とうちゃんのぷらぷら日記

アウトドア系の日記及びうんちく

みなとみらい21 都会はディズニーランドみたいだ

2017-08-27 21:50:22 | 横浜散歩
今日は、ブルーチーズをつまみに日本酒を飲んでみた。
これがとても合う。
辛口サッパリ系の日本酒にブルーチーズは意外にいける。
ちょうどクサヤや鮒ずしで日本酒を飲むのと似ているのかもしれない。
ワインにこだわる必要はない。

それに今日は、秋刀魚と土佐豆腐のフライパン焼きを付けた。
とっても幸せな味だ。

ブルーチーズは、タマプラ東急のチーズ王国で、
日本酒は横浜ベイクォーターのふるまいやで、

散歩だ、健康管理だと都会をぷらぷらしていると、
ついつい余計なものまで買ってしまう。


このデッキスペースはとても気持ちがいい海風が当たる。


新しいものには、とりあえず否定的なおじさんだが、なかなかよい。
マンションには絶対に住みたくないが、ここへ散歩でこれるような所に住むのも悪くない。

イベントもそこら中でやっている。
そごうの海側スペースでは、ジャズメンがこれから始まるセッションのリハーサル。
日産本社では24時間テレビの中継


クイーンズスクエア―では、大道芸。
なんだかディズニーランドみたいだ。


今日は花火大会はないが、横浜ではしょっちゅう花火も打ちあがっている。


高村光太郎の審美眼

2017-08-26 00:03:31 | 音楽 美術
「書を見るのはたのしい。画は見飽きることもあるが、書はいくら見ていてもあきない。
またいくどくり返しみても、そのたびに新しく感じる。」・・・・書の深淵

「神護寺の薬師はまったくいい。特殊なもので、ああいうものはあれだけぽっつり在るのだけれど、いろいろな方面から考えてあの像は大変面白い。・・・中略・・・神護寺の薬師になると丸鑿(まるのみ)の絶頂なのだ。あれは最もいい条件で丸鑿を使って居り、丸鑿でしゃくってあるけれども非常に謹んで使っていて決してやり過ぎていない。・・・中略・・・あの像は技術の上からも非常に立派なもので、素晴らしいと思う。」

「更に遡れば、私は夢殿の観音を最高のところに置きたい。此は彫刻などと呼ぶ以上に精神的な部類に入って了ふ。この御像は彫刻の技術としては不器用であるけれども、その不器用な所が素晴らしい。彫刻的には不調和で無茶苦茶な作であるが、寧ろその破綻から良さが出て来て居り、完全に出来ていない所から命が湧いて来ている例である。」
・・・・・・・・・・・以上 高村光太郎選集、回想録より

「ロダンなんかでも、まだ「考える人」あたりはあぶらっこいが、しまいの「法王の首」なんか作った時代のはとてもいい。けれども多くの人はそれを認めない。やはり大きいものをこしらえた時代がいちばん全盛時代だなと思う。そして、晩年小さくなってくると、いくらか下り坂なんだろうぐらいに思っている。けれどもロダンのいちばんいいのは、いちばん終わりにこしらえたピオ何世かの「ローマ法王の首」なんだ。これはもう本当に芸術だけになったような人の作品だね。ミケランジェロだっていちばんしまいの「ロンダニーニのピエタ」、あれがいちばんいいんだよ。「モーゼ」なんかはまだあくどい。」
・・・・・晩年の高村光太郎より

どうでしょう、これらの高村光太郎の言葉。
さすがは高村光太郎、ただ者ではありません。
その見識の深さに脱帽いたしました。


バイクの売り上げが10分の一になったらしい

2017-08-20 17:34:12 | 日記
私がオートバイの免許を取ったのは、バイク全盛時代の1980年ごろのことだ。
多くの学生がオートバイに乗っていた。
4年間で見れば、電車やバスに乗るより安上がりだし、万年渋滞の首都圏では、バイクの機動力は断然優れていた。
お酒を飲んだ時に乗って帰れないというデメリットもあったが、微々たるものだ。

今のバイク(スーパーカブ)を買ったバイク屋さんも、昔は、近くのK大の合格発表があると受験生が親御さんとやってきて、アパートを決めるのと同時に、バイクを買って行かれたそうだ。
バイクが飛ぶように売れたものだ」と言っていた。

今は、さっぱり」だそうだ。

80年代のバイクは、ホイチョイプロダクションの「見栄講座」にもあるように、若者が見栄を張るアイテムでもあった。
今、大型バイクに乗っているのは、50歳以上の人達だろう。
オフロードバイクなんて、ほとんど見なくなった。
「盗んだバイクで走り出す♪」なんて曲も今の若者にはピンとこないシチュエーションなのかもしれない。

