とうちゃんのぷらぷら日記

アウトドア系の日記及びうんちく

自由が丘駅から等々力渓谷 上野毛駅へ

2017-01-29 19:23:01 | 東京散歩
人は、机に向かって考えてばかりいるよりは、歩きながら考えた方がよいアイデアが浮かぶものだ。

昔の人はよく歩いた。
弘法大師、坂本龍馬、みんな歩きながら自分の考えをまとめた。
何事も便利なだけではだめだ。
そこで、身近な場所で歩ける場所を確保するということは大切だ。
なにしろ普通の道では車が多い。
考え事をしながら歩いているとひかれてしまう。
いつも家の周りをぐるぐる回っているのでは、ハムスターじゃないんだから、すぐに飽きてしまう。
理想は長、中、短の場所を確保することだ。

長は、日本アルプスでも八ヶ岳でもよいが、そう簡単に行けるわけではない。
中は、三浦半島や、大山、高尾山といった所か。
短は、この中で一番難しい。
2時間も、3時間もかけて行くような所ではだめだ。
移動時間は1時間以内、歩く時間を含めて、3、4時間で帰ってこれるような場所を沢山確保することが大切だ。

そこで、昨日の続き。
自由が丘から歩くコースを考えた。
九品仏川緑道を歩けば、九品仏浄真寺の裏手のねこじゃらし公園まで続いている。
安心安全のALSOK道だ。

その先駒八通りを渡った所にも緑道がある。


大井町線方向へ進むと尾山台駅へ出る。
商店街は、本日はもちつき大会


ここからは普通の道になってしまうが、歩道はしっかりある。
玉川神社に寄る


ここのお稲荷様の狐は、精悍な目つきで、個性的なポーズを決めている。


ここまで来れば当然、等々力渓谷へも行く。


横穴古墳に御岳山古墳




大塚古墳は、綺麗に整形されすぎか


この先も二子玉川まで歩こうと思っていたが
本日はここで終了。

上野毛駅は、斬新なデザイン

昔歩いた自由が丘あたりをぶらつく

2017-01-28 22:57:37 | 東京散歩
九品仏浄真寺へは自由が丘の駅から歩いてもすぐだ。
仁王門から普通に歩いてゆくと、右に本堂を見て、正面左から下品、上品、中品の大きなお堂が並ぶ。堂の中には、これまた大きな阿弥陀様が三体ずつ並んでいるのだが、お参りの仕方がよくわからない。



九品仏の九品とは、九品往生のことだそうだが、
一番良いのが上品上生で、一番悪いのが下品下生であるそうな。
お堂には九つの阿弥陀仏があり、それぞれの九品を担当しているようだ。

私らのような下賤な者は、まずは下品下生の阿弥陀様をお参りし、下品中生、下品上生→中品下生・・・・上品上生と拝んで行くものなのか。
ところがお堂の配列は左から下品堂、真ん中が上品堂、右が中品堂となっており、なんだかよくわからない。

お寺の外周を一周して、寺の大きさを確認した。


参道も立派。
寺内に素朴な閻魔堂があるのも気に入っている。


折り返して自由が丘

自由が丘の街は高校生のころよく歩いた。
駅のすぐ横の東急ビルには、三省堂書店やレコード店があったが、今はもう無い。
当時よく通ったガード下のたい焼き屋さんや駅の構内の立ち食いそば屋さんも、ずいぶん昔に無くなった。

今もある店は、
私の部屋


「私の部屋」が出来た時は、自由が丘にすんげえおしゃれな店が出来たとのぞきに行った。(その後贈り物などでよく使った)

ルピシアは最近のお店だが、ここの紅茶はよく買う。


伝統の自由が丘ひかり街。



こういう商店街がいまだに残っているのはほっとさせる。
実は、小学校の同級生がこの中でお店をやっている。
それほど親しかったわけでもないので、横目でそーと店の中をのぞいたら、
いたいた、生意気に髭などはやしてる。おたがいに歳を取った。

南口駅前の東京書房さんもよく通ったが、いつの間にか4階へ引っ越していた。(2階の「るなん工房」さんは、テレビドラマなんかでもよく使われていた)


