とうちゃんのぷらぷら日記

アウトドア系の日記及びうんちく

汽笛一声桜木町

2019-03-31 12:14:50 | 日記
日曜日は「遠くへいきたい」を見る。
今日は青春18きっぷの旅だった。

昭和50年代ぐらいまでは、旅といえば鉄道がメインの交通手段だったが、
今は地方などで、鉄道がどんどん無くなる時代となっている。
車の自動運転なんかが始まるともっとなくなりそうだ。

日本で鉄道が開業したのは、明治5年5月7日だそうだ。
新橋ではなく、横浜(桜木町駅)-品川間でまず始めに開業した。
鉄道の敷設工事は、横浜港に陸揚げされたイギリスの建設資材を使ったそうなので、工事が始まったのも横浜からだろう。




今では鉄道の開通というのも歴史上のことになってしまったので、
それが横浜だといっても、もはや住んでいる我々に実感はない。

それで、曽祖父に置き換えて考えてみた。
この時ひいじいさんは15歳だった。

当然、鉄道開通の話は知っていただろう。
昔の人は健脚なので、桜木町ぐらいの距離なら苦も無く歩いてこれたはずだ。
曽祖父はそもそも新しもの好きだったと聞いている。

やじうまの一人として蒸気機関車の開通を見に来た可能性もある。
初めて見る異国の乗り物に、今で言えば宇宙ロケットぐらいの衝撃があったことだろう。
この時の感動が動機となっているか知らないが、ひいじいさんの下の弟は、その後国鉄に勤めている。
開通間もない信越本線の直江津駅に勤務していたそうだ。(数十年前にその子孫が直江津から横浜の実家を訪ねてきた)

なんていうことを考えると、この碑文の存在も自分にとってかなり大きくなってくる。

白石冬美さんのサイン

2019-03-30 16:26:52 | 日記
28日白石冬美さんが亡くなったそうだ。

ナッチャコパック(野沢那智・白石冬美さんのパックインミュージック)を聴いたのは高校生のころ。木曜の深夜(金曜日の朝)3時過ぎまでラジオを聴き、ボーとした顔で学校へ行っていた。

当時の深夜放送は若者に絶大に支持されていた。
ラジオのパーソナリティーとリスナーとの距離感が近く、お兄さんお姉さんが隣で雑談しながら自分に語り掛けてくれているような雰囲気がとてもよかった。
中でもナッチャコパックは深夜放送界のカリスマだった。
アランドロンと怪物君が、深夜に破天荒な掛け合いをしている。
リスナーからの長文の投稿を、ナッチャンが変幻自在な語り口で披露する。
人間交差点。青春広場。そんな感じの放送だった。

このサインも当時のもの。
私の名前までチャコさんに書いてもらっている。
だから今でも大切にしている。

ご冥福を祈ります。


「コクリコ坂から」の世界観は好きだ

2019-03-24 22:24:37 | 日記

コクリコ坂からは横浜が舞台ということもあるが、
カオスな部活の様子が好きだ。

私の中学校時代も戦前に建てられた木造校舎を今の白いコンクリートの校舎へ建て替える過度期で、同じようなイメージがあった。
私は入学してクラブに入るのに初めに生物部を覗いてみた。
当時は課外活動であっても指導する先生のいない生徒主導のクラブがあった。
(その後、学校主導の部活動が導入されていくことになる)

部室は、以前には理科の実験室かなにかで使用していた部屋だった。
年代ものの小さな部屋の中には薄汚れた水槽があり、緑色のアオミドロが繁殖していた。
行くと2名ぐらいの3年生がいた。
入部の見学に来たと言ってもあまり取り合ってもらえなかった。
何回か通ったが、部室の中でじゃれあっているばかりで、まともな活動をしていなかった。
ところがもう行くのをよそうと決めた日に、「これから近くの川へ出かける。」
と、突然行動を開始した。
ついて行くと、川の水のサンプルをいくつも採取してきた。
それ以来私は部室には行かなくなったが、その後この時の結果が「鶴見川水域における水質汚染物質の測定」というようなタイトルの研究でまとめられており、文部大臣なんとか賞というのを受賞していた。PCBが何PPMというように、かなり本格的な分析であったのを記憶している。
おどろいた。

