風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

反逆の1967(REVOLT1967)/50th Anniversary Live

2017-11-08 00:11:38 | イベント告知/予告/INFO
2017年も残すところ2ヶ月となったところで、本年がある特別な年だったのだということを強調しておきたい。今からちょうど50年前の1967年。この年は、前後2、3年からの世界的な若者の叛乱と、文化革命の年だった。アメリカではそれはヒッピー・ムーブメントの「終わりの始まり」の一年で、「SUMMER of LOVE」と呼ばれ、あの野外フェス「ウッドストック・コンサート」へつながり、70年代の熱いロックミュージックへつながってゆく。

簡単にいえば、1967年は「レボルト元年」だったということだ。
この年の夏、それまで深夜喫茶や、地下に身をひそめていたフーテンたちが若者の街新宿東口前の植え込み通称グリーンハウスを占拠して、生産活動や、経済活動に背を向けた姿を晒し、市民の顰蹙をかったのだ。
昭和元禄と言われた好景気、高度成長の真っ只中に登場したフーテンたちを小市民は糾弾し出した。新宿の名物にしようと考えていた商店主たちもフーテン利用案を翻し、一気に排斥・排除にかかった。
ましてや、彼らは無為をかこつだけでなく、反生産、反消費さらには反経済成長をシンボル的に主張し出し、やがて反文明を標榜する部族(トライブ)が登場して自ら新宿を捨てた。

2017年の終わりにそんな熱い60年代があったことを、記憶に留めながら楽しもう! #REVOLT1967 #REVOLT

『反逆の1967(REVOLT! 1967)』
2017年11月12日(日)19:00〜
入場料2,000円(1ドリンク込み)

<出演>石井明夫Band of BAKSIS、ねたのよい、アリBand、フーゲツのJUN、高橋よしあき etc.
大久保水族館 03-3362-3777 新宿区百人町1-10-7-B1(新大久保駅「クロサワ楽器」隣)



世界にもっと愛を/レノン追悼開戦させナイト

2017-11-07 22:54:37 | イベント告知/予告/INFO
All you need is LOVE!(愛こそはすべて/レノン=マッカートニー)/Give Peace a Chance(平和を我等に)そしてIMAGINE(イマジン)!
ジョン・レノンのメッセージは、一貫して反戦であり、深く世界平和を希求するものでした。
この日は12月8日。1980年のこの日、ジョンは彼の信奉者でもあったと言うチャップマンと言う青年に射殺されました。それから、瞬く間に時はすぎ、本年は37周年になります。
そして、同じくこの日はあのリメンバー・パールハーバー!真珠湾への奇襲作戦によって日米が開戦した日でもあります。
2年前「安保法制」を強行可決した、そんな政権が、自民党が多くの大衆の支持を受け衆院選では、大勝するというそんな時代になってしまいました。若者にとっては、徴兵制の実施が現実のものとして目の前に出現するかもしれません。
私たちは、そんな「暗い時代」を目前にして、このような時だからこそジョンのメッセージを呼び起こす時だと考えました。
そしてヒッピームーブメントの始まりだった(本当は終わりの始まり)いわゆる「SUMMER of LOVE」からジャスト50周年の本年の終わりに、その「愛の時代」を呼び醒まし、そのメッセージを同時に考えたいと思います。
だからこそ私たちは、訴えます!「世界にもっと愛を!」

「愛こそすべて」「平和を我等に」!
ジョンとともにイマジンし、二度と「開戦」させない夜(開戦させNight)をともに作りたいと思います。

<世界にもっと愛を/レノン追悼開戦させナイト>
12月8日(金)19:00 スタート
会場;国分寺Live Cafe「giee」
国分寺市本町2-3-9 三幸ビルB1F 042-326-0770
http://giee.jp
料金 1,500縁+1Drinkオーダー
<出演>水野みさを(トーク、イマジンフラ、古代フラ)
    村岡オハル(歌、演奏/チナ・キャッツ)
    MOGURA(薫&シンシン/歌、演奏)
    広瀬敦子(詩)
    フーゲツのJUN(MC、DJ、poet)


https://www.facebook.com/events/163228494274894/

チェコ・シュヴァンクマイエルの夜/ジゴクの二夜をユジクで堪能する

2017-09-30 13:25:29 | シネマに溺れる
「チェコ・アニメの夜」と言うアニメまつりのくくりで上映したら、最も浮くに違いないヤン・シュヴァンクマイエルの長編作品『悦楽共犯者』(1996年/83分)を見てきた。シュヴァンクマイエルの静的なアート作品の過剰なほどのフェチシズムは、驚きを伴ってむしろ私は好きなのだ。だが、それが動き出すとどうだ!この稚拙なまでの陳腐さは?これはフェチシズム映画のパロディか?と一瞬疑ったほどである。(評価:★1/2)