高校生の時、初めて本を売ったのも東京書房さんだった。
本を売るとどうなるのか、試してみたかったからだ。(好奇心だった)
その中の一冊が最近、山と渓谷社から復刻版で出版されていた。
「逃げろツチノコ」という本だった。
自分が売った本が、東京書房さんの本棚に並んでいるのを見かけた時には、複雑な心境だった。
それ以来本を売ったことはない。

江の島ぐるぐる

2017-01-22 21:23:23 | 神奈川散歩
江の島はいい
今日の散歩は、江の島に場所を替えて歩き回る。

江の島は、中途半端に近い。
なので、わざわざ個人的に来たことは、なかったような気がする。
何しろ観光客が多い。普段は自然と敬遠してしまう。

それでも江の島から見る富士山は美しい。
相模湾の波の向こう、山と山との切れ目に秀麗な富士山がすっと見える。
前景の江の島の自然も歌川広重の浮世絵にあるように絶景ポイントだらけだ。
江戸時代からメジャー観光スポットなのが解る。


杉山検校の墓



ガイドブックにあった親不知、魚板岩、弁天窟、蛇巻岩といった地名がどれなのかはっきりとは分からなかった。





江の島岩屋の
「昔の音が沁みている」はなかなかよいキャッチフレーズだ。


江の島岩屋へ入るのは、いかにも観光客と言う感じで少し抵抗があったが、やはり入ってよかった。
人工物のない洞窟の姿を想像すると、ここが当時如何に神秘的な洞窟であったのかがしのばれる。




このあたりの食堂は、景色がいい。
家族で来て、このへんの食堂でのんびりするのもよさそうだ。




今日は、風が強く江の島が砂埃に霞んでいた。


お土産には、江の島駅前の玉屋のようかんを買って帰った。


江の島駅の雀は、今こんなファッション


日本一艶めかしい弁天様を見るのを忘れていた。
また今度こよう。



綱島三山から大倉山へ

2017-01-21 21:03:03 | 近所の旅
綱島駅から大倉山駅では、しまりがないので、
雰囲気だけでも「綱島三山(仮称)から大倉山へ」として、気合だけは入れて散歩する。

綱島の西側の観光スポット 飯田家住宅は、市の指定文化財

背後の森は綱島公園の山で、森とセットで、いい感じに保存されている。

ぐるっと回り込んで綱島の真ん中にある長福寺へ
お寺のすぐ前が東横線
向こうは諏訪神社


長福寺のご本尊がこうごうしい。


諏訪神社と長福寺の間には、神明社と呼ばれる小さな山がある。


綱島街道に直結する急登の階段を上ると、傾いた鳥居と
それに似つかわしくない、立派な石碑がある。



その手前の横にも古びた石碑がある。
石碑には
県下名勝史跡四十五佳選
当選記念
綱島温泉 桃雲台
横浜貿易新報社
昭和十年十月
とある。

この丘には、かつて松の大木が生えていた。それで松雲台と言うのかと思ったら、
よく見たら、桃雲台という名前だった。(綱島名産の桃畑を見下ろす丘という意味なのだろう)
綱島が観光名所であった記念碑だ。

桃雲台から日吉駅方面の展望


大綱橋を渡り、大倉山へ
梅林はまだ今一の花付き


歓成院の門は赤色


公園の裏手から大倉山の駅へ

綱島へ折り返して、大曽根商店街
昔は栄えた系の商店街だが、肉屋も魚屋も八百屋も飲み屋もある総合力を維持している貴重な商店街だ。

銭湯もある。


帰りは綱島駅前の田島パンでコッペパンサンドを買って、さらに歩いて帰る。


1月15日厳冬期

2017-01-15 18:03:02 | 日記
今日の冷え込みは、今季一番
窓ガラスの水滴も凍っていた。
室温も5度ほどで、外は当然氷点下。
日中も晴れてるわりには、気温が上がらない。
オートバイなんかで走ると顔が痛い。

