とうちゃんのぷらぷら日記

アウトドア系の日記及びうんちく

本牧山頂公園へお花見に行く 3月30日

2024-03-30 22:44:07 | 横浜散歩
娘と奥さんが花見に行くというので、じゃ俺も、と便乗する。
花見弁当には、崎陽軒のシウマイ弁当を買った。
家の近くのローカルな店なのに、私が買ったら売り切れとなった。(あぶないところだった。)
残っていたのは、生姜焼き弁当2つぐらいで、他の種類はすべて売り切れ。
やはり今日は行楽日和だ。(12時前だったのに)

横浜駅からバスで出発。
本牧山頂公園の横浜緋桜

ソメイヨシノは開花宣言したばかりなので、まだほとんど咲いていない。
ここはちょうど良いタイミング。


小さな子達も遊びまわっている。


場所を移して港の見える丘公園

ここのガーデニングは変化があって美しい。
ルピナスの花がきれい


(バラ園も充実している)



帰りは元町のポンパドールで春のパン祭り的にパンを買い込んで帰る。


横浜港はゴールデンウイークだった

2023-05-04 22:22:40 | 横浜散歩
二人で夏物を仕入れに横浜のカモシカスポーツとモンベルへ行く。
私はfinetrakuのトルネードパンツにつば広帽子
奥さんは、上下ウエアーやいろいろ。(昨日のお詫び)

登山用のウエアーは少しお高いが、機能性がよいのでトータルで見るとお得になる。
(モンベルは港未来地区にあり、かなり大きな店で、吹き抜け部分には得意のクライミング施設がある。)

続いて、観光スポットの方へも行く。

ランドマークタワーの前では、映画とドラマで売り込み中のTOKYO MERの特殊車両が展示されていた。


観光客も爆発。遊園地も満員。観光船も賑わっている。


赤レンガ倉庫の前はお祭り状態。歩道もデモ行進のような人の列が出来ている。

新港埠頭の前にはバーベキュー施設がある。(当然満員)
横浜の真ん中で海を見ながらバーベキューなんて、特別な日にはいいのではないかという話になる。(ドリームドアヨコハマハンマーヘッド)一人6000円前後のようだ。

日本大通りから横浜スタジアムへ。

ちょうどベイスターズ戦で、外からも満員の観客席が見える。
大波のようなファンの声援も筒抜け。
試合が終わったらこの辺の飲食店も満員になるんだろうな~
という感じ。

反町から旧東海道を散歩

2023-03-05 18:22:38 | 横浜散歩
反町のトンネルをくぐり旧東海道へ
金毘羅神社の前は旧東海道



田中屋の前を通り
浅間神社へ

町の名前にもなっているので、信仰あつい神社なのだろう。(お祭りも盛大なようだ。)

八王子街道の分岐の先は洪福寺松原商店街(自分はめったに来ない商店街)


テレビによく出てくる八百屋さんがあった。


この延命地蔵は、お寺の機能一式がコンパクトに収められている。
機能性に優れたお地蔵様だ。

折り返して
浅間下商店街から軽井沢へ

軽井沢の地名は当然あの有名な軽井沢を意識させる。
すぐ隣りが浅間町というのも意味深だが、特に関係はないようだ。
この件については地元情報誌「はまれぽ」が言及していた。

他、近々の行動報告
先週キンカンの甘露煮を作ったが、今週残っていた実のほぼすべてを小鳥に食べられてしまった。ナイス判断だった。

ふきのとうの大きいのがたくさん出ていたので酢味噌和えにしてみた。
食べるとふきの苦みが体に良い気がした。

夏みかんは二三日前の春一番で、ほとんどの実が枝から落ちてしまった。
残ったのと、落ちたのでよさそうなのを拾い集めてきた。(美味しい)

昨日は、尻手や矢向、川崎駅のあたりを歩いた。
特に写真を撮るような所もなかったので、ブログにも書かなかったが川崎の地下街でくずもちを買って来た。
(忘れていた食べなくっちゃ。)

