とうちゃんのぷらぷら日記

アウトドア系の日記及びうんちく

「レコード芸術」休刊となる

2023-07-23 19:17:36 | 本、作家
「レコード芸術」が2023年7月号で休刊となるそうだ。
レコード芸術ばかりではなく、出版業界の不況にともない、専門性の高い月刊誌の休刊が相次いでいる。

秋にコンサートに行くピアニストの内田光子さんを知ったのも、30年ほど前にレ―コード芸術の書評やオーディオ雑誌を読んだからだった。

当時このドビッシーのエチュードがレコードアカデミー賞に輝き話題であった、


五嶋みどりさんのパガニーニもこれらの書評で絶賛されていた。
雑誌の意見に振り回されるわけではないが、お二人の今に続く世界的活躍を見れば妥当な評論であったことが証明されている。

特にインターネットがまだ一般的でなかった30年ぐらい前までは、レ―コードやCDを店頭で見ても、どんな曲なのか、演奏が自分の気に入るのかさっぱり分からなかった。
それでよくハズレのレコードも買い込んだりした。

それで、そういった専門誌の評論は非常に参考になった。
今でもむろん参考になる。
今はレコードやCDは一般的な媒体でなくなってしまったかも知れないが、なにか別の方式で復活できないものかと思う。

ムツゴロウさん亡くなる

2023-04-06 23:23:02 | 本、作家
「天然記念物の動物たち」の最終章「大雪山に生きるもの」の最後の文章のところでムツゴロウさんは、こう言っていた。

「なつかしい思い出が大きなかたまりになって私を包んでいる。
動物たちは生きていてくれた。そして、とても熱心に動物を守っている人たちがいた。
一年間、私は幸福だった。
そしていま、どこまでも蒼い空がある。輝く太陽がある。谷から花の香を運んでくるそよ風がある。胸をときめかす大自然が、私の四周をとりかこんでいる。
旅路の終わりにふさわしい光景である。
私は、熱い酒に舌を焼きながら、自ら感傷の淵に落ちていった。」

この本を読んだ当時私は中学生だった。
本屋で本を買って読み始めるようになったばかりのころであった。そんな中初めて本と言う物で感動させてくれたのが畑正憲さんだった。
その影響で後に私は大雪山へ行き、ナキウサギにも会うことができた。

そんな読者にエネルギーを与える本が畑正憲さんの本だった。

マインド・コントロールの恐怖 スティーヴン・ハッサン著

2022-07-16 11:06:24 | 本、作家
1988年(日本語翻訳1993年)




著者は統一教会の元信者で、学生であったころに信者となり、アメリカ統一教会の副会長にまでなった教団のエリートである。
ただし入信から脱会までわずか2年数カ月のことで、両親の献身的なサポートと脱洗脳プログラムにより社会復帰出来たというレアなケースだ。

著者は自身の体験を元に、カルト教団の勧誘の方法、マインド・コントロールの手法、カルト教団の活動、マインド・コントロールを解く方法などを丁寧に解説している。特にマインド・コントロールを解く方法については「救出カウンセリング」、「援助の仕方」、「カルトのマインド・コントロールを解く」、「回復への方策」、のステップで解説している。

カルト集団といえども企業と同じく、組織の発展を目指して活動している。
いわゆる、人、物、金を獲得する算段である。

人に関して要となるのは、有能な人材の獲得である。社会的地位のあるもの、頭脳明晰なものは特に重要で、いわば将来の幹部候補となる人材だ。
次に資産のあるものが狙われる。いわゆる手っ取り早い資金源の獲得だ。一般の信者(労働者)もタダで働き、金を献上してくれる岩盤層なので大切だ。(特に政治活動を標榜する団体では重要だ。)

なんらかの方法で標的との接点が得られたら、スパイ活動よろしく、相手にぐいぐい食い込んでいく。次のステップからは、周到に用意されたマインド・コントロールプログラムが待っている。
まじめな人ほどハマっていく仕組みのようだ。手法は極めて洗練されているので、宗教の他にも様々な場面で使われている。自己啓発セミナー、政治活動、マルチ商法などでも盛んに同じような手法が取り入れられている。

それで統一教会でも国際勝共連合(政治活動組織)や原理研究会という大学サークルなど、多くの関連組織を有している。
組織が拡大すると、いわゆる圧力団体化することが出来る。
有力な政治家の票田となれば、自分達の組織の安泰化を図ることが出来る。
ひと昔前までの企業と総会屋との関係のようなものだ。
安倍元総理が統一教会の関連団体にビデオメッセージを寄せているのは、そういうことだ。
このレベルまでいけば、当局の介入も容易に出来なくなる。