今、横浜出身のタレントの出川哲郎さんが、電動バイクで旅をする番組が好調だそうだ。
はてさて若者の反応は。


ボルシチ、ブリヌイを食べる

2017-08-14 21:14:33 | 料理 食 道具
               ボルシチに入れるビーツ

ボルシチやブリヌイはロシアの代表的な料理だ。
といって日本では、まだあまりメジャーでない。
家庭でロシア料理を作ることは、ほとんどないだろう。

これは、うちの奥さんが作ったものだが、
こういう料理を男も作れるとかっこいい。
 

肉じゃがやカレーなどをいくらガンバって作ってもあまり尊敬されない。
スペイン料理やイタリヤ料理などから、ワンパターンでよいので、自信をもって作れる料理をもてば、同じ努力をするのでもインパクトが違う。
ポイントは簡単で美味しいことだ。

飲み会などの席で自慢の料理が披露出来れば、女の子に強力にアピール出来る。
美味しいものは、男女関係ない。

と、今日息子に話しておいた。

もちろん食事の時のバックミュージックはロシア民謡だ。
こういう小細工も忘れてはいけない。


ウ〜ン説得力が今一だったかな

御岳山 七代の滝 大岳山 鋸山 氷川神社へ

2017-08-14 08:19:12 | 山行

御岳山ケーブル駅8:35発
御岳神社到着9:00
 

大口真神

大口真神のお札は、盗賊除けとして家の入口あたりに貼っておく。



御岳山は、横浜あたりの農民にとっては富士山、大山とならぶ三大登山聖地だ。
各地に御岳講もある。
参道にある寄進者の碑を見ると、近所の村も多い。
私も小学校の学校行事で大山と御岳山へ登った。
山頂の宿坊にも泊った。
残念ながらどの宿坊であったのか忘れてしまったが、近くに小学校があったのを覚えている。

七代の滝もその時に行っている。


綾広の滝


大岳神社12:00
天気がかなりあやしくなってきた(この後すぐに雨が降り出した)


海沢の分岐でしばらく考えたが、あまりに霧が濃かったので行くのをやめることにした。(今日は、御岳山、大岳山の滝廻りのつもりで来たが、海沢ルートはやめて鋸尾根から下山した)

愛宕神社のキャラクターのカラス天狗


愛宕神社の階段は、めまいがしそうなぐらい急で長い。


途中、奥多摩駅の方からお囃子が聞こえてきた。

今日は氷川神社のお祭りだった。




奥多摩着15:30

三軒茶屋から松陰神社 世田谷城跡公園 豪徳寺 世田谷代官屋敷

2017-08-13 00:29:15 | 東京散歩
三軒茶屋から烏山川緑道を歩き松陰神社へ
松陰神社は、他の神社と異なり熱心な若い参拝者も多い。




神社の横には松下村塾が復元してあり見学できる。


この八畳あまりのスペースから明治維新の立役者が育ったのだから、教育とは偉大だ。
吉田松陰先生は並みの熱血先生ではない。




世田谷城跡は、一部だけが公園として公開されている。
 

おニャンコ寺の豪徳寺は、さすがに大きい。
井伊家の菩提寺となったきっかけの、名物 招き猫




世田谷と言えば大場家で、今でもお代官様の御威光は健在だ。




大場家の流れをまとめるとだいたい以下のようだ。

高祖は、関東へ下向した高望王の五男。平良文流の家系(平将門の叔父)-鎌倉影政(鎌倉権五郎と呼ばれ、鎌倉御霊神社の主祭神となっている人物)-大庭影親(源頼朝挙兵の際の平家方の中心的武将)-大場信久(三河東条吉良氏家臣)後に主君である吉良氏の一部は奥州から武蔵国荏原郡世田谷へと移り住む。

吉良氏が世田谷に居を構えたことから、大場氏も世田谷に定住したようだ。
やがて、秀吉の小田原攻めで、北条氏と縁戚にあった吉良氏が世田谷の所領を失うと、大場氏は、そのまま世田谷で帰農した。その後世田谷が徳川四天王の井伊家の所領となると、世田谷代官職として取り立てられ明治期に至る。


