とうちゃんのぷらぷら日記

アウトドア系の日記及びうんちく

皆既月食だ〜あ 2018年1月31日10時20分

2018-01-31 22:39:43 | 日記
    すごいぞ お月さん
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草津白根山でスキーしたなあ

2018-01-28 10:46:00 | 山行
白根山が噴火した。
気象庁は、白根山には強力な監視体制を敷いていたらしいが、本白根の方は手薄だったそうだ。災害が起きる時というはそんなものなのだろう。

被害にあったスキー場にも行ったことがあるが、近くの万座スキー場の方ならもっとよく行った。ちょうど「私をスキーに連れてって」の映画が流行っていたころでスキー場はどこも混んでいた。
万座のスキーに行くのは、仕事上のお付き合いの所もあったのでいつもプリンスホテルに宿泊し豪華だったが、さほど積極的に行っていたわけでもなかった。

「一日券を買っても、10回ぐらいしかリフトに乗らないんじゃ元がとれないよ。」
「こんなちまい所でスキーなんかやってられないよ。」

参加者には私と同じ意見の人がいて、「来年はゲレンデなんかやめて白根に登ろうぜ。」と話し合った。それで翌年は山の装備でゲレンデにやってきた。
朝一番にリフトが動き出すと同時に出発し、
ゲレンデの喧騒から遠ざかると山スキーモードになった。
「やっぱスキー場の100倍は感動するな。」スキー板にシールを付けて歩き出すとお互いに盛り上がった。

白根山へ登ると、夏には一般の人でも登れるような観光地とは思えない冬山の景色が広がる。眼下のお釜の景色もとても美しい。
曇り空だったがよい天気だったので、ホテルの朝食バイキングでくすねてきたパンと牛乳を山頂で食べ優越感にひたった。

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表参道 赤坂 愛宕山へ

2018-01-21 08:15:01 | 日記
渋谷駅の明治通り方向通路にある「きらきら渋谷」の壁画

文部省唱歌「春の小川」は、昔の渋谷がモデルだが、
現代の渋谷は、人々のエネルギーが行き交い新しい文化を次々と生み出す春の小川のようだ。という作品。
表参道方向へ歩いて行くと、いかにもなお店が立ち並ぶ




来て着てサンタモニカ♪


表参道の昔のイメージは同潤会アパートだ。
同潤会アパートには、個人でも頑張れば出店できそうな小さなお店が入っていた。
今は大がかりなお店がメイン通りを占める。

青山通り近くにある、青山、赤坂地区の戦災の様子を伝える碑



青山通りを歩いて行くとホンダのショールームがある。

車、オートバイ、芝刈り機までホンダで揃えている自分は、
当然大きい顔をして立ち寄る。

伝統工芸の情報発信基地「伝統工芸青山スクエア」

折り紙付きの伝統工芸品が並ぶ。
伝統工芸に興味がある人は、必ず寄るべき場所。

高橋是清の屋敷跡の公園

だるまさんの愛称で親しまれた大蔵大臣。(総理大臣も務めたそうだが)世界恐慌の時、取付騒ぎに見舞われた銀行救済のため、急ぐあまり表面しか刷っていない紙幣を発行したことでも有名。そんな功労者も二・二六事件で暗殺された。

赤坂の一等地に大学の新キャンパスがオープンするみたいだ。

経営難と言われている私立大学だが、どうもよく仕組みがわからない。

TBS前の廃屋、これもよく分からない。


ついでにサントリーホールのアークヒルズにも寄る。
カラヤン広場ではサックスとピアノの演奏
チャールダッシュというスピード感ある曲をサックスで演奏していた。
すごいテクニック(サックス中村優香さん・電子ピアノ宮野詩織さん)

ニャ

ニャ

ニャーン

陽泉寺のニャンコ
お寺の前の道には、ねこの飛び出し注意のカンバンがある。
愛されている猫

愛宕神社に到着

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日比谷線霞ヶ関駅ホームのクレープ屋さん

2018-01-17 21:28:46 | 独り言
日比谷線の霞ヶ関駅ホームに
なぜかクレープ屋さんがある。

普通のキヨスクが、ついでにクレープを置いているならわかるが
本当にクレープしか売っていない。
一個200円〜240円ぐらいのようだが
なんで、どうして。
お店の場所もホーム前方中目黒方面の端の方で、駅を歩く人が誰でも通る場所でもない

でもなんだか気になる。
霞ヶ関に用があった時には、つい覗きこんでしまう。
お店のおねーさんも「いらっしゃいませ」と声をかけてくれるが、
日比谷線は、すぐに電車が来てしまう。
思い切って買おう、という決断をする暇がない。
どうも買いそびれてしまう。
今度来るときは、勇気を出して買おう。
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熊谷守一展から皇居へ行ってみた

