針を持っていた。
そんな先生独自の教育方針が通用する、何事も曖昧な時代だったのだ。

その先生は課外授業に熱心で、課外授業といっても学校行事ではなく、先生個人が行う授業なのである。一般の授業が終わった放課後に、どういうわけかクラス全員でバレーボールを体育館で行った。それが週に1回ぐらいのペースであった。
原則全員参加。
そのころ中学受験で塾に通う者もいたので塾の者は許されたが、児童は個別に拒否できなかったと思う。

バレーボールの次は合唱や合奏を行った。(むろん音楽の授業以外)
クラス単位で合奏コンクールにも出場した。
当然これまた放課後に行うのである。
むろんクラス単位なので、あまり音楽が得意でない子もいる。
どういうわけかそれがまかり通っていた。

いいか、悪いかは別として、今ではかなり難しいだろう。
実際、校長先生が変わると、どうも許されなくなったようで、私たちが卒業したあと、校長先生とケンカして他校へ転勤となった。

ただ、音楽指導者としては、その後他校で実績を積まれ、合奏担当の先生として名をあげられたようだ。
短気な先生で、どちらかというと私も苦手な先生だった。
私の友人などは毛嫌いしていたが、唱歌などいろいろな曲を教わり、今でも覚えているので、いい所と悪い所と半々のイメージの先生だった。

これも今では不適切と攻撃されるであろう昭和スタイルの教育で、令和の時代ではまず出来ないことだろう。

「不適切にもほどがある」昭和は遠くなりにけり

2024-03-03 20:22:37 | 日記
「不適切にもほどがある」というテレビドラマが話題となっているそうだ。
私は見てないが、私は昭和の時代に青春を送った者なので、今では昭和のやり方が不適切になったことも多いのだろうなと思う。
良くも悪くも昭和の頃は、何事も曖昧な点が多かった。

おじさんのころには、大学に入ると必ず新入生歓迎コンパがあった。新入生は普通18歳や19歳だろうが、構わず酒を飲ませていた。
むろん居酒屋でも飲んだ。
今はやはり難しいんだろうと思うが、私は昭和生まれなので、心情的には今でも問題ないんじゃないかと思っている。(大学生、高校生のくくりで考えた方が合理的だ。)

弁明させていただくと、私の所は体育会系の飲み会だったので、そもそも飲み会の席では、下級生は上級生からの返杯などでかなりの酒を飲まされた。
それでも、そういう場は手慣れていたので、下級生の様子を見て、危なそうな者には2年生がマンツーマンで付き、最後まで無事に帰れるよう面倒をみていた。

近年事件となった、酔いつぶれた下級生をそのまま置いて勝手に帰ってしまい、急性アルコール中毒で死亡したなんて、恥ずべき行為はなかったのである。

いとおかし、いとあわれ

2024-02-25 19:49:25 | 日記
このところ小澤さんの追悼も兼ねて、毎日ブラームスの交響曲第一番をyou tubeで聴いている。
何度聴いても胸が熱くなる。
すごいな~と思う。

楽団員の人達も超一流なんだろうけど、そういう人達から渾身の演奏を引き出せるのは、小澤征爾さんだからなんだろうなと思う。
一致団結した、まるで大きな波がうねるような演奏に圧倒される。

昨年の年末あたりのコンサートも世界の一流オケがやたら来日してすごかったが、だんだん潮が引くように少なくなってきた。よさそうと思う公演はすでにいっぱいなのが多い。

それでそろそろ山にも出かけたい。
家の花も咲きだして、また畑や庭の手入れもしなければならない。


椿や梅が見ごろ。

剪定の枝が山積み



椿の蕾の枝を取ってきたら、1時間もしないうちにポッと花が開いた。
なんか不思議。

合間のコーヒー

だけど今日は冷たい雨

令和の時代の流れ

2024-02-13 21:19:25 | 日記
絶対権力者が突然いなくなるとこうも変わるのか。
祖父の時代から続いた宗教団体との闇のつながりが公にされ、
手のひらを返したように断ち切る風潮が生まれた。

政治資金パーティー当たり前でしょ。
モリカケサクラ当然、文句あっか。
でも動じなかったグレーゾーン活動が世間の批判をあびるようになった。

国会の証人喚問
「うそのへんじ君」
「まったく記憶にございません」
「コーチャンさんとは紅茶を飲んだだけ。」
あれから50年近くの時が流れたが、今でも同じ答弁が繰り返される。
だが、この茶番劇が通じるのもこれが最後かもしれない。

昭和の時代、暗黙のお約束で通していたやり方が通じない時代になってきている。
政治だけでなく、企業もだ。