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あみの3ブログ

ラーメン食べ歩きとお城歩き、その他感動したことを写真で綴る雑記帳
更新は不定期です

大垣城@岐阜県大垣市 2023年11月19日

2023-11-27 05:49:34 | 城歩き
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お城の歴史や縄張については前回のエントリーをご参照願います。

今回の目的は化石と御城印



【化石】
大垣城の石垣には、城から4Km程離れた所にある「金生山」という海抜200m程の山から切り出した石灰岩が多く使われ、サンゴ、フナズリ(原生生物)、ウミユリ(生物)、シカマイア(二枚貝)、ベレロフォン(巻き貝)、などの化石を観ることができます。
金生山は全山が石灰岩でできており現在も石灰岩の採掘が盛んに行われています。お城が造られた400年前も、町に近く多量の岩石が容易に運び出せることから金生山は格好の採石場でした。

見取り図(大垣城天守配布資料)





「東門石垣の化石」


ベレロフォン



「天守台西面石垣の化石」




シカマイア


ウミユリ



「西門石垣の化石」



櫓門下
ベレロフォン





西門角石




フナムシ、サンゴ



「戌亥櫓石垣の化石」






大垣城天守入り口に資料が置いてあります。「大垣城 石垣の秘密」(大垣城お宝化石 セルフガイドブック)という冊子(有料)は写真付のガイドブックなのでとてもわかりやすかったです。
このほかにもルーペを使って丹念に観察すればいっぱい見つかるかもしれませんね。






大垣城「金次郎像」の近くで出会った城主?





【御城印】



限定版(切り抜き)クリア袋入り



販売所;大垣城天守入場券売り場

【大垣城】
《関ヶ原の戦いで籠城戦の舞台となる》

名称(別名);大垣城(おおがきじょう)、別名巨鹿城(きょろくじょう)
所在地;岐阜県大垣市郭町2-52
城地種類;平城
築城年代;天文4年(1535)?
築城者;宮川安定
主な城主;氏家氏、池田氏、羽柴氏、伊藤氏、戸田氏
文化財区分;市指定史跡
近年の主な復元等;鉄筋コンクリート復元昭和34年(1959)
天守の現状、形態;
地図;



※出典、、、日本100名城 公式ガイドブック・日本城郭協会監修(学研)

清洲城@愛知県清須市 2023年11月18日

2023-11-26 17:25:42 | 城歩き
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お城の歴史や縄張は前回のエントリーをご確認願います。

今回の登城目的は「御城印」

ミーハーお城ファンで申し訳ありません

収集癖が露呈しました。

まぁ今回は孫の顔を見に行ったついでに立ち寄ったわけですから。















【御城印】


販売所;清洲城天守、および
    清洲ふるさとのやかた(赤い橋を渡った先の売店)


【清洲城】
《清須会議の城 尾張の首府が甦る 歴史織りなす清須のお城》

名称(別名);
所在地;愛知県清須市朝日城屋敷1番地1
城地種類;平城
築城年代;応永12年(1405年)
築城者;斯波義重
主な城主;斯波氏、織田氏、豊臣氏、福島氏、尾張徳川家
文化財区分;
近年の主な復元等;廃城年慶長15年(1610年)、天守は、平成元年(1989年)に旧・清洲町の町制100周年を記念して模擬天守建造
天守の現状、形態;望楼型3重4階 1989年RC造模擬天守
移築現存櫓(名古屋城)、土塁
地図;




桑名城@三重県桑名市 2023年11月18日

2023-11-26 17:06:20 | 城歩き
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お城の歴史や縄張は前回のエントリーをご参照願います。