新港埠頭から東神奈川

2023-02-18 20:55:53 | 横浜散歩

横浜はすぐに新しくなる。
新港埠頭がリニューアルされて、もうけっこう経つが、まだ行っていなかった。
地元民というのはそんなものだろう。

横浜駅から歩きはじめる。
途中カモシカスポーツで、超コンパクトなULTRA‐SIL DRY DAYPACKザックとテルモスの500mlを買う。

新港埠頭横の海っぺりは人も少なく気持ちがよい。
海も比較的きれい。


で、ハンマーヘッドを見に行く。

重要文化財級の設備だ。
すばらしい。



これで横浜港は、山下公園から臨港パークまで観光ウォーキングが楽しめる。


中央市場の食堂のカンバン


その先、横浜市中央市場から浅野ドックを見に行く。

この景色も重要文化財級


旧浅野ドックは整備された気がしていたが、未着手のようだ。


ここが整備されれば、横浜港観光ウォーキングコースが完成するだろう。
ドックのふちを通る細い道があると思ったら、中央市場へ抜ける歩行者用通路だった。

よく見たら途中撮影禁止だった。(たぶん通行の妨げになるからだろう。)

帰りは東白楽駅へ


春の横浜散歩2022年

2022-03-27 18:20:20 | 横浜散歩
本牧山頂公園

港の見える丘公園


昨年よりだいぶ人が増えている。
と言ってもゴミゴミしているわけではない。
ベンチも空いている。
適当にくつろぎ、春を満喫する。

山下公園へ行く。

日本は平和で幸せだ。
横浜と姉妹都市のウクライナのオデッサでは、今は呑気に散歩なんてしていられないだろう。
横浜スタジアム方面へ。

横浜海岸教会のさくらは立派。


横浜公園を通り

野毛へ向かう

センターグリルさんは行列だった。
忙しいのはけっこうなことかもしれないが、お店の人にとっては、平均的に賑わってもらわないと体がもたんなあ。

桜木町のゴンドラ

桜木町にスキー場が出来たか?

なんだかんだで60年横浜に住んできて、時の移ろいはあるが、やはり横浜は故郷だ。

有馬古墳を見に行く

2022-02-20 17:51:20 | 横浜散歩

東有馬5丁目にある有馬古墳を見に行く。
それだけでは物足りないので、東山田から北山田、すみれが丘、牛久保、あざみ野駅へと横浜と川崎の境の稜線を歩いた。
このへんはすっかり港北ニュータウンなので、あまり昔の雰囲気はない。
有馬古墳も唐突に現れる。

説明書きもなにもない、小高い丘の上に伏見稲荷の祠がポツンとあるのが目印。

隣りはたぬき公園。

牛久保に入ると公園のような立派な植木屋さんがある。




そのままあざみのの駅まで歩く。
駅近くに大正堂家具センターがある。

神奈川県の老舗家具屋さんだ。
昔、綱島にも支店があった。
「ドカッとデッカイ家具センター♪ 大正堂家具センター♪」
というテレビコマーシャルもやっていた。
私の机と椅子は綱島の大正堂で買ったものだ。

大塚家具さんはとうとうヤマダ電機に吸収されて消滅してしまうようだ。
2代目社長さんは、あまり家具屋さんの仕事を理解していなかったようだ。
古くからある商売というものは、それぞれの会社がなんらかの強みをもっているものだ。
だからこそ今まで存続できていたはずで、それを活かした上での変革でなければたちまち同業者にシェアを奪われてしまう。(むろんまったく新しい方式を考え出して経営するというのなら別だが、それでも相当なハイリスクになることは間違いない。)
なんの商売でも傍から見るより難しいもので・・・・


佐奈田義忠と證菩提寺(横浜市栄区上郷町)

2022-02-06 08:50:17 | 横浜散歩
先週「鎌倉殿の13人」を観た。
歴史好きの三谷幸喜さんなので少し気になっていた。
ちょうど頼朝の挙兵のところだった。
地元有力豪族に平家打倒を打診したが、味方が圧倒的に少ない。
しかも、はせ参じた武士は老人ばかりという絶望的な展開。

先週ブログに書いた佐々木秀義もテレビに登場した。
歯が抜けた老将として頼朝とのやりとりをコミカルに演出する。
三浦一族の岡崎義実も登場。
頼朝から、「よく来てくれた、このことはだれにも漏らさないでほしいが、実はわたしは汝だけを頼りにしている」との言葉をかけられる。頼朝は同じようなことを何人にも言っていたようだが、実際、彼らの後の活躍を考えるとその通りとも思える。

岡崎義実の嫡男の佐奈田義忠は、石橋山の合戦で頼朝から先陣をたまわった。義忠は、死を覚悟して戦い、華々しい討ち死にを遂げる。この後義忠は、様々な逸話や伝説となり名を残し、鎌倉武士の誉と讃えられた。

