とうちゃんのぷらぷら日記

アウトドア系の日記及びうんちく

相模原駅から鑓水 八王子絹の道 八王子みなみ野駅

2017-11-26 06:58:03 | 東京散歩
相模原駅から米軍相模原補給廠の西を境川へ。
境川はその名のとおり神奈川県と東京都の境


田端環状積石遺構




石をまるく積んでお祈りしたんだって
もともと5000年前ぐらいに竪穴式住居の集落があった所で、縄文多摩旧タウン跡

この地域の旧家小泉家の前を通り




絹の道入口にある道標 橋本 津久井 大山とある


絹の道資料館から山越えの旧道へ




八王子バイパスを渡り
八王子みなみ野駅へ

本日の歩行は16キロほど



学芸大学駅から林試の森 目黒不動 大鳥神社

2017-11-24 22:37:49 | 東京散歩
学芸大学の駅は懐かしい。
駅前の恭文堂書店と古書店の飯島書店にはよく通った。
タモリさんもかなり昔から住んでいるらしい。
私も愛着がわく街だ。

通称目黒タワー(NTTの電波塔)は、昔は丸いパラボナアンテナが沢山付いていて、秘密基地の雰囲気だった。


ホテルニューメグロ(今は別の名前みたいだ)


目黒通りを渡り、目黒競馬場のあった方へ歩いていくと、高級住宅街となる。
(大使館もある)
 
ネパールとタイ王国の大使館

この地にあった目黒競馬場のコーナーに沿った道を歩く。


ここをサラブレッドが駆け抜けていたかと思うと不思議。
第三コーナーから第四コーナーへ、さあ最後の直線コースに入った・・・先頭はホタルノヒカリ・・・・てか

天下のサラブレッド4歳馬、今日はダービーめでたいな、という曲があった。
ここは、日本ダービー発祥の地なのだ。




林試の森は、元林業試験場らしく公園の入り口には、どこに何の木が植えてあるのかわかる地図がある。


お不動さんの入り口近く
歌舞伎、鈴ヶ森で有名な白井権八と遊女小柴の名前があった。



ぐぐっと引かれたが、これは何なのか。
解説文がなかったので、帰ってから調べた。
白井権八こと平井権八は鈴ヶ森で処刑され、この地にあった東昌寺に葬られたそうだ。
すると権八と恋仲であった吉原の遊女小柴は、遊郭を抜け出し権八の墓の前で後追い自殺をした。
あわれな二人が来世で結ばれるようにと建てられたのがこの比翼塚なんだそうな。
ちなみに比翼塚ってなんなのか調べたら、心中した男女を弔うためだとか、とりわけ仲のよかった夫婦を合葬した墓なんかを比翼塚というんだそうだ。
比翼塚の主は、少し悲恋のことが多いようで、要は純愛メロドラマ系、ベルサイユのばら「オスカル、アンドレ、今宵一夜はそなたの妻に。」「愛それは~」的な心を打つ物語であることが多いようだ。

大鳥神社は30日にも酉の市があるそうだ。



怖いもの見たさなのか、最近人気がある。

帰りには、元競馬場前バス停近くでクラッシックタイプの大きな穴のドーナツをはらドーナツで買う。その心は、元競馬場前だけに大穴狙いでしょう。チャンチャン



史記列伝は愛読書だった

2017-11-19 22:34:53 | 本、作家
愛読書に「史記列伝」と書いていた時があった。
司馬遷は漢の武帝の時代の人間だから、史記列伝はそれより昔の人の伝記である。

日本人の好きな歴史上の英雄や政治家が数多く出てくる。
基本的に群雄割拠の国盗り物語的な時代なので、
英雄や豪傑は、まともな死に方をしていない場合も多い。
特に№2の人間はいけない。
三族皆殺しや、車ざきの刑と物騒だ。

