とうちゃんのぷらぷら日記

アウトドア系の日記及びうんちく

春の三浦半島 小網代湾から黒崎の鼻

2023-02-05 18:11:25 | 三浦半島ハイキング
三崎口駅から小網代の森 三戸浜 黒崎の鼻 三崎口駅

この時期は人が少ないのでよい。
小網代の森はすっかり遊歩道が完備され、よく言えば歩きやすいが、それ以外の所はほとんど立ち入り禁止なので、見学コース化している。
ただし北尾根へ向かう道の横には一部浜へ降りられるところがあり、網代湾の中でもここだけは海辺に降りられるすばらしい場所。



なんとかこのままの状態が続きますように。

丘へ登ると広大な農地が広がる。
相模湾が一望のお気に入りのスポット。


大根から春キャベツの収穫へ移ろうかという時期。
春キャベツをベーコンと炒めると絶品だな~。


三戸浜も人けが少ない。

ひじきのような海藻


黒崎の鼻のあたりは何度来てもよい。



よいウォーキングになった。


走水のカッターボートを見て 旗山崎公園(走水砲台)馬堀海岸 10月2日

2021-10-03 14:30:26 | 三浦半島ハイキング
防衛大学走水海上訓練場
カッターボートが並ぶ、防衛大の訓練場


ここへ来て、このカッターボートを見ると、30年前に私が担当していた会社の社長さんの事を思い出す。
社長さん(Yさん)は軽巡洋艦名取の元乗組員だった。

名取はフィリピン沖で米潜水艦の魚雷攻撃を受け撃沈するが、Yさんは奇跡的に生還する。
以下「先任将校」松永一郎著のまえがきから当時の様子を引用。

昭和一九年八月、軍艦「名取」はフィリピン群島マニラからカロリン諸島パラオへ、緊急戦備物件の輸送中、敵潜水艦から魚雷攻撃を受けて撃沈された。場所は、フィリピン群島サマール島の東方三百マイル(約六百キロ)の海域だった。・・・・中略・・・・

航海長小林英一大尉(当時二十七歳)は先任将校として、カッター三艘および生存者百九十五名をもって軍艦名取短艇隊を編成した。しかし、食料(乾パンは少々あった)も真水もなく、また磁石とか六分儀などの航海用具も何一つ持たなかった。・・・・・・中略・・・・・・・・

そして十三日目の早朝、短艇隊はついにミンダナオ島の北端スリナガオにたどり着いた。
食事も休養も十分取らずに毎日十時間カッターを漕いでいたので、接岸したときは体力の限界点だった。・・・・後略・・・・

カッターボートはこれより大きかったかは知らないが、一艇に65名も乗り組み、太平洋の荒波の中、ひたすら櫓をこぎ続けた。
よくぞ冷静に対応したものだと思う。
昔の海軍兵学校では、教官が無理難題の状況を設定し、如何に判断するかという授業が行われていたと聞く。たとえば東京湾にゴジラが現れたらどうするかというような設問だったようだ。