オウム真理教事件が発覚したのは、この本の発行後、2,3年後のことだった。
世の中にそういった危機感が漂っていたことは確かだろう。
今は危機が薄れたかというと、けしてそういうわけではないので、医学部の学生や理系の学生は特に、この本を読んでワクチン接種のように免疫をつけてもらいたい。理系の人達がマインド・コントロールに陥ると、とんでもない事件が起きる可能性があるからだ。

帝国主義の時代 江口朴郎著

2022-04-02 21:03:20 | 本、作家


今日の朝刊の記事の中で、防衛大学の校長先生が「帝国主義の時代」江口朴郎著を愛読書の一冊として挙げられているのに目が止まった。高校生のころ読まれたようだが、その筋の専門家でもあり、おおと思った。

この本の中で1853年のクリミア戦争のことに触れている所がある。
クリミア戦争は、その地名からトルコとロシアの戦争なのかと思っていたが、ところが、フランス、イギリス、オーストリアなどの国々も暗躍し、はてはエルサレムの聖地管理権のようなものまでからみ、さらにトルコ(オスマントルコ)領だったエジプト、クレタ、モルダビア、ワラキア、セルビア、の列強分割工作を進めたりと、ヨーローパ全体を巻き込んだ戦争であったことを知った。
ロシアはロシアで、前のトルコとの戦争で勝利(1774年)した時のクチュク・カイナルジ条約をもちだしてトルコに無理難題を突き付ける。

結果クリミア戦争が始まるが、モザイク模様のような戦闘が東ヨーロッパの各地で行われていて、誰が何処と戦っているのか、どこをどうしたい戦いなのか、今読んでいてもよくわからない。
戦っている当事者でないと理解できないような複雑な戦争なのだ。

その後、第一次、第二次世界大戦を経て、セルビアなどバルカン諸国は、一時ユーゴスラビアとしてまとまるかに見えた。が、やがてクロアチア紛争、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争、コソボ紛争と、我々には容易に理解できない紛争が各地で勃発、悲惨きわまりない闘いを再び繰り返している。

今回のウクライナへのロシア軍の侵攻も、表看板はロシアとウクライナの戦争と分かりやすいが、先のロシアによるクリミア併合、ドンバス地方の紛争、はてはジョージアやチェチェン紛争などといろいろあり、ロシア悪人説だけでかたずけられるものなのか、内情はよくわからないことばかりだ。

それにしても、核兵器までチラつかせる本式の戦争が、過去の歴史の反省もないまま行われているというのは、人類は歴史から学ばず、少しも進歩していないということなのだ。


近江五個荘の外村繁邸

2022-03-26 19:55:38 | 本、作家
昨年秋、近江の五個荘を歩いた。
近江商人の屋敷の中に外村繁邸があり、ああ、あの外村繁さんは、五個荘の出身だったのだと、思い出した。

今日本棚をガサガサやっていたら出て来た。
小説「澪標」

内容はかなり危めな私小説だ。
こんなの出版して大丈夫なのかいなと思ったが。
(昭和35年9月出版)
出版した翌年の7月に癌で亡くなっているので、それで発表しちゃったのかなというような小説。
高校生のころ読んだので、少し刺激的だった。
澪標とは、航路を示す水路標のことだそうだ。


「澪標」(みをつくし)の出だし。
「私が生まれたところは滋賀縣の五個莊である。当時は南、北五個莊村に分かれてゐたが、今は旭村と共に合併して、五個莊町となってゐる。
村の西南部には小山脈が連つてゐる。
繖(きぬがさ)山脈と呼ばれてゐる。
その一峰に、往昔、近江守護、六角、佐佐木氏の居城のあった観音寺山がある。」

この小説は故郷の情景から始まる。
外村さんは三高から東京大学の経済学部へ進まれたようなので、途中から舞台は東京へ移る。初めの奥さんは六本木のカフェに務めていた女給さんだそうだ。
奥さん(とく子さん)がお産で帰郷するのに、二子多摩川まで電車で行き、溝の口から馬車に乗る。
とあるのでとく子さんのご実家は溝の口の近くなのだろうか。
近所の地名が出てくるのでドキッとする。
やはり近江の佐々木氏といい、外村繁さんといい、私の住んでいるあたりとは縁がある。