鎌倉攻防戦、洲崎古戦場から御霊神社

2017-08-12 07:20:43 | 神奈川散歩
元弘3年、鎌倉幕府最後の攻防戦が洲崎、化粧坂、極楽寺方面で行われた。
このうち最初の激戦地となったのが洲崎の合戦であった。
幕府軍の大将は第16代執権の赤橋守時であったが、守時の妹は足利尊氏の妻であった。
このため、守時の幕府内での立場は微妙になっていた。
守時は、死を覚悟して戦いに臨み、敗れた幕府軍は撤退せず90名ほどがこの地で自刃してはてたという。
鎌倉幕府滅亡の悲話としてドラマチックな場面だ。



洲崎古戦場は、三方を丘に囲まれた平地である。
陣出、上陣出という地名も残る。
大船駅方面から湘南モノレールで行くと、緩い坂道が平地となる所だ。
古戦場には、JR東日本の大船工場があった。
陣出の泣塔はJRの敷地内にあったが、用地は再開発予定地となり、現在陣出の泣塔の塚は、フェンスに囲まれ立ち入り禁止となっている。

フェンスの外から陣出の泣塔のある塚を見る。
塔は、この合戦で亡くなった北条軍の戦死者を弔うために建てられたと言われている。
塔には、古くからたたりがあると言われていたそうだ。ナンマンダブ ナンマンダブ


近くの御霊神社には建武の年号の入った五輪塔がある。
これも北条方の戦死者を弔うためのものではないかと思う。




神社は大きな岩盤の上に造られている。
有名な坂の下の御霊神社よりも古い時代の御霊神社であるらしい。



等覚寺にも五輪塔が沢山ある
兵どもが夢の後か

アブラ蝉やヒグラシが鳴く。
山にしみいる蝉の声だ。
 



この後深沢からバスで鎌倉駅へ

この夏 ポーラ美術館へ行く

2017-08-11 15:32:31 | 音楽 美術
ポーラ美術館は、箱根の山中にあり、なかなか気軽に行けない。
確かに車で行けばさほど時間はかからないが、東名高速を走ることになり、
一人で行くには、お金のかかる美術館だ。

ところがこの夏娘が夏休みで暇そうにしているので、奥さんと3人でポーラ美術館へ出かけた。(3人だと一人当たりの交通費は、安くなる)

美術館の建物はモダンな造りでガラス張りの部分が多い。
明るく美しい美術館だが、建物を維持するにはかなりのお金がかかりそうだ。
それで入館料は、大人1800円とやや高めになっている。

それでもポーラ美術館の収蔵コレクションは、質が高い。
作品のすばらしさからいつか行きたいと思っていたのだが、(団体旅行では何回か来たことがあるが、団体さんではゆっくり見ていられない)やっと行けた。
ピカソ、シャガール、の作品は質も高く数も多い。


マチスのリュートも傑作だ。
作品の多くが美術の教科書にも載っているようなもので、なじみ深い。


ポーラ美術館の収蔵品で私が最も注目しているのは、村山槐多の湖水と女と言う作品なのだが、申し訳ないが展示の仕方にはとても不満がある。
一つは、額縁が金ぴかで、ひどく作品に不釣り合いなことだ。
二つ目は、絵に当てる照明が不適切で、絵がてかてか光ってしまい、作品本来の陰影の深さが感じられないところだ。
なんとかしてもらいたいものだ。

帰りは、御殿場インターに入る前に御殿場アウトレットに寄った。

それで、この通り。


やはりお金のかかる美術館なのだ。

麦草峠から高見石 ニュウ 白駒池 8月10日

2017-08-11 10:10:40 | 山行
麦草峠(6:00)-丸山-高見石-中山-にゅう-稲子湯分岐-白駒池-麦草峠(14:00)


午前3時、小雨降るなか中央高速を走る。
小仏トンネルの辺りから、流れ来る霧に車が揉まれるかのような不穏な天気となる。
予報では、今日は曇り、午後から時々雨、明日は雨の予報でやはり登山には厳しいかと思われた。
ところが、笹子トンネルを抜けると天気は急回復。
八ヶ岳に近づくにつれ上空には青空が広がる。麦草峠に着くと、完全に登山日和な天気になっていた。

麦草峠の駐車場(茅野方面からだと道路右側、麦草ヒュッテ近くにある)


振り返れば茶臼山もくっきり


高見石では、北八ヶ岳の実力を見せつけるかのような展望が広がる
 

岩の上では、アキアカネが乱舞(アキアカネは、いたるところで北八ヶ岳の森の上を飛び交っている)

自然の造形美 おとぎの国の森のきのこ


中山の展望 
さらにすばらしい




これから行くニュウの岩峰
(登山道の道標には「にゆう」「にう」「ニュウ」の表記があった)


