とうちゃんのぷらぷら日記

アウトドア系の日記及びうんちく

法案のミスに思う

2021-03-28 07:44:01 | 主張 感想
今日の朝刊に
私もブログにでも書こうかと思っていたことが春秋に載っていた。
公式の文書を書くというのは実に大変だ。
私も仕事柄法律の文書を読む機会があったが、まともに法律など勉強したこともなかった私には大変な作業であった。
法律は単体で存在するわけではない。読むと途中関連する法律がすでに存在する部分では、何々法第何条何項などといきなり別の法律の記述に振られている。
これが曲者だった。
読む方はいちいちその法律を確かめながら読み下さなければならない。

このように先に公布されている法律と矛盾があってはならないので、新しい法律を作る際には相当量の文書を読み下しているはずだ。
ただし今回のレベルは単なる誤字脱字のたぐいもあるようなので、官僚自体がどうにかなってしまっているとしか思えない。

原因は何か。
明らかに何らかの原因があるはずだ。
人間自体がそうそう急激に劣化するとは思えない。
リスク管理では、このように組織内で多発する事務ミスやコンプライアンス違反に対しては、その組織に問題があると判断する。
もはや個人の問題ではないのである。
そこには自分達ではどうすることも出来ない、官僚達の断末魔を感じなければならない。

八王子城址から高尾山

2021-03-27 19:24:33 | 東京散歩


八王子城を50年ぶりに再訪する。
今はずいぶん観光地化されているが、昔は御主殿跡もなかった。


その代わりに麓には東京造形大学があった。
どうでもよいことだが、当時城から下山してきたらモミジの木の枝にナナフシ(昆虫)がいた。(初めてナナフシを見たのが八王子城址だった。)

古地図だとこんな感じ。

城址入口にあるパネル。(全体像がわかりやすい。)

昔は本丸まで一気に駆け上がったが、今はヨタヨタと登る。
本丸まで、まあまあの標高差がある。

ところが本丸は狭い。全体の曲輪自体が小さいので、たいした人数の兵は動かせない。
これで大藩である前田利家と上杉景勝の連合軍に攻められては、ひとたまりもない。
いくら規模の割には堅牢な城と言っても多勢に無勢、一日で落城というのもしかたのないことだ。

詰めの城は落ち延びる時のための非常用物資の貯蔵庫があったものか?

城を後に高尾山へ向かうと、途中猿がいた。
猿なんて普通にいる野生動物になってしまった気がする。
一時期、東京の都心でも猿が頻繁に目撃されニュースになっていたが、そのころ、うちの母も近所で猿が横断歩道を渡っているのを見たと言っていた。
野生動物と人間との共存とはいっても、野生動物と人間の暮らしには一定の境がないといけない。

中央線を渡り日影沢から高尾山へ。
高尾山に着いたらさすがに人の波。

山頂からは丹沢連峰も見える。(左の三角が大山、右の連山の中で突き出ているのが蛭が岳、右端の三角が大群山)

山桜をはじめ紅枝垂れなんかも満開。わりとみんな平気で車座になって弁当を食べている。お店も盛況。



ほら貝に太鼓も鳴ったかと思ったらお坊さんのお勤めの時間だ。
いい演出。観光客は喜ぶ


古賀稔彦さん亡くなる

2021-03-24 22:14:28 | 日記
柔道家の古賀さんが亡くなられたことが、ニュースで大々的に取り上げられていた。
ただの金メダリストならこれほど報道されることもなかったろう。
時たまテレビでお見受けすることもあったし、人々の記憶に残る金メダリストでもあったということだろう。

私的には、古賀さんをよく元住吉界隈でお見受けすることがあった。
私はポーとしているので、すれ違っても気が付かないことが多いと思うのだが、
うちの奥さんは古賀さんを見つけるのが得意だった。

どこそこのスーパーで古賀さんが何々を買っていた。
あそこの店では何々を買っていた。
と、まるで探偵のようだ。
古賀さんも気さくに近所で買い物をされていたということだろう。

柔道界を超えた存在で、身近で偉大なアスリートだった。
ご病気とはいえ、まことに残念なことである。
ご冥福をお祈りいたします。

コメダ珈琲の思い出

2021-03-21 20:54:42 | 日記
最近コメダ珈琲をよく見かけるようになった。
名古屋の喫茶店だと思っていたので、田園都市線の江田駅近くに出来た時には少し笑ってしまったが、その後中原駅や鵜の木にもあるのを発見した。