この雲は気温が氷点下ぐらいの時に見られる雲。
雲の輪郭がぽーっとぼやけているのが特徴で、もっと大きな雲の塊になると小雪がちらつく。


1月15日は警視庁が創設された日だそうだ。
焼酎 警視庁 
名前に似合わずマイルドで上品な味わい
 

そして、例によって語呂合わせでイチゴの日。
こんな厳冬期にイチゴかいなとも思うが。
温室物のイチゴはクリスマスに出荷のピークを設定しているだろうから、1月15日ぐらいでもイチゴが大量に採れるんだろうね。クリスマスだけでなく、1月になってもイチゴを夜露死苦ということ。

新綱島駅の工事現場と周辺を散歩する

2017-01-15 10:11:31 | 近所の旅
あの東京園がなくなっている。
ショックだった。
行こう行こうと50年、とうとう行かずじまいになってしまった綱島温泉。
東京園はかつて三橋美智也さんがボイラーマンをしていたことでも有名だった。(三橋さんは、地元綱島の人達とも交流があったようだ)


新綱島駅の工事がこんなに近くで進行しているとは知らなかった。
地下鉄のような駅なのかと思っていたが、けっこう広範囲が駅の工事区域になっている。
綱島街道の向こう側は、ほとんど行ったことがなかったが、池谷さん家やゴルフ練習所の隣りまで工事区域になっていた。




これはたぶん綱島温泉の旅館入船の門だった建物ではないかと思う。


この際だからめったに行かない諏訪神社や綱島古墳も見学。






駅周辺は昔からごちゃごちゃしていて、車なんかで来たら、どこにも停めるところがなかった。そのくせ近郊のバスターミナル駅となっているので、駅周辺は常に万年渋滞区域になっていた。

大手のスーパーが初めて進出したのも、この辺では綱島が初めてだった。
「ほていや」や「サンコー」といった2大勢力と、綱島駅ガード下の東光ストアと一体化した個人商店群が中核だった。(あまり用はなかったが綱島には市場もあった)
サンコーには、店内で流れるテーマソングがあった。
だいたい次のような歌詞であったと思う?
「あなたの街でショッピング サンコー サンコー」
「あなたの街でお買い物 サンコー サンコー」
「あなたの夢と幸せを(この次のフレーズは忘れた) 待っている」
「あなたの街でお買い物 サンコー あなたのサンコー」

新綱島駅の再開発で綱島の街も大きくかわるんだろうな。

この世界の片隅に、君の名は。を観る

2017-01-14 09:46:09 | 主張 感想
年末年始に今話題の2つの映画を観た。
対照的な映画だったので感想を書いておく。

この世界の片隅に
あっという間に進行していく映画の場面を見ながら、語られているすべての情報を頭にインプットすることは難しかった。この映画には、作品作りで取材した呉や広島の人達の様々なエピソードを取り入れているのだろう。それを少しでも知る人にとっては、心打たれる映画にちがいない。
当時の人達の体験をアニメ化することで、この映画には、記録映画としての側面もあるのではないかと感じた。

私が社会人として働き始めたころには、まだまだ実際の戦争体験のある方が数多くおられた。
仕事上のなにげない会話の中でもそんな話を聞くことがあった。
撃沈した巡洋艦の乗組員であった社長さん。
息子さんが特攻隊員であった奥さん。
今では、もうそんな話を聞くことも無くなってしまったが、
映画の中で、おっとり系のすずさんが主役な分けは、戦争を変に誇張するのではなく、普通の生活者の中にも理不尽な戦争がやって来たのだと、一般生活者の目線のリアリズムで描きたかったのではないかと感じた。この映画は、そういう意味で今後さらに貴重になることだろう。


君の名は。
前評判だけで出かけたが、
スターウォーズなどでも感じたが、SF映画としては、物足りなく、ストーリー展開も稚拙だ。映像の派手さだけが取り柄のように感じてしまうのは、歳のせいか。

へりくつ者は、心が入れ替わって、どうしてそれぞれの高校へスムーズに登校することが出来るのか、観光名所ともなりそうな大きな湖の存在をほとんどの人が知らないのはなぜか、
などと考えてしまう。その途端にしらけてしまう。一歩引いて、すべて夢の中の出来事と解釈しても感動のストーリーには感じられなかった。(退屈だった)


乳頭山 二子山 阿部倉山 三浦半島ハイキング 1月12日

2017-01-12 20:03:59 | 三浦半島ハイキング
阿部倉山の下山した所にある地蔵

田浦駅10:15発-田浦梅の里11:00-乳頭山-二子山12:40
-阿部倉山登山口13:40

田浦梅林は、ようやく咲き始めたところだが
幹によっては、かなり咲いているのもある。




一応、紅梅、白梅の両方見ることが出来が、
梅林ガル状態になるのはもう少し先?