ところで佐奈田義忠は討ち死にしたのでしかたがないが、当時の三浦一族には長命な武将が多い。父親の岡崎義実は89歳まで生きたし、その兄の三浦義明は、討ち死にとは言え同じく89歳、その息子で、後に鎌倉幕府の重鎮となる三浦義澄も74歳。
一族のDNAのせいなのかもしれないが不思議だ。
佐々木秀義も流れ矢が当たって亡くなったとされているが73歳と高齢だった。
鎌倉武士の生活様式が長生きに適していたのかもしれない。

それで、岡崎義実と息子佐奈田義忠の菩提寺である證菩提寺(横浜市栄区上郷町1864)へ行ってみた。港南台駅から歩く。

いたち川を渡るとすぐ證菩提寺(ショウボダイジ)がある。




義実たちの五輪塔は裏の丘の途中にある。

雑然としているがたぶんこれらなのだろう。


いたち川沿いの遊歩道を歩いて大船駅へ向かった。



晩秋の横浜散歩

2021-12-19 18:37:23 | 横浜散歩

三ッ沢上町駅から歩き始める
豊顕寺(ぶげんじ)へ寄る
かつての横浜のご領主様であった多米家のお墓へお参り。


続いて、翠嵐高校へ行ってみる。

翠嵐高校の前身は旧制中学で、二中と呼ばれていた。
なにしろ昔のこと、私の住んでいる横浜北部の小学生が旧制中学に進学するとなると
この二中へ行くことが多かったようだ。
それで私の叔父や父親はここまで通っていた。
昔はバスもなかっただろうから、家から駅まで歩き、さらに横浜の駅から中学までも20分ぐらい歩くことになる。通学だけで一日10キロ以上歩いていたことになる。
昔の人が、足腰が丈夫なのは道理だ。

それにしても伝統ある名門校の割には校舎がオンボロだ。

最近の小学校の方がよほどおしゃれで綺麗だ。
神奈川県の文教予算はそうとう厳しいのだろう。

続いて元町、港の見える丘公園へ行く。
米軍機墜落事故で亡くなられた親子三人の像

1977年、私の家からほど近い荏田に米軍機が墜落した。神奈川県も沖縄と同様米軍基地が多い。特にこの事故は、私の家に墜落していても何ら不思議ではないほどの身近さだった。

晩秋の花壇は派手さないが、風情がある。

山下公園


とうとう横浜市役所が取り壊しとなる。



有隣堂へ寄って本を買う。



早淵川の源流を廻る

2021-06-20 22:52:25 | 横浜散歩

鶴見川の支流である早淵川は身近な河川で、よく堤防沿いの歩道を歩いているのだが、これまで江田から先の上流部へは行ったことがなかった。

それで天気が悪くて遠出も出来ないので行ってみた。
実は歩きだしの時には何処へ行こうかと迷っていたので、歩きながらの思い付きだった。

江田のあたりの田園風景。

このあたりまでは日常の風景。
246を越えると未知の川。

出来るだけ忠実にたどる。

元石川まで来ると川幅もだいぶタイトになる。

この先でとうとう暗渠の上を歩く歩道となった。


この流れは地図を見ると美しが丘西よもぎ公園へ向かうようだ。

本流は保木公園のあたりだろう。

そしてこの先の扇状の谷が源流の森だった所だろう。

とりあえずそのまま分水嶺まで行く。
保野のバス停の先が尾根の頂上。

ここから右回りで分水嶺を歩く。
すぐこの先に早淵台公園という、いかにも早淵川の源流点のような名前の公園がある。

左側には寺院(眞宗寺)があり昔のこのへんの植生が感じられる。


その先右にぐるりと回り込むと潮見台。すぐ後ろは尻手黒川道路が通っている。



この辺りの古い寺院。薬師堂


ご本尊は鎌倉時代の作。

つつましく佇むお寺は、早淵川の源にふさわしい

春の横浜てんこ盛り公園(港の見える丘公園、山下公園、横浜公園)