ただこの作品の中で、唯一見るべきものがあるとすれば、おそらくシュヴァンクマイエルの創作の過程といったものが、明かされていると推察できる場面である。
机の引き出しを開けると引き出し一杯に詰まった粘土!ゴミ箱から拾ってきた藁束があれば、ズタ袋一杯の鳥の羽!狐のマフラーの尻尾を強奪し、それはそれは肌さわりも感触も抜群の、世にも妙なる悦楽自慰マシーンを男は制作するのだ。
モニターに映った憧れの女性アナの口元をアップにしながら…。肉体を直接交わすだけでは、快楽を得られないひとびと。その熱情のあまり電子回路をハンダ付けし、モーターを取り付け、女性アナの白き両手を想定したマネキンの手をご丁寧にも4本も取り付け、指先には真っ赤なエナメルのマニキュアを塗り、モニターに口づけしながら、自動するフェルトや狐の尻尾の肌触りに震えおののくのだ。

どうだ、これは映像よりも文章で書き起こした方が、悦楽的に感じ入るものがあるではないか(笑)!エクリチュールの快楽!汝はエクリチュールのフェチなるや?
これは呪物崇拝のコメディなのだが、そこで笑い飛ばされるのは「人間」それも厳密に言うなら特殊な性癖を持った「男」・「女」なのだ。シュヴァンクマイエルと同じ性を持つ男は、その不能なまでのフェチシズムを快楽追求型に追い求めるのだが、その快楽は不可能性いや、不能性によって終わりなき旅となる。
女は?女のフェチもあるではないか。郵便配達人の女は、パンをくり抜き、ふっくらとした中身で小さな球を執拗に丸めあげる。夜、睡眠時にそれらの丸球を鼻から吸い込んで、耳に詰め、1日の疲れを癒すのだ(!)。
コウモリ傘でコウモリの翼を作った男は、隣室の女にマゾヒスチックに鞭で攻められては、藁が詰まった悦楽の涙を流す。
その不能なまでの快楽追求の旅は、異性たる性を対象としながら<究極の自慰>なのだ。究極の一人芝居としての自慰!マスターベーションをマスターせよ!

実際、共産主義体制だった時代に徹底的に無視され、理解されなかったシュヴァンクマイエルのアート、アニメ、人形劇はその冷酷な政治体制の中で、自慰行為と同然だったし、そう社会に目されていた。シュヴァンクマイエルは内面の自由、精神の自由を求めて徹底的に示威行為たるアート行為を貫いていた。むしろそこにしか、彼の自由はなかったであろう。

そして、翌日(27日)はヤン・シュヴァンクマイエルの短編特集だ。これは良かった。ヤン・シュヴァンクマイエルの面目躍如である。そうか、シュヴァンクマイエルは、ボクらがハイスクール時代を過ごしていた頃、共産主義国家から一切の制作費援助も受けられずに、これらのコマ撮り短編映画を作っていたのか!
確かにシュヴァンクマイエルの作品には、イデオロギーもプロパガンダも感じることができない。これじゃ、国家も制作助成金を出すわけがない。

1. 棺の家(1966年/10分)
2.ドン・ファン(1972年/33分)
3.対話の可能性(1982年/12分)
4.男のゲーム(1988年/15分)
5.闇・光・闇(1989年/7分)
6.セルフポートレート(1988年/2分) / 監督ヤン・シュヴァンクマイエル/イジー・バルタ/パヴェル・コウツキー
(評価:★★★★)

上映された短編6本の中でも、『闇・光・闇』が抜群に良かった。似た傾向の作品だが、『対話の可能性』も気持ちが悪くなるくらいいい(笑)!シュヴァンクマイエルの粘土成形の見事な技術が発揮されている。壊しては、成形し、粘土が溶け合っては再び個体の身体を取り戻す!まさしくアニメーションの命を吹き込むかのような原義が発揮される。物体(粘土)が生命を得たかのように動き出す。コマ撮りの技法によって!
しかし、ここで注目したいのは『ドン・ファン』の人形の素朴な様式美である。以前、展覧会で見たチェコ操り人形のような作品はこれだったのだろうか?
御存知だろうが、チェコは人形劇を伝統的に得意とし、また世界的にも評価されている。さらにはスラブ民族にはゴーレム伝説があるから、人形劇への偏愛は民族的なのかもしれない。
その伝統は、そのまま人形アニメ(コマ撮りアニメ)の世界へ繋がり、シュヴァンクマイエルのような国際的な人気を持つ作家が登場した。
かって共産主義国家に制作助成もされなかった上に、弾圧もされたらしいシュヴァンクマイエルはいまや国際的な名声を得て国家も無視できなくなった。いやむしろ外貨獲得ではかなりの貢献を国家にしている以上、文化大臣はもとより首相も無視できない存在となっているらしいのだ(上映後のトークによる)。
チェコの国賓級の外国要人がことごとく一番会いたがる最重要人物が、シュヴァンクマイエルだと言う。さもありなん。