稲子岳下の火山性の窪地と天狗岳 硫黄岳が美しい。
この辺は八ヶ岳の巨大な火口壁が続く豪快な火山地形(爆裂火口)


ニュウからの展望は最高 
ニュウの岩の上に立つと、北八ヶ岳の景色を全身で感じることが出来る。奥深い自然の息吹を感じる。
どれをとっても、ここに来なければ感じることが出来ない感動だ。


ニュウからの尾根をそのまま進み、稲子湯への分岐を左へ白駒池方面に進むと
北八ヶ岳一美しい苔の群落が見られる。


この先コメツガの叢林も美しい。
花でもない植物の群落は、山頂からの展望とは異なり、やや通好みな趣味となる。うちの奥さんに言わせると、「今までの森と大して変わらないじゃない」ということらしい。



今回は、おおよそ20年ぶりぐらいに同じコースを2人でまた歩いてみた。
北八ヶ岳は、難易度の低いコースの割には、すばらしい景観が続くお値打ちものの登山コースだ。

鎌倉国宝館へも行ってきた

2017-08-08 22:33:26 | 神奈川散歩
今日の感想

<最近注目の逸品>
宝塔
嘉歴2年(1327年)
佐介ヶ谷より出土したもの
石造宝塔で風化なし(700年前のものとは思えない、その辺の石屋さんが造って持ってきたみたいなな宝塔)
平成28年に個人から遺贈されたものだそうだ。

<やっぱ鎌倉は蘭渓和尚>
蘭渓道隆墨跡
法語規則(国宝)
蘭渓和尚って南宋からやってきた禅僧だが(中国人)
鑑真和尚といい、蘭渓和尚といい、時を越えて日本人に尊敬されている中国人なので、きっと心ある中国人観光客は、感動してくれることだろう。

<アイドル>
鶴岡八幡宮 弁財天坐像(枇杷付)(重文)
文永3年(1266年)
弁天様なので裸像だが、残念ながら服を着ている。
目がやらしい。
楽人 中原光氏が奉納

<モダンな梵鐘>
常楽寺 梵鐘 
宝治2年(1248年)
北条泰時の供養のため北条時頼が造らせたもの
細長で綺麗な鐘

<シリアスなお地蔵さん>
地蔵菩薩立像 (重文)
寿福寺
蓮台までの一木造り
なまめかしいお顔 
白毫は水晶か

鶴岡八幡宮ぼんぼり祭りへ行く8月6日〜9日

2017-08-08 20:41:22 | 神奈川散歩
これまで鶴岡八幡宮のぼんぼり祭りには、昼間にしか行ったことがない。
それで、あくまで想像だが、夜はきっとすばらしいにちがいないと思う。

宗教的な場所に、蝋燭の光はよく似合う。
その場所を一層おごそかにする力がある。
昔ノートルダム大聖堂へ行ったときもそうだった。あちらの教会でも、お燈明をあげる習慣があるようで、よくわからなかったが、お線香をあげるようなつもりで蝋燭を買い、堂内でお燈明をあげた。

信州の別所温泉にある北向観音では、寺の灯篭すべてに灯がともっているのを見たことがある。(やはり今頃だ)なるほど、灯篭とは本来こうして使うものだと改めて納得した。
灯篭の灯り取りに四角い和紙を張り付け、中に蝋燭を灯した光は、とても柔らかでステキだった。

鶴岡八幡宮は、四角いぼんぼりで、正面に思い思いのメッセージ、あるいは、メッセージ的な絵が書き込まれている。有名人のものも多い。

本殿前には、養老猛司さん。
ボンボリの図柄は、なんとゾウムシ。
どうも「ミイロミツギリゾウムシ」というのは養老先生が発見した品種のようだ。
ゾウムシの形は変幻自在。世の中様々な個性で成り立つという暗示か。


その横には作家の三木卓さん(たぶんそうだと思う)


石原伸晃さんなんかもある。
階段下には、みのもんたさん。

参道の入口には蛭子能収さん。


こらこら、ボンボリを全国キャラバンの宣伝につこうとるのは誰だ。(歌手の白井貴子さん)


鶴岡八幡宮左側の狛犬はファンだ。よしよしと頭をなでてしまいたくなる。


過去のボンボリの特別展もやっている。


ぶあいそう(武相荘)へ行く

2017-08-06 21:04:02 | 東京散歩
白洲次郎さんは、いきなり脚光をあびた。
確かに、ダンディでカッコいい男だ。
絵になる。
イギリスのカントリージェントルマンへの憧れがあったのか、根がそういう人間だったのかしらないが、いい趣味だ。