今回の訪問目的は「石垣」

前回は恥ずかしい話ですが、下調べせず突撃したので完全に見落としていました。

天守閣跡の石垣と外堀の石垣のためだけに訪問。しっかり観てきましたよ~。


天守台石垣






外堀石垣











本丸天守閣跡で出会った「城主?」




【桑名城】
《》

名称(別名);くわなじょう(扇城、旭城)
所在地;三重県桑名市吉之丸
城地種類;平城
築城年代;文治2年(1186年)
築城者;桑名行綱
主な城主;天野景俊,一柳直盛,氏家行広,本多氏,(久松)松平氏,(久松)松平氏,(奥平)松平氏,(久松)松平氏
文化財区分;県指定史跡
近年の主な復元等;蟠龍櫓(外観復元)桑名城址九華公園
天守の現状、形態;石垣,郭,堀

※出典、、、
地図;


曽木公園紅葉@岐阜県土岐市曽木町 2023年11月19日

2023-11-26 16:45:16 | 紅葉・桜・花など
2023年11月19日(日)
岐阜県土岐市曽木町にある
【曽木公園の紅葉】
大小数カ所の池に映る紅葉が観たくて行ってきました。
全体的な色づきは今ひとつでしたが、七五三の前撮りの子供さんを借景に、なんとか1枚ものにすることができました。




















【曽木公園】
〒509-5402 岐阜県土岐市曽木町
最寄りの目標は「バーデンパーク SOGI」〒509-5402 岐阜県土岐市曽木町1300−1

飯山城@長野県飯山市 2023年10月14日

2023-11-24 05:41:40 | 城歩き
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第6回車中泊お城巡り@長野一筆書きのお城巡りの記事は→こちら


【歴史】
伝承では鎌倉時代、泉親衡(いずみちかひら)の関係が語られていますが、戦国期、飯山地域の土豪であった泉弥七朗が居館を築いたのが最初であると言われています。また、川中島合戦を通じて、上杉謙信が軍事的拠点として、永禄年間(1558~1570)大改修をし、城として整備されていきました。その後、武田勝頼、上杉景勝の家臣、飯山城代岩井備中守信能などにより、飯山城は堅固な城郭へと改修されました。飯山城は、戦国期の上杉氏と武田氏が関与した城として貴重な城跡です。


【縄張】
飯山城は平山城で、東に千曲川、北に皿川、南は急崖、西は湿田と自然の要害であり、後堅固の城です。縄張は梯郭式で、水堀・空堀で城の周囲を囲み、より防御を固めています。戦国時代には上杉氏の軍事的拠点として、近世には飯山藩の領国統治の中核としての役割を果たしました。戦国期の名残と、近世の城としての面を併せ持つ、貴重な城郭です。戊辰戦争で長野県唯一の戦争であった飯山戦争は、飯山城を中心に戦われました。、、、以上「飯山倶楽部」作成パンフレトより


【場所】
場所は長野県飯山市大字飯山
上信越道「豊田飯山IC」下車、国道117号線で飯山市内に入ります。「中央橋西」交差点で左折、県道97号線「本町」交差点右折(仲町通り)、「仲町交番前」を右折すると飯山城址公園で、武道館向かいに駐車場があります。



【遺構】
配置図
※「飯山倶楽部」作成パンフレトより



「南大手門」(本丸土塁より)
現在大きな鳥居のあるところに南大手門がありました。西側の坂を扇坂といい、ここの切り岸からも遺構を感じられます。



「南中門」
大手門から二番目の城門です。平成5年に復元されました。
江戸時代の飯山城通路は、南大手門より入り、この南中門を通って三の丸、二の丸、本丸へと登っていくのです。南中門に接して番所および駕籠部屋も発見されています。





「南中門跡」
弓道場建設に伴う発掘調査で門の礎石等が発見されました。
現在は埋め戻され跡地に礎石のレプリカが設置されています。



「桜井戸跡」
鎌倉時代の御家人・泉親衡(いずみちかひら)がこの丘を訪ね、水を与えたまえと願ったところ、桜の根元より泉が滾々と湧き出たとの伝承があります。この井戸は桜井戸と呼ばれ、歴代城主も大切に保全しました。