乳頭山へは、この先山頂直下を左の道から山頂へ



二子山への道は、なかなかよい。
このコースは、山のトレーニングコースにも使えそうだ。






二子山でお昼ご飯にする。
展望台の横に噴火口を模したような窪みがあるが、何なのだろうか。


もう一つの山頂(下二子山)には、もっと深くて大きい窪みがある。




阿部倉山の山頂は、縦走路の道から少し外れている。


下山は左の道をとる。

進むとすぐに、古道のおもむきと言ったような道になる。

深くえぐられた道は歴史の道だ。
道沿いにある木は、だんだん道が削られていくものだから、根っこを横に張り出して箱乗り状態で必死にしがみついている。


下山したところには、お地蔵さんと畠山重忠の慰霊碑のような石碑がある。


今日は、このまま新逗子の駅まで歩いて終了(14:14発の電車)

城ヶ島から毘沙門湾へ(毘沙門湾ハイキング)

2017-01-12 00:21:09 | 三浦半島ハイキング
盗人狩りの人けのない岩礁には、なぜだか猫たちが沢山いる
遊歩道の橋を渡る猫は、なんだかユーモラス
波がけっこうザブンザブンと遊歩道を洗うが、猫たちは波にさらわれることはないのだろうか


<城ヶ島ハイキングの続き>(午後の部)

「雨はふるふる城ヶ島の磯に利休ねずみの雨が降る」
北原白秋歌碑
且つては、城ヶ島のシンボル的な観光スポットだったが、最近はあまり訪れる人もないようだ。
記念館の2階への階段のところに城ヶ島の細かい地名が記載された地図があった。(個人的に注目)


城ヶ島大橋を渡るところで14:00


盗人狩りのあたりはけっこう波が荒い


城ヶ島大橋遠望






毘沙門洞窟


夕暮れまじか


あしながおじさん、ロングバージョン


江奈の近くで16:00
よい子が住んでるよい町は、楽しい楽しい歌の街の曲が流れる
早くお家へ帰ろう。

剱崎バス停16:27のバスで三浦海岸の駅へ


城ヶ島から毘沙門湾へ(城ヶ島ハイキング)

2017-01-11 23:12:50 | 三浦半島ハイキング
1月11日水曜日、三崎口駅9:10のバスで城ヶ島へ
駅前の川津桜はもう咲きだしていた。


三浦半島は暖かい。
大根やキャベツの葉も青々としていて、ほとんど霜にあたっていないようだ。三浦半島には、天からの贈り物の暖かい海風が吹いている。


小学校の遠足以来かもしれないが、これまで城ヶ島を侮っていた。

冬の三浦半島は富士山をはじめ丹沢、伊豆の山々、大島の山並みが美しい。


はっきり言って絶景だ。この眺めだけでも来る価値がある。
ただ、城ヶ島の良さは、やはり海岸を歩かなくてはわからないだろう。

灘ヶ崎の付け根にある楫(かじ)の三郎山は御神域で山頂には大漁祈願のお社がある。



城ヶ島京急ホテルは、正面に富士を望み灯台を背にしたベストポジションに建つ。


ホテル前は長津呂の磯。とても広大な岩礁で散策しても面白い。


そのまま馬の背洞門へ向かう。



城ヶ島の名所、馬の背洞門


馬の背洞門からは、丘へ登ることになるが、途中赤羽根海岸へ向かう小道がある。
赤羽根海岸は、秘密の浜辺という感じでなかなかよい。



浜辺の先は、海鵜の生息地(断崖)なので、元の分岐まで引き返すことになる。




城ヶ島公園は最近整備されたようで、たいへん綺麗だ。
展望台もあり、広い芝のスペースもあるのでそれなりに良いが、やはり崖下の海岸を歩くとなおよい。




帰りは海岸沿いの丘の上の歩道を歩く。(防風林代わりの篠竹が茂っていて、展望はところどころだが雰囲気は良い)



