とうちゃんのぷらぷら日記

アウトドア系の日記及びうんちく

横浜駅から野毛、伊勢佐木町、横浜橋商店街、三𠮷通り商店街

2017-09-30 22:15:57 | 横浜散歩
横浜駅から歩き出す。
松見町の横浜醤油を扱っている店を発見


今日は気になったお店を撮影
ここから伊勢佐木町方面へ歩いて行く

この店もいつも気になる、へんな飲み屋


平沼橋へ


平沼橋のガスタンクは、物心ついたころから知っている


このガスタンクを見ると横浜駅がもうすぐという印だ

京急の戸部駅を通り野毛方面へ

ハクライ屋は漢字で書くと舶来屋なのか



しぶいお菓子屋さんと、その隣は立ち食い寿しとこれまた渋い


日ノ出町の怪しい映画館


野毛大道キャバレー ムーランルージュ だそうです


伊勢佐木町から久しぶりに横浜橋商店街へ


さらに道を渡り三𠮷橋通り商店街へ


この辺りの商店街は、桂歌丸師匠と縁が深い

というのもこの先に三𠮷演芸場があるからだ
演芸場前の履物屋さん、


刃物研ぎの店は超貴重


さらに進むと、お惣菜屋さん


最後の締めには、超立派な角打ちコーナーのある酒屋さんがある


ところで伊勢佐木町商店街から横浜橋商店街への道には、いつも気になるカンバンがある


どうもこの奥サマンサの看板には、いつもクギ付けになる

伊勢佐木町へ戻り、関内の駅へ


横浜橋商店街へ行くのは、本当にたまなのですっかり忘れている
それでも歩くと確実に前にも来ていることを思い出す

今日は横浜橋商店街でお買い物して
横浜駅のポンパドールでサワーブロート(ドイツパン)を買って帰る

雨の降る品川駅

2017-09-30 08:36:32 | 日記
28日
雨の降る中、品川駅へ向かった。
今日は、仕事だ。

雨がひどかったので、家を早めに出たが
8時過ぎには品川駅に着いてしまった。
少し早すぎた。

外は雨だし、行く所もないので、しばらく駅構内のお店を見学した。
前にもふらふら歩いたことはあるが、こんなに朝早く来たのは初めてだ。
朝だというのに、もう普通の状態で営業している。
エキュートの店はすごい。
数も多いし、なんといっても8時から営業しているのがすごい。
しかも、婦人服の店や、お惣菜屋さんなんかも8時からバリバリ営業している。
すごい。おどろいた。

さらに改札を抜け
中央改札口から東口へ向かうともっとすごい。
広い東西の連絡通路いっぱいにサラリーマン達が東口へ向かって歩いている。
すごい人数だ。
押し寄せる人の波は笑ってしまうほどの迫力だ。
反対方向からは、ほとんど人は来ない。
さらにその流れは、東口を出るとこんどは、駅前のオフィスビルに向かって枝分かれしていく。
なんだか映画の一場面のようだ。

品川駅の存在感は、このごろどんどん上昇しているらしい。


昔の品川駅も、東京から西日本へ向かう際に起点となる重要な駅だった。

中野重治の「雨の降る品川駅」を読むと、
当時の品川駅の雰囲気がわかる。

雨の降る品川駅           

辛よ さよなら
金よ さよなら
君らは雨の降る品川駅から乗車する

李よ さよなら
も一人の李よ さよなら
君らは君らの父母の国にかえる

中略

海は夕ぐれのなかに海鳴りの声をたかめる
鳩は雨にぬれて車庫のやねからまいおりる
中略

ふりしぶく雨のなかに緑のシグナルはあがる
ふりしぶく雨のなかに君らの瞳はとがる

雨は敷石にそそぎ暗い海面におちかかる
雨は君らの熱い頬にきえる
中略

シグナルは色をかえる
君らは乗りこむ

君らは出発する
君らは去る

さよなら 辛
さよなら 金
さよなら 李
さよなら 女の李

後略

上野駅にも共通する詩情ある光景だ。
今の品川駅とは重ならないが、
品川駅の歴史の重みを感じる。


川崎大師から多摩川 六郷の渡し

2017-09-24 18:06:51 | 神奈川散歩
川崎大師の駅へ降り立つと、川崎大師へは一旦大師様の敷地をやり過ごし、東側から回り込んで参道に入ることになる。
お大師様の縁起によれば、川崎大師の御本尊は、川崎の沖合いで網に引き揚げられた仏像であるとか。
お堂が海に向いているのは、そのせいなのか。


