とうちゃんのぷらぷら日記

アウトドア系の日記及びうんちく

渋谷 代々木 新宿あたりをぶらぶら

2018-10-21 21:50:10 | 日記
秋はバラの季節

久しぶりに代々木公園を歩く。
大きな公園の木は、原則一定の高さ以下の枝葉は切らなければいけない決まりがあるので、木々が生い茂る代々木公園でも見通しはよい。


代々木公園は陸軍の練兵場だった所なので、そういうポイントもちらほら
日本航空発祥の地の碑へ向かう


技術者の日野熊蔵さん パイロットの徳川好敏さん

 
飛行時間4分、飛行距離3000m 高度70mだったそうです。
日野さんの出身は熊本だそうで、碑文には、今は懐かしい松野頼三さんの名前があります。

天皇陛下がこの松の横に立たれたと言われている「閲兵式の松」


この間の台風で倒れたのでしょう、欅の丸太が積み上げられています。


代々木駅方面へ歩いて行くと、懐かしい昭和の鉄道の雰囲気が残っています。




新宿に着くと南口方面は、本当に変わりました。


バスターミナルだけでなく。新しいビル群が立ち並らぶ。
文化服装学院は、服飾系の学校としてはかなり巨大。新宿には学園都市のイメージはないけれど、かなりいろいろな学校がありますね。


ふたたび代々木公園へ戻り、明治通りを渋谷駅へ
いく時に見た、東京芸術大学のステーションコンサートの時間14時に間に合い、そのままコンサートを聴く。

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寺山修司展へ行ってみた

2018-10-21 08:13:59 | 日記
寺山修司は怪人だ。
テレビにもよく出ていたし、天井桟敷や「時には母のない子のように」ぐらいは知っているが、寺山修司のことは、分かっているようで、まったくわからない。
強烈な個性ばかりが先行している。そういう人は以外に多いと思う。
シュールな世界観は、フランス映画や、オノヨーコさんの芸術にも似ている。

出身地津軽の影響なのかもしれない。(寺山さんの場合、正確には津軽とは言えないかもしれないが、大きな影響を受けているのはまちがいないだろう)

<津軽のイメージ>
リンゴ、津軽三味線、ねぶた(ねぷた)
人物では、太宰治、棟方志功、淡谷のり子
なんか強烈。
無口な津軽人だが、おとなしいわけではないようだ。

津軽人は自分達のことを「じょっぱり」(がんこ者)と呼ぶそうだが、
一地域でしかない津軽が、異常なぐらい有名になっているのも、風土に根付いたジョパリ精神のおかげなのかもしれない。
(駅弁で津軽ジョッパリ弁当というのがあった。なつかいしい。)

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手作りきつねうどん

2018-10-14 22:18:15 | 独り言
最近あまり立ち食いそばを食べていない。
それで、このごろラーメンやうどんを自分で作って食べている。

立ち食いうどんは、東横線の綱島駅で食べたのが初めてだったと思う。
今はもうないが西口だった。
一杯50円であったと思う。なにしろ小学生のころだ。
とても美味しいと思った。
それが中学生になると、そばに変わった。

それでもその時のうどんの印象が強く残っているせいか、
シンプルなうどんもたまに食べたくなる時がある。

自分で作る時には油揚げの煮つけに凝る。
油揚げ自体は安物だが、時間をかけて炊き上げる。
うどんつゆもきちんと作るとよいのだろうが、
最近はインスタントの東丸ですますことも多い。
うどんをゆでて、小ねぎをきざんで入れるだけ。
シンプルなのがかえっていい。

どんべえのコマーシャルの狐の女の子を妄想し、
星野源風においしいねと言って食べる。

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中目黒から恵比寿 渋谷川沿いの坂を歩く

2018-10-14 21:14:03 | 日記

中目黒から恵比寿へ


相変わらずきょろきょろしながら歩く
鑓ヶ埼の交差点にあったベリーグットマン(おにぎり屋さん)は、もうなくなっていた。
新しいビルも多くなった。
恵比寿駅を越え渋谷橋を右へ
この画廊の絵はいつも立ち止まって見る


臨川幼稚園の横を通り日赤医療センター前へ
日赤看護大と一体なので、とてつもなく大きな医療施設だ。


堀田坂を下り北条坂を登る。




有栖川宮公園の横の木下坂を下り広尾駅へ
(東京は坂ばかりだ。)

都立広尾病院も大きい。(広尾病院の移転騒動はその後どうなっているのだろうか?)


