とうちゃんのぷらぷら日記

アウトドア系の日記及びうんちく

みかんの蜂蜜

2014-11-30 22:58:17 | 料理 食 道具
みかんの花の蜂蜜は
一度食べてみたいと思っていた蜂蜜だった。
本で読んだのか、ラジオで聞いたのか忘れてしまったが、
誰かが絶賛していた。

たまたま売っていたので、購入した。
蜂蜜界のプリンセスといったようなさわやかな蜂蜜だ。


120g900円+消費税

これは愛媛県のゆるキャラ「みきゃん」
きゃわいいでしょ


三浦半島 リス景色

2014-11-24 08:00:08 | 三浦半島ハイキング
護衛艦 ひゅうが

今日のコンセプトは、三浦半島の東海岸から西海岸へ東西横断縦走
<コース>
汐入駅(10:30発)-記念館三笠-横須賀上町銀座商店街-宇東川緑道-衣笠駅
-衣笠山公園-満昌寺-衣笠城-平作-大楠山-前田橋-秋谷港-立石バス停(16:50)

まずは、東側の汐入駅から横須賀軍港へ

デンジャラスな看板は 、さすがに軍港ですな


三笠に近づくと人が多い。
軍艦三笠の前には屋台もならんでいる。

どうもなにかのイベントが開催されているようです。
ちょっとだけ見学しようかと思いましたが
やむをえなません

「本日天気晴朗ナレドモ人多シ」

おもか~じ いっぱい
で敵前大回頭
そのまま衣笠へ向かいます。

衣笠の駅はクラシカルです


衣笠山公園から満昌寺へ


満昌寺は三浦大介を弔うために建てられたお寺です。
いわば東照宮のようなものですな

頼朝お手植えのつつじ


衣笠城はけっこうこじんまりとしていますね。
これは御霊神社(三浦大介を祭った神社)

城の入口にある大善寺


衣笠城から大楠山へ向かうハイキングコースは
横浜横須賀道路を渡るところで通行止めになっています。
大楠山へに向かうには、一般道を大回りすることになり
実質的にハイキングコースは一旦終了といった感じです。

大楠山に近づくとやたらリスを多く見かけます。
登山道を見ると、どんぐりが沢山落ちています。

一匹見つけると、あっちでちょろちょろ、こっちでちょろちょろ
どうも群れで行動しているようです。
(まるでリス園のよう)

大楠山から油壷方面


下山は遅くなってしまったので、あまりゆっくりしていられませんでした。
登山道を歩いて行くと、リスがあわてて何匹も逃げていきます。
(まるでミニチュアサファリパークのようです)


秋谷港に着くとこの景色

海はべた凪です。
相模湾の夕日の景色には、もともとちょっぴり期待をしていたのですが、
期待以上の景色でした。
相模湾は、錦織り成す海といった感じで、
鏡のような水面に
残照がくれない色の濃淡になって輝いています。

今日のコースは、やや地味めな印象だったので、
正直ちょっとがっかりめな感想でしたが
この景色を見たらすべて帳消しとなりました。
やはり三浦半島は海ですな。





三浦半島 油壺 新井城跡

2014-11-15 23:31:12 | 三浦半島ハイキング
油壷の地名の由来は
戦国時代の武将、北条早雲と三浦道寸義同との
新井城での戦いが起源だそうです。

三浦道寸義同は、北条早雲を迎え撃つため一族と共に新井城に立て籠もりましたが、
3年に及ぶ篭城戦の末、城は落ち、
道寸も敗死しました。
この時の凄惨な戦で湾が血に染まることとなり、
あたかも油を流したかのような様であったことから、油壷と呼ばれるようになったとか。

それまでは新井壺とでも呼ばれていたのでしょうか。
波のない穏やかな湾では、有り得る事のような気もします。

これが空堀で、ここから先が新井城の本城と思われる場所です。


新井浜から本丸を見る。


二の丸は油壷マリンパークのあたりで、
二の丸から海側に下ったところに三浦道寸の墓があります。
この墓は江戸時代に三浦一族の後裔に当たる人が建てたものだそうです。
 


導寸の辞世の句

討つものも討たるるものもかわらけよ
砕けて後はもとの土くれ

この句は小学生向けの「学習漫画日本の歴史」の中でも紹介されていました。

このような無常観を詠うのは、当時の一般的な感性のようで、
周防の大内義隆の辞世の句も同じようなイメージです。

討つ人も討たるる人ももろともに
如露亦如電応作如是観(にょろやくにょでんおうさにょぜかん)