「三年坂跡」
南の大手門から南中門を通ってくる道と、裏門である北門、北中門を通ってくる道との合流点になります。この坂を登ればいよいよ城の中心部に至るので、防御のため一段と高く曲輪が造成されています。そのため道も急勾配になっています。



「切り岸」
飯山城は、切り岸をうまく活用しており、西曲輪の南側などにも見ることができます。



「本丸大手」




「北側城址公園碑」



「北大手門跡碑」



城北グラウンド・旧中学校校舎(外郭跡)
かつて北大手門が有ったとされる場所
グラウンドの手前辺りに三日月堀がありました。



「北中門と土塁跡」
飯山城三の丸の北側には外郭(現グラウンド)があり、番所・長屋・台所・調練場がありました。その北には二層の北門があって北からの出入り口となっていました。
この場所には外郭から城内への虎口となる重要な場所で、北中門が建てられていました。江戸時代前期には二層の大きな建物でしたが、幕末には土塀の間につくられた仕切り門となったようです。
門をくぐると、東側は三の丸の切り岸が、西側は土塁が築かれていて切り通し上の狭い通路となっています。
土塁はかつて城内の各曲輪を取り囲むように築かれ、その上に狭間付の土塀が巡らされていました。



三の丸に通じる大手道



「三の丸跡」
江戸時代の三の丸には、東西に門が設置され、土塁・土塀によって囲まれ、二重櫓・武器蔵などが有りました。二重櫓は、当初東北方面の備えの物見櫓として建てられたと考えられます。





「二の丸御殿跡」
城主の私邸は西館(西曲輪)にありましたので、もっぱら公的な場として建てられたようです。



東側を流れる千曲川
当時は城のすぐ近くを流れ、段丘崖上に立つ飯山城は後堅固の城でした。



「坂口門」
二の丸の裏門で、江戸時代前期の松平氏の時期に東側に馬場や矢場が造られ、二の丸から直接行き来できる通路があけられたようです。しかし、坂を下りた付近には坂下門があり、さらに二カ所の番所が設けられるなど警備には重分に備えていました。



二の丸大手道、本丸石垣



大手道、本丸門石垣
記録によれば、後多聞、渡櫓と記載され、石垣との間を渡すように設置された二階建ての門であったことがわかっています。



枡形構造(俯瞰)



枡形から本丸へ



「本丸」



本丸に建つ「葵神社」
享保2年(1717)より9代にわたって藩主として藩を治めた本多家の先祖(本多広孝)を祀った神社で、明治16年に建立されました。



本丸二重隅櫓石垣
本丸の二重櫓は天守の代用として幕末まで存続していました。



櫓台石垣



枡形(隅櫓台石垣より俯瞰)



「不明門」
本丸の裏手に当たる場所にあった門で、江戸時代後期には使用されることなく常に閉じられた「冠木門」でした。



「南西隅櫓跡」
飯山城に天守閣はありませんでしたが、2層の櫓が三の丸に一つ、本丸に二つありました。本丸の南方に武田方の「壁田城」があり、川中合戦における飯山城の軍事的意義がよくわかります。



西曲輪からの本丸



「西曲輪」
戦国期には重臣たちの武家屋敷が、江戸期には藩主の御殿があった曲輪です。


※出典、、、現地案内板、「飯山倶楽部」作成パンフレト


周辺
交流展示館
城内の西の丸に建っており、誰でも自由に休憩できる戸建ての施設です。



【まとめ】
所要時間37分、歩行距離1.1Km、高低差34m
南大手門と南側の「扇坂」「切り岸」を見逃しています。
三日月堀は現在埋め立てられていますが、できるなら復元して欲しいところですね。

ヤマップ工程データ


ヤマップ3D




【御城印】


販売所:飯山市ふるさと館
価格;300円(税抜き)別途消費税がかかります。
住所:長野県飯山市大字飯山1431-1
webページは→こちら


【飯山城】
《いいやまじょう》

名称(別名);
所在地;長野県飯山市飯山2752番地1
城地種類;平山城
標高/比高;110m/107m
築城年代;室町時代
築城者;泉氏
主な城主;泉氏、上杉氏、岩井氏、関氏、皆川氏、堀氏、佐久間氏、松平氏、永井氏、青山氏
文化財区分;県指定史跡
近年の主な復元等;本丸は葵神社境内となり、二の丸は城址公園として整備
天守の現状、形態;天守はなく二重櫓を代用


