とうちゃんのぷらぷら日記

アウトドア系の日記及びうんちく

モーリス持てばスーパースターも夢じゃない

2016-01-31 20:16:21 | 独り言
私のギターは1977年製のK‐ヤイリギターDY35で、
かれこれ40年ほど前に購入したものだ。
たぶん、当時ファンだったイルカさんがマーチンのD35を使用していたので、そのコピーモデルであるDY35を選んだのだろう。

ところが多くの人がそうであるように、就職してからは、せっかくのギターも弾いている余裕はなくなってしまった。
今では左指の指先も柔らかくなってしまっているので、復活させるにはかなり練習が必要だ。

先だって、山のクラブの先輩のKさんが、バンドを結成して道の駅などで演奏しているとの連絡があった。(YouTube拝見しました)
我々もいつの間にかもうすぐ定年を迎えるような歳になり、これからどう生きようかと考えるようになってきた。

人生豊かに暮らすには、趣味や興味のあることは、多いほどよい。
ギターを再開するのも、一つの選択肢だ。

ところが、最近娘がギターを練習したいとしきりに言っていたのだが、
今日、私のギターを弾いてみたいと言ってきた。
久しぶりにDY35の弦をチューニングしてみたが、ところどころガタがきている部品もある。娘が本当に始める気があるなら修理に出そうと思う。
なんなら娘にあげてもと思う。
だれかが言っていた。
なんでもいいから、外国語と、楽器を一つマスターできれば人生豊かになると。


食べ物のことなど

2016-01-30 14:21:59 | 料理 食 道具
美味しい、不味いの判定は、なにが基準になっているのかを考えたことがあった。
それは、もしかしたら子供のころに食べた食べ物が元になっているのではないかと思うことがある。

私はコンビニ弁当を、あまり美味しいと思って食べたことがなかった。
自分の中の美味しい、不味いの判定で、なにかがコンビニ弁当の味を否定しているのだ。

ところがインスタントラーメンなどは喜んで食べているのだから意味が分からない。

もしかしたら小学校の時の給食が原因なのかもしれないと思ったことがあった。
家以外のごはんを食べるのは、給食が初めての経験だったが、
自分は「給食というのは、なんて美味しいのだろう」と思って毎日食べていたからだ。
給食(よそのごはん)→コンビニ弁当(よそのごはん)で無意識に自分の中で比較しているのではないかと思う。

卒業してから知ったのだが、給食のおばちゃんは、近所に住んでいる人だった。
やはりコンビニ弁当とはちがう何かがそこにあったのだろう。


身近な振り込め詐欺

2016-01-26 23:18:21 | 主張 感想
振り込み詐欺の被害額は年間500億円前後になるそうだ。
それを裏付けるように、私の身近でも、振り込め詐欺の未遂事件は多発している。

もう5年以上も前の話になるが、会社の同僚のお嬢さんを装った詐欺があった。
詐欺の状況設定は、お嬢さんが車で交通事故を起こし、相手から示談金を要求されるというもで、話の中には、お嬢さんの親友も登場し、事前に入念な情報収集があったものと思われる。
相手の嘘はすぐに見破られたが、劇場型詐欺の走りだ。

もう一人もやはり会社の人で、こちらは、息子を装う古典的なもの。
ある時息子さんを名乗る電話があり、(その時、本当の息子さんは家に居たそうだ)人の悪いその人は、犯人の言い分を一通り聞いた後、息子さんに向かって、「お前から電話だよ」とやったそうだ。

うちの奥さんにもあった。
こちらは、裁判所を騙る手紙で、未納金の納付を命令するものだった。
かように日常化した詐欺は、日々手口も変化しているようなので、お年寄りはよほど注意しないといけない。

冬の庭仕事

2016-01-24 16:26:01 | 庭、花木、畑、ガーデニング
冬の季節には、落ち葉を掃き、地面から雑草の根を一つ一つ取り除き、一生懸命に片付ける。
大変だが、冬にしか出来ない仕事だ。