ところが、よくよく考えると近代の方がもっと過激だ。
近代中国では、№2の林彪や劉少奇が非業の死を遂げた。
北朝鮮では、先ごろも№2の張成沢氏が残忍な方法で処刑された。
民主主義とされる韓国でも、現政権による前大統領への攻撃は、情け容赦がない。
むしろ史記列伝の時代より苛烈になっているようにも見える。

武士の情けなどという言葉があるのは日本ぐらいなのかもしれない。

スターリンは、将来自分に敵対しそうな人間をことごとく粛清した。最後には、あまりに有能な人や無実の人を殺しすぎて、国家の統治にも支障をきたす事態となった。このためスターリンの指示で粛清を進めていた秘密警察の長官が責任をとらされ処刑されたというのも、なんだかブラックユーモアだ。

スターリンを見習ったカンボジアのポルポト政権も過激だった。
ポルポトも知識人を憎んだ。
教師であるという理由だけで処刑の対象とされた。
当時テレビで見たポルポト政権下のプロパガンダの映像が忘れられない。
都市部から強制移住させられた人々が、農地の開墾に従事させられている映像だったが
人々は両天秤に盛られた土を担ぎ、小走りで開墾作業に当たっていた。
カメラの前では、笑顔でなければならない命令だったようで、必死にカメラ目線でひきつった笑顔を作っていた。ろくでもない演出であることは、一目でわかった。

今の北朝鮮も、この流れの上にあるのだろう。

昔の農家は生き物でいっぱい

2017-11-18 22:13:19 | 日記
最近の農家は、あまり動物を飼うことがなくなってしまった。
飼っても犬猫ぐらいだろう。
普通のサラリーマンとかわらない。

私が小さいころには、多くの農家でいろいろな家畜を飼っていた。
まだ戦後の食糧難の時代を引きずっていたのだろう。
牧場というほど大げさなものではなく、一、二頭の牛を飼っている農家もあった。
そんな農家でも、おそらく主力は稲作や畑作だったのだろう。
村中を駆けずり回って遊んでいた私だが、さすがに牛には怖くて近づけなかった。

母の実家も横浜だったが、ヤギと豚2頭を飼っていた。
母の家は三つ葉などを作る普通の畑作農家だったが、やはりそんなものを飼っていた。
母が帰省すると、私ら子供はやることもなく、そんな時ヤギや豚がいることは慰めだった。その辺の野菜くずをあげて、彼らがむさぼり食うのをながめていた。そもそも私の家自体も養鶏場だったので、日常的に動物との付き合いの毎日だった。

余談だが、幼い頃家畜と触れ合うとよいこともあるそうだ。
なんでも花粉症にならなくなるのだそうだ。アレルギーがないのもそのせいかもしれない。
動物が持ついろいろな菌に早くから感染し抗体が出来ているのかもしれない。

農協祭りに行く

2017-11-18 17:38:17 | 日記
農協祭りへ行こうとしたら


だれだ、オートバイに、足あとつけたのは
動かぬ証拠のニャンコの足あと
シートやステップ、ボックスの上におニャンコ印
きっと雨の日にでも小屋に入り込んでいたのだろう。

今日は、少し雨の混じる曇り空だったが、オートバイで農協祭りに行く。
車で行くと大渋滞に巻き込まれ、車を止めるのも一苦労となる。
送迎用の東急バスも走っている。
農協祭りの焼き鳥は美味しいのだが9時ですでに長蛇の列となっていた。
他の売り場も混んでいる。
とある売り場には、いつも同級生がいる。話すと長くなるのでササっと逃げる。

農協さんから送られてきた500円券があるので、いつも比較的空いている婦人部でお寿司を買う。(というかもらう)
遠巻きに売り場を見ていたら弟に会った。

ゆずの砂糖漬けは、ゆずの鮮烈な香が楽しめる。
欲張らず一週間分ぐらいを作り置きするのがよい。


ゆずジャムも、先週奥さんが作ってくれたから、しばらくは大丈夫。こちらは保存がきく。
ただし砂糖の取りすぎには注意が必要。

横浜水道路(すいどうみち)を歩く

2017-11-13 21:56:55 | 横浜散歩
横浜の西北方向から野毛に延びる水道路(すいどうみち)と呼ばれる道路がある。

横浜の水道は、すばらしい。
大都市にも拘わらず質量ともに優れている。
これまで横浜に住んでいて給水制限が行われた記憶がない。
高度経済成長期であってもカルキの臭いのする水は飲んだことがない。
その横浜が誇る水道施設を歩く。