地図;




追伸
飯山市は財政が豊かなんでしょうね。
立派な公的建物は凄く目に付きました。
飯山ふるさと館(御城印販売先)



飯山女性センター



文化交流館



県道97号からのスノーシェルター


松代藩歴代藩主墓所・長国寺@長野市松代

2023-11-23 04:58:42 | 城歩き
松代城の記事は→こちら




松代城に到着したのは7時30分過ぎ、本丸へ入るための北不明門開門時間は午前9時。
それまで町歩きすることにしました。



まず訪ねたのは真田家菩提寺
【長国寺】

天文16(1547)年、信濃国の在地領主であった真田幸隆が、一族の菩提寺として松尾城内に「真田山長谷寺(しんでんざんちょうこくじ)」を建立しました。その後、永禄7(1564)年に松尾城外へと移され、本格的な禅寺として諸施設を整えました。江戸幕府が開かれると、幸隆の孫にあたる真田信之は上田藩主となりますが、元和8(1622)年の松代移封にともなって現在の場所へと移転し、寺号も「長國寺」(國は国の旧字体)と改めて、今日にいたっています。、、、長国寺HPより

住所; 長野県長野市松代町松代1015−1
webページは→こちら

遠景


参道より


本堂


本堂大屋根の「六文銭」と海津城(松代城)から移築された「しゃちほこ」




肝心の歴代藩主の「霊廟」は固く門が閉ざされていました。
本堂で訪ねると、ただいま「特別拝観中」とのこと。特別拝観料1000円をお支払いし、案内していただくことにしました。


墓所入り口解錠



「歴代藩主墓所」
初代から十二代までの歴代当主(十三代は東京の青山墓地)と、早逝した子女の墓。婦人と側室の墓はなく位牌が御霊屋(非現存)に納められていました。



初代藩主信之公


上田城主昌幸(父)
真田幸村(信繁)その子大助(幸昌)の供養塔もありましたが、遺骨は納められていません。




「御霊屋(おたまや)」

初代藩主信之(信幸)公
万治3年(1660)の建立、昭和55年に解体復元工事完成しました。
現在40年に一度の改修を終え、まさに漆黒の美。金具の一つ一つにも六文銭が刻印され、彫刻の彩色も見事に復活していました。


表門(重要文化財)
表門の黒漆、屋根の吹き替えも終え重厚な佇まいとなっています。


御霊屋(重要文化財)


意匠
屋外を飾る彫刻絵画も優れた技法のもので、江戸時代前期御霊屋の遺構としては、全国的に見ても高い水準にあるそうです。
正面の鶴の彫刻は左甚五郎の作と言われています。
屋根裏



側面



ご開帳(内部は写真撮影禁止)
内部は内陣と外陣に分けられ、内陣の正面には須弥壇を設け、壇上中央には釈迦像、その左右に信之公と正室小松姫(本多忠勝の娘)の位牌が安置されています。
透かし彫り・丸彫りが施され、格式の高い格天井の絵画は狩野派を代表する狩野探幽の作とされています。




四代藩主信弘公御霊屋と門(長野県宝)
元文元年(1736)建立。昭和56年に解体復元工事完成。
現在40年に一度の改修に向け足場が組まれています。また内部を見ることはできませんでした。
40年来の風雪で漆ははげ、木材の傷みも進んでいます。

初代藩主の御霊屋に比較して簡素です。




御霊屋


意匠






三代藩主道幸(信房)公の旧御霊屋(長野県宝)
現・開山堂
明治5年の大火で長興寺の伽藍は焼失してしまいました。明治19年本堂再建の際、三代藩主道幸(信房)公の御霊屋を開山堂として移転・転用されました。
その際、回縁向拝などの意匠を取り外しています。



