すっぴんハート

心の声、つぶやきを思うまま綴ります

空を羽ばたくもの

2016年02月19日 | 思うこと

写真クラブの野鳥のおじさんから、またまたデジブックが届きました。

それは、「ユキホウシロ」という鳥のものなんです。

確かにかわいいんですけど、ユキホウシロばかりの写真が40枚ほどあります。

良かったなぁ。ということもあります。

それは、音楽にのせて、勝手にページがめくれていくことなんです。

否が応でも、勝手に鳥を見せつけるサイトなんです。

朝、化粧をしながら、パソコンでそれを見たのですけど、寝起きの頭で、コメント入力するのは、とても困難だということが分かりました。

デジブック自体は、とてもいいサイトだと思っています。

自分の見たいテーマをうまく見極めれば、これほど面白いものはありません。

鳥はかわいいけど、押し付けられるのは勘弁してほしい。と思ってしまうのです。

気の弱い私は、「どううまくコメントするか。」で、気を悪くしないように、必死で取り入ろう。としてしまうのです。

写真を送られているほかの女性たちは、どんな気持ちで写真を見ているのか、考えるとかわいそうになるのです。

気を悪くさせないで、逃げ切るには、一体どんな手があるのか、考えるだけでぐったりしそうです。

 

 

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花の水

2016年02月17日 | 思うこと

気が付くと、植木鉢の土が乾いていました。

「いつから、花に水をあげていなかったのか。」考えると、もう5日~6日ほど日にちが経っています。

慌ててバケツにお水を汲んで、ジョロでお水をあげます。

今年の冬は、格別の寒さで、大好きな多肉植物がダメになってしまっています。

また、最初っからやり直しです。

友人からもらった、子宝草もぺちゃんこになって、見るも無残な状態になります。

ちょっと助かったかなぁ。と思うのは、新芽が元気に育っていることなのです。

「全滅じゃなかったんだ。」と、胸をなでおろします。

 

今年から、キウイの苗を植えよう。と思っているのですが、この寒さで、苗を買うのは延期です。

まだ、よく調べていないのですが、「キウイ」って、南国の木ではないか。と思うのです。

我が家のベランダで、ちゃんと育てることができるだろうか。と、不安に思っています。

ある家では、収穫の時期になると、鈴なりのキウイがなっていて、結構、大きな木になるのではないか。と思うのです。

私のことだから、うまく育てることができないかもしれませんが。

まあ、暖かくなったら、いろいろ植え替えをして、きれいなベランダにします。

 

 

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ぎっくり腰

2016年02月15日 | 思うこと
どうも、友人が「ぎっくり腰」で、苦しんでいるようです。
「ぎっくり腰」と、聞くと、年のいったおじいさんが、「ああ、腰が・・・。腰が・・・。」と、のたうち回っている風を想像してしまうんですけど。

がんの手術経験者の友人は、「手術のあとの痛さと同じくらい痛い。」と、私にはわからない例えをします。
かなりの痛さなんでしょう。

ぎっくり腰の経験した別の友人は、「ぴきぴきぴき、と腰がうなる。」ということを言っていました。
まあ、私自身、私の友人も、それなりの年齢なので、もう若いとは言えないので、そんなことが起こっても、もう当たり前なんでしょう。
ぎっくり腰は、一度患うと、癖になる。というのを聞いているので、これから先、友人は腰を気にしながら生きることになります。
人のことを笑っている私にも、いつ何時、ぎっくりが起こるとも限らないのです。

そういえば、20代のころ、めちゃくちゃ小さな箱を取ろう。として、それが、持ち上がらないくらい重くて、箱を持ち上げることができず、そのままの形で固まったことがあります。
あれも、一種のぎっくり腰ではないか。と思うのです。
私は、ぎっくり腰が癖にはならなかったのが、運が良かったのでしょう。
考えるだけで、「おお、怖。」と、思うのです。
友人は、「ほんと、いろいろなことを患って、かわいそうだなぁ。」と、思います。
でも、こればかりは、どうしようもないことなんですけど。


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中途半端

2016年02月12日 | 思うこと

本当に、自分は中途半端な人間だなぁ。と、反省することが多くなりました。

すべてに関して、中途半端なんです。

人との付き合いも半端なものなりました。

私は、なるべく人に嫌われてくないので、人との決別もソフトなものになってしまうんです。

嫌いではないけど、付き合うのは勘弁。というスタンスだったので、友人と相談しながら、いい文句を相手に送ったのですが、どうもそれが、通じていなかったらしく、たまにメールを送られるようになってしまったんです。

私としては、もう、その人とは途切れた感で過ごしているので、メールが来ると、「きた~!!」と、おののくのです。

私も大人なので、ぶった切ることもできません。

ほんと、「あ~あ。」って感じになります。

きっと、女性ならわかってもらえると思うのですが、一度、切った男性には、もう未練すらないのです。

「なんで、わかってくれないのかなぁ。」と、メールを返信しながら、つぶやくのです。

月に2度ほど会う人なので、辛辣なことも言えないし、そっぽを向くこともできないのが現実です。

自分がぬるま湯につかっている感じがして、本当に嫌です。

まあ、それだけが中途半端なことではないのですけど。

何をするにも、「まあ、いいか。」で、過ごしている自分に喝を入れたいけど、入れれない。そんな気持ちで過ごすのは、針の筵なんです。

どうにかせにゃならんなぁ。

 

 

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花束

2016年02月10日 | 思うこと

自転車を走らせていたら、道に花束がありました。

「お。花束が落ちている。」と、近くまで行くと、そこは事故現場らしく、なんとも言えない血の跡があるのです。

「お亡くなりになられたんだ。」と、そのまま通り過ぎることになります。

故人を悼み花束を置くことは決して悪いことではありませんが、関係のない人に対しては、とてもいい気持のものではありません。

私は、心から冥福を祈る気持ちはわかるのですが、その場所をいつまでも聖地のように飾るのは良くないことだと思うのです。

きっと、事故を起こした人も、決して人を殺そうと思ってハンドルを切ったわけではないのです。

 

こんもり盛られた白菊は、とても悲しい花のように思うようになりました。

花はみんな、「愛される花」として、生まれてきているような気がします。

悲しみの花は、本当に切なすぎます。

悲しみの土地は、悲しみと置いておいて、知る人だけで悼んだらいい。と思ってしまうのは、非常な考えの持ち方でしょうか。

 

 

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