お供え餅を買って来た。
が、昔は自分の家で餅をついていた。
杵や臼でついたのも記憶しているが、それは少量を作る場合だった。
年末にはもっと大量に餅を作っていたので機械を使用していた。
それは、杵や臼以上に仰々しいものだった。
餅米は家の外で蒸した。
火力には簡易ボイラーのようなものを使用していた。それだけでも何が始まるのかと言う感じだった。
正確には思い出せないが、筒状の送風機が付いており、ガソリンか灯油を燃料とした。
設置には手間がかかり、年に一度であったので、段取りも思うようにならないことが多く、毎年父親がイライラして家族に当たり散らしていた。
そんなに不機嫌になるなら餅なんかつかなければいいのにと思ったものだ。
蒸した米は、家の中に運び入れ電動式のもちつき機で餅にする。(家の中と言っても私の家は玄関兼作業場の土間のある12畳ほどの部屋だった。)
モーターは外付けの大きいものを使用していた。餅つき機専用というわけではなく汎用型のものだった。それにベルトを掛けて回転力を餅つき機に伝える方式だった。今の人にはイメージがわかないと思うが、昔、モーターは貴重品で、一台のモーターをいろいろな用途に使用していた。モーターの動力を伝えるのは歯車ではなく、平たい環っか状の長いベルトを使用した。(頑丈だが布製だったのではないかと思う?)モーターの回転軸にベルトを掛け、餅つき機の方は、より円周が大きい動輪になっていた。引っかかりのないベルトを回転させるので、モーターを動かしながら、時折固形の松脂をベルトに押し付け摩擦を大きくしていた。
餅つき機には、蒸した餅米を投入するロート状の部分が上についており、蒸米を入れたら上からすりこ木で突く。すると、らせん状の回転軸の出口から、ちとせあめを大きくしたような餅が押し出されて来た。(イメージはひき肉機と同じ)
出来たての餅は、あんこ、きな粉、大根の辛味餅(海苔を入れる)などで腹いっぱい食べた。
伸餅は、初めのころは浮き粉をひいた板に伸ばしていたが、後に専用のプラスチック製のものが農協から発売された。(浮き粉を使わなくともくっつかなくなった)
お供え餅も沢山作った。(昔は神様仏様が家の中に沢山おられた)
それと特筆すべきは、我が家ではかき餅を沢山作っていたことだ。
細長くのした餅を2、3日放って置き、程よく固くなった所を包丁で切っていく。
よく水気を切るため、家の中でさらに乾燥させ保存食とした。
食べる時は油で揚げ、揚げたてをボウルに入れて醤油をまぶした。
家族みんな大好きで、いくらでも食べられた。
家族だけではなく、家に遊びに来た友人などにふるまうと誰もが絶賛した。
かき餅を目当てに我が家に遊びに来るものがいるほどだった。
それで商売にできないものかと、本気で考えたこともあった。
自分で作った餅は、餅自体が美味しかった。
だからお雑煮なんかもご馳走だった。
今の人はお雑煮なんかあまり食べたくないと言うが、信じられない。
特別な米を使っていたわけでもないが、どうしてあんなに美味しかったのだろう。