片付ければすっきりして、
仕事の達成感もある。


植木の間の落ち葉をかき集めるのには、小さな熊手を使い、
広い場所には、大きな熊手を使う。

不要な枝葉を選定するのに、大ばさみにノコギリも用意する。

大量の落ち葉や、選定した枝を一か所にまとめるため、運ぶだけでもえらい苦労。


8時から16時ごろまで、実働7時間ほどで、おおよそ7日ほどかかって作業をこなす。
むろん完全にはできないが、これをやっておかないと夏ごろには手が付けられなくなってしまう。


宿命の仕事だ。




このごろの「まいにち修造カレンダー」

2016-01-24 09:31:40 | 本、作家
昨年の夏、ふだんは、あまり立ち寄らないショッピングセンターの中にある本屋へ寄った。

すると、入ってすぐの場所に「まいにち修造」のカレンダーが山積みになっていた。
思わず手に取り、ぺらぷらとめくると、
修造カレンダーに書かれている教訓の言葉の深さに感銘した。
修造さんはすごい、パフォーマンスだけではないんだ、
と思い、「修造思考」という本と一緒にセットで買ってきた。

うん、そおだよな~、いちいち納得するスローガンばかりだ。

日めくりカレンダーなので、毎日家族の者の目のふれるところに置かないと意味がない。
初めはテーブルの上に置いてみた。
これで家族全員が前向きにな毎日を送れるのでは、と期待したが、
やがて、カレンダーをめくるのもいい加減になり、
20日の日に10日のページが開いていたりするようになった。

これではいかん。
置く場所を工夫しなければ。
次に毎日決まって家族が一定時間を過ごす、定番のトイレへ置いた。
トイレに修造カレンダーでは、かわいそうだが
なんとかここまで、カレンダーとしての命脈だけは保っている。

雪の日のふくらすずめ

2016-01-17 17:01:46 | 独り言
明日は、雪が降るかもしれないそうだ。
こんな天気でも外で過ごさなければならない動物たちはたいへんだ。

雪の日の雀達の姿は、かわいらしい。
昔の我が家には、沢山の雀がいた。(雀たちの溜まり場のような家だった)
雀たちは、いつもならチュンチュンと、のどかに鳴いていたが、雪が降るような寒い日には、すこし様子が違っていた。
二、三十羽が肩を寄せ合うように一本の木に群がり止まり、首をすくめて、羽根をまあるくふくらまして、なにやら、みんなでぶちぶち言い合っている。ぐちゅぐちゅぐちゅぐちゅとも聞こえるが、きっと、「ああ寒い」、「まったくやつてられないよ」、「なんとかならないのこの寒さ」「ああしんど」などと、みんなで不平を言い合っていたのだろう。
たまに思い出したかのように5、6羽が飛び立って行くが、直ぐに元の辺りに舞い戻ってくる。
「ああ、やっぱりだめだった。ここの方がまだましだ。しょうがないから、おとなしくしていよう」そんなあきらめ顔のかわいらしい雀たちだった。

羽根をまあるくふくらました姿は、ふくらすずめと言い、縁起がよいそうだ。
えんぎがいいなんて呑気なことを言っているのは人間様だけで、当のすずめたちは、とんでもねえや、寒くて鳥肌が立っているだけじゃないか、ばかなこと言うんじゃないや、と不平をいっているにちがいない。

ラジオ少年の時代

2016-01-15 22:50:46 | 独り言
近頃はあまり聞かないが、私が高校生のころは、海外の日本語放送を聴くのがブームだった。
メジャーなモスクワ放送や北京放送などは、出力も大きく、普通の国内放送と変わらないくらいの感度で受信できたが、マニアの多くは、その日の天候や風向きで微妙に受信出来るかどうかが決まる短波放送を聴いていた。

そのころ、芸能界デビューしたばかりのタモリは、深夜放送にゲスト出演すると、
海外の日本語放送のギャグネタをよくやっていた。(林 美雄のパックインミュージック・高 信太郎のオールナイトニッポンなど)