名取のYさんのように、昔は空前絶後の経験をされた人がけっこうおられた。そんな人たちが今の日本を引っ張ってこられたのだと思う。
また話が長くなった。

旗山崎は公園として整備され、砲台跡が見学できるようになっていた。



帰りは馬堀海岸から堀之内駅へ


叶神社から観音崎 10月2日

2021-10-03 11:42:28 | 三浦半島ハイキング
東叶神社を後にして観音崎へ向かう

午後になり暑くなってきた。
それでも海の景色が美しい




トンネルをくぐり観音崎の遊歩道を歩くと
西脇順三郎の詩碑が現れる。
かなり立派な詩碑だ

この詩は西脇順三郎の詩集「近代の寓話」に収められている詩だが
詩には続きがある。

・・・・・・・・・・・・・・・・
やぶの中を「たしかにあるにちがいない」と思って
のぞいてみると
あの毒々しいつゆくさの青い色もまだあった
あかのまんまの力も弱っていた
岩山をつきぬけたトンネルの道へはいる前「とべら」という木が枝を崖からたらしていたのを
実のついた小枝の先を折ってそのみどり色の梅のような固い実を割ってみた
ペルシャじゅうたんのように赤い種子がたくさん 心のところにひそんでいた
暗いところに幸福に住んでいた
かわいい生命をおどろかしたことは
たいへん気の毒に思った
そんなさびしい自然の秘密をあばくものでない
その暗いところにいつまでも
かくれていたかったのだろう
人間や岩や植物のことを考えながら
また燈台への道を歩きだした
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私は走水の方へ歩きだす。


台風の影響か歩道には海藻が沢山寄せ集まっていた。


夏の終わりの寂しい道だ。





海を見に浦賀へ行く 10月2日

2021-10-03 08:49:45 | 三浦半島ハイキング
浦賀の造船所の解体がほぼ終わったようだ。
それで郷土資料館へ寄る。

近代造船所の歴史はペリー来航から始まる。
サスケハナ号


咸臨丸は、浦賀で物資の積み込みをしてアメリカへ向かったそうだ。


46000トンのタンカー「バトリア号」昭和34年浦賀造船所で竣工した。


他、浦賀奉行所の模型や、地元の幕末の偉人、中島三郎助の資料もある。


西叶神社前のおかげまいりの説明文。

幕末の動乱期。
伊勢神宮のお札が降って来た。
「ええじゃないか」「ええじゃないか」と民衆が大騒ぎ。
踊り狂って集団でお伊勢参りをしたという謎の民衆運動。

今ならロックフェスティバルへ行くような心情か。




愛宕公園へ登る。(草ぼうぼう)
与謝野晶子と鉄幹の歌碑

春寒し造船所こそ悲しけれ浦賀の町に黒き鞘懸く
与謝野晶子

私の解釈。
春なのに寒い日だ。
造船所はなんだか悲しげだ。
浦賀の街に黒き鞘・・・(刀のさやのこと)を懸けているのだが、
では黒い鞘とは何なのか?
浦賀港は細長い入江である。
浦賀港の海を内側に突き刺さる刀と見て、その両岸に立ち並ぶ造船所の施設を海を内に収めた刀の鞘に見たてた?
黒色は黒船、西洋文明の日本侵攻に掛けている?
愛宕山から見るとそんなふうに見えたのかもしれない。

黒船を怖れし世などなきごとし浦賀に見るはすべて黒船
鉄幹

黒船を恐れた時代などなかったかのようだ。浦賀に来てみると今ではみんな黒船ばかりだ。
鉄幹さんのはストレートだ。奥さんの方が奥が深い。

ところで愛宕公園を抜けると竜馬像建設予定地という看板がある。

なんで浦賀で坂本竜馬なのかわからない。中島三郎助だろうが。

海沿いの公園も着々と整備されてきている。


東叶神社を経て観音崎方面へ


城ヶ島から三崎めぐり

2020-11-09 20:27:45 | 三浦半島ハイキング


城ヶ島は岩の島と言っていいほど岩礁がすごい。
馬の背洞門は象徴的だが、他にも見るべき岩の造形美が多くある。

城ヶ島のバス停から楫の三郎山へ登る。


お店の並ぶメイン通りから長津呂湾へ


これより城ヶ島の尾根筋を歩き

みはらし広場を過ぎ、馬の背洞門が見えたら海岸へ下る。



赤羽根海岸から海鵜の生息地の断崖を見る

やはりみごと
尾根上へ登り城ヶ島公園へ向かう。
公園の展望台からまた海に下ると、先ほどの赤羽根海岸から続く断崖が深く波にえぐられて現れる。

波をかぶってぬめっとした岩



やはりダイナミックな景色だ。

城ヶ島大橋から三崎へもどる。
橋の上から眺めると、渋い造船所が眼下に見える。


三崎港

どちらかというと地味な港町だが、食べ物屋さんは、わりと美味しそうな店が並ぶ。
粋な民家風の宿泊施設もある。
 


私のうちは、2時間ほどで帰れてしまうので泊まるのはどうかなと思ってしまうが、歴史的には、あまたの有名人がお泊りになっている街だ。

たとえは源頼朝公(少し古すぎるか)
たいそうこの地がお気に入りだったようで、三崎に桜、桃、椿の名を冠した三つの御所を設け花見の宴を楽しんだそうだ。(大椿寺、本瑞寺、見桃寺)
この本瑞寺は桜の御所跡とのこと。

