とうちゃんのぷらぷら日記

アウトドア系の日記及びうんちく

毎日新聞 昭和18年10月27日 神奈川版の記事

2017-06-25 15:43:27 | 日記
唐突ですが、額縁の裏紙にしていた昭和18年当時の新聞が出てきた。
神奈川版というのが珍しいことと、
記事が当時の県下の世相を端的に物語っているようなので、
新聞の見出しを書き写してみた。

「九億へ怒涛の進撃
一層の貯蓄報国誓う」


何が9億なのかというと、神奈川県の貯蓄目標額なのだそうだ。
ちなみに昨年(昭和17年)の貯蓄総額は6億6千百数万円ぐらいだったそうで、目標の9億円へは、はるかに及ばない(73%の)達成率だった。それで県民にハッパをかける記事だ。

「商業校問題」
「公私立にも処置」今日から中等学校長会議
「職場を教室に」日大四商 工業へ転換
「工業校に転換」藤沢商業が率先垂範


ようは非常時に商業など学んでもお国の役に立たないから、商業高校は来年から募集停止あるいは、工業高校へ転換するという記事。

日本大学第四商業学校は、戦前に大口商店街のあたりにあったそうだが、ネットで調べたら確かに昭和19年と20年は、学校名も日本大学第四工業学校となっていた。学校関係者にとっては屈辱的なことだったことだろう。

馴れませんからよろしくどうぞ「横浜日婦は市電で乗車訓練」

男は戦争へ行ってしまったので、勤労報国隊の女性達が市電の乗車訓練を行ったという記事。
他にも
「働く女性に聞く体験」五貫余の鉄と取り組む
などの記事があり、勤労報国隊の女性達の活動の様子を伝えている。

「川崎で忠霊塔建設」大東亜の華 三勇士戦死 
川崎市出身の戦死者3名の碑建立の記事。東芝をはじめ川崎市の工業団体が寄付をして
建立したそうだ。

「麦まきに繰り出す四十万」兎の皮も兵隊さんへ捧げます。

小学校を休校にして、児童たちが芋ほり、稲刈り、肥料運びなどの勤労奉仕をしたという記事。兎は食肉として、皮は兵隊さんの防寒服にするため飼育が奨励されていたようだ。記事によれば各小学校に兎の飼育の割り当てがあったようで、児童に兎の世話をさせていたみたいだ。

そういえばだが、私が小さいころ、家に兎の毛皮が沢山あったのを覚えている。
なんでこんなものがあるのか不思議に思ったが、記事を読んで納得した。

はとバス 西伊豆団体旅行

2017-06-24 10:36:53 | 旅行
三島スカイウォーク 堂ヶ島温泉 中伊豆ワイナリー 沼津港

三島スカイウォークのつり橋は、歩く展望台


晴れていれば、富士山と駿河湾が同時に眺められる。
ここは、ソフトクリームが名物のようだ。
すぐ近くの丹那盆地は一大酪農地帯で、
農協ブランドの中でも特に有名な丹那乳業のお膝元。

西伊豆は、富士山の展望が抜群。
海から立ち上がる富士山の姿は圧巻。
国道136号の土肥近くに富士を見るのに良さそうなポイントがあった。(なにしろバスから見ただけなので)

堂ヶ島温泉付近の海岸はこんな感じ。




このあたりには、ハイキングコースもあるが海岸は断崖なので、断崖の上を通る道となっている。
昔、この先の妻良から入間へのハイキングコースを歩いたことがあったが、海岸歩きというより登山だった。ただし海の眺めはよい。

国道沿いに白いホタルブクロが咲いていた。


ホタルブクロは白いのから色の濃いのまで様々な花色がある。濃い色のホタルブクロは見た目は鮮やかだが、ホタルブクロという名前を尊重するなら、やはり白がよいだろう。
やったことはないが、蛍を入れて、ほのかな光を楽しむには白しかないからだ。

中伊豆ワイナリーは、観光目的で造ったんでしょうね。



伊豆に葡萄畑はピンとこない。聞けば多くのワイン用の葡萄は長野や山梨の契約農家から仕入れているそうです。ただし、ここは葡萄の代表的品種「巨峰」発祥の地(巨峰とは富士山のことだそうです→バスガイドさんより解説あり)
そこで土産にはワインでなく巨峰の干し葡萄を購入。(さすがは巨峰。安くても量があります)

沼津漁港は築地場外市場のミニ版
繫盛してます。




すぐそこは狩野川の河口 

根岸の丘に古(いにしえ)の横浜を見る

2017-06-11 22:34:53 | 横浜散歩
伊勢佐木長者町-寿町-牛坂-横浜女学院-打越橋
山元町 山元町商店街(山元町2丁目商栄会)-大平町(地蔵王廟、西有禅寺、大圓寺、東漸寺、圓大院、増徳院)横浜市根岸共同墓地-米軍岸根住宅(山谷)

このごろの横浜港の辺りは、妙に小ぎれいになってしまった。
懐かしい昔の横浜の風景は、根岸のあたりに辛うじて残っているぐらいになった。
そこで今日は、横浜の一昔前の風景を根岸の丘に探してみることにした。



伊勢佐木長者町から歩き出すと、
有名な寿町を歩く。やはり寿町もそれなりに小ぎれいな街となっている。
牛坂の急登を登り、丘の上の打越橋を渡ると、懐かしい道路フェンスが見られます。




(山元町のT字路の一角にも、わずかに残る。)


山元町の商店街では、ひと昔前の横浜の商店街を見ることが出来きる。



地蔵王廟は中国の寺院。




中国から移築してきたかのような情緒があります。


関帝廟や媽祖廟も素晴らしいのですが、地蔵王廟には、もっと素朴な民衆の信仰心が感じられます。



西有禅寺の震災慰霊碑、


横浜は関東大震災の震源に近く甚大な被害を受けました。
大正大震災という表記も慰霊碑の古さを感じさせます。

同じ市内にあった私の祖母の実家も、関東大震災で倒壊しました。
その後やっとのことで再建したかと思ったら、こんどは、アメリカ軍の空襲で全焼という不運に見舞われています。

根岸共同墓地の隣りには、行く手をさえぎるように米軍の根岸住宅が鉄条網に囲まれて広がります。




ある意味これもちょっと昔の横浜の風景です。
私の母親は、若いころ米軍キャンプの食堂で働いていました。
それほど横浜では、米軍基地が身近な存在だったのです。

帰りは横浜駅まで歩きました。

今日の日本丸は順風満帆で縁起が良い


帰りにカモシカスポーツでスカルパのウォーキングシューズを買いました。




秘かな対決

2017-06-04 20:19:53 | 日記
この間買った貴重なカールが無くなっていた。
昨日買ったチョコパンもちょっと目を離した隙に無くなっていた。
大人げないが

押入れに隠す。
本棚に隠す。
壺の中に隠す。
涙ぐましい努力。

それでも、だめだ
パターンをよまれている。

最近破られていないパターン。
守護神ナキウサギの術








敵はこのナキウサギが嫌いだ。
なぜならこのぬいぐるみは、お腹をつまむとキキ、キキと鳴る。
敵が朝寝坊をしていると、キキ、キキと鳴らし起こしていた。
それで敵は、このぬいぐるみが嫌いなのだ。



よしよし、いい子だ。
今日も無事守りぬくことが出来た。