みなみまちだの駅から歩き始める。
 

水道は鶴間公園の中を通っている。南町田病院の北を通り土橋公園を抜ける。
途中地中に埋設されていた古い水道管が展示されている。







大型施設の川井浄水場へ


ここから、バリエーションルートの川井鶴ヶ峰導水路へ向かう。
 

このルートのハイライトは「大貫谷戸水路橋」




余部鉄橋を思わせるような豪快な水道鉄橋だ。




橋を渡った向こう側は、ハイキングコースになっている。


梅田谷戸水路橋の所で左側から下山




川井の明神神社へやや戻り気味に歩き
水道路の本道へ戻ると川井宿近くの帷子川に架かる小さな橋の上
かつてトロッコで使われていた線路がある。



この円形が水道管の大きさ

ここは、私にとってたいへん懐かしい道だ。
私が幼いころ、従妹たちと歩いた道だった。


横浜のゆず

2017-11-11 16:08:59 | 日記
横浜といってもフォークソングのゆずではない。
ほんもののゆずだ。
ゆずは季節の香として、この時期の日本食に欠かせない。

私の村(過去に村であった時代の世帯)では、ほとんどの家で庭にゆずの木を植えていた。
というのも昔は頻繁に隣近所の行き来があったので、村の家はたいていどこの家でも同じような植栽になっていた。
隣のおばちゃんがやってきて、庭にきれいな花や果物が植えられていれば、当然「いいね」となる。
そして、この手のことになると農家はプロである。
「こんど種ができたら頂戴よ」株分け、接ぎ木なんていうのもあったろう。
またたく間に村中に広がる。

欅の屋敷林に榧木、もちの木、椿(乙女椿に藪椿)柿(禅寺丸・富有柿など)
などが植えられ、その中にゆずの木もあった。

今日は季節の味覚、ゆずの砂糖漬けを作る。


石毛直道さん 私の履歴書

2017-11-11 07:34:18 | 日記
日経の私の履歴書に文化人類学者の石毛直道さんが連載中だ。
前に読んだ梅棹忠雄さんの本の中で石毛さんに関する記述があった。

石毛料理長
研究者というばかりでなく、かれはじっさいに天才的な庖丁人である。
かれのおかげで、わたしのリビア砂漠での食生活は、まったく満足すべきものとなった。
しかし砂漠のまんなかでサシミがでてきたときには、さすがに驚倒した。
(1968年京都大学サハラ学術探検隊)

いったい、砂漠で刺し身とはどんなものなのか、不思議に思っていた。
今日そのなぞが解けた。

「滞在時の食事は私が担当していた。買って来た干鱈をうまく戻し、鶏をつぶして砂肝とササミを薄く切って出したら、梅棹さんに驚かれた。「石毛は砂漠で刺し身を作りよる」と後々まで言われる羽目になった。

前々から不思議に思っていたのだが、
やはり梅棹忠雄さんをして驚嘆せしめる手間と工夫があった。

探検とまでいかなくとも、長期間山野で自炊する場合は、食事が大切だ。
食事の良し悪しで、成果も変わる。

おじさんも振り返る街角(渋谷)

2017-11-05 05:53:20 | 東京散歩
尾崎豊の碑がある東邦生命ビル




青山学院幼稚園前にある横断幕(踏切みたい)


こういう建築が本当に建てられる。
建築家にとっては、夢の空間 ? 南青山。


ファミリーマートもアートしている。



表参道へ
アップルの新機種が発売されたんだっけ


東急の前には早くもクリスマスツリー
(小出の大力納豆(辛味納豆)を買って帰りました)