ところで、シュヴァンクマイエルは現代を生きるシュールレアリストだと目されることが多い。
だが、国際シュールレアリズム運動が第四インターの衰退とともに消滅している以上、そのレッテルは本人にも迷惑だろう。ただ、彼のオブジェに対する偏執狂的な偏愛は、かってのシュールレアリストとの共通点が多いことは、認めよう。
だが、私にはシュヴァンクマイエルの作品世界は、物質に満ちたこの巨大な消費社会の中で、呪物崇拝(フェチシズム)を取り戻すことによって古代的な心(原始的心象・アニミズム)を取り戻させようとしているとしか思えない。
物質は全て生命を持つ。いや、そう言っては誤解を招く。こう言い換えよう。物質は全て霊魂(アニマ)を持つ。それゆえ、シュヴァンクマイエルはそのフェチシズムを遺憾なく発揮して、物質に霊魂(アニマ)を吹き込むあの、あの創造主と同じかりそめの「人形アニメ作家」の顔をしているのである、と。

『チェコアニメの夜2017』9月26日、27日ユジク阿佐ヶ谷にて
 (ジゴクの季節にJUN爺誌す。2017年9月29日)

忘却のクレオール文学/映画『日曜日の散歩者』を見る。

2017-08-26 02:55:03 | シネマに溺れる
これはなんて「文芸」の香り馥郁たるシネマなんだろうか?それもその香りたるや、もはや打ち捨てられて誰も振り返ることのない昭和初期から10年代のモダニズム文芸なのだ。
そして、イメージフォーラムの封切り六日目にしては寂しい8名の観客の中で(キャパは百代ならぬ百名!)、椅子に身を埋めていたボクがバックパックに潜めていたものは、ベンヤミンだった。ベンヤミンは、その方法意識において全頁が引用で成り立ち、その言辞の衝突における一瞬の光芒で書物が立ち上がるような瞬間を理想に描いていたらしい。そう言う意味では、このドキュメンタリー・ドラマの形をとったシネマはおそらく千頁に匹敵する研究書を引用で埋め尽くし、そのまま映画にしたのだと言えなくもない。ならば、残された課題は映像や音声を超えて、時代や、テーマが作品の中で立ち上がるかどうかだと言える。

そのテーマはひと言で言えば「1930年代、日本統治下の古都・台南で、植民地宗主国の言語である日本語で詩を創作し、新しい台湾文学を作り出そうとした同人詩誌『風車詩社』の活動を描いた映画」と言うことになるだろう。ちなみに黄亜歴(ホァン・ヤーリー)監督も「風車詩社」の存在を知って映画化を思い立ったということらしいが、ボクもそう言う文学運動が植民地下の台湾、それも台南にあったなどと言う事実は寡聞にして知らなかった。ましてや、そのグループは仲間の日本留学や、遊学によって当時の日本文学の動向や、流行を知り、それを台南の文芸運動に持ち込むことによって台湾文芸興隆のきっかけにしようとしたものだったらしい。そして、映画の中の陳述によれば、もしんば植民地本国の詩壇や、文壇に認められるような作品が生み出せれば、台湾の日本語文芸運動も帝国日本の詩壇、文壇の一角に地位を占め、台湾文芸の水準を認めさせるものになるだろうという意欲だけが先走った大仰なものだったようだ。
当時、帝国日本の文芸活動や、その先端的な流行はプロレタリア文学やモダニズム文芸であり、ダダやシュールレアリズムがフランス文芸の翻訳、研究、出版として輸入され始めていた。それらは「新興芸術派」と呼ばれ、とりわけダダイズムを継承したシュールレアリズムは詩や文芸のみならず、絵画などの前衛芸術運動に広く共感され流行したものだった。映画の中でも、運動の本場だったフランスでシュールレアリズムを代表したキリコ、ダリに始まり「シュールレアリズム映画」として紹介されることの多い、ルイス・ブニュエルのフィルム「アンダルシアの犬」やマン・レイの写真なども引用されている。植民地本国である帝国日本のシュールレアリストであった北脇昇、池袋モンパルナスの住人でもあった靉光などの絵画も引用される。ともかくも、困惑するくらい多くの作品が引用されている。
さて、「風車詩社」のガリ版刷り同人誌の名前は『風車』(Le Moulin)であり、あのパリのキャバレー「ムーラン・ルージュ」から取られている。映画のチラシにムーラン・ルージュの写真があしらわれているのはそのためなのだろう。この映画の原題である 「日曜日式散歩者」は、日本名名義「水陰萍人」こと楊熾昌の詩作「日曜的な散歩者」から取られている。