明治の初め頃までの御霊屋は、初代から四代までの藩主のもの四宇と、松寿院(二代藩主側室)をはじめとする歴代藩主の側室方の位牌を安置したもの一宇の全部で五宇であったが、現在は二宇のみです。
現存2宇と転用1宇、残り2宇は大火の後の再建費用を賄うため売却されたそうです。





信州・松代散策マップより



旧松代駅舎



旧樋口家



鐘楼



旧矢沢家



歴史的道すじ



旧白井家



真田勘解由屋敷



文武学校



真田邸



真田像






松代城@長野市松代町 2023年10月14日

2023-11-22 05:46:54 | 城歩き
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☆太鼓門や土塁など本丸・二の丸の姿がよみがえった
松代城は、永禄3年(1560)ころ、武田信玄が北信濃を支配するため築いた。築城当時は海津城と呼ばれ、日本の合戦史に名高い川中島の戦いの舞台となった。信玄の死後、織田信長の家臣や上杉景勝の武将が入城するなど、城主はめまぐるしく変転する。元和8年(1622)真田信之が城主となり、真田氏3代幸道の時に名を松代城と改めたと言われる。城は千曲川の自然堤防上にある。近年、本丸石垣や内堀が修築され、本丸大手の太鼓門や搦手の北不明門などが復元された。さらに二の丸周囲の長大な土塁も復元整備され、往時の姿がよみがえりつつある。、、、日本100名城 公式ガイドブックより

【場所】
場所は長野市松代町松代
駐車場は、松代城太鼓門の目の前に「市営殿町駐車場」があるが現在発掘調査中のため、「松代城無料駐車場」を利用しました。


ここは城の目の前であることに加え、真田邸・真田博物館・観光協会(御城印販売)の隣でもあるので大変便利です。



また向かいには「竹風堂・松代店」があるので小布施で有名な「栗ようかん」をお土産に買うこともできます。
ナビの設定は「竹風堂・松代店」(長野県長野市松代町松代殿町10−1)でもよいと思います。



【遺構】
南から北方向
※松代城パンフレットより



二の丸南門石垣



太鼓門と太鼓門前橋(正面)
太鼓門表門(橋詰門)の前には橋が架かっていました。内堀の調査では、堀の中から30本以上の折れた橋脚を発見しました。橋脚の形状や打ち込まれた位置の違いから、橋のかけ直しが4回以上行われたことがわかりました。このことから、災害の度に橋が崩落・破損したという当時の史料記載を裏付けました。発見した橋脚や江戸時代末期の絵図面を元に前橋を忠実に復元しました。、、、現地案内板より



同(西側より)


同(東側より)



南西隅



南西隅石垣と内堀



西面の石垣と内堀



南東隅の石垣と内堀



東側石垣と内堀に架かる東不明門前橋


「二の丸」
二の丸東側



二の丸東側・土塁



二の丸南側・三日月堀土塁


三日月堀



二の丸西側


土塁と埋門




北から南を見る
※松代城パンフレットより



二の丸北側


北側の新堀と土塁


北側土塁


二の丸北側内堀に新たに復元工事中の渡橋





北不明門・二の門と石垣




同、城内より
切妻屋根の高麗門



北不明門・一の門
二層の櫓門


同、城内より



北不明門・枡形(乾櫓台より俯瞰)




北不明門と太鼓門コラボ





本丸


同、戌亥櫓台より俯瞰


本丸石塁



本丸・乾櫓台石垣







本丸・太鼓門(一の門)
二層の櫓門形式


同、枡形
太鼓門は本丸内では一番大きな門でした。本丸大手(正面)の出入り口(虎口)は、枡形に石垣を回し、二層の櫓門(太鼓門)と枡形門(橋詰門)の二つの門で構成しています。このような形を枡形といい、本丸を厳重に守っていました。良好に残っていた門礎石をそのまま利用し、絵図面などから、栃葺(板葺)で切妻屋根の姿を忠実に復元しました。太鼓門の名は、時を告げる太鼓を供えていたことに由来したようです。、、、現地案内板より