今では一々覚えていられないくらいよく見かけるようになったが、東京の喫茶店がバブル崩壊後に次々と閉店していったのが、コメダ珈琲で復活したような感覚だ。

個人的にも思い出深い喫茶店だ。
子供が生まれ、奥さんと長男が退院すると、義母が気を利かせ「赤ん坊は私が見てるから、二人で喫茶店にでも行ってきたら。」と私たちを送り出してくれた。それがコメダ珈琲だった。
しんまいパパとしんまいママはこの時初めて二人きりで話をした。
もう何を話したのかもすっかり忘れてしまったが、子供が生まれた時のあの感覚は特別であろう。
いろいろなことが頭の中でくるくる回っていた。

コメダ珈琲の店内は広く、木目調の店舗は今も同じだ。


定年後の仕事

2021-03-21 11:22:11 | 日記
自分ぐらいの歳になると仕事をリタイヤする人もぼちぼち出はじめてくる。
とは言っても今は60を過ぎても仕事を続けるのが当たり前だから、10年前とはえらい違いだ。

身近な仲間はどうしているのかとみると、やはりリタイヤ派は例外だ。
これを期にもの書きをめざすという豪の者もいるが、多くは今の会社で働き続けるパターンだろう。
中には50代で早々にリタイヤしていたのに、最近非常勤役員として社会復帰したのもいる。
世の中、年寄りの方が多いのだから当然の流れだろう。

しかしながら、やがて力尽きる時は必ず来る。
例えば視力や集中力。これは確実に落ちていく。
定年の縛りが無くなったこの歳になると、スポーツ選手の引退宣言のように、どこかで自分で考えなくてはならない。

今のように日々新しいことに対応しなければならない仕事はきつい。
時代に追いついて行かなければ仕事にならないので、知識、判断に現役との差はない。
中には定年と同時に単純労働のみになるという会社もあるようだが、
私のところみたいに嘱託がいなくなると業務が回らなくなるという会社も多いのではないかと思う。

仕事も定年後はシフトダウンしていければ良いのだが。
週休3日、あるいは一日6時間労働というのが将来あればと思う。やっている会社はやっているのかも知れないが、労務管理が複雑になる、士気に影響が出るなどで踏み込めないのかもしれない。

春の横浜てんこ盛り公園(港の見える丘公園、山下公園、横浜公園)

2021-03-20 16:55:31 | 横浜散歩


春だ、春だ。
春には不審者が増えると言う。
まあ、誰でもうきうきして外に出かけてしまうからね。

それで不審者は横浜の公園へ行く。
丘の上の花壇は花盛り。

港の見える丘公園は
寄せ植え花壇の品評会のよう。



ルピナスも実に春っぽい。


不審者は公園のベンチで🍙を食べる。
これがおいしんだな~。

横浜公園のチューリップも毎年よく手入れをしている。


山下公園も良いですな。





どれも洋風庭園

長年封鎖されていた山下埠頭へ入れるようになっていた。

すぐの所は、バスターミナル。
丘の上から見えたのは、やはりガンダム。


ここから見る氷川丸も新鮮だ。


やっぱり山下埠頭は、こんなふうに歩けるようになるといいな。
帰りには、お彼岸なので中華街で月餅を買って帰る。

八王子 滝山城を歩く

2021-03-14 23:23:44 | 東京散歩

滝山城へ行くのは50年ぶり
信じられないほど昔の話だ。
今では城跡の碑を見たのと、すぐ後ろに多摩川が流れていたことぐらいしか覚えていない。
当時どうやって行ったものか。
今回は駅から歩いて行く。途中八王子ラーメンの「圓」を覘くがすでに待ち人あり。

11時半でも待たなければならないのか。でスル~
駅前の道をそのまま、まっすぐ北へ向かい八王子道の駅となる。

八王子は地方中核都市のようだ。
東京の続きというイメージでない。南北方向は日本のシルクロードと言われた横浜線に八高線があり東西には甲州街道が通る物流の拠点だ。

道の駅もそれを象徴している。
地元物産以外にも富士吉田のうどんや桧原村のこんにゃくなどもある。

思わず買ってしまった。


東京純心大学の先から登りはじめる。

本丸から多摩川を見る




中の丸

この城の要は二の丸だそうだ。


大手口からの道

観光グッズも豊富(立派なパンフも置いてある)

スマホガイドもある。

確かに城は立派で、八王子の北の守りの要だ。
城の眼下は多摩川で、北からの兵は丸見えだ。

帰り道 大手口の農家が椎茸の原木栽培をしていたのを購入。

今時貴重だ。
しかも特大サイズの原木で特大サイズの椎茸を収穫している。
まだ食べていないがこれぞ椎茸。本物だ。


帰りは一様八王子ラーメンのみんみんを覗いて見た。

やはりというか、外に行列で、空しくバスで駅に向かう。
気の短い者は、道の駅で売っている、みんみんのラーメンを買った方がよい。


日経新聞の記事、BCP(事業継続計画)について考えてみた

2021-03-14 19:34:38 | 主張 感想
BCPは、実際のリスク事象が起きないと、計画が有効であったのかの検証ができない。かと言って対策を放って置けば、東日本大震災のようなことが起こると、そこで企業の命運は尽きてしまう。

