町の文化祭に行ったとき、私が所属していた写真クラブの展示もありました。
「まあ、いつもと同じような写真が並んでいるだろうなぁ。」と、思って眺めていると、一つだけ神々しい写真がありました。
なんと、赤ちゃんをあやす母親の写真なんです。
それは、もう宗教画のようで、本当に綺麗なんです。
私は、その写真に吸い寄せられるようにたたずんでいました。
家に帰り、どうしてもその写真のことを誰かに言いたくて、写真クラブの先生にメールしたところ、その写真クラブの写真展でも絶賛されていて、その写真を欲しがる人もいたそうです。
先生によると、「あなたの目が確かです。」と言う返信メールがありました。
なんか、ちょっと嬉しかったんです。
私は写真クラブにいた頃も、辞めたあとも、写真の善し悪しがなかなか理解できない人間だったんです。
写真の講評もずっと聞いていても、何が良くて、何が悪いのかわかりませんでした。
きっと、心が固く沈んでいたのではないか。と、思うんです。
しかし、私が見た赤ちゃんとお母さんの写真は、本当によかったんです。
なんか、心がジーンとくるような感じで、「これが綺麗と言うものか。」と、思ったんです。
たぶん、小手先の綺麗さじゃなくて、写し出すお母さんの愛情が綺麗だったのかもしれません。
いい写真を見たなぁ。と、思いました。
その写真を撮る人は、いつも、コミカルな写真を撮る人で、でも、写真の腕はピカ一だったんです。
今日で、文化祭は終わります。
たくさんの人の目を癒してくれることを祈っています。
「まあ、いつもと同じような写真が並んでいるだろうなぁ。」と、思って眺めていると、一つだけ神々しい写真がありました。
なんと、赤ちゃんをあやす母親の写真なんです。
それは、もう宗教画のようで、本当に綺麗なんです。
私は、その写真に吸い寄せられるようにたたずんでいました。
家に帰り、どうしてもその写真のことを誰かに言いたくて、写真クラブの先生にメールしたところ、その写真クラブの写真展でも絶賛されていて、その写真を欲しがる人もいたそうです。
先生によると、「あなたの目が確かです。」と言う返信メールがありました。
なんか、ちょっと嬉しかったんです。
私は写真クラブにいた頃も、辞めたあとも、写真の善し悪しがなかなか理解できない人間だったんです。
写真の講評もずっと聞いていても、何が良くて、何が悪いのかわかりませんでした。
きっと、心が固く沈んでいたのではないか。と、思うんです。
しかし、私が見た赤ちゃんとお母さんの写真は、本当によかったんです。
なんか、心がジーンとくるような感じで、「これが綺麗と言うものか。」と、思ったんです。
たぶん、小手先の綺麗さじゃなくて、写し出すお母さんの愛情が綺麗だったのかもしれません。
いい写真を見たなぁ。と、思いました。
その写真を撮る人は、いつも、コミカルな写真を撮る人で、でも、写真の腕はピカ一だったんです。
今日で、文化祭は終わります。
たくさんの人の目を癒してくれることを祈っています。
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