ハチ公
昔は人待ちの場所で、みんなハチ公を背にして取り囲んでいた。
いまは、観光スポットのようだ。


今日は犬の散歩のように渋谷のあたりをマーキングして歩く。
昔のわんこの縄張りもすっかり変わっていてしまった


なつかしい私の旅行パターン

2017-11-04 07:11:08 | 日記

学生時代の旅行で広島から山陰、奈良へ行った時の旅の資料が出てきたので当時の私の旅のパターンを書いておく。

1.<旅行といえば周遊券を利用していた>(周遊券は、学割も使え急行は乗り放題だった。)
便利で格安な周遊券は、貧乏学生にとって定番のキップだった。
無くなってしまったのが寂しい。

もっとも地方の路線は廃止された所も多く、新幹線の開通で在来線の本数は激減しているので、もはやコンセプトとして成立しないのだろう。
当時は、夜行電車をはじめローカル線のダイヤも充実していた。
まさに乗り鉄の時代だった。

最長片道切符の旅
(2、3日前の日経新聞の春秋の社説でこの本が取り上げられていた。懐かしかった。)昭和54年


私も夜行列車やキャンプ場、時にステーションビバークを利用し格安旅行を楽しんだ。


2.<観光地では歩く、歩く、自転車で走る>
大山では、麓にテントを張り、伯耆大山へ登る。
鳥取では、山城の鳥取城へ登る。(鳥取城の展望は最高、鳥取砂丘など一望できる)
萩や松江では、レンタサイクルを借りて、萩の北にある火山の笠山へ自転車で行く。
松江の市街から離れている八重垣神社や神魂神社(かもすじんじゃ)も自転車で巡る。


3・<旅は創意と工夫>
この時の旅は、当時流行っていた生録で旅を記録した。
列車の生録をはじめ、ザビエル記念聖堂の鐘の音、長門の青海島の波の音、八重垣神社の祝詞の音(太鼓と笛の音入り)出雲大社の玉砂利を踏む音、早朝の奈良の鐘の音、などなど、写真とは違う面白さがあった。




ゴッホ展から秋葉原、神保町

2017-11-03 22:42:56 | 東京散歩
仕事疲れで、今日の予定が立たない。
最近、北斎とゴッホがブレイク中のようなので
三連休にどうかとも思ったが、他に思いつかなかったので出かけた。

東京都美術館のゴッホ展は、入館に10分待ちだった。(10時ごろ)
日本人のゴッホ好きは、昔からだ。
なにしろゴッホの方も浮世絵や日本に憧れていたのだから、相思相愛の関係だ。
自分もまず初めに憧れた画家が北斎とゴッホだった。
絵画に興味を持つきっかけとなった二大巨匠の作品が、同時に見られたので
感慨深い。

北斎の他、写楽、広重などの浮世絵も同時に展示していている。
関連資料も多い。
日本とゴッホの関わりを丁寧に解説した展覧会だった。

ゴッホ展の後は、特に目的もなくアメ横の人ごみをかき分けながら歩く。

御徒町に通りかかるとへぎそばの看板が目についた。
思わず店に入り、へぎそばを注文する。
出されたそばは、この間食べた神保町のへぎそば屋さんと一緒だった。
ネットで調べたら店の名前も同じだった。(こんごう庵と言う)

メイドのコスプレおねーさんが現れたら秋葉原に到着


オヤイデ電気や××無線もオネーチャンなんかに負けるなよ


神田明神も秋葉化




湯島聖堂を見学し


ニコライ堂へお参り
つい今しがた、神社や孔子様を拝んでおいて、今度はキリスト様
無節操というのではなく、分け隔てなく神々を敬う日本人の美徳というべきだろう。


ニコライ堂の拝観料は300円 パンフレットと一緒に細長い大きめの蝋燭を渡される。
礼拝堂にお燈明をあげて、東京復活大聖堂(ニコライ堂)の説明を聞く。

そのまま古本屋街へ
今日の神保町はブックフェスティバル
どこも人がいっぱな一日だった。