美術館の題字は安田靫彦だそうです。(原版は館内階段横の壁に掲示されています)
浮世絵というのは、宮廷画でも、信仰のための絵画でもなく、
大衆のための娯楽の絵画であるというのが画期的です。
商売として沢山売るため、版画の技術が発達し、
絵にも大衆を飽きさせない創意工夫に溢れていて、
絵の対象も風景画から芸能関係のブロマイドや、果ては枕絵までとおよそ考えられることはすべてやるという貪欲さが根性すわってます。
今でこそ、美術館などでうやうやしく拝見しますが、
もとは、庶民の家にあった絵画というのがすごいですね。
鈴木春信 「梅の枝折」
図柄、構図とも細かいですね。
よく見ると梅の花のおしべまで描き込まれています。
鳥居清長 「当世遊里美人合 橘妓と若衆」
「社頭の見合」
すらりとした人物が今風な描き方で、
ファッション雑誌の、スタイル画のようです。
歌川豊国 「役者舞台の姿絵 高らいや 三代目市川高麗蔵の千崎弥五郎」
「役者舞台の姿絵 やまとや 初代坂東蓑助の早野勘平」
(二枚つなげて展示しています)
右の千崎弥五郎は、SMAPの「草彅 剛」風で左の早野勘平は「陣内 孝則」風です。
江戸時代の美男の基準が現代にも通じているようで面白いですね。
東洲斎写楽「二代目嵐龍蔵の金貨石部金吉」
「三代目坂田半五郎の藤川水右衛門」
「八代目森田勘弥の賀籠舁鶯の治郎作」
写楽の人物の臨場感は、他の浮世絵とは一線を画すレベルです。
まったく奇跡的なまでの描写力。
特に「二代目嵐龍蔵の金貨石部金吉」「八代目森田勘弥の賀籠舁鶯の治郎作」はすごい。
歌川広重 東海道五十三次 揃いでの展示です。
版の初期のころの刷りのようで
名作の誉れ高い「蒲原 夜之雪」は、後期の中央部分を黒く刷り上げるのではなく、縁の部分を黒くして中央部分は白く残す刷りとなっています。
「原 朝の富士」山頂部分が四角い紙の枠からはみ出している。(富士山の高さを強調しています)
「掛川 秋葉山遠望」でも画中の凧が枠から、わざとはみ出して描かれている
この辺の遊び心は、江戸時代としては画期的。
木曾路之山川(雪月花之内 雪)3枚
絵は南宋画のようでも、雪は確実に日本の湿り気の多い雪だとわかるのが名人の描き方
美術館の加山又造の壁画
加山又造は、「夜桜」が展示されています。
私にとって加山又造は「迷える鹿」が第一に思い浮かぶ作品なのですが、様々な異なる画風のせいで、長い間、加山又造のこれらの作品が、どれも同じ作家の作品であるということを認識できずにいました。
浮世絵というのは、宮廷画でも、信仰のための絵画でもなく、
大衆のための娯楽の絵画であるというのが画期的です。
商売として沢山売るため、版画の技術が発達し、
絵にも大衆を飽きさせない創意工夫に溢れていて、
絵の対象も風景画から芸能関係のブロマイドや、果ては枕絵までとおよそ考えられることはすべてやるという貪欲さが根性すわってます。
今でこそ、美術館などでうやうやしく拝見しますが、
もとは、庶民の家にあった絵画というのがすごいですね。
鈴木春信 「梅の枝折」
図柄、構図とも細かいですね。
よく見ると梅の花のおしべまで描き込まれています。
鳥居清長 「当世遊里美人合 橘妓と若衆」
「社頭の見合」
すらりとした人物が今風な描き方で、
ファッション雑誌の、スタイル画のようです。
歌川豊国 「役者舞台の姿絵 高らいや 三代目市川高麗蔵の千崎弥五郎」
「役者舞台の姿絵 やまとや 初代坂東蓑助の早野勘平」
(二枚つなげて展示しています)
右の千崎弥五郎は、SMAPの「草彅 剛」風で左の早野勘平は「陣内 孝則」風です。
江戸時代の美男の基準が現代にも通じているようで面白いですね。
東洲斎写楽「二代目嵐龍蔵の金貨石部金吉」
「三代目坂田半五郎の藤川水右衛門」
「八代目森田勘弥の賀籠舁鶯の治郎作」
写楽の人物の臨場感は、他の浮世絵とは一線を画すレベルです。
まったく奇跡的なまでの描写力。
特に「二代目嵐龍蔵の金貨石部金吉」「八代目森田勘弥の賀籠舁鶯の治郎作」はすごい。
歌川広重 東海道五十三次 揃いでの展示です。
版の初期のころの刷りのようで
名作の誉れ高い「蒲原 夜之雪」は、後期の中央部分を黒く刷り上げるのではなく、縁の部分を黒くして中央部分は白く残す刷りとなっています。
「原 朝の富士」山頂部分が四角い紙の枠からはみ出している。(富士山の高さを強調しています)
「掛川 秋葉山遠望」でも画中の凧が枠から、わざとはみ出して描かれている
この辺の遊び心は、江戸時代としては画期的。
木曾路之山川(雪月花之内 雪)3枚
絵は南宋画のようでも、雪は確実に日本の湿り気の多い雪だとわかるのが名人の描き方
美術館の加山又造の壁画
加山又造は、「夜桜」が展示されています。
私にとって加山又造は「迷える鹿」が第一に思い浮かぶ作品なのですが、様々な異なる画風のせいで、長い間、加山又造のこれらの作品が、どれも同じ作家の作品であるということを認識できずにいました。