辞世の句というのは、いつごろから始まったものなのでしょうか
武将が討ち死に覚悟の最後の一戦に臨む時に辞世の句を詠むという慣習は
太平洋戦争のころまであったようですね。

三浦半島 三崎港から油壺、小網代の森へ

2014-11-15 21:05:14 | 三浦半島ハイキング
諸磯湾から富士山を見る。
今日も三崎港から歩き出しました。

油壺突入。

油壺は本当におだやかな湾ですね。
ヨットの停泊地には最高です。
今も、一艘のヨットとシーカヤックが湾から出ていくところでした。

新井浜から油壷マリンパークの裏の海岸を歩き、
新井城跡の岬を海岸沿いにぐるりと周ります。


このコースはやはり油壺からがメインと言えますね
美しい湾です。なんだか伊勢志摩のあたりのような感じもします。

東大臨海実験所のあたりの新井浜から相模湾を見ると
海の向こうに、湘南の丘陵、丹沢、富士山、伊豆の山々、大島の三原山が続いており、
相模湾を挟んで山がぐるりと取り囲んでいるように見えます。
相模湾がなんだか大きな湖のように感じます。

ここがこんなに雄大な景色だったとは、再発見でした。


小網代の森は、私が住んでいる所の昔の風景のようでもあり、
懐かしいような気もします。
しかしここは、すぐそばに海があります。



この小さな干潟がまた魅力です。
私が着いた時は引き潮で、
みるみる潮が引いていきました。
干潟の生き物の巻貝と小さな蟹は、潮が引くやいなや穴から這い出し
盛んに動き回っています。
干潟とは、こんなにもダイナミックに躍動しているものなのかと驚きました。


やはり、なにごとも自分の目で見てみないとわからないものですね。

小網代の森を後にし、相模湾を見ると一段とスケールの大きな眺めが広がっています。

こんなにも雄大な景色が見られるとは思いませんでした。
今日はもう十分満足したので、このまま三崎口駅に向かいました。
15時20分着

今日は初霜

2014-11-14 19:48:54 | 日記
なんと去年と同じ日だ
どうしてわかるかというと
去年のブログに書いていたからだ。

一日も違わずというのはすごい。
今日の横浜の最低気温の予想は
8℃か9℃ぐらいだったはずだ。
霜が降りるとは思わなかった。

今日は良く晴れていたので
放射冷却も良く効いたのだろう。

白神山地に生きるもの

2014-11-09 20:08:23 | 独り言
人の来ない山、道のない山はないかと、あえてそういう目線で、
日本地図を眺めていたことがよくあった。

白神山を知ったのは小学生のころで、
夏休みの自由研究として、日本地図を書き写したことがあったのだが
北海道を写し終え本州に移ると、山では下北半島の恐山、津軽の岩木山、
そして白神山が地図上に現れる。
標高からしても、いかにも地味そうな白神山は、
秘境的な場所に興味のあった自分にはむしろ記憶に残る山となった。

大学に入り山のクラブに入部した自分は、
体育会ならではの伝統のしきたりがわずらわしく、
退部しようかと考えていたのだが、
夏合宿が発表されると、
合宿の場所が白神山地であった。

これには驚いた。
よほどの通でなければ、白神山地という選択肢は出てこない。
そのセンスの良さにちょっと引かれたのである。

私の参加したパーティのコースは
暗門大橋-暗門ノ滝-西俣沢(フガケ沢)-郡界尾根-ヤナダキ沢-赤石川-滝川-西ノ沢-県界尾根-サカサ川-追良瀬川-ウズラ石ノ沢-白神岳-陸奥黒崎駅で
5泊6日の日程であった。