お約束のくずもち。


昔はよく親類がお土産などで持ってきてくれた。
物心ついたころにはすでに食べていた。
最近はそうでもないが、昔はたいへんなご馳走だった。

なぜだか渋谷駅でも売っていた。



お大師様から多摩川へ。


広大な芦原が広がっている。
急流な多摩川だが、さすがにこの辺まで来るとほとんど流れもない。


この中途半端に豪華な水門は、ちょっと異様な建造物だ。


上に乗っている彫刻のようなものは、川崎名産のぶどうや梨、桃なのだそうだ。
意外に知られていないかもしれないが、川崎は果物王国だ。
一世を風靡した梨の代表的品種の長十郎は、
川崎の大師河原に住んでいた長十郎さんが発見した品種で、
一時期は市内でも沢山生産されていた。




六郷の渡し跡
多摩川に架かる歩道を歩いて行くと、大きな中洲には芦原が広がっている。
なかなかの規模で圧倒される。





JRの鉄橋下には、蟹が沢山いるのに驚いた。
みんな泥をかぶっていて種類はよくわからないが、昔の川崎のイメージを払拭するかのような光景だ。



今日はここで終了
バスで小杉へ

ちなみに昨日は、田園都市線の鷺沼駅から江田駅まで歩いた。


鶴見の国道駅

2017-09-19 21:05:08 | 横浜散歩
鶴見線の国道駅。
この駅を見たら、今日の散歩のけだるさが吹き飛んだ。
昭和な駅、国道。


なぜだか「若者たち」の歌が頭の中で流れる
「君の行く道は 果てしなく遠い だのになぜ 歯をくいしばり 君は行くのか そんなにしてまで」

鶴見は労働者の街だ。









ああ、国道の駅は、健在だった。
健在ではあったが、少しやつれたようだ。

もう使われていないガード下の家。


ああ、残念だ。
こんなすばらしい昭和レトロの空間は、これからも残してもらいたい。
必要な手入れをして、ふたたび脚光を浴びてもらいたい。
このガード下文化をなんとか残してもらいたいと思う。

生麦の商店街


今日は鶴見の旧東海道を歩いてみた。
台風一過で、やたら日差しが厳しい。

生麦といえばアナゴだ。


朝市があるらしい。いいかもしれない。


鶴見川にこんな所が作られていた。




久しぶりの鶴見だった。
鶴見には、登山用品店の石井スポーツがあったから昔はよく行った。
京急鶴見駅のすぐ先ぐらいにあったが、その後国道を渡った所に引っ越した。
その石井スポーツ(IBS)も今はもうない。
それですっかり疎遠になっていた。

私が中学生のころの鶴見は、公害最前線の街だった。
当時の私は、日本の公害問題についてかなり危機感をいだいていた。
それで鶴見の工業地帯が今実際どうなっているのかを確認するためにわざわざ出かけたこともあった。
その時、国道や安善あたりの駅を降り、その辺を歩き回ってみた記憶がある。
とにかく空気が悪かった。鶴見川や運河も汚かった。

今とは、まるで違った。


あの時のうどんが食べたい

2017-09-18 18:29:53 | 日記
散歩をしているとうどんが食べたくなった。
関西風の薄口のつゆがいいな。
油揚げにとろろ昆布、天かすもいれちゃおう。