2021-03-20 16:55:31 | 横浜散歩


春だ、春だ。
春には不審者が増えると言う。
まあ、誰でもうきうきして外に出かけてしまうからね。

それで不審者は横浜の公園へ行く。
丘の上の花壇は花盛り。

港の見える丘公園は
寄せ植え花壇の品評会のよう。



ルピナスも実に春っぽい。


不審者は公園のベンチで🍙を食べる。
これがおいしんだな~。

横浜公園のチューリップも毎年よく手入れをしている。


山下公園も良いですな。





どれも洋風庭園

長年封鎖されていた山下埠頭へ入れるようになっていた。

すぐの所は、バスターミナル。
丘の上から見えたのは、やはりガンダム。


ここから見る氷川丸も新鮮だ。


やっぱり山下埠頭は、こんなふうに歩けるようになるといいな。
帰りには、お彼岸なので中華街で月餅を買って帰る。

大佛次郎記念館へ行く

2021-02-21 18:08:40 | 横浜散歩
今日は横浜の丘の上にある、大佛次郎記念館へ行く。



長年横浜に住んでいるが、実はこれまで行った記憶がない。
というのも大佛次郎さんの作品を読んでいないからだ。
猫好きの作家というのは知っていたが、なるほど猫を前面に出した展示になっていた。



館内でながれていたビデオ


これはもう畜産農家状態だ。


奥さんは、結婚されるまで猫などあまり興味がなかったそうだが、その後重度の猫ノミストになっている。

愛用の万年筆はペリカンとウォーターマン


記念館近く、地元由来の唱歌の碑


空も港も夜は晴れて
月に数ます船のかげ
端艇の通いにぎやかに
寄せくる波も黄金なり

この歌、小学生のころよく授業で歌った。
歌詞は「空も港も世は晴れて」だと思っていた。
小学生にありがち?

山下公園のパーゴラ

大佛次郎記念館で見た昭和7年の写真には、すでにパーゴラが写っていた。
これはその後の何代目かになるだろうが、私の幼稚園の時の遠足の写真にもパーゴラが写っており、この下でお弁当を食べた。

やはり横浜は地元だ。
昨日のお台場は少し緊張感があったが、この辺りは脱力感いっぱいで歩ける。
そのうちもう少し歳をとったら、その辺のベンチで日がな過ごしていそうだ。

桜木町まで歩くと、うわさのロープウエイがほぼ完成していた。
いったいぜんたい、どうしちゃた状態の乗り物だ。


もっとも昔は渋谷にもあったそうだから、発想は同じなのかもしれない。


横浜新駅ビルを歩く

2021-01-10 10:50:46 | 横浜散歩
私にとって渋谷駅と横浜駅は2大拠点だ。

コロナ騒動中なので空いているだろうと思い、
新しくなった横浜駅の駅ビルを覗いてきた。

東横線の改札口から直接入れる造りは昔と変わらない。
(前は2階のホームへ直接入れた)
入ってすぐを下ると、オープンスペースな飲食街がある。

今は空いているがコロナが収まればすぐに満杯になるだろう。

ファッショナブルを全面に押し出している。
こんなアート作品も見れる。

全体的なイメージを統一している。
店舗も商品を限定し、空間広めな店舗構成としている。

店舗は写せないだろうから施設内のデザインイメージ

新しい形の店舗販売も視野に入れているのだろうなと思う。
(IT化対応の店舗なのだろう。)

おじさんには飲食系以外はどうしたものかと思うが
コンセプトは勉強になりそうだ。

渋谷の宮下パークのイメージに近いかもしれない。
横浜企業の宣伝スペース

駅ビルから歩道が延びていて

JR鶴屋町ビルという所まで歩ける。
JRの線路の眺めがよい。
すぐ先は国道1号線の青木橋だ。



これで西口もかなり固まったのではないかと思う。


新横浜駅まで散歩

2021-01-03 20:40:06 | 横浜散歩
運動不足なので新横浜の駅まで散歩に行く。
駅前の工事はまだ進行中だ。

近々綱島や日吉まで地下鉄が来る。
新横浜駅の近さを再認識。
新幹線へ乗るのは新横浜駅なので、私にとっては名古屋方面への玄関口だ。
朝早くなら車で出かける。
駐車場はわりと多いが正面口側にはアリーナやスタジアムがあるので安い駐車場を探すのは大変だ。南側の篠原口は開発が抑えられているので、今のところ主要な施設はない。

前はよくこの駅前駐車場に止めていた
空いていればだが、オートバイも駅前に止められる。
<オートバイ>
市営だと24時間100円 (ただし125cc以下)
民営のサイカパーク(パスモ・スイカ専用)500円 4時間ごと100円