道は、城ヶ島バス停から灯台へ向かう道の京急ホテルへの分岐の所へ出る。13:00着

(歩道沿いに延々と植えられている水仙が見ごろをむかえていた。)

恵比寿から旧山手通りあたりを渋谷へ

2017-01-10 19:19:51 | 東京散歩
中目黒-恵比寿-青葉台-渋谷

中目黒の別所坂から恵比寿へ
別所坂は登るにつれて急坂になります。


登った所が新富士で、富士山のビューポイント。この道はかつて目黒から麻布を経て江戸へ抜ける最短ルートだったそうです。


昔の面影の石碑など。




恵比寿の街を歩き回ると坂だらけで、今でも起伏が激しいですね。
歩くとよくわかります。

えびす海岸の名前がなぜかしっくりくる。


重文の朝倉邸は休館日 
前に来た時も休館日だったので、未だに見学したことがないんですよね。どういうわけだか。


しかたがないので前のお地蔵さんを見学(鉢物を置いてあるのが面白い)


目黒元富士跡はすぐそこ

猿楽塚は、まわりの景観があまりに近代的で、ビルの屋上にある神社みたいに唐突に現れる。


この先、綺麗な刈込の植木があると思ったら
日銀の分館だそうです。


都立第一商業高校
都立高校なのに、かなりおしゃれな校舎
やはり周りの景観に配慮してのことなのでしょうか。


エジプト大使館は、大使館の建物の前に沢山の置物があります。
ちょと見は、セレブな雑貨屋さんかと思ってしまう。


西郷山公園の下の菅刈公園は西郷従道公の別邸跡


三田用水に架かっていた石橋の記念碑。用水路は直線的に造られた人工物だったので流れが速かったんでしょうね。
マニアなポイントです。



このあと円山町から渋谷駅へ

ああ青春の渋谷古書センター


今日のルートは、仕事の関係でよく訪れた思い出の場所でした。バブル崩壊前のはるか昔の話ですが、当時は、仕事以外ほとんど頭になく、こんなふうにのんびり歩くとはありませんでした。


田園調布に古墳が建つ

2017-01-10 06:23:56 | 東京散歩
浅間神社-多摩川台公園-ドリコの坂-田園調布せせらぎ公園

古来より田園調布は、お金持ちのステータスの場所であったらしい。
南武蔵のセレブ達は、田園調布の高台に永遠のセレモニーホールを建てた。
今日は、田園調布の南部を散歩する。

まずは、多摩川の駅から浅間神社へ。


浅間神社のキャッチフレーズは、「田園調布の氏神様」
神社は昔から田園調布のあたりの特設展望台で、
もちろん富士山もバッチシ。

松と桜で有名な多摩川台公園(多摩川台古墳群)へ

松の木は、今時珍しいこもまき姿。 セレブな公園だ。




古墳展示室がある公園管理事務所


東横線東側へ移動してどりこの坂へ


田園調布せせらぎ公園は、かつての多摩川園の跡地に作られている。


幼かったころの自分の姿を感じながら散策する。
この景色は貴重だ。




谷下には池が沢山あり小さな流れを作っている。


帰りは田園調布の邸宅街を抜けて田園調布の駅へ

淵上毛錢と山之口貘(坂という詩について)

2017-01-07 10:20:59 | 本、作家
淵上毛錢の坂という詩は、手元の資料では「淵上毛錢全集」、「現代詩代表選集1950」に掲載されている。
ところが新編山之口貘全集にも同じ詩が掲載されていた。
以前この矛盾点に関して、出版元である思潮社さんへ連絡したことがあった。

そもそも坂という詩が新編山之口貘全集に収録されることになったのは、貘さんの未発表の自筆原稿の中にこの詩が入っていたからのようだ。

山之口貘と淵上毛錢の親交が深かったことはよく知られている。
二人が出会ったのは、昭和のはじめころの東京だった。
毛錢が14歳、貘さんが26歳ぐらいのことで、当時毛錢は、まだ青山学院中学部の生徒だった。