広尾病院前の外苑西通りの向こうには、慶応幼稚舎がある。(ここに通っている子がその後日吉の普通部にも来るんだろうね。以外に身近な存在だ)
それにしてもドデカイ。大学みたい。

恵比寿方面へ折り返し駅前から恵比寿神社へ
来週はお祭りだそうです。


代官山駅方面へ進むと長谷戸小学校
校門前にある記念碑


ゆーやけ こやけで日が暮れて
やーまのお寺の鐘がなる
おーててつないで みなかえろ
からすと いっしょにかえりましょ
・・・・・「俺が昔夕やけだった頃、弟はこやけだった。」「わかんねえだろうなあ?」・・・・というのも昔あった。

今日は地元の運動会だ。

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渋谷から恵比寿 氷川神社 原宿 明治神宮 渋谷へ

2018-10-08 19:22:38 | 日記
渋谷川沿いのエリアが新しくなり、イメージが変わった。

川の両岸からシャワーを落とす斬新な発想。


だが、川自体は前と同じ。
それでも流れは綺麗になっているのでなんとか合格。
渋谷からの散歩コースが増えた。

代官山へもながれで歩いていける。
今日は、恵比寿方面に歩き、広尾小学校、広尾高校、国学院大学、実践女子大学、青山学院大学へと、学園エリアを恵比寿から折り返してくる。

国学院大学の前は渋谷の鎮守様氷川神社


表参道から原宿通り沿いの細い裏道の方へ
大阪ナオミさんも歩いたかな?


今日は歩くのが目的なので、明治神宮へ
有料エリアの明治神宮御苑へ


台風の被害は神宮にも


隔雲亭


うつせみの代々木の里はしづかにて
  都のほかのここちこそすれ
     
         明治天皇


             
清正井


岸記念体育館は、クラブの総会の会場で利用させていただいた。
線路の向こうにはかつて国土計画のビルがありましたな。


家に帰ってから昼ごはんにラーメンを作る。


最近ラーメンに凝っている。
オリーブオイルを使用しているので健康にもやや良い。
スープもあっさり系 セロリ、ニンニク、ネギをいため、キャベツも入れた。
自己満足の味

ちなみに夕飯はキノコの炊き込みごはん






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藤田嗣治展へ行く

2018-10-07 19:54:17 | 音楽 美術
暑すぎる10月の連休。
ウォーキングにはきびしそうだ。
それで、東京都美術館の藤田嗣治展へ行ってきた。

連休なので混むだろうと開館9時半前に着くよう出かけたが、すでに美術館から列が長く延びていた。ここまで来て引き返すわけにはいかないので並ぶ。
結局15分待ちぐらいか。

初期のころからの作品と、キリスト教に帰依した晩年の作品まで網羅されている。
この正統派の画家の画力は圧倒的だ。
最近国内でも藤田嗣治人気はうなぎ昇りのようだが、以前には、実力派の画家にも関わらずあまり知られていなかったと思う。(私もそうだった)
戦争画の傑作を描いたせいなのかとも思うが、
当時の日本の画壇で、嗣治さんに太刀打ちできるような洋画家はいなかったろう。
それで、ねたまれて迫害されたのではないかと思えてしまう。

今日の目的は、その戦争画の傑作「アッツ島玉砕」を見ることだった。
戦争画ということで、評価することがはばかれる雰囲気があるようだが、壮大な構想と宗教画を思わせるような象徴的な人物描写に圧倒される。
もう一枚の戦争画「サイパン島同胞臣節を全うす」と連続で展示されていたことも意味深い。
そのうちもっと評価が高まるだろう。
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野分のまたの日

2018-10-06 22:49:13 | 独り言
台風が来た。
いつだったか、前に来た直撃台風の時には、近所の同級生の家の屋根瓦が吹き飛んだ。

今回の台風も家が揺れるほどの強風だった。
庭の20年前に植えた桜の木が横倒しになった。
他の木々も枝がボリボリに折れた。
塩害なのだろうか、吹き飛ばされずにすんだ葉っぱも茶色く変色し、チリチリになっている。


家屋への被害は免れたが、
今後台風は巨大化する傾向があると言われているので心配だ。

私が幼かったころには、家の前には、二重に連なる防風林があった。
屋根の高さをはるかに超える欅やモチノキ、樫の木など、巨木がひしめく屋敷林だった。
台風の日には、それらの木々が風に唸りすさまじい音がしたが、
屋敷林のおかげで家は強風から守られていた。