乗用車は24時間で1200円~1300円 
パークランドでは新幹線EX利用の場合400円割引もあるそうだ。
いずれにしても駅前駐車場なのでありがたい。


新横浜は歴史がないせいか、それほど思い入れのない街だが
私の結婚式が新横浜だったこと、カリモク家具のショールームがあること オーディオメーカーのラックスマンがあることなど、ピーポイントで縁がある。

大船駅から長尾一族発祥の地、長尾城址を見に行く

2020-08-05 19:33:01 | 横浜散歩
大船駅から長尾台にある長尾城址へ行く。

長尾氏は中世における関東争乱の中心にいた一族なので関心がる。
太田道灌の宿敵であった長尾景春や上杉謙信を生み出した一族の発祥の地が長尾台なのである。
頼朝旗揚げのころには、すでに長尾台に居を構えていたようだ。

地元の人は誇りに思っているのかな。
東海道線の線路沿い、柏尾川沿いに歩いて行くとすぐに長尾台の台地が見えてくる。


東の端の台地へ登る道を行くと長尾砦址の案内板が出てくる。


登り切って左に道を取ると台地上の畑が広がる。

この辺が城の曲輪の後なのか。真ん中辺に小高い所がある。

この辺が大堀切と言われている所か


空堀の谷か あまりよく分からない。


南は急斜面だが北側は緩く下がっていく

東の端には御霊神社がある。


御霊神社は田谷の大洞窟で有名な定泉寺の隣りにもある。


御霊神社は長尾氏の祖、鎌倉権五郎景政を祭る神社なのでこの地にあるのだろう。
ある意味由来がはっきりしているので納得してしまう。


わざわざ長尾城を見に来るなんてもの好きだ。

元町、石川町から、蒔田城、三殿台遺跡、太田道灌屋敷跡へ

2020-08-02 20:13:54 | 横浜散歩
昨日のアド街ック天国は横浜の石川町であった。
ミーハーだが、元町から石川町の方へ散歩した。


元町の後ろの崖は海食崖のようだ。(詳しく調べたことはない)
ともかく江戸時代までは堀川あたりは海だったそうだから、厳島神社や諏訪神社の前は海だったということだ。


石川町のリセンヌ小路というのは女学生通りという意味らしい。知らなかった。
その崖の上には横浜の女学校群がある。昔から思っていたが、横浜というのはどうして女子校が多いのだろう。フェリスや雙葉に横浜女学院、横浜共立学園、それに今は無くなってしまったが山手女子もあった。そういえばうちの母親はフェリスのことを日本語なまりのフェイリスとか変な名前で言っていた。ちなみに桜美林はオベリンと呼んでいた。

昨日のアド街ック天国のゲストには谷原章介さんが出ていたが、母は谷原さんのお父さんとゲートボール仲間であった。当時は谷原さんがブレイクしたばかりだったと思うが「谷原章介さんのお父さんへサインをお願いする人が沢山いるのよ」とかお茶を飲みながら話していた。懐かしい話だ。

そのまま崖沿いに進む。
中村橋を渡ると蒔田町へ

今日の目的の一つである蒔田城を見に行く。
城址自体は横浜英和女学院の敷地なので立ち入れない。
蒔田の森公園から見るとこんな感じ。




南側の勝国寺には城主であった吉良氏の供養塔がある。


吉良氏と言えば室町将軍家に次ぐ家柄。
蒔田御所とも呼ばれた格式の高い城。
この南側には国の史跡にもなっている三殿台遺跡がある。


そして谷を隔てた北側には太田道灌の屋敷跡とされる所がある。
吉良氏の城に太田道灌の屋敷。
これは中世の蒔田がこの地域でも重要な場所であった証拠ではないかと思う。
百戦錬磨の太田道灌がポーと屋敷なんか造るわけがない。
吉良氏にしても地侍ではないのだから、こんな所に城を造る必然性はない。
これは想像だが、昔はこのあたりまで船を付けられる水運があったと思われる。
ここから石川町、元町の入り江まで船で行き海運と結びついた物資の集積地の役割があったのではないだろうか。
太田道灌の屋敷跡は北側が東海道である。主要な陸運とも繋がる兵糧ルートであったのではないだろうか。

これは縄文海進の様子だが、蒔田城や太田道灌の屋敷の前はもろに海だ。


大岡川にも船が浮かんでいる。


太田小学校の敷地が太田道灌の屋敷跡と推定される所だそうだ。
展望もすこぶるよい。