他のクラブも
ジャコビニ流星群の観測
トラフカクイ蚊の研究
などが、私の在学中に文部大臣何とか賞に輝いている。
中学生と言ってもあなどれない。
(タイトルは私の記憶のものなので正式には少し違うかもしれないが、いずれにせよ、かなりつっこんだ内容のものだった。)

私はその後、山好きの同級生達と山登りに出かけるようになる。(正式な山岳部は中学にはなかった)当時でも一泊2日ぐらいの登山はすでに行っていたが、3年生になると夏休みを利用して南アルプスの北部を縦走する長大な計画を立てた。
それは、夜叉神峠から鳳凰山、甲斐駒ヶ岳、仙丈岳、北岳をめぐる5泊から6泊になる長期の登山計画であったが、これが事前に学校側に計画が漏れ、体育担当の教師につぶされてしまった。
その翌年秋になってからであるが、鳳凰山と北岳はなんとかメンバー全員で登った。
当時の親は、中学生同士の登山でも普通にゆるしてくれていたのだから、今とずいぶんちがうなあと思う。

個性的な生徒もたくさんいた。

小学校時代でも記憶に残る面々は多い。
手旗信号の得意なもの、天体観測にのめり込み「星見望人」という雅号を持っていたもの、漫画の同人誌を作る者、精巧な紙飛行機を作るもの、一日中顕微鏡をのぞいているもの、きりがないが、みななにかしら打ち込んでいた。

お彼岸にてそうろう

2019-03-23 09:08:13 | 独り言
暑さ寒さも彼岸まで

お墓には、いつも家に咲いている花を供える。
今年は、乙女椿が満開だった。
墓に椿はどうなのかとも思うが、この椿は昔から我が家の玄関先にある伝統の花木だ。
ご先祖様も同じ花を見て生きてきたことだろう。

墓参りに行くと、親類やよそ様のお墓もなにげなく見てみる。
我が家直系の家系で一番古い墓は元禄時代のようだ。
他家の墓も一番古い墓は元禄時代のようなので、
墓石を建てて供養するようになったのは、この辺では元禄時代からのようだ。
墓のおもて面には、戒名のようなものが書いてあるが、なんだかぴんとこない。
ところが横には墓を建てた年号と施主の氏名がかいてある。
それによると、市左衛門という人がお墓で確認できる一番古いご先祖さんのようだ。

市左衛門、
どんな人物だったのか?
水戸の黄門様と同時代に生きたご先祖さんだ。
末の子孫が手を合わせる。


武道館のユーミンのコンサートはエスパーだった

2019-03-16 00:52:21 | 音楽 美術
「一番上が「コ」で一番下が「ム」でゴムでできてて薬屋さんの自動販売機でも売っているものな~んだ」初対面で先輩歌手のイルカさんを困らせた楽屋でのユーミンのクイズ。
頭の回転の速い現代っ子のイメージだったと、デビュー当時のユーミンの印象をイルカさんが書いている。

ああ今日はユーミンのコンサートだと思ったら、
朝から勝手に頭の中でコバルト・アワーが流れている。
(どうしてかは不明)

ユーミンの曲は、人生の伴走者のような存在だね。
15歳ぐらいのときから60歳ぐらいになった今でも聴き続けている。
いつの時代にもユーミンの曲があったということ。
だから熱烈なファンというわけではなくともユーミンという存在は大きい。

今では白いものが目立つようになったファンのためにか、
コンサートが始まるとすぐに、
中央舞台の四方から火柱をボッボ、ボッボと盛大に上げて武道館の広い会場を温めてくれた。

