とうちゃんのぷらぷら日記

アウトドア系の日記及びうんちく

山種美術館コレクション名品選Ⅱ 浮世絵六大絵師の競演

2016-08-28 20:10:43 | 音楽 美術
美術館の題字は安田靫彦だそうです。(原版は館内階段横の壁に掲示されています)


浮世絵というのは、宮廷画でも、信仰のための絵画でもなく、
大衆のための娯楽の絵画であるというのが画期的です。
商売として沢山売るため、版画の技術が発達し、
絵にも大衆を飽きさせない創意工夫に溢れていて、
絵の対象も風景画から芸能関係のブロマイドや、果ては枕絵までとおよそ考えられることはすべてやるという貪欲さが根性すわってます。
今でこそ、美術館などでうやうやしく拝見しますが、
もとは、庶民の家にあった絵画というのがすごいですね。

鈴木春信 「梅の枝折」

図柄、構図とも細かいですね。
よく見ると梅の花のおしべまで描き込まれています。

鳥居清長 「当世遊里美人合 橘妓と若衆」
     「社頭の見合」

すらりとした人物が今風な描き方で、
ファッション雑誌の、スタイル画のようです。

歌川豊国 「役者舞台の姿絵 高らいや 三代目市川高麗蔵の千崎弥五郎」
     「役者舞台の姿絵 やまとや 初代坂東蓑助の早野勘平」
     (二枚つなげて展示しています)

右の千崎弥五郎は、SMAPの「草彅 剛」風で左の早野勘平は「陣内 孝則」風です。
江戸時代の美男の基準が現代にも通じているようで面白いですね。

東洲斎写楽「二代目嵐龍蔵の金貨石部金吉」
     「三代目坂田半五郎の藤川水右衛門」
     「八代目森田勘弥の賀籠舁鶯の治郎作」

写楽の人物の臨場感は、他の浮世絵とは一線を画すレベルです。
まったく奇跡的なまでの描写力。
特に「二代目嵐龍蔵の金貨石部金吉」「八代目森田勘弥の賀籠舁鶯の治郎作」はすごい。

歌川広重 東海道五十三次 揃いでの展示です。

版の初期のころの刷りのようで
名作の誉れ高い「蒲原 夜之雪」は、後期の中央部分を黒く刷り上げるのではなく、縁の部分を黒くして中央部分は白く残す刷りとなっています。

「原 朝の富士」山頂部分が四角い紙の枠からはみ出している。(富士山の高さを強調しています)
「掛川 秋葉山遠望」でも画中の凧が枠から、わざとはみ出して描かれている
この辺の遊び心は、江戸時代としては画期的。


木曾路之山川(雪月花之内 雪)3枚
絵は南宋画のようでも、雪は確実に日本の湿り気の多い雪だとわかるのが名人の描き方



美術館の加山又造の壁画

加山又造は、「夜桜」が展示されています。
私にとって加山又造は「迷える鹿」が第一に思い浮かぶ作品なのですが、様々な異なる画風のせいで、長い間、加山又造のこれらの作品が、どれも同じ作家の作品であるということを認識できずにいました。






馬掘海岸駅から 観音崎 横須賀美術館へ 8月23日

2016-08-24 19:36:42 | 三浦半島ハイキング

馬堀海岸駅から防衛大学校方面へ向かいます
防大正門「入門手続 されたし」の文言が戦前のようで面白い。


水道施設の前の道を進むと歩道があります。


防大の施設の中を進むので、なんだかドキドキします。

訓練用の壁や一本橋などが夏草に埋もれています。

鬼軍曹が竹刀片手に、「なにもたもたしてる!」そんな景色がうかびます。

山道は右の道です。


観音崎への途中、立派な戦没船員の慰霊碑があります。


天皇陛下、皇后陛下、の御歌



戦日に逝きし船人を
悼む日の彼方に見ゆる
海平らけし

かく濡れて遺族らと祈る
更にさらにひたぬれて
君ら逝き給ひしか



観音崎へ向かう道には、古いトンネルがあちこちに


観音崎灯台に登ります





観音崎の沖合いに浮かぶ航路の標識に注目です。
左舷灯浮標(緑色)航路の左側を示します
中央灯浮標(赤、白色)航路の中央を示します
右舷灯浮標(赤)航路の右側を示します