しその実がちょうどよい食べごろになっていた。
しその実を沢山うどんへいれて食べよう。

歩きながら、北岳の白根御池で作った、インスタントのうどんのことを思い出していた。
コッフェルで湯を沸かし、麺を湯でると、出来上がったうどんとは別に持ってきたしその実を大量に投入。
鼻に抜けるしその香。北岳は紅葉のシーズンだった。
あの日あの時食べたうどんの記憶。

どういうわけだか、その時のうどんの記憶が鮮明に残っている。
インスタントのうどんだからたいしたものではなかったろう。

だけどむしょうに懐かしい。
それで今日は、しその実の沢山入ったうどんを食べた。

中目黒から代官山へ登る

2017-09-10 20:14:48 | 東京散歩
どーれ中目黒でも歩くかということで
最近歩いていなかった中目黒から代官山方面を歩く。
いつの間にかいろんな店ができている。
なにしろ自分の中の中目黒の基準は30年ぐらい前の街の姿だ。

道を歩いていてもキョロキョロキョロちゃんで、忙しい。
これはタイ料理の店


別においしいとかの情報があって写したわけではないが、
店先の女性像が色っぽい。

キンケロシアター


美空ひばり御殿のあった上村坂


代官山へ上がると氷川神社のお祭りだった。
代官山神輿、いいね。




重要文化財の朝倉邸は、大正時代の建物だがクオリティ―が高い。
さほど古い建物ではないが、大正時代の職人はいい仕事をしている。
大正モダニズムとでも言おうか、品がある。








大きな灯篭は、まるで大名屋敷のよう。
代官山の南斜面に面したお庭には、かつて三田用水から引かれた流水が流れていた。
各所に庭石も配されている。
諸外国の大使館がいならぶ旧山の手通り沿いにあって、日本国の威信を感じさせるかのような佇まいだ。


この香は、と思ったら銀木犀だった。
彼岸花ももうすぐ咲く。




いい天気なので横浜港を見に行く

2017-09-10 09:20:27 | 横浜散歩
いい天気なので、海を見に行く。

中華街へ着くとやはりすごい人。
このところ土日は、万年お祭り騒ぎだ。

本当のお祭りの日も近い。
国慶節
雙十節


10月1日 
国慶節は中華人民共和国の建国記念日

10月10日
雙十節は中華民国(台湾)の建国記念日だそうだ。

中華街では、両方とも祝うのでお祭りが続く。


祝日には、獅子舞、龍舞もある。
民族衣装のパレードもある。
観光にはいいだろうが、それなりの人出も覚悟しなければならない。

横浜中華街の関帝廟は、現在修築工事中 11月10日まで(参拝は可能)

中華街から山下公園へ
途中立派なヘボン博士の記念碑がある。

博士は明治学院の創設者で、地元フェリス女学院の開校にも中心的に関わった人だ。ヘボン式ローマ字でも有名。
氏は安政年間の江戸時代横浜に来日。
明治期の日本の医療の近代化や教育に大きな貢献を果たした。

横浜海岸教会


今日は少し暑かった。
横浜港を見ると、小ぶりな魚が(ボラか)海面をぴょんぴょん飛び跳ねていた。
気持がいいから飛び跳ねているのだろうか、
教えてさかなクン。




かつての横浜港はこんな感じだった。




今では沖仲士の人もほとんどいなくなっただろう。
時代とともに都市も変化する。

横浜市の都市計画を主導したのは田村明氏であった。
港北ニュータウンやみなとみらい21の構想を立て現在の横浜市の姿を描いてみせた。
氏が三十歳代のことだ。やはり将来のことは、若者にまかせたほうがよい。




今日は石井スポーツでお買い物
大さん橋近くなので、外国人観光客も意識した店だ。

すぐ近くにも最近流行っているマムートの店がある。(マンモスマークのアウトドアブランド)
私のいでたちは、靴はスカルパ。それにモンベルのパンツにモンベルのメッシュキャップをかぶり。アライテントの軽量ザックを背負って、街中とは思えないばりばりのアウトドアスタイルなのだが、この場所では違和感がない。
他では浮いている。浮き輪が必要だ。