とうちゃんのぷらぷら日記

アウトドア系の日記及びうんちく

クリスマスはペコちゃん

2019-12-22 18:07:07 | 日記
今でこそケーキ屋さんは沢山あるが、昔はケーキなどほとんど食べなかった。
クリスマスのお菓子のイメージは、不二家の長靴型のお菓子セットぐらいだったかな。

後はきよしこの夜などのクリスマスソング。
不二家のケーキもだいぶ後のほうになってからだ。

それでも小さい子のいる家では、不二家のぺこちゃんがよく似合う。
これは、子供がまだケーキも食べられないころ、プリンならよいだろうと買ってきたもの。(カップの中にプリンが入っていた。)
ペコちゃんは娘にそっくりだった。

街の店の移り変わり

2019-12-22 10:03:08 | 独り言
横浜出身で国民的女優のIさんがテレビに出ていた。
女優さんなのでテレビに出ているのはあたりまえなのだが、
Iさんのプライベートのご自宅を紹介する番組であったので、食い入るように見てしまった。
というのもIさんのご自宅はご近所なのだ。

Iさんの家が建つ前、そこにはいくつかの商店が集まった小さなマーケットがあった。
(そのような店は、なんとか「ストア」という名称で街のあちこちに点在していた。)
まだコンビニが無い頃で、
その後コンビニ店に取って代われてしまう。

その前は「よろずや」の時代だった。
コンセプトは、正にコンビニ。(コンビニの方が現代のよろずやと呼ばれていたが)菓子パンやお酒から文房具まで種類は少なくともなんでもあった。

さらにその前には、農家の副業として、それぞれの家々ごとに単品の商品を扱う流通システムがあった。私の子供のころまでは、それは屋号として面影を残していた。
「油屋」「傘屋」「インキ屋」「下駄屋」など、など、その家では昔そんなものを売っていたのだろうなと想像できた。

Iさんの所にあったストアは、中学生のころ学校の帰りによく寄って、コロッケを買って食べていた。じゃがいもだけのシンプルなコロッケだったが(コロッケの中にある黒いものは肉かとおもったらジャガイモの皮であった。)
他の店では、肉まんなども買い食いしていたなあ。
中学生は単純なので、コロッケ一個、肉まん一個でも恥ずかしくもなく買っていた。大人になると一個というのは、それだけ買うのには少し抵抗がある。(店の人のわずらわしさとか、かっこ悪いとかの雑念が生じてしまう、中学生のお気楽さがうらやましい。)

コンビニも今は飽和状態。
入れ替わりも激しい。
商売を長年続けて行くというのは、大変なことだ。

サントリーホールでマーラー交響曲第6番を聴く

2019-12-14 20:37:46 | 音楽 美術
悲劇的だ。

マーラーのことである。
今日はサントリーホールで、交響曲第6番イ短調「悲劇的」を聴く。

曲は長いので、一曲だけのコンサート。
休憩も入らない。
曲の余韻を壊すから、いくら拍手をしてもアンコールの演奏もない。
マーラー一本勝負。

出だしは何回もCDで聴いた。
ところが全曲となるとなかなか聴いていない。
ひさしぶりに通しで聴いた。

冬場のコンサートの弱点。
第二楽章ぐらいで、ホールの暖房が効いてくる。
第二楽章というのはたいていおとなしめな曲調となる。
頭がボーとしてくる。
いかんいかん、
「ポーと聴いてんじゃねーよ!」
ちこちゃんに叱られる。
第三楽章途中から正気に戻る。

第四楽章は圧巻だ。
終盤、
くるぞ、くるぞと待ち構えていると、
きた~
大きなハンマーを打ちおろし、打楽器として使用する場面。
マーラーは突拍子もないものを楽器として使う。
曲の要所、要所でさりげなくカウベルも鳴り響く。
ロックな精神を持ったアーティストだ。
最後の締めも
来るぞ、来るぞと待ち構えて、キタ~
オーケストラ一斉の咆哮で締めとなる。

マーラーは人生という「ざわめき」を曲としている。
波あり風あり、
演奏も荒削りでよい、人の人生を削り出すような、前へ前へ、突き進むような演奏が魅力的だ。

国境なき医師団

2019-12-07 18:15:17 | 日記
国境なき医師団より寄付を募る手紙が届く。
かなり凝った内容である。
募金目的にはちがいないが、内容を見ると広報スタッフの質も高いようだ。
ネットを見ると色々な意見があるようだが、私は基本的に賛同する。