横須賀美術館到着


今日の常設展では、やはりこの作品

奥村土牛「鵜」
名人 円楽です。

岡鹿之助「魚」
岡鹿之助は、水力発電所の画家という印象が強すぎて(「雪の発電所」)、他の作品はよく知らないのですが、
やはり端正な作品です。

実は、前々から横須賀美術館は村山槐多の「のらくら者」が見たいのですが、まだ見たことがないのです。


昨日の台風のせいで、ボードウォークには細かい海藻が沢山打ち上げられていました。


カッパ君、ひさしぶり(走水神社)


今日はここからバスで馬堀海岸駅へ


品川、御殿山 原美術館から青物横丁 大井町駅へ 8月21日

2016-08-22 12:39:25 | 東京散歩
御殿山の中にある原美術館は、現代アートの美術館として人気です。
今日は原美術館をメインに歩きます。

品川駅から歩き、品川女子学園の角を右に曲がると、東海道線や山手線などJRの各路線が束になって走っている御殿山の陸橋を渡ります。






ゆるい坂道を登り、ミャンマー大使館の前で右に折れ、瓦屋根の塀が見えたら美術館です。


入口が地味なので、裏口なのかと思ってしまいますがここで間違いありません。
この美術館は、美術館自体も不思議な造りです。
作品もぽーっと見ていると、見そこなって帰ってしまうものがありますので書いておきます。

階段横の壁:(一見すると落書きのよう。下にあるコイン投入口にコインを入れる)鈴木康弘「募金箱「泉」」

階段下の物置のような部屋(もとはトイレだったそうです):森村泰昌「輪舞」

展示室の奥、椅子のあるところの外の庭: 杉本博司 「アートのほうき」

2F(入口はなんの変哲もない白い扉なので「STAFF ONLY」と書いてあるのかと勘違いします。:宮島達男「時の連鎖」

あれ、奈良美智を見ていないと思ったら、2Fの一番奥、白い扉を開けるのでした。

この美術館には、部屋全体を一つのアート空間にするという発想があります。(そこがミソです)

現代アートには、いろいろあるかと思います。
短い期間しか鑑賞に耐えない作品もあるでしょう。
私的には、一時だけで消えていく、生け花のような現代アートの作品を展示する空間が美術館の一角にあってもいいかなと思います。

規制概念を超えたアート作品をもっと見たいものです。


原美術館を後にすると、旧東海道を歩きます。

旧東海道は、周りより少し高い西よりの場所を通っています。
商店街は、東海道であることを強くアピールして整備していますので、街道のルートがよくわかります。

品川橋


ここは目黒川の河口付近になりますので、そのまま川に沿って河口の様子を見に行きました。



今回と同じルートを過去にも歩いたことがありますが、やはりすっかり忘れています。
行ってみると、なるほど見たことのある景色だと思い出しますが今回は記録したので大丈夫でしょう。

品川寺はどこか中国風


大井町駅まで歩き本日は終了。



読響名曲シリーズ サントリーホール 8月17日

2016-08-18 00:00:40 | 音楽 美術
読売日本交響楽団
指揮 セバスティアン・ヴァイグレ

メンデルスゾーン 序曲ルイ・ブラス 
シューマン    交響曲第4番 
ドヴォルザーク  交響曲第8番 


台風いっちゃったので、今日もお出かけOK
しかし妙に暑い。
そうだ、コンサートへでも行くかな、ということでやってきた。(ホールの中は涼しいだろう)
(サントリーホールのコンサートの席は、まだ空いていた)