ダンスに、プロジェクション照明も手練れていて
オリンピックの開会式でも始まりそうな雰囲気だ。
やはり頭の回転の速いユーミンのコンサートだ。

そしてコンサート終盤にはエスパーも歌ってくれた。
(レコード持ってるんだよね)
その次の曲がコバルト・アワー
本当にコバルト・アワーも歌ってくれた。
そして今、ユーミンがひこうき雲を歌うと昔と比べいろいろな面で味がある。
おとなのバラードになっている。

今日のコンサートでユーミンがコバルト・アワーを歌ってくれるという確証があった。
理由はわからない。
やつぱりエスパーだ。

ユーミンはデビュー45周年だそうだ。
「これからもまだまだ続けるからね〜」
3時間ぶっ通しのパワフルなコンサートは終了となった。

石垣山一夜城へ登る

2019-03-10 20:35:20 | 神奈川散歩
小田原城-早川-海蔵寺-石垣山一夜城



御幸ノ浜から石垣山方向



早川を渡り、東海道線をくぐり、海蔵寺へ向かう小道へ入る。
 

海蔵寺には秀吉の小田原攻めの時に38歳の若さで陣没した堀秀政の墓がある。


秀政は気配りの武将だったようで、秀吉の信任も厚かった。
その後堀家は、秀政の遺徳で30万石の大大名になったが、江戸時代初めに改易となる。
やはり40歳の若さで病没した蒲生氏郷に重なるようだ。

裏手の車道から登ると、石垣山城へ向かう車が多い。

振り返ると相模湾が綺麗だ。


蜜柑山の道を登っていくと、武将のパネルが等間隔で現れる。


城跡はよく整備されていて、見どころが多い。


箱根外輪山の明神ヶ岳


小田原城も見える


石垣もよく整備されている。


井戸廓の石垣から相模湾


立派な井戸が厩廓の下にある。


本丸からの展望


一大国家プロジェクトともいえる戦いを計画して実行した秀吉の統率力と財力がよくわかる城だ。

これだけの土木工事と、将兵20万を超える空前絶後の包囲網を維持する兵站を確保するには、現代であっても相当困難なはずだ。



この城から見える小田原城の周りには、名だたる戦国武将が結集していた。
それから、400年以上が経ってもこうして城郭が残っている。
なんとも考え深い場所だ。


西廓から天守台


小田原は大陸プレートがぶつかる場所でもある。




報徳二宮神社 小田原文学館 雨香亭

2019-03-10 14:30:21 | 神奈川散歩
二宮金次郎像


戦前製作の金次郎像はこの一体だけとある。
そのうち重要文化財になるのではないか。
最近歩きスマホを増長するものだと風当たりの強い金次郎像だが、確実に一時代の学校教育を象徴していた。


今日は旧松本剛吉亭 茶室「雨香亭」の一般公開日だったので、見学


松本さんは、山縣有朋の側近だったそうで、お庭や茶室にも山縣有朋の影響があるんだそうだ。






小田原文学館


小田原出身の作家には、北村透谷がいるそうだ。
文学史上ではたいへん有名だが、実際の所はほとんど何も読んだことがない幻の作家。


北原白秋が8年ほど住んでいたらしい。この間に沢山の童謡を書いたそうだ。
展示してある童謡の歌詞を見たら、8割ぐらいは自分も歌える。


串田孫一の名前を見つけたら、「美しき生の歩み」という自著(原文子共著)の本を
長谷川如是閑へ贈ったものだという。如是閑は、晩年小田原に住んでいたそうだ。それでこの本は如是閑が地元の図書館へ寄付しものだそうだ。

他にも小田原関連作家の言葉をいくつか

あちら こちら 命がけ
        安吾

木枯の橋を渡れば他国かな
川崎長太郎

日本の男の子と生まれ今
ここにいくさの庭に立つぞ嬉しき
北原武夫 宇野千代

民衆
われらは郷土から
うまれる
われらは大地から
うまれる
われらは民衆の一人である
福田正夫
(詩誌民衆)