2018-01-14 20:16:15 | 日記
熊谷ニャンコ


東京国立近代美術館で熊谷守一展が開催されているというので出かけた。
サブタイトル「生きるよろこび」

熊谷守一さんの絵は、鬼気迫るようなタイプの絵ではないが、気になる。
版画のようなタッチで、風物を切り取る。
偏屈な画家なのかと思えば、
生きとし生ける者への愛情にあふれた絵が並ぶ。
中でも、若くして逝った長女萬さんの絵は切ないが、
画家の目で、生と死を冷静に描ききっている。

猫、牛、馬、蝶、蟻、鳥、蝙蝠、それぞれが主役の絵。
生きているものはみな主役なのだ。そう言っているみたいだ。

海(大・小)・熱海・甲斐駒・御岳・萬の像・ヤキバノカエリ・たまご・伸餅・少女・海の図・猫・雨滴・豆に蟻・野火・宵月・朝のはぢまり・ほとけさま、良かったのでメモした。

特に今回「たまご」がいいと思ったら、図録の表紙にも採用されていた。
たまごが四つ(三つでなく四つなのがポイント)それも画面の左上隅に寄せられている
おっと思わせる絵だ。隣の伸餅もよかった。


美術館の常設展では戦争画のコーナーがある。藤田嗣治の「シンガポール最後の日」(グキ・テマ高地)は圧倒的な画力で描かれていて、戦争画でも一見の価値あり。
横光利一の「機械」(白水社)の本なんかも展示されていた。

美術館を出て隣りの皇居東御苑を散歩する。


本丸跡


本丸から大奥を見る


富士見櫓




今日は内堀通りの一部を封鎖して自転車天国になっていた。



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旧相模川橋脚と寒川神社は関係があるのでは?

2018-01-08 07:23:44 | 近所の旅
史跡の旧相模川橋脚へ行く


橋脚は関東大震災の液状化現象で田圃の中から出てきたという。


この遺構で最大の謎は、柱が南北に並んでいることだ。
しかも3列。



合理的に考えれば相模川に架ける橋なら東西方向に架け、柱は2列だろう。
相模川が蛇行していて、一部東西に流れる箇所があったとしても、そこにあえて橋を架けるだろうか。


地図を見ると寒川神社がほぼ真北にあるのが気になる。
稲城重成が妻(北条政子の妹)の供養としてこの橋を普請したそうなので、橋を造る動機としても、相模川を渡るための公共的な実用性よりも、より宗教色の強い建造物であったことが想像できる。
すると南北に橋が架けられた意味も、
源頼朝が橋の落成式に出席したことも納得できる。
橋は神社の太鼓橋のような役割をしていたのではないかと思う。

寒川神社は、相模湾のほぼ中央の奥まった所にある。
かつては、海上の船からも社殿が見えたのではないか。
社殿から海に向かった所に豪華な橋を架けるというのは、死者を極楽浄土へ導く寒川神社の仕掛けとして造られたのではないかと個人的には思ってしまう。
付近は富士山も綺麗に見える。


続けて寒川神社へお参り。


さすがに混んでいる。


この社殿の柱と相模川橋脚の柱も、似ている。
そういう解釈は、史跡の説明文にも書かれていなかったがどうなのだろう。
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七草粥を作る

2018-01-07 08:39:51 | 日記
我が家の雑煮は、(横浜の田舎風)
正月三が日に食べるのは普通のお雑煮

7日が七草粥で
鏡開きの日には小豆粥を作る
そして最後が二十日雑煮

我が家では、家で手に入る野菜で雑煮を作る。
具は大根、小松菜、里芋と油揚げで、かつおだしのすまし汁にする。
野菜や里芋は前もって茹でておく。
餅は角餅
江戸風に三つ葉やかしわを入れるのも美味しそうだが食べたことがない。
冬野菜は味が濃いので、野菜だけでもコクがある。

七草粥は、七草すべてを入れるわけではない。
ナズナが入っていれば、七草粥とした。

さっき取ってきたばかりのナズナ


茹でて細かく刻む。


他、大根と餅も入れる。

小松菜も入れるが、今日はナズナが多すぎたので小松菜とホウレンソウは、おひたしにした。


あずき粥は、お供え餅を入れて食べるのだが、味付けがなかったように思う。
それで食べる時に砂糖を入れて食べていた。

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夢、叶(かのう)神社から、観音崎へ

2018-01-06 23:36:26 | 三浦半島ハイキング
正月に訪れるのにふさわしい神社が浦賀の叶神社だ。
浦賀港を挟んで西と東の叶神社があるので夢が叶うよう、それぞれお参りするとよい。
(ダブルで叶う)

浦賀ドックは、老朽化した施設の解体中で、さっぱりしてしまった。
昔の写真が浦賀港の渡し船の待合所に掛けてある。



中島三郎助という人は浦賀奉行の与力だった人で、ペリー来航時にはアメリカ側との対応役を務めたそうだ。造船技術や航海術を学んだ当時最先端の知識を持った人物だったようだが、函館戦争で二人の息子とともに戦死してしまう。なんだか悲しい話だが、日本の未来のため命を懸けて戦った地元の英雄だ。それで函館市と観光でコラボしようという計画らしい。