 夢の中に生まれてくる奇蹟
 回転する桃色の甘美……
 春はうろたへた頭脳を夢のやうに——
 砕けた記憶になきついてゐる。
   ♢  ♢  ♢
 青い軽気球
 日陰に浮く下を僕はたえず散歩してゐる。
 (略)
   ♢  ♢  ♢
 さよならをする時間。
 砂の上に風がうごいて――明るい樹影、僕はそれをイリタントな幸福と呼ぶ……


この詩は昭和8年3月「台南新報」に掲載されているから、楊熾昌はすでに一定の詩人としての認知はされていたのだろう。
『風車詩社』の中心メンバーは楊熾昌の他に李張端、林永修(南山修)などがおり、この中でも林は慶應義塾に留学し、西脇順三郎の薫陶を直接受けていた。
率直に言って『風車詩社』が、理想としたのは西脇順三郎風のスタイルだったのかもしれない。その乾いた前衛性とともに、言葉に溺れた陳腐さを感じるのもそれが西脇スタイルだったのかもしれない。
『風車詩社』の活動の時期はわずか2年間余り(『風車』4号まで)で、戦後国民党政権下で彼らは白色テロを含む様々な弾圧、嫌疑をかけられたと言う。このあたりはもう一つの名作『非情城市』(侯考賢監督)を見てもらった方が良さそうだ。


さらに、これは夢想だが、クレオール文芸の可能性が、その萌芽が台南にあったのかもしれないと考えることは、ボクにとっても心楽しいことであった。というのも、その台南の『台湾文藝』や『台湾新文藝』が刊行されていた当時、我が父母、祖父、祖母は隣の県である屏東に住んでいたからである。祖父は事業をやり、植民地資本主義にあって成功者のひとりであり、その息子たる父は毎日新聞社台湾支局の記者だった。彼は、新聞の企画として女学生の座談会をやり、そこで母と知り合い結婚したのだ。
ボクにとってはもはや想像の世界でしかないのだが、植民地本国人として豊かで、自由を満喫した後にも先にもこのような幸福はあるまいと言えるような暮らしをこの美麗島の南部で我が家族は過ごしていたからである。
(そのような至福に満ちた台湾にあってのちに叔父になるM氏は、あの特攻艇「震洋」の乗組員として死を覚悟して出発命令を待つ。まるで島尾敏雄の体験のような体験をしていたようなのだ。)
現在70代後半以上の日本語教育を受けた世代(彼らの中の先住民の人々にとっては、部族名・漢名・日本名などいくつもの名前を持たされた)を中心に台湾にブームとなりつつある「懐日」の気分。「湾生回家」(台湾生まれの日本人。ボクの姉がそうだ)のサルダージの地としての美麗島(台湾)。これらを通して台湾との友好的で、和解しあった良好な交流、外交に結びつくように台湾ファンの一人として祈っております。

評価(★★★★)✻ 但し、この映画の中で引用された文学者や、文芸作品も知らず、ましてや台湾のことなどその歴史においても興味がないという御仁には、おそらく退屈極まりない2時間42分になるだろうことは申し添えておきます。

喜捨する心と僧形の男/ニュースで再会する話

2017-04-11 14:58:58 | コラムなこむら返し
3月上旬の頃だ。一瞬にして彼は修行中の身ではないと分かったし、ましてその僧服から日本の仏寺ではないと考えた。
彼は自分は旅行中の身であり、心あれば路銀を所望したいと玄関先で、経文を唱えだした。だからポチ袋に入れて、その行為に感謝して幾銭かをお渡しした。
それは行為であって、タンブン(喜捨)だ。だから、ボクは被害者ではない。ここに提示された安いお札や、数珠を売りつけられた訳ではない。
合掌して対応し、「日本のお坊さまではありませんね?」と言ったために、彼はそれを取り出すのをためらったのかもしれなかった。
ニセ物だとしても、旅している身をタンブンで助ける気持ちは、未だ持ち続けたいし、ボクもこれまでそれで救われたことがある。
陳先楼(54)容疑者は中国人の農夫だと言う。上野、秋葉原あたりでそれらを売りつけ2万円ほどの収入を得ていたと、資格外活動の疑いとして逮捕された。
陳さん!たとえ資格外であろうとも、ちゃんと経文を唱えて日本観光をしていた方が良かったのではありませんかね?この国では、一部の禅宗系の僧侶が修行の一環として、下山し町で托鉢する。なれど、それもあくまでも形式だ。
新宿や、立川の駅頭では笠を目深にかぶった僧侶姿の人物が立っている。それは、ニセ僧侶だとのウワサがある。だけど、陳さんは逮捕された。
そう、出家するのはこれからですね。仏のご加護を!合掌!

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170411/k10010944481000.html?utm_int=news_contents_news-main_006