小田原城を歩く

2019-03-10 10:33:54 | 神奈川散歩


小田原城へ向かうと昔に比べ城門などの復元が進んでいる。
小田原城は、最近外国人観光客への評判もよいそうだ。



古くには、勢子に化けた北条早雲(伊勢新九郎)の軍が小田原の大森藤頼を攻め、小田原城を奪った記録があるそうだが、当時の小田原城がどのようなものであったかは不明なようだ。その後の小田原城は、北条氏により要塞都市として整備された。
このため小田原城は、武田信玄や上杉謙信をしても攻め落とすことの出来ない、戦国きっての最強城郭都市となった。

南側の早川口の土塁遺構(北条氏の時代)




当時は東側では山王川から、西南方向ではこの早川のあたりまで城郭であった。
秀吉の小田原攻めの布陣図


本丸横にある報徳二宮神社前の堀も当時のものだそうだ。




小田原はたびたび大地震に襲われている。
先だっても地震で熊本城の石垣が崩れたが、
ここの石垣も地震で下部へ崩れ落ちてきたものだそうだ。


城からは、箱根の駒ヶ岳も見える



三の丸土塁遺構(江戸時代)




南は御幸ノ浜


三浦半島 葉山-一色-立石-天神島へ

2019-03-08 21:51:48 | 三浦半島ハイキング
新逗子駅-葉山-森戸海岸-一色-長者ヶ崎-立石-佐島(天神島)-横須賀市民病院



水平線の彼方には富士山
いくら見ても見飽きない美しさ
富士山の存在感は格別で、葉山のあたりが別荘地なのは大いにうなずける。

富岳三十六景
お気に入りの富士山の景色を探すのも面白そうだ。


森戸神社




御用邸前の海は宮様が遊ばれるやんごとなき浜辺、
大峰山がアクセントになっている。


浜には宮内庁の杭



長者ヶ崎を過ぎ


立石は富士山の絶景ポイント




佐島の天神島
ハマユウに火山豆石






めかぶを土産に横須賀市民病院からバスでYRP野比駅へ

子を歩せて下枝下枝の桜さく方へ行く 碧梧桐

2019-03-07 14:17:07 | 本、作家

しだれ桜でしょうかね
上から幾本も垂れている花枝が綺麗で
もっと近くで見ようと幼子と歩む姿に、春がやってきた嬉しさが伝わりますね。

最近テレビ番組のおかげでしょうか、
俳句への関心が高まっているようでいいですね。

第二芸術論で、桑原武夫さんにあれこれ言われてしまいましたが、
俳句の大衆性は、とてもすばらしいものです。
一部の人にしか理解できないような高尚なものも、それはそれで良いのかもしれませんが、
スポーツと同じに、だれにでも始められる健康的な競技というのも必要です。
文化も同じで、俳句は世界に誇る「クールジャパン」だと思いませんか。


江の島から湘南海岸を平塚へ

2019-03-06 12:35:45 | 神奈川散歩
江の島-岩屋洞窟-烏帽子岩-湘南大橋-平塚

江の島駅から歩く
途中、江の島駅前の商店街で玉屋の羊羹を買って
江の島へ、

今日はべんてん丸で稚児ヶ淵へ向かう




岩屋洞窟へ


江の島周辺や湘南海岸は軒並み工事中で、これもオリンピックの影響だね


江の島の地層


あ~した はぁまぁべええを さあまあよーええば~
私らの頃は、こういう唱歌を一通り習ったんだけど
今の小学生は知っているのかなあ。



烏帽子岩風のオブジェ
本峰と間違いやすい場合、山では「ニセエボシ」なんて呼ばれる。






離岸流注意


相模川河口
湘南大橋は、大型の車が通ると山の吊り橋のようにやたらと揺れる。
まるで、ひどいめまいがしているかのような揺れで驚く。




帰りは対岸の干物専門店で明日のおかず用に干物を買う。(美味しいよ)