白神の森は素人目には地味に映る
確かにブナの木は多いが
屋久杉のように特段の巨木が見られるわけでもない。
いわば、日常的な東北の森が広がっているだけなのである。

その本当のすばらしさは、一目ではわからないことなのだ。
普通の山であれば、目の前の尾根を越えれば、向こう側に林道が現れたり
送電線が見え隠れするものだ。
ところが白神の森はどこまで行っても、山と森と沢だけなのである。

その貴重さは、登山を趣味とする人でないとわからないかもしれない。
おおよそどんな山へ行っても、
一日中歩いていて人間の作った人工物を目にすることがないということは、
めったにあることではない。
日本アルプスであっても例外ではない。
ここ白神では、それが二日も三日も続くのである。

かといって白神は、人と無縁な地でもない。
マタギの文化が色濃く残る地域であり
何百年と続いてきた人と自然との営みをも含めて
すばらしいのである。

今となっては幻のような話だが、
この合宿の後にも、
もう一度、単独で追良瀬川から白神岳を訪れたことがあった。

近年では世界遺産になってしまったが、
世界遺産になったことがいいのか悪いのか、
世界遺産に指定されたことにより、むしろ白神山と人との関係が疎遠となり
本当の白神のすばらしさを知る人が少なくなることを心配するのだ。



信濃デッサン館と塩田平

2014-11-08 10:45:11 | 旅行
好きな美術館と聞かれ
まず思い浮かべるのは
信州、塩田平にある信濃デッサン館です。
かわいらしいチャペルのような美術館は、
一人の作家の作品を展示しているわけでもないのに、
作品には、一つのまとまりがあり、
展示のセンスすら、一つの芸術作品のようでもあります。

中でも、村山槐多の作品は信濃デッサン館を語る上で欠かせない存在です。
入り口すぐには、
槐多の作品の「尿(いばり)する裸僧」があります。
この絵は美術館の要の作品でありながら、
他の展示作品とは異質のイメージのある絵です。

槐多の作品は、他にも多数展示されており
常設展として、槐多の作品がこれだけまとまって見られるというのは大変貴重です。
若くして亡くなった画家の絵は、どの絵も深く鋭い内面性を秘めており、
作品の数々からある種のオーラを感じるのです。
私にはデッサン館のデッサンとは、槐多のデッサンを指しているようにすら思えます。

他にも、立原道造、宮沢賢治、小熊秀雄といった、画家というよりは、
詩人として世に知れた人たちの作品が並びます。
どちらかと言えば薄幸な詩人達の
その貴重な絵が信濃デッサン館には数多く収蔵されています。
デッサン館の絵を見ていると、
人生と芸術に苦悩する若い詩人達の切ない息遣いが感じられるのです。


美術館のもう一つの大きな魅力は、その立地です
前山寺の表参道のすぐ横にある美術館は、
塩田平を一望できるような場所にあります。



信州の鎌倉と言われる塩田平の景色は、一見、唯の田園風景のようにも見えますが
由緒ある古寺、背後にそびえる山々、それらは、美術館と一体となった精神世界を創っているのです。
特に前山寺背後の独鈷山は、人間の生活圏である裏山と
八ヶ岳や浅間山といった自然界にある山々との
ちょうど境界線上にある山といった感じで、
それでも、どちらかといえば塩田平の勢力下にある山といってよく、
そこのところが、塩田平の魅力を飛躍的に高めている要因のような気がします。



二年前のちょうど今頃の季節にもオートバイで塩田平や信濃デッサン館を訪れたのですが。
またふと行ってみたいものだと思ったのです。

(今日は生憎の曇り空で、どうもお出かけ日和とはならなかったのです。)




毘沙門湾 剣崎 三浦半島ハイキング

2014-11-03 22:55:02 | 三浦半島ハイキング
<コース>
三崎港―宮川港―盗人狩―毘沙門湾―毘沙門洞窟―白浜毘沙門天分岐―(江奈湾途中敗退)
―白浜毘沙門天分岐―白浜毘沙門天―松輪海岸―剣崎灯台―剣崎バス停