落ち葉や日照権など様々な問題で維持するのが難しくなり、30年ほど前に父が業者にたのんでほとんどすべての欅を切り倒してしまった。幼いころからの遊び場だったので、私はずいぶんとがっかりしたものだ。
屋敷林に囲まれて住むことはもう不可能だが、(仮に土地があったとしても成長するのに100年はかかる)なんらかの風対策は必要だ。
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長津田駅から 恩田川 成瀬 こどもの国へ

2018-09-17 19:42:55 | 近所の旅

長津田の駅から北へ恩田川の遊歩道沿いを歩く、成瀬に入り杉山神社へ

杉山神社は、鶴見川沿いの一部の地域にのみ存在する地神様なのだが、名前の由来すら分かっていない謎だらけの神社だ。


隣りの東雲寺へ



東雲寺は、私の伯母の菩提寺で、母方の親類はこのあたりから、鶴ヶ峰にかけて広がっている。成瀬の叔母の家は、昔に行ったときには家の前が一面の田圃で、裏は小高い山となっていた。
このバス停の名前のとおり、本当に田舎だった。


杉山神社の横をとおり、恩田へ


徳恩寺は寺宝も多く、この地域の真言宗の名刹らしい。


奈良川沿いの遊歩道を歩いて行くと住吉神社に着く。


神社の奈良川沿いの崖下には、中学生の慰霊碑がある。


横浜第二中学、(現、横浜翠嵐高校)の生徒6人は、勤労奉仕でこの先の田奈部隊(陸軍の弾薬庫)(現、こどもの国)へ向かう途中、同乗していたトラックの横転事故で奈良川へ転落し、トラックの下敷きになり亡くなったのだそうだ。

6名のうちのお一人は、講談師で後に国会議員にもなった一龍齋貞鳳さんのお兄さんだったそうで、人望も厚く将来を嘱望された秀才だったそうだ。




「田奈の森 学徒勤労動員の記」
著者は当時高等女学校の生徒さんだった方で、田奈部隊の勤労奉仕の他、横浜大空襲の様子など、ご自身の貴重な戦中体験をまとめたもの。


こどもの国は、小さいころには遠足で行った。
自分の子供も、ベビーカーをがらがらやりながらよく連れて行った。
ソフトクリームを食べ、羊にエサをやったり、ポニーに乗せたり、小川で水遊びをさせたり、
子育て初期のころの思い出の場所だ。


こどもの国は、子供の施設と軍の遺構が同居する不思議な場所だ。

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井の頭公園 山本有三記念館 吉祥寺ハモニカ横丁など

2018-09-16 19:47:57 | 日記
井の頭公園の弁天様のあたりはなかなかよい。
池にはギンヤンマが飛んでいた。
ギンヤンマを見たのは数十年ぶりだ。
弁天様の裏の手水の横には小さなお地蔵様がいらっしゃる。

ご丁寧に頭巾と前掛けが付いているが、水に濡れても大丈夫なように防水性だ。

井の頭池の水の湧きだし口


玉川上水沿いに山本有三記念館へ向かう。

記念館前にある路傍の石

なんとも大きい石。
私のイメージの路傍の石は、足で蹴飛ばせるような石だったが・・・

ストーリーはすっかり忘れてしまっているが、主人公の吾一ちゃんだけはいまだに覚えているので、感動したのだと思う。


山本有三記念館は、おしゃれでモダンな洋風建築。




吉野源三郎も展示されていた。

お庭を横切る黒猫にも気品がある。


井の頭公園の中には、こんな碑があり、このあたりは児童教育の聖地の感がある。



この後、吉祥寺の商店街を覗きにいった。
吉祥寺は、めったに来ない。それこそ10年に一回ぐらいだ。
その記念すべき一回目は、「うたごえ喫茶ともしび」へ行ったことだった。
大学の先輩と来たはずだが、それがだれだったのかもう覚えていない。
喫茶といいながらお酒を飲んでいたと思う。
歌唱リーダーのような人がいて、楽器演奏に合わせてお店のお客全員で合唱していた。

曲はロシア民謡や労働歌のようなものだったと思う。当時はもう安保闘争のようなものは終息していたが、そんな空気を感じさせた。初めての者にはエキサイティングだった。
たしかサンロード沿いにあったと思う。

ハモニカ横丁の小ざささんのもなかと塚田蒲鉾店の吉祥寺揚げをみやげにした。
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近所の中原街道を歩く