その頃毛錢は、チェロの演奏家を目指していたようだが、成長するにしたがって俳句や詩の創作に励むようになる。
毛錢は、初の詩集となる「誕生」を昭和18年に発表するが、この時、本人たっての願いで序文を山之口貘が書いている。
それは、次のような序詩であった。

チェロ

十年前の
未来のチェロ弾きよ
チェロは弾かずに
うたったか
きけばずいぶん
ずいぶんながいこと
チェロを忘れて仰臥ているとか
チェロの背中もまたつらかろう
十年前の
あのチェロ弾きよ
チェロは鳴らずに
詩が鳴った

その後毛錢は、貘さんの尽力で「ぶらんこ」という詩集を出版するはずだったが、出版界の不況に伴う出版社の都合でまぼろしの詩集となってしまったそうだ。
「坂」はその巻頭を飾る予定の詩であったと貘さんは書いている。

淵上毛錢全集によれば「坂」の初出は、昭和23年8月とある。
貘さんが水俣の毛錢を見舞ったのは、昭和23年1月のことだ。
この時貘さんは10日間ほど水俣に滞在しており、毛錢ともかなり濃密な時間を過ごしたと思われる。
そんな時、貘さんは毛錢のために、自分の詩を朗読したり、毛錢も自分の新しい詩を獏さんに披露して感想を求めたりした場面があったのではなかろうか。


あらためて「坂」という詩を見てみると、
毛錢の詩としては、滑らかな分かりやすい詩だ。
詩のリズム感もよい。
私が貘さんなら、この詩はたいへん優れていると評価しただろう。


「現代詩代表選集1950」より

ここからは想像だが、この詩の推敲には、貘さんも関わったのではないかと想像してしまう。
この詩の貘さんの自筆原稿があるとすれば、貘さんと毛錢とでこの詩の推敲をして完成させたのではないか?そんな気がしてくるのである。

お二人が亡くなって50年、60年という時が過ぎたが、今もなお、新たな評論が出版されている。
貘さんも毛錢も、本物の詩人であったという証拠だ。
特に貘さんの詩は、昨年とうとう岩波文庫にも収められた。
これからも伝説の詩人として語り継がれることだろう。

  

ニューイヤー・コンサート2017ウィーン・フォルクスオーパー交響楽団 サントリーホール

2017-01-02 05:59:54 | 音楽 美術

元旦なので、お寺さんへお参りに行くと、同級生がやって来た。
「よお、おめでとう」
「おお」
「これから、護摩だきがあるから一緒に行こう」
「ええ、うちのお寺でそんなことやってんの」

半分見える本堂の中に、椅子が並んでいるのが見える。
さっきから鳴り物の練習も聞こえてくる。
どうも、あそこに座ったら簡単には帰れそうにない雰囲気だ。
午後からのコンサートを考えると、ちょっとリスクが高い。

「ウーン、まあ、そうね、またこんどにしとくわ」
と、ここは、えびずさりで退散。


というわけで、今日は、ニューイヤー・コンサートへ行ってきた。
指揮者はルードナーさんだったので、迷わず決めた。
今年のコンサートは、西の風。パリから吹くオペレッタの風だ。

開始そうそうのカウンターパンチの2曲で、今日のコンサートの雰囲気が見えた。
ルードナーさんもバイオリンを弾きまくる。
細かい演出を配したエンターテイメントの演奏は、観客をあきさせない。
歌あり、踊りありのコンサートは、他では真似のできない豪華さだ。

今日の流れでは、ラデツキー行進曲はいらないかなとも思ったが、
やはり、それなりの演出で聴かせてくれる。

ルードナーさん、ウィーン・フォルクスオーパーのみなさん
ニューイヤー・コンサートのすばらしい演奏をありがとう。


開演前、グッズ売り場にルードナーさんがいらした。
誰もお客さんがいないので、2014年のニューイヤー・コンサートのCDを買ってルードナーさんにサインをしてもらった。
こんな時、「今日のコンサート楽しみにしています」とかすらっと言えたらカッコいいんだろうけどね。