当日割引の2割引きセールでアタックチャンス!(握りこぶし)
普段買うことのできないS席でも大丈夫だ。

というわけで、コンサートの曲は、ややマイナーな感じだったが行ってきた。

メンデルスゾーンはメンデルの法則で、聞いたことがなくても、納得の曲調。

シューマンは、よくわからないけど、指揮する人にとっては、難しそうな地味めな曲。
交響曲第4番は、クララ(奥さん)への誕生日プレゼントとしてシューマンが贈った曲だそうです。

「クララ!」
「ハイジー!」 
「まあ、ペーターも来てくれたの、嬉しいわ」
「チケット売れ残ったらどうしよかと思ってたの」


ドヴォルザークは第3楽章あたりは聞いたことがある。
第4楽章の金管楽器がしびれる。

けっこう盛大な拍手で、通な人にはわかるんですね。


祝!重要文化財 氷川丸

2016-08-16 21:03:09 | 横浜散歩
私にとって氷川丸は、横浜の原風景だ。

個人的には、氷川丸と南極観測船宗谷は、国の重要文化財に指定して計画的に維持管理をしてもらいたいと思っていたので大変うれしい。

氷川丸は実際、美しいのである。
文化財の名に恥じない船であり一見の価値がある。

今日は久しぶりに見学してきた。

<アールデコな船内>

一等社交室









<客室>

一等客室


飾り毛布・・・・・この技にはいつも感心する。


三等客室


<操舵室>


無線室


上の棚には国際信号旗が収納されている。





<機関室>


何だか力強い機械が所狭しと並ぶ。






船底の機関室から上階を見る


思った以上に機関室のスペースは広い。





<後部デッキ>
オープンデッキ部分は、普段公開しないようだ。(今日は特別な公開日だった)



こんな船は、もう二度と造れないだろう。
シックで、当時の美意識を感じることが出来る船内であった。

鎌倉駅から材木座海岸、由比ヶ浜、霊山山方面へ

2016-08-15 22:45:44 | 神奈川散歩
鎌倉駅には午後1時に到着
まずは本覚寺にお参りする。
お盆なので、線香をあげてご先祖様を供養する。

境内にある栴檀の木(「栴檀は双葉より芳し」の栴檀は別の白檀のことだそうだ)
丸い房状の青い実もなっていた。


続いて妙本寺へお参り。


九品寺に到着。


「九品寺」と「内裏山」の額字は新田義貞の筆と伝わる。


ちょと変わった一体型の六地蔵


ここは浄土宗のお寺だ。
ちなみに、我が家は天台宗のお寺だが
御仏に宗派など関係ない。
ここは、善光寺の心でお参りする。 

材木座海岸から由比ヶ浜へ


今日はここからが、真骨頂
ジャーン!

ビーチウォーキングアイテム登場
これで波がいくら来ても大丈夫


由比ヶ浜を端まで歩き、(力餅屋さんは今日までお盆休みでした)

コッホゆかりの霊山(りょうせん)山へ行こうと思ったが、昔のガイドブックに載っていた坂の下から針磨橋へ抜ける道からは、現在一般住宅になっていて登れないようだ。

針磨橋からのルートを途中左へ向かうと「義烈荘跡地・アジア平和記念碑群史跡」という記念碑があった。


どうも霊山山のあたりにあった史跡や記念碑をまとめたもののようだ。
義烈荘というのは、政治結社的な特別な別荘であったもののようで、義烈荘の義は新田義貞を表し、烈とは中国革命の志士李烈鈞(り れつきん)のことと書いてあった。

李烈鈞は、中国の英雄、孫文の側近だった人で、そんなわけでこの別荘には、張継(ちょう けい)頭山満(とうやま みつる)上原勇作(うえはら ゆうさく)ラス・ビハリ・ボースなどアジアの志士の人達が訪れた場所であったそうな。