2018-09-09 20:59:00 | 近所の旅
せせらぎ公園の古民家

こちらは国の重要文化財にも指定されている関家。関家は後北条家にも仕えた地侍で、この辺の名主を代々務めた家柄。


関家の稲荷神社が、すでに村の鎮守ぐらいの風格がある。


山田神社は単純な名前のわりには、由緒ある神社のようで、入口の鳥居から本殿までは延々と参道を300mぐらい歩かなければならない。異例の長さだ。


山田神社は源義朝の家来蒲田兵衛正清ゆかりの城があった場所だそうで(正清公はこのあたりのご領主様)笑点でおなじみの山田隆夫さんも山田神社にほれ込んで近所にお住まいだ。


とちのめ不動


道中坂下の東急バスの折り返し所


この先にあるのが蒲田堂で、先ほどの蒲田兵衛正清の館があったとされる所だ。


蒲田兵衛正清という人は、源義朝の側近中の側近の武将であったそうだ。
平治の乱に敗れ、討ち死にを覚悟した義朝をおしとどめ、東国へ落ちのびることを勧めたのが正清であったらしい。(小学生向け「漫画日本の歴史」の保元の乱のところで蒲田兵衛正清が二コマだけ登場している)ところが東国へ向かう際に頼った正清の親類に裏切られ、主従はともに殺されてしまう。正清は生涯、義朝を補佐した忠臣であった。


はるかな時を経てもこの地に蒲田兵衛正清の伝承が残っているということは、この地の人々と正清との間に強い繋がりがあった証拠なのかもしれない。
保元の乱のことを記述した「保元物語」には、やはり港北区の師岡氏が源義朝方の軍勢に加わっていたことが記されているそうなので、このあたりの人々は、「保元の乱」「平治の乱」の時に源義朝軍の一員として京で戦っていたのかもしれない。


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今週の「わからん」3

2018-09-08 15:30:16 | 独り言
「数字ができないならビルから飛び降りろ。」
「毎月月末近くになってノルマができていないと机を蹴ったり、テーブルをたたいたり、1時間、2時間と永遠に続く。」
スルガ銀行の苛烈な営業推進のありかたが今日の朝刊に載っていた。

融資案件の資料の改ざんは常態化し、おまけに営業部門からの圧力で審査部門は形だけの融資審査で案件を通さざるおえなかったと言う。
スルガ銀行のガバナンスは、だいぶ前から破綻していたようだ。

いったい経営が危ぶまれる金融機関ならともかく、地銀の優等生とまで言われた同行が、なぜそこまでに苛烈な営業推進を行わなければならなかったのか。
見えてくるのは、経営陣の問題である。
日本大学やかつての東芝のガバナンスの在り方と似ている気がする。


他の企業の手本とまで言われた東芝のコンプライアンスマニュアルだったが、東芝の不正会計の阻止には何の効果もなかった。仏作って魂入れずで、とんだお笑い草だった。

すべては、経営者の考え方がこそがコンプライアンスで、内部からその内向きなコンプライアンス(企業風土)を変えることは出来ない構図が見えてくる。

金融庁や森長官は、高い収益力を誇ってきたスルガ銀行を、今後の金融機関の経営のあるべき姿として高く評価していたはずだ。
金融庁は銀行を監督できる立場にありながら、これまでスルガ銀行の特異なビジネスモデルの検証を行っていなかったのだろうか。

相も変わらず愕然とさせるような企業の不祥事である。
それが日本を代表するような企業、組織で頻発しているのがなんとも嘆かわしい。

近江商人の経営哲学「売り手によし、買い手によし、世間によし」という格言が最近脚光を浴びているのも、現実には、そうでない企業の方が多いことの反映なのかもしれない。
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サンマーメンを作る

2018-09-01 19:31:34 | 独り言
今年もサンマが不漁だというニュースがあった。
行きつけのスーパーでも一尾300円で売っていたのには驚いた。
ところがここにきて豊漁らしい。
ほっとした。

サンマやイワシ、アジ、サバといった大衆魚は、いつまでも気軽に食べられる魚であってほしい。
「今日はお祝いだから高級魚のサンマを買って来たわ。」
「一匹1000円だったんだから、すごいでしょ。」
なんて時代が来ないことを祈りたい。

サンマは内臓も美味しい。
ところが、そのへんで買ってくる一匹100円ぐらいのサンマだと、はらわたの中に魚の鱗が沢山入っていて食べられないことが多い。
定食屋さんなんかで食べると値段は多少高いが、はらわたが綺麗だ。
頭と背骨を残してほぼ全部たべることが出来る。
少し高いなと思うサンマはこのへんにちがいがあるようだ。

今日の夕飯はサンマとラーメンだった。(サンマーメンのダジャレ)
自分が作ったのだが、横浜にはサンマーメンというラーメンがある。
昔はサンマのエキスでもスープに入っているのかと不思議に思っていたが、サンマーとは野菜のことらしい。