東叶神社


駆逐艦村雨の慰霊碑にも詣でる


観音崎からボードウォークへ


ボードウォークは台風で壊れてしまったそうだ。気持ちのよい散策路だったのに残念


走水神社の手水舎のカッパ君が横にのけられていた。

あれどうしちゃったの


今日は馬堀海岸から堀之内の駅へ


鴨君たちは冬になるとこの海でぷかぷかやっている。
とっても可愛い

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正月気分もそろそろ終わり

2018-01-03 22:36:37 | 独り言
31日の食品売り場はアメ横みたいだった。
年末買えなかったブルーチーズを買う(フルムダンベール)

獅子舞を見る。


この店、なにげなく看板を見ると、「オオ、なんだ。」とドキリとする。

でも年末年始に薬を買った。

お寺へ行って鐘を撞く。
地元の神社もお参りに行くが賽銭箱から行列が延びていた。
こっぱずかしいので帰る。

今日は風が強かった。
木の枝がゆれていた。
それをガラス越しに見る。
陽当たりのいい部屋は極楽。
だからといって
うかうかしていていると一日終わってしまう。
夕方寒くなると、現実を突きつけられたようで寂しい。

お酒を飲む。
だてまき、こぶまき、おぞうに、おそば、
野菜炒め、まぐろのやまかけ、ピザトースト、
なんでも食べまくり。

ただし、ふとる。
一日が終わる。
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伯母の所へ新年のあいさつに行く

2018-01-02 19:46:53 | 独り言
伯母は大正15年生まれだ。
昨年近所のスーパーで転んで、足や腕の骨を折って入院した。
今は退院したが、それが原因で最近は家の外に出ないようだ。
近所の親類がサポートしているものの、一人暮らしなのでたまに様子を見に行く。

今日は新年のあいさつを兼ねて行ってみた。

しゃべりのパワーは、私なんかより上だ。
行くと、横浜在住のオペラ歌手三宅春恵さんの話になる。三宅さんというのはオペラの二期会を設立した日本オペラ界の重鎮だった人だ。ご主人の洋一郎さんという方もピアニストで、フェリス女学院とも関係の深い人のようだ。

いったいいつごろの話なのか、マシンガンのような伯母の話をかいくぐり聞いてみたが、どうも昭和20年代から、30年代ぐらいのことのようだ。
他にも、いろいろな人の名前が出てくるが、すぐに忘れてしまう。
今日、「フジワラヨシエ」も生で聴いたのよと自慢していたので、きっと名のある人にちがいないと思い帰ってネットで調べたら。藤原歌劇団の創設者だった。
伯母は美術館めぐりも好きだったので、わりと私と話が合う。
それにしても大正生まれはしぶとい。
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元旦の過ごし方

2018-01-01 18:55:13 | 日記
高校生のころ、元旦の日に丹沢の塔ノ岳へ2年続けて登山した。(大晦日の日に登り、山頂で一泊した)
塔ノ岳の直下でテントを張り、お雑煮を作った。

今では、丹沢の山中でキャンプをすることは禁止されているが、当時は山頂から50mぐらい離れているところならキャンプが許されていた。
山頂直下には、小さなキャンプサイトがいくつもあった。
大晦日の日には、そこへ多くのテントが並んだ。
一回目はクラスの友人と、二回目は単独だった。

中学生のころにも2度、冬場の塔ノ岳と丹沢山へ泊りがけで出かけている。
この時は元旦であったか記憶も曖昧になっているが、
丹沢の冬山登山であっても尊仏山荘とみやま山荘(丹沢山)の小屋泊まりからスタートしており、高校生でも一応ステップアップの手順は踏んでいた。
みやま山荘へ泊った時には雪が深く、宿泊者に対し蛭が岳方面への縦走は小屋番がストップをかけた。
今は知らないが、山小屋も遭難対策に積極的な対応をしていた。


その後、大学生のころになると、クラブの冬合宿に参加しやはり正月は家にいなかった。OBになってもしばらくは後輩のサポートで冬合宿に参加した。

ある年の元旦。
オートバイで伊豆半島の下田から南端近くの入間まで行って帰ってきた。
伊豆はここに比べればまだ多少暖かいのかもしれないが、めちゃくちゃ寒かった。

その後は友人の別荘にころがり込みスキーなどしながら正月を過ごすのが長く定番となった。
独身時代の正月の過ごし方はだいたいそんなものだった。

結婚しても、実家へ帰る。
どこそこへ初詣に行くなどと、外出が続く。
一年で一番あわただしいのは正月なのかも知れない。




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ニューイヤー駅伝が始まる

2018-01-01 08:57:54 | 日記
正月の実業団駅伝が始まった。
解説には増田明美さん
優勝候補の旭化成の一区のランナーには茂木選手

となれば、スタート地点では役所広司さんや、阿川佐和子さんが応援しているのではないか、
茂木選手のシューズは陸王なのではないか、

あらぬことに注目してしまう。
TBSは抜け目がない。


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