かつて大平総理は、田園都市国家構想というのを推し進めようとしていた。
それを先取りし自ら実践したのが、白洲次郎であった。
これからの文化とは、こういう環境の中から生まれるものであると思う。




白洲さん やはり愛用のタイプライターは、オリベッティタイプライターであった。




母屋の中は写真禁止。


調度品などは「とんぼの本」の白洲次郎、正子シリーズでもかなり紹介されているので、これが本物かという確認作業。
失礼ながら、書斎の本もじっくり観察させてもらう。
これは、白洲正子さんの蔵書でしょうね。
熊谷守一の画集や本が目にとまる。
白洲正子さんは守一の「ほとけさま」という書を所有しているぐらいだから好きな作家だったのだろう。

本当を言うと、わざわざいろいろ展示するのではなく、お二人が生活した一場面を再現してくれた方がいいかなと思った。今の季節なら8月にはどんな調度品を使っていたのか。生花はどんな感じだったのか。そんな様子がうかがえるならなおよい。

これも無理な話なんだろうけど、お庭も今は、生活感なく荒れてしまってますな。
少し残念。






でも、近くにこういうお屋敷があるのは、カッコいいですな。

白洲次郎さんは、この時期枝豆が好物だったそうな、それで次郎さんを偲んで枝豆が植えてあるのかな。



王禅寺へ行く

2017-08-06 18:53:11 | 神奈川散歩
8月だというのに相変わらず天気が悪いですのお〜
まるで梅雨時みたい
しかたがないから、すぐに撤退可能な
近場へ出かける。

まずは王禅寺へ
新本堂の賽銭箱にチャリンとお賽銭をあげると、
「禅寺丸の柿をありがとうございます」と感謝の祈りをささげる。
(禅寺丸は王禅寺発祥の日本最古の甘柿の品種と言われている)


今の幹は、元の幹が古木になりすぎて折れたかしたのがまた再生したものだった気がする


近隣の村である私の家にも禅寺丸の柿の木が5、6本あった。
秋になると、たわわに実を付けた禅寺丸の枝が、薪小屋の小さなトタン屋根の上にしなだれかかっていた。
屋根へよじ登り柿の皮を下の前歯を使って器用にむき、毎年、野生の猿よろしくしこたま食べた。

柿の実は「医者いらず」という。
ビタミン、ミネラル豊富な健康食品でもある。

ところで禅寺丸には、たまに渋柿の実もあった。
それは皮を爪でひっかいてみればすぐに分かることなのだが、
甘い実は果肉に黒いまだらが入っている。一方渋柿のものは薄黄色なのである。

暇な私は、毎年家にあるすべての柿を食べ比べていた。そして自分の中で品評会を行い、一番おいしいと思う柿の実を優先的に食べていた。
また、秋の前半、中盤、後半でもたべごろの柿の木は、変わっていく。むろん品種の違いもあるが、同じ種類でも、幹によって、年によって、微妙に美味しさは、変わってくるのである。

なにはともあれこの辺の農民は、王禅寺さんに足を向けて眠れないのである。


観音堂


観音堂前のお笑い系仁王様


ちょっとまったのポーズ


ニャは






ラジオ少年の時代Ⅱ

2017-08-02 22:22:11 | 日記
「オリベッティータイブライター赤と黒」
というナレーションとともに始まった「ラジオ劇場」という番組があった。1972年ごろのことだ。
ラジオを耳元に置いて江戸川乱歩シリーズを聴いたのが懐かしい。
音声だけのドラマというのは、空想を掻き立てる。
怪人二十面相シリーズは、シリアスで怪しくも淫靡な異次元の世界へといざなった。

今日佐藤公彦さんが亡くなったという記事が出ていた。
それで、佐藤さんが出ていた70年代のラジオ番組の「あおい君とさとう君」を思い出したのだ。
「かぜ耕士のタムタムタイム」もよく聞いた。
いずれも中学生ぐらいの時だった。
まだ深夜放送は、あまり聞いていなかったころ、その後のオールナイトニッポンやパックインミュージック、セイヤングを聴くきっかけとなったラジオ番組だった。

使っていたラジオは、当時テレビコマルーシャルもしていた「ワールドボーイGXO」というラジオだった。
大きめなラジオだったので、音も良かった。
FM放送も聞けたのでフォークソング、クラッシック音楽もよく聞いた。
ラジオを聴くことに、わくわくしていたころだった。

(「FMファン」なんていうFM放送で流れる曲を番組表にした週刊誌も買いまくって、オンエアーチェックに余念がなかった。)