私の家では長年門松を飾ったことがなかった。
そのことを私は、年中行事に関心の薄い父が、
めんどうくさがって門松を飾らないだけなのだろうと思っていた。
ところが、郷土史の本を読んでいたら、次のような記述に目が止まった。
平安時代末期のこと、鎌倉権五郎景政は、私の住んでいる辺りの地域を所領としていたが、当地で年の暮れに亡くなった。
村では暮れのこの時期にご領主様がなくなったので正月どころではなくなった。
またそれ以来、正月に門松を飾って祝うのは恐れ多いということになり、この地域では、門松を飾らなくなったというのだ。
本当にそうなのかは怪しいが、あくまでも伝説だ。
確かに昔は、近所で門松を飾っているのを見た記憶がない。
鎌倉権五郎景政といえば坂東武者のカリスマで、ミスター鎌倉武士というような人物だ。
後三年の役での景政の武勇伝はつとに有名である。
そんな人物が私らの住んでいる村と縁があるというのは意外だった。
今でも鎌倉には御霊神社という景政を祭る神社があるが、当地にもやはりあったそうだ。
そうとは知らず私は禁を犯して門松を飾ったことがあったが、その話を読んでからは飾らないようにしている。
そのことを私は、年中行事に関心の薄い父が、
めんどうくさがって門松を飾らないだけなのだろうと思っていた。
ところが、郷土史の本を読んでいたら、次のような記述に目が止まった。
平安時代末期のこと、鎌倉権五郎景政は、私の住んでいる辺りの地域を所領としていたが、当地で年の暮れに亡くなった。
村では暮れのこの時期にご領主様がなくなったので正月どころではなくなった。
またそれ以来、正月に門松を飾って祝うのは恐れ多いということになり、この地域では、門松を飾らなくなったというのだ。
本当にそうなのかは怪しいが、あくまでも伝説だ。
確かに昔は、近所で門松を飾っているのを見た記憶がない。
鎌倉権五郎景政といえば坂東武者のカリスマで、ミスター鎌倉武士というような人物だ。
後三年の役での景政の武勇伝はつとに有名である。
そんな人物が私らの住んでいる村と縁があるというのは意外だった。
今でも鎌倉には御霊神社という景政を祭る神社があるが、当地にもやはりあったそうだ。
そうとは知らず私は禁を犯して門松を飾ったことがあったが、その話を読んでからは飾らないようにしている。