おりしも、ペシャワール会の中村医師が銃弾に倒れたとのニュースが飛び込んできた。
中村医師は、テレビで拝見した記憶があるくらいだったが、ニュースでこれまでの活動が紹介されると心打たれた。

医師の仕事にこだわらず、自分がこの国に来た目的は何なのか、柔軟な発想で目的のための最良な方法(農業の再生)を実行しようとする姿は、まったくもって敬服する。
中村医師も、登山と昆虫採集がご趣味であったそうだ。

30年以上前の話だが、私のクラブの後輩で、青年海外協力隊の隊員となったものがいた。
まだ世間はバブル崩壊の前で、勤めていた会社へそのことを申し出たところ、彼は社員の資格のまま、協力隊に参加することが出来たそうだ。
派遣先は中米のグアテマラであった気がする。

Mがグアテマラへ行くと聞くと、
山のクラブの仲間うちで、Mの壮行会を行った。


私は、青年海外協力隊について、世界に貢献する若きヒーローであるとの思いが強かった。
ところがMは、どちらかというと線の細いたよりなげな男であった。
人間はいろいろな側面を持っている。
見かけで判断してはだめだとその時改めて思った。

羽沢横浜国大駅から上星川駅へ歩く

2019-12-04 20:47:42 | 横浜散歩


武蔵小杉駅から羽沢横浜国大駅まではJR線なので正確には今話題の相鉄線ではないが、とりあえず行ってみた。
およそ15分。
まあまあの距離をノンストップで走る。

もうあたらしい駅というのは、そうそう出来ない。
地元では盛大な祝賀イベントもあったことだろう。




ついこの間まで私の住む町も羽沢同様、横浜のへんぴな田舎町であった。
それで市営地下鉄の駅が出来た時には、町民も感慨ひとしおであった。

駅前で行われた祝賀式典では、町会長が、これでわが町もようやく東京とむすばれることになったと、東北の田舎のような祝辞を述べていた。



羽沢の人々もきっと同じ気持ちだろう。
それにしてもこの駅、駅の周辺になにもない。
これから整備されるのだろうか。


ここから横浜国大を経て上星川まで歩いた。
上星川の駅は、私の記憶に残る最も古い駅でもある。
母の実家へ行くのに、この駅で降りていたからだ。(昔は駅の前の方が出入り口だった気がする。)
さらに駅から神奈中バスへ乗り換える。
それこそ幼稚園や小学校低学年のころだ。
その後は、一つ先の西谷の駅からバスに乗るようになった。



たぶん当時西谷駅は新幹線の工事などをしていたので、小さい子供を連れてでは危ないと思ったのではないかと思う。


この工場の屋根についている怪獣ブースカの王冠のような突起(たぶん空気を取り入れる所)本当に懐かしい。こんなのがまだあるなんてすごい。


皇居 大嘗宮 乾通りの公開へ行く

2019-12-03 21:45:53 | 東京散歩
平日快晴のチァンス 
大嘗宮の見学へ行く
陛下と私は同年代なので、次回のチャンスはないと思われるので出かける。
いざ行かん。

日比谷駅を出発。
二重橋前の広場へ





乾通り



富士見多聞


道灌濠


西桔橋から蓮池濠




小忌握舎


大嘗宮正面




膳屋の壁面のデザインがよい




斎庫


裏手の方から廻立殿方向



相鉄線来たる

2019-12-01 19:45:21 | 独り言
武蔵小杉に相鉄線がやってきた。

武蔵小杉の駅は、ますますわけが分からなくなってきた。
ポーと電車に乗ったりすると、とんでもない所へ行ってしまう。
まあ、あまり使わないのでどうでも良いが。
私としては、二俣川の免許の更新の時と、丹沢へ行くのに選択肢が増えたぐらいか。

それでも2年後ぐらいには、東横線にもやってくるらしいので、やはりわけが分からなくなりそうだ。
ひと昔前までは、電車の行先は渋谷か桜木町ぐらいだったので、安心して電車に乗れた。
このごろは酔っぱらっていると、とんでもない所に連れていかれてしまう恐れがある。
気を付けよう。