県道215を歩きだすと城ケ島が綺麗だ。


昨日より1時間ほど出発が遅くなってしまい、お昼近くの歩きだしとなりました。
今日は、三浦半島の南端を東西に歩くコースです。

三崎港から東へ向かって歩くと陽の光が当たるのが背中側となります。
(秋の陽ざしは低く、午後、西に向かって歩くと太陽の光が眩しいのです)

宮川港からいよいよ海岸沿いの遊歩道に入ります。

今日は奥さん同伴。

お弁当はシウマイ弁当


これは、うみねこ
よろしく


すぐに、海岸の景色のすばらしさに、なかなか前に進めなくなりました。
やはりメジャーなコースは違いますね。


ここが神奈川県で、
しかも家から2時間程度で着いてしまう場所だというのが信じられません。


なかなかの眺め。
海からの強い潮風のため後ろになびくような岩山の植生が面白い


これが有名な盗人狩の難所
まるで下北半島の仏ヶ浦のようです。


毘沙門洞窟は弥生時代から平安時代の遺跡




途中、白浜毘沙門神社への分岐の所をうっかりそのまま海岸を進んでしまいました。
地図を見ると、途中で毘沙門神社方面へ通じる踏み跡がありそうなので、まあいいかと思いそのまま進んだのですが、海岸から直接上に登れる道はありませんでした。上を見れば畑と思われる場所がありましたが、畑の中を歩くのは、はばかれます。
やむをえず、さきほどの分岐までもどることにしました。(このまま海岸を進むと江奈湾の西に広がる葦原に突入してしまうのです。)

こういうハプニングこそが面白いのですが、うちの奥さんはプンプンです。

それでも江奈のバス停では、5分後に来る三浦海岸駅行のバスがありましたが、そのまま歩くことに。



剣崎灯台は昨日来たばかり、先週の土曜日にもオートバイで来ているので、
短期間で3回来たことになります。


16時34分のバスで三浦海岸駅へ

大根とキャベツ畑と海岸の旅 三浦半島

2014-11-02 22:39:04 | 三浦半島ハイキング
先週に引き続き、今度は徒歩で、三浦海岸駅から剣崎あたりを巡りました。

今日のコース<徒歩>
京急三浦海岸駅―三浦海岸―皆ヶ久保(これより丘陵地へ登る)-殿畑―走湯神社―福寿寺
―三浦義村の墓―入―雨崎方面農道に入る―大浦―間口漁港―剣崎灯台―京急バス剣崎バス停


三浦海岸から丘陵地へ登ると段々畑の大根畑が広がっています。
昔は田んぼだったところもありそうです。
海の方角には、やはり東京湾が広がっています。

福寿寺は三浦義村が建立した由緒あるお寺。



ここにはなぜか、植村直美、西堀栄三郎、多田雄幸の三氏の顕彰碑があります。
西堀栄三郎や植村直美は登山や探検のカリスマとして有名ですが、
多田雄幸さんという人は知りませんでした。
調べたら、何でもヨット界のカリスマ的人物のようです、(多田さんが当地と縁のある方のようです)
後年、西堀栄三郎がヨットに凝ったというのもこの人物の影響かもしれません。



義村公の墓は福寿寺の境内ではなく、寺よりもっと海岸に近い小高い丘の上にあります。
雑木を切り開けば金田湾を見降ろすことができるであろう、海に一番近い場所です。
三浦義村という人は、海が好きだったのでしょうか。



県道の坂を登り、岬に向かう農道に入ると一層のどかな田園風景となります。


大根畑の中をぐるぐると迂回しながら伸びる道は、
途中海の方へ降りる道もあります。



太平洋戦争の頃に作られたと思われる、格納庫のような建造物がありました。


このまあるいコンクリートの遺構はなんなのか、二つ並んで畑の中にあります。(調べたら砲台跡とのことでした)
こういう遺構は近年のものには違いないですが、
これからも残しておいてもらいたいものです。

2週続けて剣崎灯台に来るなんて酔狂ですな。


三浦半島の大根畑は美しいです。
各農家が丹精込めて作られていることが窺えます。
三浦の農道はせまいので、この辺を散策される場合には、
農作業の邪魔にならないよう注意する必要があります。
農道では軽トラ優先です。
くれぐれも畑には立ち入らぬよう気を付けたいものです。