エレクトロバンキング 金融財政事情研究会 1982年

2022-03-20 22:16:21 | 本、作家


私が学生のころは、まだワープロもろくに普及していなかった。
私がパソコンを初めて買ったのはWindows Meで、すでに私はおじさんと言える歳になていた。その頃でもネットへ繋げるのは、まだアナログ電話回線が主流で、ようやくISDNが普及しようかという程度だった。
このため情報へのアクセスの方法も、今のZ世代と呼ばれる若者とは異なり、物事を深く考えるためにはペーパーベースの活字でないとしっくりこないような、どうしようもないおじさんだ。

といって、今の状況は想像も出来ない世界だったかというとそうでもなかった。
この本の中でも、近い将来そうなるであろうと予言されていた。

この本は私が学生のころに読んだものだが、(1982年)今後の金融機関の業務の変化、さらにその先の世界までも言い当てていた。

例えばこれからの社会のありようについては
ホーム・エレクトロニクスの進展として
1.セキュリティー・システム
2.ハウス・コントロール・システム
3.省エネルギー・システム
4.家事管理システム
などの近い将来始まるであろう社会の動向を挙げ、AIの進展までも織り込んでいる。
これらの社会インフラの形勢に伴い
「外部情報の波」(ネット社会)がやってくる、
として、金融機関では、ネットバンキングの進化に伴い、銀行の店舗の在り方も大きく変わるであろうと現在起きていることをすでに予想している。

それでは銀行はアイデンティティをどこに求めるのか
銀行の置かれる将来の状況の説明として
「このような地殻運動の進行の過程では、銀行は、他の業態とも激しい生存競争を繰り返しながら、提携や系列化の方向をクローズアップしてゆくことになり、再編成の焔に炙られつつ、生き残るための懸命の努力が続けられることになる。」
(つい先だっても新生銀行がSBIホールディングスの子会社となり、現実に起きていることだ。)
「銀行はハードの面では装置産業化し、ソフトの面では情報産業化することになる。」
という解説が今後の業界のありかたを暗示している。

鬱勃たるパトスの頭山満「頭山満伝」

2022-02-13 19:16:15 | 本、作家

私が知っている戦前の右翼の大物と目される人物は、
言論界では徳冨蘇峰、学者では大川周明、
オールラウンドな活動家なら北一輝、
そして精神的支柱としては頭山満。

その程度の知識しかないのだが、
安政2年の生まれで亡くなったのが昭和19年というと、私にとっては、私のひいじい様とほぼ同じ時代を生きた人物ということになる。そんなふうに身近な人間と照らし合わせて考えると、私のひいじいさんがどのような時代を生きていたのか、頭山満の人生に重ねることで、より興味深く読ませてもらった。


今でこそ右翼といえば、街宣車に乗って拡声器で軍歌をがなりたているイメージしかないが(今ではそれももう見なくなって久しい)反社会的勢力と同一視されてしまっているような感じもある。
頭山満は、幕末の志士の生き残りで、国を憂い、植民地と化したアジアを再びアジア民族の元にとり戻そうとした人物だ。
正式な政治家でないという所も面白い。特異な立ち位置で政治活動を行った。
熱血漢で行動派だが、表舞台に立とうとしなかった。
関わる人の心をわしづかみにする人間力を備えていたことは確かだろう。
西郷隆盛を尊敬していたというのもその一端の現われなのかもしれない。

彼の周りには、板垣退助や犬養毅、広田弘毅や中野正剛と言った本式の政治家が集い、アジア諸国の志士、朝鮮の金玉均・中国の孫文・蒋介石・インドのラス・ビハリ・ボースなどその国の偉人たちと交流し、心の深い所で信頼されていたようだ。それも彼が正規の国の代表者ではななかったことが関係しているのかも知れない。

それにしても蒋介石と頭山満の会談が実現し日中戦争が終結していたらと思うと残念でならない。

国連特別総会における中華人民共和国代表団鄧小平団長の発言 1974年4月10日

2022-01-08 21:27:26 | 本、作家


中国はこれからどうなるのかと関心があり、遥か昔に買った、かなりマニアックな小冊子が手元にある。
改めて読んでみるといろいろ考えさせるものがある。
それで気になる部分を一部抜粋して転記してみた。

前略・・・・

二つの超大国は、現代における最大の国際的搾取者、抑圧者であり、新しい世界戦争の策源地である。アメリカとソ連は、いずれも大量の核兵器を保有している。かれらは激しい軍備競争をおこない、国外におびただし軍隊を駐とんさせ、いたるところに軍事基地を設け、あらゆる国の独立と安全をおびやかしている。そして、いずれも他国にたいして支配、転覆、干渉、侵略をおこなっている。かれらはいずれも他国にたいし経済的搾取をおこない、他国の富を収奪し、資源をうばいとっている。他国をあなどる面では、社会主義の旗をかかげた超大国がとくに悪らつである。この超大国は、自分の「同盟国」であるチェコスロバキアに出兵して占領し、また戦争を策動して、パキスタンを分裂させ、いったことを実行せず、信義にそむき、いちずに利益を追求し、そのためには手段をえらばない。