事業はリスクを取るから収益が生まれるという側面もある。
一般的な企業のリスク管理では、通常の経済活動を前提に、その中で企業の許容出来るリスク額を探り、一定以上の過剰なリスクを取ることを回避する行動をしている。(リスクを実現させない管理能力こそが、その企業の強みではあるが。)結果は期間収益に現れ、毎年安定した利益があげられていれば、リスク管理に問題はなかったということになろう。

BCPでは非常事態を想定している。原発事故、コロナウイルスの蔓延、自然災害など、事前に予測困難な重大リスクが対象だ。
平時の企業経営では、それを想定していない。

致命傷を避けながら、企業としての社会的責任を最大限発揮していく方法を練るのがBCPだ。策定には、事業をリアルタイムで俯瞰できる高度な能力が必要だ。

ところがコストがかかり収益にも直結するので、ゆとりのない企業の経営者には渋い顔をされてしまう。
オーナー社長でないサラリーマン経営者には、関心の薄い所となってしまうだろう。「自分が役員である間にそんな余計なことをしてくれるな。自分の役員としての取り分が減ってしまうではないか。」そんな本音があるかもしれない。

国としてはどうだろうか、再三思う所だが、
東京への一局集中というのは、経済の効率面では優れているだろう。
しかしながら今後最も想定される震災リスクに耐えられるのだろうか。
BCPは国家にこそ必要だと思う。担うのは政治家だ。コロナウイルス対策よりはるかに深刻であると受け止めてもらいたい。

鬼滅の刃を見て手塚治虫のどろろを思い出した

2021-03-13 15:24:00 | 日記
手塚治虫のどろろが期間限定でYouTubeから配信中のようだ。
鬼滅の刃の大ヒットを聞いて、
その内容から、私は手塚治虫のどろろを思い出していた。

といっても鬼滅の刃の映画はまだ見ていない。
間接的な話題としてしか知らないが、今の映画なので映像ははるかに美しいだろう。
それでもおじさん世代には、手塚治虫のどろろやジョージ秋山のアシュラの世界が忘れられない。
内容も哲学的で実に深い。

アシュラなどは人肉食を扱っており、当時有害図書にも指定されてしまったそうだ。
私は断片的ではあるが少年マガジンに連載されていたのを読んだ。いまだその場面は脳裏にのこっているので、かなり刺激的ではあった。

小説では大岡昇平の野火なども、戦争における極限状態の人間を問うている。
そういう作品が描かれたのは歴史的必然だったと言えるだろう。



目黒区の寺院へ朝のお散歩

2021-03-07 19:01:13 | 東京散歩
碑文谷のダイエーは有名だったが、今はイオンとして存続。(この店がなくなるとこの辺りの住民はかなり大変になる。)

梅の花はもう終わりだが、早咲きの桜やさんしゅうゆの黄色い花が咲いて春の感じ。
ひえつき節で「庭のさんしゅうの木~」と歌いだすが、長年この「さんしゅゆ」のことだと思っていた。どうも宮崎では山椒のことをさんしゅうと言うらしい。まあ山椒も春を象徴する木だとは思うが紛らわしい。

サレジオ通りからサレジオ教会へ。
朝の礼拝中(日曜ミサかな)
コロナ対策で聖歌は歌いませんと書いてある。


変わって圓融寺。
やはり朝の寺院はよい。
早起きは三文の得(山門の徳?)




中華料理のハルピン。

昔からある店だが食べたことはない。上海亭とか北京飯店ならわかるが、満州の街ハルピンであるというのが印象的だ。

博水社は「割るならハイサワー」の会社(コロナウイルスで少し心配だ)

このあたりを月光原と言うが、どうもテレビでやっていたおじゃる丸を思い出してしまう。(月光町)
銭湯の月光泉


月光原小学校


目黒郵便局近くのカメラ屋さんのディスプレイ
懐かしいカメラの数々

リコーのコンパクトカメラ


OLINPAS
OM1他


国を憂える

2021-03-07 14:25:54 | 主張 感想
法を作る者が法を守らない。
選挙で国民の支持を得たということは、法律以上の権力を得たということなのか。
お気に入りの仲間内ですべてを決め。
これまでの原理原則をも無視する。