これはどう見ても奥さんの政子さんの目を逃れて羽を伸ばしに来ていたものと思われる。
息子の頼家や実朝も来ているようなので、鎌倉時代でも慰安旅行的観光地であったようだ。



三浦半島 葉山-一色-立石-天神島へ

2019-03-08 21:51:48 | 三浦半島ハイキング
新逗子駅-葉山-森戸海岸-一色-長者ヶ崎-立石-佐島(天神島)-横須賀市民病院



水平線の彼方には富士山
いくら見ても見飽きない美しさ
富士山の存在感は格別で、葉山のあたりが別荘地なのは大いにうなずける。

富岳三十六景
お気に入りの富士山の景色を探すのも面白そうだ。


森戸神社




御用邸前の海は宮様が遊ばれるやんごとなき浜辺、
大峰山がアクセントになっている。


浜には宮内庁の杭



長者ヶ崎を過ぎ


立石は富士山の絶景ポイント




佐島の天神島
ハマユウに火山豆石






めかぶを土産に横須賀市民病院からバスでYRP野比駅へ

金沢八景駅 朝比奈切通し 鎌倉駅

2018-11-24 21:08:40 | 三浦半島ハイキング
金沢八景駅から金龍禅院の裏手の崖で発見された瀬戸町やぐら群を見て(現在は説明文のみ)

 
上行寺東遺跡へ



上行寺の海側の崖の上にある遺跡は海に突き出た丘の上。
こんな所に寺を建てたのは、六浦が穏やかな入り江だった証拠なのだろう。
六浦は鎌倉と房総方面とを結ぶ物流の最重要港だった。


上行寺の丘にも歩道がある。
下ると六浦小学校。




いったん環状4号に出て朝比奈切通方面へ歩く。
途中、小泉元総理のおじい様の碑がある。


小泉又次郎さんは、浜口内閣のもとで逓信大臣まで務めた政治家だったそうで、
破天荒な親分肌の政治家だったそうだ。

朝比奈切通しへ向かう。





横浜市の市境の杭がある。




鎌倉へ入ると明王院や浄妙院などを巡りながら鎌倉駅へ




小町通の人をかき分けながら歩き、ラーメンを食べて帰る。


金沢文庫駅から能見堂跡 金沢動物公園 朝比奈市民の森 金沢八景駅

2018-11-24 09:23:58 | 三浦半島ハイキング
金沢文庫駅-浅間神社-能見堂跡-不動池-金沢動物園-市境広場-朝比奈市民の森-金沢八景駅

 
金沢文庫駅の裏手、浅間神社から歩く
ここから歩くのは、バリエーションルートなので、ジャンク気味な道。
赤布を確認しながら歩く。


右の尾根に合流すると、メインルートとなる。

能見堂跡は広場となっていて、昔の能見堂のパネル写真が置いてある。




金沢八景という名称は、明の高名な禅僧がこの能見堂から眺めた景色を詠んだ漢詩がきっかけになっているそうだ。ちなみにこの高僧を庇護していたのが水戸光圀公だそうで、光圀公は「新編鎌倉志」という鎌倉の名所旧跡をまとめたガイドブックのようなものも編纂しており、このあたりの観光振興に多大な貢献をしているようだ。