中略・・・・

中国はいま超大国ではなく、将来も超大国にはならない。
超大国とはなんだろうか、
超大国とは、いたるところで他国に対し、侵略、干渉、支配、転覆、収奪をおこない、世界の覇権を求めようとする帝国主義国のことである。
社会主義の大国にもし資本主義が復活すれば、その国はかならず超大国に変わる。
過去数年の間、中国でおこなわれたプロレタリア文化大革命と、いま全中国でくりひろげられている批林批孔運動は、みな資本主義復活を防ぎ、中国の社会主義祖国がいつまでも変色しないことを保証し、中国が永遠に被抑圧人民と被抑圧民族の側に立つのを保証するためである。
もし中国が変色し、超大国になり、世界で覇を唱え、いたるところで他国をあなどり、侵略し、搾取するようなことになれば、世界人民は、中国に社会帝国主義のレッテルをはるべきであり、それを暴露し、それに反対すべきであり、また中国人民とともにこれを打倒すべきである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

鄧小平氏が現代の中国を見たら、どのようなコメントをするだろうか。



瀬戸内寂聴さんと今東光和尚

2021-11-24 23:02:40 | 本、作家


瀬戸内寂聴さんが出家された時、マスコミはこぞってそのことを報道した。
私は関心がなかったが、テレビで見ていた記憶がある。
売れなくなった作家が売名行為でやってるのではないか、そんな冷ややかな見方だった。世間もそんな感じだったのではなかろうか。

出家を引き受けたのは、作家仲間の今東光和尚だった。
このお二人どこか共通する雰囲気を持っている。
今でこそ寂聴さんは、生きる観音菩薩のような感があるが、出家されるまでは修羅の人生を送られたようだ。今東光和尚も破天荒さでは負けない。

品行方正の真逆を行き、それでいて最後は品行方正の人物であったかのように錯覚させる。だから人生は面白い。
お二人の小説には、私はあまり関心がなかったが、人としては愛すべきキャラクターだった。

内務省地方局有志「田園都市と日本人」

2021-11-23 16:51:06 | 本、作家


昨日の日経新聞に「田園都市と日本人」が紹介されていた。
私にとって、懐かしい本だった。

私がこの本を読んだのは1980年のことだ。
当時経済学部のK先生が、ぜひ読むようにと推奨した本だった。
かねがね、国土の乱開発を苦々しく思っていた私には、興味のある分野でもあった。

現代では、目に見える公害問題こそ減ったものの、地球温暖化など、より深刻でグローバルな環境問題を抱える時代となった。いわゆる持続可能な社会のありようとして、いまこそこの本を見直すべきときだと思われる。
明治時代に国家の理想を語る官僚たちの心意気を、今の官僚の人達にも感じてもらいたいものだ。

文庫本の裏書にはこうある
「われわれ日本人は、戦争を望んだことがあっただろうか。この過密都市を心待ちにしていただろうか。本書は、西洋諸国を模範として強引に進められる近代日本の国家建設に抗して、平和を愛し、自然を愛する日本人の国民性に着目して構想された日本的国家建設論である。国家の真のつとめは国民を強圧的に規制することではなく、国民に生活の喜びを与え、国民の主体的な努力を援助することであるとした。幻の内務省文書がよみがえる。」

かもめのジョナサンはもう読んだでしょうね

2021-09-11 20:56:57 | 本、作家
カモメのジョナサンはもう読んだでしょうね
僕はあと書きを先に読みました
疑う事しか出来なくなっていて
とても恐いような気がします
(M氏への手紙 杉本真人)

かもめのジョナサンは、当時歌の中にも出てくるくらい話題になった。
私も古本を買って読んだのだが、難解な物語だった。
どうしてこの本が世界的な超ベストセラーとなったのか、私には分からなかった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「なぜなの、ジョン、一体どうして?」母親は息子にたずねた。
「なぜあんたは群れの皆さんと同じようにふるまえないの?
低空飛行なんて、そんなことペリカンやアホウドリたちにまかせておいたらどう?それにどうして餌を食べないの?
あんたったら、まるで骨と羽根だけじゃないの」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
飛ぶという行為を極めようとするジョナサン。
それは、東洋的な求道者の姿かもしれないが、当時の私にはあまり響かなかった。
同じ求道者を扱ったものなら、中島敦の「名人伝」の方がよほど心に残った。