生めんを買ってきて、スープは自分で作った。
ニンニクと長ネギをみじん切りにして、ごま油で炒めた。それに豚肉を少し加え、かつおだしと鶏ガラスープ、みりんを少々、醤油を適当に加え、具のもやし、メンマを盛って出来上がり。シンプルだがわりと美味しい。

娘と食べたが不平はなかった。

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若者だったころよく行った喫茶店「談話室滝沢」

2018-08-20 21:46:41 | 独り言

談話室滝沢は新宿にあった喫茶店だった。(御茶ノ水にもあった)
東口近くの路地にあり、新宿の表通りの雑踏から地下への階段を下りていくと和風の落ち着いた空間が広がった。
広い店内には堀切りがあり、そこを鯉が泳いでいた。

いろいろなお客にも対応できる造りになっていて、タモリさんも打ち合わせでよく使っていたと番組で話していた。

隣の客を気にせずに話しが出来るゆるい仕切りのある空間が確保でき、それでクラブの事故対策委員会では必ず談話室滝沢を利用していた。(合宿の反省会も、コーチングもここで行った。)

飲み屋でもないのに、30人ぐらいが集まって落ち着いて話せる空間は滝沢しかなかった。
バブルのころ、コーヒーが1000円に値上がりしたが、しばらくして閉店となってしまった。

大きな声では言えないが、お見合いにも2回利用したことがあった。(お客さんの紹介)
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江戸東京たてもの園へ行く

2018-08-19 22:11:23 | 近所の旅
武蔵小金井の駅からまっすぐ北へ歩いて行くと小金井公園となる。
この公園内に江戸東京たてもの園がある。
江戸時代の建物から昭和の建物まで幅広くあるが、特に昭和の時代に現役で使われていた建物がすばらしい。

高橋是清邸




二、二六事件で是清公が銃弾に倒れたのがこの部屋だったそうだ。





田園調布の邸宅


このような家が現在の田園調布にも数多くあるようなら田園調布も尊敬できる街だったろうに。


小出邸
斜に切り込みが入る柱のデザイン(何という名前か忘れた)がおしゃれな邸宅。
(玄関と家の中にもある)




居酒屋の鍵屋
しぶい居酒屋。今あれば観光スポット間違いなし。




青梅の旅館
こういう旅館に泊まりたいでがんすな。
今は消防法とかうるさいから存続は難しいのだろうけど。


仕立屋





壁の穴は空爆の破片で空いた穴とのこと。

実感として、懐かしと感じられる建物が並ぶ。
重要文化財などとは違う身近な街の建物が魅力的だ。
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高幡不動から浅川 平山城址公園 長沼公園

2018-08-19 07:18:23 | 近所の旅

高幡不動の駅が巨大になっていた。
多摩モノレールの駅は京王線の駅からやや離れているのだが、合体した造りにしたからだろう。


駅前のソフトバンクのお店の2階だったと思うが、
ここに昔ドイツ人の女性店主がやっていた喫茶店があった。


高幡不動の参道の方には、養老の滝があった。
安いお店だったが、めっぽう硬い焼き鳥がよく出てきた。
噛み切れないぐらい硬かったが、最後は目を白黒させ塊のまま飲み込んだ。
夜遅くに行くと、お店のお兄さんが時たま何本かサービスしてくれた。


高幡不動は警視庁が正月に交通安全祈願にやってくるお寺




五重塔の横から四国八十八か所巡礼ハイキングコースがあるので行ってみる。
山アジサイをいろいろ種類を集めて参道わきに植えてある。
ぐるっと一周して、真ん中一番高いところ、高幡城の案内板のある所へ登る。




高幡不動は、新選組の近藤勇と土方歳三の地元 新選組びいきの土地柄だ。
高幡饅頭をみやげに川崎街道をゆく。

浅川の河川敷のサイクリング、ハイキングコースに入る。


浅川は急流だ。
瀬が多い。
一番橋を越え、平山城址公園駅近くの滝合橋で道が終るので平山城址公園へ向かう。




城址は公園になっているが城の面影はない。
公園の外にある季重(すえしげ)神社がいちばん城址の雰囲気を保っている場所かと思う。
(平山季重は源平合戦で活躍した侍大将)


長沼公園へはこのまま尾根上を進めないので一度京王線側へ下り、長沼駅よりの六社宮から登り直す。


帰りは分倍河原から南武線
駅前の新田義貞像(分倍河原の合戦を記念した像)

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