不動池へは一旦尾根を完全に下る。
まあまあ大きい池で、鴨やゴイサギ、大きい鯉も沢山いる。
不動尊もあるので、昔から地元の名所なのだろ。




この後、やや単調な雑木林の道が続く。
今日のコースのもう一つのポイントは金沢動物公園だ。
高速道路と公園のパーキングが直結しており便利なので、子供が小さいころはよく来た。
オセアニアの動物(コアラやカンガルー)が充実しているが、一番好きだったウォンバットがいなくなってしまったのが寂しい。

オカピー




市境広場から朝比奈方面へ


歴史的な風情の道


鼻欠地蔵


この後車道を金沢八景駅まで歩く。


金沢八景から野島公園、称名寺

2018-05-06 09:16:56 | 三浦半島ハイキング

ショ、ショ、称名寺、称名寺の庭は、
浄土式庭園なのだが、平等院や浄瑠璃寺などのように平安時代のものではなく、藤原氏の平泉を模して造られた鎌倉時代のもののようだ。
それでも日本庭園を語る上で外せない名園。
今は黄菖蒲が池の周りで満開


これが須弥山石かな?


称名寺は裏山がよい。
山頂からの展望





はっけよいよい
はっけよいよい

八景よいよい
八景よいよい

金沢八景は江戸時代からの観光地
今日は、金沢八景、金沢文庫を巡る(口を左右に引っ張って言おう)
この海は、私が初めて足を踏み入れた海(小学校1、2年のころか?)


起点となる瀬戸神社、

わたつみの
瀬戸の社の神垣に
願ひぞみつる
潮のまにまに

源実朝 詠める





野島公園へ向かう


山頂へ登ると裏は日産の追浜工場、
上から見下ろすと産業スパイになった雰囲気


伊藤博文の別邸




こんなお屋敷があるのは、金沢八景に風光明媚な場所のイメージがあったからだろう。

明治の元勲も若い時には苦労している。


海の公園も繁盛 ここは同じ横浜市なんだよね。


夢、叶(かのう)神社から、観音崎へ

2018-01-06 23:36:26 | 三浦半島ハイキング
正月に訪れるのにふさわしい神社が浦賀の叶神社だ。
浦賀港を挟んで西と東の叶神社があるので夢が叶うよう、それぞれお参りするとよい。
(ダブルで叶う)

浦賀ドックは、老朽化した施設の解体中で、さっぱりしてしまった。
昔の写真が浦賀港の渡し船の待合所に掛けてある。



中島三郎助という人は浦賀奉行の与力だった人で、ペリー来航時にはアメリカ側との対応役を務めたそうだ。造船技術や航海術を学んだ当時最先端の知識を持った人物だったようだが、函館戦争で二人の息子とともに戦死してしまう。なんだか悲しい話だが、日本の未来のため命を懸けて戦った地元の英雄だ。それで函館市と観光でコラボしようという計画らしい。

東叶神社


駆逐艦村雨の慰霊碑にも詣でる


観音崎からボードウォークへ


ボードウォークは台風で壊れてしまったそうだ。気持ちのよい散策路だったのに残念


走水神社の手水舎のカッパ君が横にのけられていた。

あれどうしちゃったの


今日は馬堀海岸から堀之内の駅へ


鴨君たちは冬になるとこの海でぷかぷかやっている。
とっても可愛い


乳頭山 二子山 阿部倉山 三浦半島ハイキング 1月12日

2017-01-12 20:03:59 | 三浦半島ハイキング
阿部倉山の下山した所にある地蔵

田浦駅10:15発-田浦梅の里11:00-乳頭山-二子山12:40
-阿部倉山登山口13:40

田浦梅林は、ようやく咲き始めたところだが
幹によっては、かなり咲いているのもある。




一応、紅梅、白梅の両方見ることが出来が、
梅林ガル状態になるのはもう少し先?