帰りは極楽寺の駅から満員の江ノ電で鎌倉駅へ。

塔ノ岳 鍋割山 トレーニング登山

2016-08-15 09:58:09 | 山行
大倉-大倉高原山の家-見晴茶屋-堀山の家-花立山荘
塔ノ岳-鍋割山-後沢乗越-二俣-大倉


本当は、日本アルプスみたいなメジャーな山へ行きたいのは山々だが
このところ運動不足で体の調子も今一だ。
そこで現在の自分の体力と体のバランス感覚はどうなのか、勝手知った大倉尾根から塔ノ岳-鍋割山へ行って確認した。


大倉7:10発

大倉高原山の家
この小屋の魅力は水が豊富なことだ。
キャンプサイトもあり他の丹沢の小屋とは異なる魅力がある。


常連さんが多い堀山の家


ほとんど休まず登ってきたが。まるで20キロの荷物を背負って登っているかのようなペースだ。後から登ってきた人達に次々と抜かされて行く。

氷の看板が笑わせてくれる、花立山荘。


後ろから「こんにちは」と言って追い抜いて行った人を見て驚いた。
金髪の外人さんだった。驚いたのは、発音があまりにきれいな日本語であったからだ。「コンニチハ」ではなくあくまでも「こんにちは」だった。

この後も、続々と登ってくる外国人を見かけたが。
手元の昭文社の地図にも、Mt.Tonodakeと、外国人を意識した表記が入っている。


やはり最近は外国人の登山者も多いようだ。
しかも今日見る限り、下界よりその比率ははるかに高い。

塔ノ岳の山頂にいる猫。「塔ニャン」?


山頂到着11:00でだいたい4時間かかった。


鍋割山へは、西丹沢のような森の中の道を進む。


鍋割山荘の裏手に咲いていたマルバダケブキ


後沢乗越に置いてある鍋割山荘用の水(二股にはこれの50倍ぐらいのペットボトルが置いてある。学生山岳部のみなさんトレーニング用に山荘まで水を持ち上げよう)


秦野ブランドの落花生畑
神奈川でピーナツと言えば昔から秦野だ。


大倉へは16:00到着。
大倉の主のおニャンコ(ベンチの隣に登山者が座っていても堂々と寝転がっている)


「赤頭巾ちゃん気をつけて」を読み返して

2016-08-06 23:33:26 | 本、作家
あーやっぱりだめだ、古臭い。
小説には、今という時代をもっと語ってもらいたい。
なんとかなりそうな小説はないのか。

高校生のころ、そう思って選んだのが「赤頭巾ちゃん気をつけて」だった。
少しお兄さん世代の話だが、かろうじて小説の中の時代を共有することが出来た。
その後「白鳥の歌なんて聞こえない」「さよなら快傑黒頭巾」「喪失」「狼なんかこわくない」
なども読んでいるので、庄司薫さんはファンだったと言ってもよいだろう。

その後、庄司さんの奥さんが中村紘子さんだというのを知ったのだが、それは、「和田誠さんの奥さんが平野レミさんだった」というのと同じくらい衝撃的なことだった。
お二人の出会いのきっかけが、「赤頭巾ちゃん気をつけて」の小説であったというのも驚きだった。
小説の中に中村紘子さんが出てくるところがあるのだが、(118ページ目のところだ)(今回どこであったのかすっかり忘れていたので、もう一度小説を読み返してしまった)
それは、
「中村紘子さんみたいな若くて素敵な先生について(今の先生はいいけどおじいさんなんだ)優雅にショパンなど弾きながら暮らそうかなんて思ったりするわけだ。」
というところだ。

中村さんは、自分のことが出てくる小説があるというので、庄司さんに会いにいったのだそうだが、その時「自分はこの人と結婚することになる」と直感的に感じたそうだ。
なんとも芸術家的で、ドラマチックな話だ。