同、橋詰門と橋(二の門)


同、橋詰門枡形
高麗門形式




本丸・東不明門石垣



同・東不明門前橋



二の丸・石場門




【まとめ】
当日の行程
ヤマップ工程データ
周辺の町歩き、真田氏菩提寺「長国寺」を訪ねて→こちら(準備中)
を含めて5.1Km、160分の散策でした。


ヤマップ3D





【御城印】


3枚セットでクリアケース入り
配布場所;信州松代観光協会
住所;長野県長野市松代町2−2 松代町4−1

【松代城】
《千曲川を臨む地に構えられた真田氏の居城》

名称(別名);海津城
所在地;長野市松代町松代44
城地種類;平城
築城年代;永禄3年(1560)頃
築城者;武田信玄
主な城主;武田氏、織田氏、上杉氏、田丸氏、森氏、松平氏、松平(越前)氏、酒井氏、真田氏
文化財区分;国指定史跡
近年の主な復元等;平成16年に本丸太鼓門・太鼓門前橋・北不明門・二の丸土塁の復元完了
天守の現状、形態;天守台(戌亥隅櫓台)のみ残る

※出典、、、日本100名城 公式ガイドブック・日本城郭協会監修(学研)
地図;




荒砥城@長野県千曲市大字上山田 2023年10月14日

2023-11-21 05:17:40 | 城歩き
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【歴史】
荒砥城は、当地一帯を治めていた地方豪族“村上氏”の支族にあたる“山田氏”により、大永4年(1524)に築城されたと伝えられています。冠着山から千曲川へ向かって伸びる舌状尾根の突端部にあり、戦略上重要な位置に築かれています。
城の形は、郭をいくつも連ねて作られる『連郭式山城』という、当時一般的な形式で築かれています。また荒砥城のほか、荒砥小城(あらとしょうじょう)や若宮入山城(わかみやいりやまじょう)といった荒砥城に付属する城や、のろし台と考えられる證城(しょうじょう)が同じ尾根上に連続して築かれています。

武田信玄の北上を2回も阻止した村上義清ですが、ついに敗れ上杉謙信に助けを求め、それに応じた謙信と信玄が戦ったのが「川中合戦」の始まりでした。

【城山公園の整備】
城山史跡公園は、平成2年度から5年間の歳月を費やし、平成7年6月にオープンしました。当時の山城の雰囲気を感じていただくことができ、また、ふもとの戸倉上山田温泉から僅か数分という最良の立地条件もあり、県内外から多くの観光客が来られる施設となりました。
荒砥城の本郭は標高590メートルで、千曲川から比較するとおよそ220メートルの比高差があります。公園内にある櫓に登ればとても眺めが良く、眼下には千曲川の雄大な流れと、南は埴科郡坂城町から上田市北部付近、北は長野市の南部まで広く見渡せます。、、、千曲市HPは→こちら


【場所】
上信越自動車道「城坂IC』下車、県道91号線から国道18号線へ右折。「戸倉上山田温泉入り口」交差点で左折し温泉街に入ります。県道498号線で千曲川を渡り、県道55号線との「城山入り口」交差点を道なりに進みます。



この県道498号線は林道のような山道で舗装されていますが、狭くて急な登り坂となっています。(案内看板多数あり)