乳頭山へは、この先山頂直下を左の道から山頂へ



二子山への道は、なかなかよい。
このコースは、山のトレーニングコースにも使えそうだ。






二子山でお昼ご飯にする。
展望台の横に噴火口を模したような窪みがあるが、何なのだろうか。


もう一つの山頂(下二子山)には、もっと深くて大きい窪みがある。




阿部倉山の山頂は、縦走路の道から少し外れている。


下山は左の道をとる。

進むとすぐに、古道のおもむきと言ったような道になる。

深くえぐられた道は歴史の道だ。
道沿いにある木は、だんだん道が削られていくものだから、根っこを横に張り出して箱乗り状態で必死にしがみついている。


下山したところには、お地蔵さんと畠山重忠の慰霊碑のような石碑がある。


今日は、このまま新逗子の駅まで歩いて終了(14:14発の電車)

城ヶ島から毘沙門湾へ(毘沙門湾ハイキング)

2017-01-12 00:21:09 | 三浦半島ハイキング
盗人狩りの人けのない岩礁には、なぜだか猫たちが沢山いる
遊歩道の橋を渡る猫は、なんだかユーモラス
波がけっこうザブンザブンと遊歩道を洗うが、猫たちは波にさらわれることはないのだろうか


<城ヶ島ハイキングの続き>(午後の部)

「雨はふるふる城ヶ島の磯に利休ねずみの雨が降る」
北原白秋歌碑
且つては、城ヶ島のシンボル的な観光スポットだったが、最近はあまり訪れる人もないようだ。
記念館の2階への階段のところに城ヶ島の細かい地名が記載された地図があった。(個人的に注目)


城ヶ島大橋を渡るところで14:00


盗人狩りのあたりはけっこう波が荒い


城ヶ島大橋遠望






毘沙門洞窟


夕暮れまじか


あしながおじさん、ロングバージョン


江奈の近くで16:00
よい子が住んでるよい町は、楽しい楽しい歌の街の曲が流れる
早くお家へ帰ろう。

剱崎バス停16:27のバスで三浦海岸の駅へ


城ヶ島から毘沙門湾へ(城ヶ島ハイキング)

2017-01-11 23:12:50 | 三浦半島ハイキング
1月11日水曜日、三崎口駅9:10のバスで城ヶ島へ
駅前の川津桜はもう咲きだしていた。


三浦半島は暖かい。
大根やキャベツの葉も青々としていて、ほとんど霜にあたっていないようだ。三浦半島には、天からの贈り物の暖かい海風が吹いている。


小学校の遠足以来かもしれないが、これまで城ヶ島を侮っていた。

冬の三浦半島は富士山をはじめ丹沢、伊豆の山々、大島の山並みが美しい。


はっきり言って絶景だ。この眺めだけでも来る価値がある。
ただ、城ヶ島の良さは、やはり海岸を歩かなくてはわからないだろう。

灘ヶ崎の付け根にある楫(かじ)の三郎山は御神域で山頂には大漁祈願のお社がある。



城ヶ島京急ホテルは、正面に富士を望み灯台を背にしたベストポジションに建つ。


ホテル前は長津呂の磯。とても広大な岩礁で散策しても面白い。


そのまま馬の背洞門へ向かう。



城ヶ島の名所、馬の背洞門


馬の背洞門からは、丘へ登ることになるが、途中赤羽根海岸へ向かう小道がある。
赤羽根海岸は、秘密の浜辺という感じでなかなかよい。



浜辺の先は、海鵜の生息地(断崖)なので、元の分岐まで引き返すことになる。




城ヶ島公園は最近整備されたようで、たいへん綺麗だ。
展望台もあり、広い芝のスペースもあるのでそれなりに良いが、やはり崖下の海岸を歩くとなおよい。




帰りは海岸沿いの丘の上の歩道を歩く。(防風林代わりの篠竹が茂っていて、展望はところどころだが雰囲気は良い)



道は、城ヶ島バス停から灯台へ向かう道の京急ホテルへの分岐の所へ出る。13:00着

(歩道沿いに延々と植えられている水仙が見ごろをむかえていた。)