天下一の弓の名人を目指す紀昌という若者。
当代の弓の名人に弟子入りし、苦難の修行の末、師匠の技を体得する。
師匠の技を体得した紀昌は、師匠から世に別格とも言える弓の大家が他にいることを告げられ、弟子になるべく新しい師のもとへと向かう。
新しい師は、殺気など微塵もない穏やかな老師であった。
極めれば弓などという道具にこだわることも無意味。
老師のもとで修行を積むこと9年。

紀昌の顔からやがて殺気は消え、穏やかな悟りの境地へとたどり着く。
もはや弓の存在からも超越し、弓を射ることさえも意中になくなった。
やがて紀昌は老い、煙のごとく静かに世を去ったというのだが、実にその道を極めることへの東洋的な哲学を感じる。

希代の読書人 立花隆さん亡くなる

2021-07-03 20:20:42 | 本、作家


立花隆さんの頭の中はどうなっていたのか。

読書家というのは、大抵小学生のころから大人向けの本を読み、
高校を卒業するころには、主要な文学作品はすでに読破しているようだ。

むろん文学ばかりでなく、あらゆるジャンルの本に手を伸ばす。
一般人には、考えられない忍耐力と好奇心を持ち合わせている。

当然、本も増える。増える。
作家ともなれば資料文献だけでも膨大な量となろう。

立花さんの本棚も、若い時はリンゴ箱から出発したようだが、
書斎の極みでもある有名な猫ビルを建てられてなおスペースが足りなかったようだ。
猫ビルの外観は、戦う作家が乗り組む軍艦のようでもある。
変形敷地に建てられたビルの艦首部分には、妹尾河童さんが描いた猫が壁面を飾り、建物に気合を入れている。
それにしても作家というのは、猫好きな人が多いものだ。


本棚の様子で、その人の性格や知性までもが知れてしまう。
それで他人に自分の本棚を見られるというのは恥ずかしいものだが、
立花さんぐらいになると、もう図書館か研究所のレベルなので関係ないだろう。
やはり達人というのは違うものだ。



忍ぶ川の世界は柳宗悦の民芸運動に繋がるものだった

2021-06-06 17:47:11 | 本、作家


久しぶりに三浦哲郎の忍ぶ川を読んでみた。

「雪国ではね、寝るとき、なにも着ないんだよ。生まれたときのまんまで寝るんだ。その方が、寝巻なんか着るよりずっとあたたかいんだよ。」
この有名なくだり。
本当かとためしたことがあった。
ところが真冬にこれをやると、やはり寒いだけだった。
いったいどうしたらあたたかいのか、意味がわからなかった。

昔の雪国の冬は相当きつかったと思われる。
今みたいに二重サッシや、セントラルヒーティングもない。

青森のぼろがファッション界で注目されたことがあった。
(三宅一生さんも注目しており、今でも評価が高いようだ。)
それをNHKの「美の壺」でも取り上げていた。
ぼろは、寒さをしのぐため、ぼろきれやはぎれをつぎはぎして、何代も使い続けてきたそうだ。
その番組の記述を読むと確かにあった。

「冬場、このドンジャに家族みんながまる裸になり、ひとつにくるまって寝ました。」(ドンジャとはかいまき布団のようなものか?)

ウーン本当のようだ。
どうも一人ではなく、複数人数で寝るというのがポイントのようだ。
それで忍ぶ川の世界が成立しているということがわかった。



「全国安い宿情報」(株)林檎プロモーション

2021-02-15 19:11:59 | 本、作家


最近東海道線の夜行列車「ムーンライトながら」が運行終了となったことが話題となった。
昔のことだが、前身の夜行、大垣行には乗車したことがあるのだが、「ムーンライトながら」になってからは乗ったことがなかった。
世間の人もそんなものだったのかもしれない。
東海道線の夜行列車では、寝台急行銀河に乗ったことが懐かしい。
                                                                                                                
今では夜行バスという方法もあるが、寄る年波を考えれば、宿泊という選択肢は魅力的だ。
そんな情報が欲しかったので参考に買ってみた。
基準は今一つよく分からないが、地域の料金水準と情報が得られた宿泊施設を基準に選別したのだろう。
一般的な宿の宿泊は、一人での利用は例外的としている所が多い。
かと言ってビジネスホテルでは味気ない。
今後の旅のプランを考える上で、参考となるのではないかと思う。
全国を網羅していることもありがたい。