途中宗教法人の建物や神社、博物館などもありますがどれも廃墟のようでした。そこからしばらく登ると右手に「千曲市城山公園荒砥城入り口」の看板が見えます。



看板から専用駐車場まですぐですが、駐車スペースはかなり少ないです。




【登城断念】
こちらの城は山城の魅力より、復元展示された建物に興味津々で立ち寄りを決めていました。

石川県白山市の「鳥越城」→こちら
のように、復元された建物群があると自分のようなミーハーのジジィにはわかりやすい。なので是非みてみたかったのです。

この日は車中泊した道の駅を午前6時過ぎに出発。
荒砥城駐車場には7時に到着しました。もちろん一番乗りです。


しかし、開門時間が午前9時となっているではありませんか~

頂上の本丸跡に築かれた模擬櫓や門・兵舎・館などをちゃちゃっと見て帰るつもりだったのに、案内所や入場門が有るので有料施設への無断立ち入りは不法侵入になります。
このあとのスケジュールを考えると、ここで2時間も待つという選択はありません。
残念ながら次回への宿題として「暖簾を後にしました」
現地案内板



荒砥城遠景



遠景「櫓」



周辺
農家の石垣


家老屋敷のような民家の土塀




【荒砥城】
《あらとじょう》

名称(別名);新砥城
所在地;長野県千曲市大字上山田字城山3509番地1
城地種類;山城
標高/比高;590m/220m
築城年代;室町時代
廃城年代;天正11年(1583年)
築城者;山田越中守二郎?
主な改修者;山田氏、吾妻氏
主な城主;山田氏、屋代政国、屋代秀正
文化財区分;千曲市指定史跡
主な遺構;土塁、空堀
近年の主な復元等;千曲市城山史跡公園として整備されている。石積を用いた虎口、館や兵舎、櫓など模擬展示


※出典、、
地図;


上田城@長野県上田市 2023年10月13日

2023-11-17 16:36:09 | 城歩き
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こちらも御城印欲しさに立ち寄ったお城

歴史や縄張については前回のエントリーをご参照願います


城内の真田神社で御城印を求める予定だったんですが、何分にもタイトなスケジュールで真田神社の閉門時間17時(4~11月)には間に合いそうもありません。必死に調べたら、上田市観光案内所でも提供しているとのこと。しかも営業終了時間は18時なのでなんとか間に合いそうです。

場所は上田城二の丸橋の真向かい。二の丸通りと大手通りの交差する角地という立地の良さ。上田市観光会館という建物の2階に観光案内所が有ります。こちらの駐車場を利用させていただきました。



ここでサプライズ!
観光会館1階でナント! 上田城武将隊と鉢合わせ! なんか口上を述べていた途中に私が飛び込んできたというシチュエーションです。
赤備えの甲冑姿の真田幸村と正対したワタクシ汗かきました



要するに今日のお仕事を終えた武将隊の『お疲れ様、今日も一日ありがとう、明日も頑張ります』みたいなご挨拶
2階への階段を、真田幸村と肩を並べて、世間話しながら歩こうとは夢にも思わなかったです
しかも本人から武将カードまでもらって『恐縮です』


2F観光案内所


真田神社でなくてよかった!
こちらではファイルケースがサービスで付いてくると言う特典付です。
そして御城印は一枚一枚手書きです。裏返してみればわかりますよね、、墨のにじんだ跡が




展示品








上田城イラストマップ




東虎口櫓門


同石垣


同真田石(鏡石)
前回人物と一緒に撮影したので、今回は単独で


同南櫓



内堀と尼ケ淵
築城当時城の南には千曲川が流れ、天然の堀となっていました。



二の丸橋



二の丸門石垣


二の丸堀跡
ケヤキ並木遊歩道



大手門前 冠塀台発掘調査現場




【御城印】


提供先;真田神社(城内)、上田市観光案内所(城外二の丸橋向かい)



【上田城】
《徳川軍を2度にわたって打ち破った真田一族ゆかりの城》

名称(別名);上田城(うえだじょう)、別名真田城(さなだじょう)他
所在地;長野県上田市二の丸
城地種類;平城
築城年代;天正11年(1583)
築城者;真田昌幸
主な城主;真田氏、仙谷氏、松平氏
文化財区分;国指定史跡
近年の主な復元等;本丸東虎口櫓門、二の丸北虎口石垣、南櫓下石垣復元
地図;



※出典、、、日本100名城 公式ガイドブック・日本城郭協会監修(学研)