馬掘海岸駅から 観音崎 横須賀美術館へ 8月23日

2016-08-24 19:36:42 | 三浦半島ハイキング

馬堀海岸駅から防衛大学校方面へ向かいます
防大正門「入門手続 されたし」の文言が戦前のようで面白い。


水道施設の前の道を進むと歩道があります。


防大の施設の中を進むので、なんだかドキドキします。

訓練用の壁や一本橋などが夏草に埋もれています。

鬼軍曹が竹刀片手に、「なにもたもたしてる!」そんな景色がうかびます。

山道は右の道です。


観音崎への途中、立派な戦没船員の慰霊碑があります。


天皇陛下、皇后陛下、の御歌



戦日に逝きし船人を
悼む日の彼方に見ゆる
海平らけし

かく濡れて遺族らと祈る
更にさらにひたぬれて
君ら逝き給ひしか



観音崎へ向かう道には、古いトンネルがあちこちに


観音崎灯台に登ります





観音崎の沖合いに浮かぶ航路の標識に注目です。
左舷灯浮標(緑色)航路の左側を示します
中央灯浮標(赤、白色)航路の中央を示します
右舷灯浮標(赤)航路の右側を示します




横須賀美術館到着


今日の常設展では、やはりこの作品

奥村土牛「鵜」
名人 円楽です。

岡鹿之助「魚」
岡鹿之助は、水力発電所の画家という印象が強すぎて(「雪の発電所」)、他の作品はよく知らないのですが、
やはり端正な作品です。

実は、前々から横須賀美術館は村山槐多の「のらくら者」が見たいのですが、まだ見たことがないのです。


昨日の台風のせいで、ボードウォークには細かい海藻が沢山打ち上げられていました。


カッパ君、ひさしぶり(走水神社)


今日はここからバスで馬堀海岸駅へ


三浦富士 武山 小松ヶ池 三浦半島ハイキング(孤独のハイカー)

2016-03-02 22:55:27 | 三浦半島ハイキング
今日は休みだ。
会社へ向かう人達を尻目に、一人、三浦半島へと向かう。
今日は一つ、三浦富士へでも登ろうと思う。

津久井浜の駅を降りると、まずは浅間神社へお参り。
まずは基本だ。富士登山には欠かせない。



津久井川沿いを歩き、途中右に折れ、そのまま富士山頂へ行く。
どうだいこの景色、低山だってたいしたものだ。
いやいやたまらない。


ちょうどよいころあいにまたベンチがある。
どうぞお座りなさいと言っている。
ベンチの裏は浅間神社の鳥居だ。


なんだいこの看板は、
なになに、今だとイチゴ狩りもできるのか。
こんどは家族と来ても楽しそうだ。


この風情がまたいい。
わざわざ京都になんか行かなくても、気の利いた小道は、あるもんだ。


富士山到着。

ここからの眺めがまたいい。
品がある。


おいおい長沢からの道もよさそうだな。
あっちでも十分だったかな。

砲台山は、昔、ここに大砲が据えられていたのだろうな。


武山不動の吊るし雛。流行かもしれないが、いいものだ。
なんだか部屋全体が明るく見える。


展望台へ登ると周りはつつじだ。
ここで弁当を使うことにした。

弁当を開くと、どこからともなく猫がやってきて私の横に座る。
さては、目的は、営業だな。
だけど、この顔はいただけない。
もっと笑顔でにこやかでなければエサには、ありつけないといってやりたい。
私も営業のつらさは知っているので、
しかたがない、卵焼きをすこしおすそわけだ。


武山からは、丘陵沿いを三浦海岸方面へ向かう。
途中あるのが、地球防衛軍の基地のような三浦電波監視センター


せっかくやってきた小松ヶ池の川津桜は、だいぶ散っていて、かろうじての様子だった。


コース
津久井浜駅ー三浦富士ー砲台山ー武山ー三浦電波監視センターー大井戸ー来福寺ー山ケ谷戸ー小松ヶ池ー三浦海岸駅