当時は短波放送用のラジオも売られていて(確かソニー製だった)
自分も「ラジオたんぱ」は漁業気象などを聴いていたが、(天気図を書くため)
ほとんどがマニアックな番組ばかりで、
その中で唯一の若者向け番組が「ヤロメロ」(野郎ども、女郎どもの略)という番組だった。
パーソナリティは曜日ごとに変わり、素人に毛が生えたぐらいのおねーさん達が担当していたが、その内の一人(名前は忘れた)の5分ほどのワンコーナーに出演していたのがツービートこと北野武氏であった。
この番組をきっかけに、その後ツービートの初期のお笑いネタ(じいさん、ばあさんシリーズ)をツービートへ売り込む放送作家が現れ、ツービートは、あれよあれよという間に人気お笑いタレントになってしまった。

もう少し古い話になると、趣味でラジオを作る人も沢山いた。(秋葉原の全盛時代だ)私の家には、バリコンや抵抗、コンデンサーなどの部品が沢山あって(理工系の趣味のあったおじさんが買ったものだ)私の兄は小学生のころにゲルマニウムダイオードを使ったラジオを組み立てていた。

当時の秋葉原は、今以上にエキサイティングな街で、電気店の店先には、各種の格安部品が無造作に段ボール箱などに入れられて売られていた。それを見て歩くのは、神保町の古本屋街を歩くのと同じ感覚で、日本の技術者達が優秀なのは、秋葉原の街があったおかげではと思われた。


ブログを書くわけ

2016-01-11 22:03:29 | 独り言
ブログを始めたきっかけは、気まぐれだったが、
今では3つばかりの理由を付けて書いている。

一つは月並みな話だが、備忘録で、いつ何処へ行ったのか、
何をやっていたのか、忘れないための記録だ。

もう一つは、自分の家族へ向けたつぶやきで、
家族といっても、中々自分のことを話す機会はないので、
ブログを借りて、とうちゃんは昔こんなことをやっていたんだというアピールだ。
それで私のブログには、迷惑だろうが友人や兄弟などが登場する昔の話がよく出てくる。

当然、家族にも自分がブログを始めたことは話しており、
「とうちゃんのぷらぷら日記」というんだと言ったら、
娘は、え〜、とうちゃんのブラブラ日記、
ギャハハハと笑い転げていた。

無礼者だ。

娘達が見ているのかは、わからないが、
うちの奥さんは、時々こっそり見ているようだ。

もう一つは、震災などの非常時用の連絡手段だ。
震災時には、電話やメールはあまり役に立たないようだし、
災害用伝言ダイヤル(171)というのもあるが、
やはり通信手段は複数確保しておいた方がよいだろう。
そのためには、自分のブログをネットですぐに探せるようにしておく必要がある。
そんなわけで、検索してもすぐにわかるよう、
せっせとブログを更新しているのだ。

マルタイ 九州ラーメンシリーズがうまい

2016-01-11 15:40:26 | 料理 食 道具
お正月に買ったマルタイのインスタントラーメンがうまかった、
とんこつラーメンで唯一関東でも普通に手に入るラーメンだが、
本来インスタントラーメンとしては長所と評価されるべき独自のコンパクトな包装が災いして、
いつもインスタントラーメンコーナーの隅の方へ追いやられていた。
あっという間に出来るスピード感も魅力だ。

初めて食べる九州ラーメンシリーズだが、とてもスープが美味しかった。
当社の棒ラーメンのコンセプトは同じだが、
やはり他のインスタントラーメンにはない独自性がよい。

価格も一袋(2食入り)175円(私が買った価格)で、極めて常識的な価格だ。


長浜博多とんこつラーメン
長崎あごだし入り醤油ラーメン
宮崎鶏塩ラーメン
熊本焦がしニンニク入り黒マー油とんこつラーメン
鹿児島焦がしねぎ入り黒豚とんこつラーメン