トップの態度は、裾野に行くほど拡大解釈されるだろう。
政権への忖度しか頭にない官僚の増加は、確実に国家の屋台骨を蝕んでいく。
イエスマンでなければ出世が出来ない。
官僚も苦渋の選択かもしれないが、つまるところ確たる信念のないサラリーマン官僚ばかりが増える結果となる。
不法だろうがなんだろうが、言われたことを黙々とこなす。
批判は厳禁。
俺は上から言われているだけなんだ。
なにが悪い。
ということだろうが、
民間の会社に置き換えた場合、そんな会社が長続きするだろうか。
ジリ貧になることは目に見えている。

政治家には公明正大さを求める。
最近の動きを見ていると、
法治国家の体が無くなるのではないかと危惧する。

武蔵小杉 新丸子のあたりを散歩

2021-03-07 00:02:30 | 近所の旅


武蔵小杉の西側、工事中のビル群がほぼ完成した。
駅前にまだ一部塀に囲われた所が残るが、ほぼ全体像が現れた。



すべて新しいビル群になってしまうと味気ないので、駅前の飲み屋群はわざと残したのかもしれない。

この中華料理店

ビルの中に入ってしまったが、昔からある店で、私も50年ぐらい前はよく利用した。


西側も東側も新しい都市に生まれ変わった。
武蔵小杉の周辺は新しいビル型商業施設群へ。
新丸子方面へ行くと武蔵小杉とは対照的に、多くの老舗個人商店や中小企業、日本医科大学、川崎フロンターレの等々力競技場など、いろいろな要素が交じり合ったカオスな地域となる。中目黒同様、東横線の高架下には、スタイリッシュな店が入っているし、商店街というよりは、地域全体が多くの商店であふれている。

それぞれのお店にひいきのお客さんが付いているのだから、たいしたものだ。

象徴的なのは孤独のグルメにも登場した三ちゃん食堂か。
のぞくと普通の店なら客のいなくなるような15時ぐらいでも大繁盛。
いい店だ。
新丸子も武蔵小杉と同様、駅の東側、西側に商店が立ち並んでいる。
東側の商店街をまっすぐ行くと大楽院というお寺になる。


近くを中原街道が通るこの地は、私の所とも縁があるのか、寺への寄進者を見ると同じ苗字の人達が寺にたくさん寄進している。




もちの木は木登りが最もしやすい木だ

2021-03-06 19:11:55 | 庭、花木、畑、ガーデニング
もちの木は樹皮から鳥もちを作るのでも有名だが、最近はあまり植えている家を見かけなくなった。
私の家では何十本も植えていて欅に次ぐ存在感だった。
きっと曽祖父がお気に入りだったのかもしれない。

秋には控えめに赤い実を沢山付ける。
丸いのや細長いのがあったので、モチノ木にもいくつか種類があるのだろうと思う。

鳥りもちを作るぐらいなので、枝もしなやかで中々折れなかった。
それで木登りに適した木だった。
小学生のころはやたら登っていて、この写真の木のてっぺんまで登り、木の葉の上に顔を出して、辺りを見回し、展望を楽しんだ。
他には、木から木から木へと枝渡りをして得意がった。

この枝ぶりは当時からあまり変わっていないような気がする。
樹齢は100年以上だ。
不思議なのは、木というのはある程度の高さになるとそれ以上にはあまり大きくならない。
種類によって高さの限界があるようだ。
だけど毎年何処へ成長しているのだろう。
少し不思議だ。



子育ての頃

2021-03-03 20:24:26 | 独り言
人生の中盤は、それまでの生活が一変する。
家族でもない、知らなかった者と一緒に暮らすようにようになり、
子供も生まれる。
仕事以外のエネルギーの大半を費やし、
ミルクを飲ませ、
泣いた、笑ったと、大さわぎ。

ごはんを食べさせ、おんぶにだっこ。
歩いた、ころんだで大さわぎ。

本能とはいえ実に不思議。

小学生の頃、家で飼っていた犬のクロの話。
屋根付きの犬小屋があるのに、その下に穴を掘って子を産んだ。
ごはんを持っていくと、穴の中からはい出し、ごはんだけ食べて穴に帰る。いつもなら遊んでくれとせがんだり、散歩に行こうと誘うのだが、
クロクロともう一度呼ぶと、「何ですか」と仕方なく穴からはい出してくる。儀礼的にしっぽを2,3回振り、「御用がないなら帰りますよ。」と心ここにあらず。

ある雨の日に、いつものようにごはんを持っていくと、穴からはいだしたクロははりねずみのようだった。
けずくろいの暇もないのだろうな。
小学生ながら、一途に子育てをしているクロの姿は、人生の手本のように思えた。

クロではないが、人間も生き物として一番輝いているのは子育てのころか。
90%は、つらい、大変、早く大きくならないかと思ってはいるが、なんだか充実している。
子供を連れて歩くと何処か誇らしくもあった。