今日は大人買いで10袋買ってきた。
どのラーメンもネギを細かく刻んで沢山入れてたべると美味しい。




マイナンバー制度に思う

2016-01-09 21:17:15 | 主張 感想
マイナンバーばかりではないが、
最近の会社の業務というのは、細かくぎちぎちに管理されていくばかりで、
なかなかその流れについていけない時代となってしまった。
パソコンなどの、省力化の技術も進んではいるが、
品質管理のハードルは年々上がるばかり。
昔は、ベテラン社員のカンで済んでいたような事も、
ぼう大なデータの裏付けがあっての品質管理でなければ、認められない世の中となった。
コンプライアンスやリスク管理、ガバナンス(企業統治)などと、まことに細かい。

ところでマイナンバー制度は、結局のところ脱税防止が究極の目的であろうが、
財政赤字がここまで進んだ日本では、消費税を10%にしても財政赤字の改善は無理であろう。
根本的な税収改善の秘策として、私が考えている事がある。

これだけ少子高齢化が進んでいる日本では、独身の人や、子のない夫婦も多いことだろう。
相続人に親や子、孫のいない人の財産は、国が接収出来るようにしたらどうだろうか。
核家族化が進んだ日本では、あまり違和感がないのではないかと思う。
今の時流では、この方法が可能なら、
これから政府の収入はどんどん増えるのではないかと思うが。
やはり素人考えか?

高麗山、湘南平、大磯 1月3日

2016-01-04 21:42:00 | 神奈川散歩
平塚駅前のぺこちゃんから出発


続いて高麗山の神様仏様へお参りします。




今日は女坂から登ります。

高麗山へ到着

高麗山の雑木林には、古木はありませんが
いい感じの森で、やぶ椿とアオキが沢山あります。


ところで日本原産の椿は、江戸時代にヨーロッパへ渡り、かの地で一大ブームとなったらしいす。
当初イギリスにもたらされた日本のやぶ椿は、ヨーロッパ各国に輸出され、ドイツのドレスデンやイタリアのカサータ、ポルトガルのガイヤには、今でも樹齢200年以上のやぶ椿の古木が大切に守られているとか。
そんな日本が誇る花木は、もちろん本家の日本でも茶花にはかかせませんし、徳川将軍も椿の大ファンだったそうで、江戸時代には、武家や公家の人達を巻き込んで国中が椿に熱中したらしいす。

アオキもどこにでもある雑木ですが、やはり日本の庭には欠かせない植木です。
アオキの一番美しい姿は、雪が降った朝に、アオキの枝葉にほんのり雪の積もっている景色だと言われています。


日本人には当たり前な日本の植物達も、ヨーローパの人(特にイギリス人)には、夢のような植物と映るようで、ポール・スミザーさんやC.W.ニコルさんは、そのすばらしさを熱弁しています。

さて今日の天気は冬には珍しい暖かさで、湘南平の展望は今一でした。


下山は楊谷寺谷戸横穴群から大磯駅へ

我が家のこのごろの介護食

2016-01-03 08:46:39 | 料理 食 道具
介護食というのは、本人の体調変化につれて変化するので、現時点のメニューを記録しておきます。
すべて朝食メニューです。

問題点
 いつも同じようなメニューになりがちで変化を付けるのに苦労します。
 リンゴやバナナは変色するので、どうしても食べる時には見栄えが悪くなります。
 糖分が多すぎとも思われますが、本人の好みなのでそのままとしています。
 
 コーヒー(ドリップコーヒー、砂糖多め)と大根おろしは本人の希望です。

1.おじや(昆布だし、梅干し、野沢菜)
2.里芋の煮物
3.大根おろし
4.リンゴのすりおろしヨーグルト
5.バナナ
6.シジミの味噌汁(具なし)
7.コーヒー


1.おじや(昆布だし、梅干し、鮭フレーク)
2.里芋の煮物
3.さつまいもとリンゴの煮っ転がし
4.ヨーグルト
5.コーヒー
6.お雑煮(餅なし)
7.メローゴールド(グレープフルーツ)


1.おじや(昆布だし、梅干し、たらこ)
2.はんぺん
3.あおさの味噌汁
4.大根おろし
5.バナナ
6.リンゴのすりおろしヨーグルト
7.コーヒー


1.おじや(昆布だし、梅干し)
2.卵焼き(甘め)
3.大根おろし(のり付き)
4.ぜんざい(小豆はよくつぶす)
5.豆腐の味噌汁
6.リンゴのすりおろしヨーグルト
7.コーヒー


1.おじや(昆布だし、梅干し)
2.卵焼き
3.大根おろし(卵焼きにつけて食べる)
4.甘酒
5.バナナ
6.コーヒー


朝はお腹がすくとのことで、毎日ほぼ完食です。

オーチャードホールのニューイヤーコンサートから帰ってきたところです

2016-01-02 20:04:36 | 音楽 美術



今日は東京フィルのニューイヤーコンサートで
曲は
J.シュトラウスⅡ 春の声
チャイコフスキー ピアノ協奏曲第一番 第一楽章
G線上のアリア
威風堂々 第一番
カルメン前奏曲
ボレロ
ラデツキー行進曲
最後のアンコール一曲は曲名わかりませんでした。

ということで、おめでとうございます。

いつもよりよけいに弾いています。
ハイ!
いつもよりよけいに鳴らしています。
はい!
いつもよりよけいにたたいています。
ハイ!

そめのすけ、そめたろうです。
なわけないか。

帰ってきてコンサートでもらった祝いマスでお酒飲んじゃいました。


ボレロが良かったです。
ハイ

出版不況に思う

2016-01-02 12:09:45 | 本、作家
本が売れないそうだ。
本はだんだんすたれてきているのだろうか。

深刻なのは、若者が本を読まなくなっていることだ。
もっとも、私も最近の作家で読みたいと思う人はめったにいないのだが。
息子にも本だけは読んでおいた方がいいぞと言うのだが、さっぱり読む気配がない。

神田の古本屋街へ行ってもなんだか元気がない。
昔は高くて買えなかったような定番の古本が、
驚くほどの安値で売られているのを見ることがある。
私など、そんなのを見ると逆にその本の価値を軽んずるもので、不当な安値だと憤慨する。
価値あるものには、それにふさわしい対価を支払うべきだ。

戦前の本には、工芸品のような美しい本が多かった。
本という物を大切にする気風があったのだろう。

おじさんはやはり、本という「物」自体が好きだ。
本棚にずらっと並べて、背表紙を眺めているだけでわくわくする。


暮れのタイガーマスク

2016-01-01 11:14:44 | 独り言
年の暮れ、今年もタイガーマスクからの贈り物が日本各地の施設に届いているという。
少年のころタイガーマスクを見て育った人達なのだろうか、たいへん頭の下がることだ。
タイガーマスクは、陰のある、寂しげなヒーローだった。

挿入歌
みなしごのバラード

あたたかい人の情けも 
胸を打つ熱い涙も
知らないで育ったぼくは、みなしごさ
強ければそれでいいんだ 
力さえあればいいんだ
ひねくれて星をにらんだぼくなのさ
ああだけど、そんなぼくでも、あの子らは慕ってくれる
それだから、みんなの幸せ祈るのさ

ちょっと重めだが、泣かせる歌詞だ。

当時の漫画のヒーロー達の設定は、多くの場合あまり恵まれない家庭環境であった。
タイガーマスク → みなしご 
巨人の星 → 父子家庭(父、星一徹は出征により肩をこわし選手生命を絶たれた元巨人軍選手)
アニマルワン → 父子家庭(家は川に係留したダルマ船)

もーれつア太郎 → 父子家庭(ただし父親は幽霊)→ 子分のデコッ八と八百屋を切り盛りしている。
(今思えばデコッ八は、戦災孤児がモデルだったのではないかと思う)
ア太郎たちは、優等生でもなければ、特別な能力があるわけでもない普通の少年で、
ズルもするし嘘もつく。
だけれども、大人に頼ることなく、たくましく生きている少年たちだ。

戦後の不遇な時代、子供たちが一生懸命生きて行くというのが裏のテーマであったような気がする。